鈴への依頼
――夢の余韻が完全に晴れるまでに、少し時間がかかった。
鈴とこんが目を開けた時、事務所の天井灯が静かに瞬いていた。現実へと戻ったはずなのに、胸の奥にはまだ夢のざわめきが残っている。
「おっ、戻ったか」綾戸が湯呑を両手で抱えながら振り返った。だが、鈴の顔を見た瞬間、眉がわずかに寄る。「……鈴、お前、泣いてる?」
「えっ……」鈴は思わず頬に触れ、指先に温かさが残っていることに気づく。「あ……すみません、大丈夫です。ちょっと……夢の温度が残ってただけで」
「夢の温度……? 言ってる意味は分からんが……まあ、水分補給な」綾戸は箱ティッシュとペットボトルを同時に鈴へ押し付けた。「ほら、塩分も取っとけ」
「熱中症か何かと勘違いしておらんか?」朔夜が呆れた目を向ける。
こんが椅子の背もたれに飛び乗る。「鈴、だいじょうぶなのじゃ? わらわ、戻った瞬間に綾戸の顔より青い気がしたのじゃ」
「おい。俺の顔は今は関係ないだろ」
「いや、関係ある」朔夜が真顔で言う。「綾戸、おぬしは獏に心を食われてから虚無の鏡みたいな目をしておる」
「そこまでか……」綾戸は頭を抱えた。「まあいい。鈴、何があった?」
鈴は姿勢を整え、影との対話を丁寧に語り始めた。
影が語ったこと。
・自分もまた、鈴と同じ“作られた存在”であること
・作り手に忘れられた悲哀が怪異の源となること
・鈴は“創られた者”でありながら“作り手”でもあること
・夢縫い師が拾った夢が歪み、いま本人を縛っていること
話を聞くうちに、事務所の空気は静まり返っていく。
「……なるほどな」綾戸は腕を組み、難しい顔をした。「夢縫い自身が縛られてるってわけか」
鈴はこくりと頷く。「はい。影さんは……『夢縫いを救ってほしい』と」
こんが勢いよく両手を上げる。「つまり、鈴に初めての依頼が来たのじゃ! 探偵デビューなのじゃ!」
「いや、わらわは鈴の助手をやるべきか、それとも鈴がわらわの助手か……どちらがよいのか悩むのじゃ」
「どっちも違うよ」鈴が苦笑する。「私はまだ綾戸様の助手で……」
「助手が事件を解決できないなんて、誰が決めた?」綾戸が茶をすすりながら言う。「そもそも俺は助手だった頃から事件解決してたし」
「我もお主も怪異を見つけてしばき回しておるだけであろう。探偵には程遠いわ」朔夜が即答した。
「いや、現状俺の職業探偵ってことになってるんだけど」
こんがさらに追撃する。「わらわが知ってる戦う探偵は仮面ライダーくらいなのじゃ。あ、だから綾戸も半人前と」
「やめろ。ハーフボイルド言うな」
朔夜は静かに鈴へ視線を戻す。「しかし鈴、おぬしならば可能じゃろう。作られし者であり、作る者でもある。この中で誰よりも夢に近い」
鈴の胸に、影と綾戸の言葉が静かに灯る。
――助手が事件を解決できないなんて、誰が決めた?
鈴はふっと微笑み、小さく頷いた。
「……はい。影さんからの依頼、受けました」
「おおーっ!」こんが跳ねる。「鈴、格好いいのじゃ!」
「いや、そういうのは後でいいから……」鈴は照れながらも微笑む。
綾戸が立ち上がった。「よし、それじゃ準備だ。まずは夢縫いの居場所を――」
「いや、おぬしは休め」朔夜が即座に止める。「獏に吸われた心の穴がまだ閉じておらん」
「俺そんなにヤバい顔してる?」
こんが即答した。「冷蔵庫の奥にあるミイラ化した油揚げみたいなのじゃ」
「もうちょっとましな例えにしてくれよ」
だが、そのやり取りに事務所の空気は確かに軽くなっていた。
翌朝。事務所はまだ早い時間の光に包まれていた。
「……よし。手掛かりを探しに行ってきます」
鈴がコートを羽織りながら宣言すると、綾戸がふいにニヤリとした。
「お、ついにお披露目だな」
「……え?」
朔夜が顎を撫でながら言う。「鈴。その格好……綾戸が“こんなこともあろうかと”と言って、密かに用意しておったものじゃ」
「ちょ、朔夜様!? 言わないでください!」綾戸が慌てて止めるが時すでに遅し。
鈴はそっと自分の姿を見る。
黒を基調にしたショート丈のトップス。カーキ色のスカートに、動きやすいタイツ。そして上から羽織ったのは——
「……これ、綾戸様のコートですよね?」
オーバーサイズ気味の男物のコート。本来なら野暮ったいはずなのに、鈴が着るとなぜか“探偵ルック”として絶妙にまとまっていた。
「似合うのじゃ! 鈴、めちゃくちゃ探偵っぽいのじゃ!」こんがぐるぐる回りながら賞賛する。
綾戸はそっぽを向いて鼻をこする。「……いや、その……ほら。助手が外回りする時に、寒くないようにと思ってだな」
「素直に言えばよいものを。鈴に似合うと思って選んだ、と」朔夜がからかうように続ける。
「いいだろ。お揃いのコートかっこいいだろうが」
鈴はふわりと笑った――その直後だった。「……ありがとうございます。大切に着ますね」
こんがじーっと鈴を見上げて眉を寄せた。
「……鈴だけずるいのじゃ」
鈴が瞬く。「え?」
こんはぴょんと床に飛び降り、胸を張る。「わらわにも“探偵っぽい服”をよこすのじゃ! 助手なんじゃから正装が必要なのじゃ!」
「いや助手はまだ決めてないですって……」鈴が苦笑する。
しかし綾戸がそっと棚から小箱を取り出した。
「そんなこともあろうかと」
「なにぃ!? 早く言うのじゃ綾戸!」
差し出された箱を開けたこんの目が、ぱぁっと輝く。
中には——鈴のコートとお揃いデザインの、ミニサイズのトレンチコート。そして耳がぴょこんと出せる小さな探偵帽。
「……かわいい……!」鈴が思わず声を漏らす。
「当然なのじゃ! わらわ、世界一かわいい助手なのじゃ!」
帽子をちょこんと被ったこんは、鏡の前で小さく回る。「見よ鈴!これで名実共にわらわも探偵!」
綾戸は頭をかきながらもどこか誇らしげだった。「夜鍋して作った甲斐があるな」
朔夜が腕を組み、満足げに頷く。が、一言。
「我には見繕ってくれんのか?」
無言で虚空を見つめる綾戸を尻目に、二人の新米探偵は上機嫌だった。
「では、まずは竜胆さんに会いに行きましょう」
朔夜が頷く。「うむ。零課では妙な依頼が多発しておると聞く。夢縫いに繋がる手掛かりがあるやもしれん」
「わらわも行くのじゃ! 鈴の助手なのじゃ!」
「ならしっかりサポートして下さいね」
コートの裾が軽やかに揺れ、鈴は小さく息を整えた。
(影さん……依頼、必ず果たします)
こうして鈴は、少し大きめのコートに身を包みながら、探偵としての第一歩を踏み出した。




