特訓
「俺に念の使い方を教えて下さい!」
俺は自宅の床に額を擦りつけていた。
土下座である。人生でこんなに真剣に土下座などしたのは初めてかもしれない。
よくよく考えると土下座をしたことは無いのだが。
「暑苦しいのう。面をあげよ」
顔を上げるとそこにはベッドに腰かけ、足を組んだ夜叉の姿。
地床から見上げる形の眼前には丁度、着物の中が覗いて見える。
うーん。この光景は非常にご馳走様。じゃなくてよろしくない。
夜叉は完全にわざとやっている。だって、ニヤニヤしてるし。
最近どうも夜叉からの逆セクハラがひどい。いや、こっちとしてはいい思いをしているから、セクハラは立証できないのか?
「折角我が良いものを見せてやっているというのに、つまらん反応よのう」
「夜叉様、いくら綾戸が相手でもはしたないですよ」
「どういう意味だ、こら」
後ろのドッペルゲンガーが喧しい。
「仕方ないのう。それで、急に心変わりしたのは先日の一件のせいかのう?」
居住まいを正した夜叉に習い、俺も姿勢を戻す。
交差点の怨霊。先日の一件とはあのことだ。
その時に痛感したのは、俺の無力さ。あの一瞬は確かに、火事場の馬鹿力なのか念を拳に込めることは出来た。
それ以降もあの感覚を頼りに、密かに練習をしてみたものの、まったく手応えは無い。
念を込める感覚どころか、そもそも念てなんだろうという感覚に落ちいってしまう程。
「最近何やら一人で特訓はしているようですが、その様子だと成果は芳しくなかったんでしょうね」
「なんで、お前がそんなこと知ってるんだよ」
何のことは無い。言うようにドッペルゲンガーが続ける。
「前にもお伝えしましたが、私と綾戸は魂の階層で繋がってるのですよ?どこで何をしているかくらいは朧げに分かります」
「それって俺のプライバシーどうなんだよ」
「プライバシーも何も、基本的に貴方の初恋の相手からちんこの形まで全部知っているのに何を今更」
うん。そうだった。こいつは基本的には俺と全く同じ姿形。怪異として誕生するまでの記憶すら引き継いだもう一人の俺だ。
「お主らの言い合いはいつ見ても奇妙よのう。見ていて飽きはせんが、気色悪いわ」
「それは流石に言いすぎでは?」
へこむわ。
「土壇場では良い根性しておる割には、打たれ弱い奴よ。それで、念が使えるようになりたいのか?」
やっと本題に戻ったところで、俺は真剣に頷く。
「並みの者では身に着けることすら一朝一夕ともいかぬが、お主なら少し鍛えれば扱えるようにはなるであろうな」
「だったら俺を鍛えて下さい。お願いします」
再び頭を下げる。
「その覚悟は認める。我がお主を鍛えるのも是よ。しかし、今一度良く考えよ。人の子が振るえるのはその肉体の力と想いの力。
念や魂は妖と霊の領分よ。そこに足を踏み入れればお主は戻れん。それでも良いのか?」
「そうは言うけど、俺ってもう既に取返しのつかないレベルであっちの世界に片足突っ込んでいる気がするんですが」
「それ自体は否定はせぬ。我が導いたのであるしな。しかし、その道に入るとは、例えお主が一人となってもその道を歩み続けることとなる。そういう意味であるぞ」
例え一人になってもか。
無残に今を奪われ一人になること。一人になることを背負って今を守ること。
そのどちらを選ぶか。
そんなものは決まっている。
あの時の決意。
それだけは本物だから。
「それでも、です」
「良い目をして居るな。あい分かった。お主の覚悟は受け取った。この夜叉に任せ大船に乗ったつもりで居るがよい」
俺はこの日常を気に入ってるんだ。
なんて、恰好をつけてみたものの締まらないのが俺の運命らしい。
あの後、夜叉はどこかに電話し、場所を押さえたから行くぞと無理やり引っ張られてきたのがこの道場だ。
タクシーに乗って一時間程の微妙な距離を進み、郊外にまで出たところで目的地に到着。
埃っぽい畳を見る限り、暫く使われていないらしい。
到着するなり、着替えろと手渡された胴着に身を包み、今に至る。
「あの、何から何までさっぱり分からないんですが、どういう状況です?」
さっきの覚悟が霧散しそうなくらい混乱する。
怪異に出会いまくるという不可思議の連続には順応できてきた気がするが、純粋に意味の分からない状況は飲み込めないらしい。
「お主が修行したいと申したのであろう」
そんなことをのたまう夜叉もいつの間にか胴着に衣替えしている。
「なんでまたこんなテンプレを」
「何事も形からよ。決して先日読んだ漫画が面白かった訳ではないぞ」
何読んだんだよ。
「それでは、前置きはこれくらいにして早速始めましょうか」
「いや、色々ツッコミどころはあるんだが、なんでもお前もいるんだよ」
目の前には俺と同じように胴着に身を包んだドッペルゲンガー。
全く意味が分からない。
「一から十まで説明せねばならんのか?面倒くさい奴よのう」
「そんな台詞はせめて一を説明してから吐いてください」
自然と悪態が口をつく。無理もない。今から何をするかもわからんのだ。
「仕方ないのう。復体よ、お主が説明せい」
「畏まりました。今から、綾戸には私と組手をして貰います。最近は道場にも通ってはいませんが、少し体を動かせば勘も戻るでしょう」
そりゃまあ、就職で実家を離れるまではそれなりに空手を続けてはいたもんだが。
「まずは体を温める。話はそれからということです」
さっぱり分からん。とはいえ、久しぶりに体を動かすのも悪くはないか。
「まあいっか。そういうことなら、やってみるとしますか」
「それでは審判は我が務めるとしようかのう。一本先取まで続けるからの。怪我をしても面倒であるから寸止めであるぞ」
もともとフルコンタクトよりこちらの方が経験も長いからやり易い。
道場は無駄に広いので場外は無し。
中央に進み、お互いに礼。鏡のように正対する自分と同じ姿の怪異。
「始め!」
夜叉の掛け声とともに、お互いに同じ構えを取る。左半身を前に置き、右の拳は少し引いた半身。
経験も同じなら体格も同じ。手の内も知り尽くしている。こんな手合いは当たり前だが初めてだ。
どう動くか。
「動かないのなら、こちらから行きますよ!」
浅く踏み込んだ所から繰り出された左の拳を捌く。
この後に続くのは深く踏み込んでの右の中段突き。
シンプルな二連突き。
俺の得意な攻めだ
だったら!
「そこっ!」
打ち込んでくるタイミングに合わせ、前蹴りを叩き込む!
「「ちっ!」」
絶好のポイントに蹴りを置いたのだが、少し初動が早かった。
突きの途中で拳の軌道を変化させたドッペルゲンガーが、蹴りを防ぐ。
「我ながら良い反応するわ」
「流石自分の技。嫌な返しをしますね」
半身分距離を取り、間合いを離す。突きは届かない蹴りの間合い。次はこっちの番だ。
一足飛びと同時に前脚を跳ね上げる。
後ろ脚が再び畳を掴むと同時に、蹴る!
「せや!」
「読めています!」
俺の蹴りに合わせて半身を引いたドッペルゲンガー。
蹴りの射程外に逃れると同時に、がら空きになった脇腹を狙って打ち込んでくる。
狙い通り!
前に出る為の加速を、捌かれた前脚を軸に一気にモーメントを入れ替える。
繰り出された拳を払いのけ、俺の放った後ろ回しがドッペルゲンガーの頭部を捉えた。
「一本!そこまで!」
夜叉のジャッジが響き、一本目の試合はそこで終了となった。
「流石はオリジナル。良い蹴りです」
「そりゃどうも。自分とやるなんて貴重な経験だわ」
久々の組手だが、体は存外覚えているものだ。しっかりと動く。
「思っていたよりも動けるではないか」
夜叉が肩に手を置き、スポーツドリンクを手渡してくる。
褒められて悪い気はしないな。
だが、普通に動けたところで、夜叉のあの動きに追いすがれるとも思わないが。
「流石に復体もこのままでは不利かのう」
「これは手厳しい。ですが、厳しいのは事実でありますね」
「なんだよ、二人して。まるで奥の手があるみたいなこと言いやがって」
「奥の手も何も、さっきのはウォーミングアップですよ。念の修行はこれからです」
久々の組手に気を取られ、当初の目的が抜け落ちていた。
そうだ。念を扱えるようになる。それがこの道場に来た理由だ。
「休憩がてら少し手解きをしてやるかの。お主にはいつぞや伝えたが、念には陰と陽二つの性質がある」
それは聞き覚えがある。
「簡単に言えば邪気で練るのが陰の念。生の気で練るのが陽の念。何を正邪とするかは時と場合によりますが」
「そのあたりは全体的に聞いたことがある気もするが」
「うむ。肝心なのはここからよの。お主が身に着けるのは陽の念。ゆめゆめそれを忘れるでないぞ」
そこで夜叉は悦明は終わったとばかりにタバコを吹かし始める。
「肝心の使い方が何も分からんのですが」
「ここから先は私が引き継ぎます」
説明役をバトンタッチしたドッペルゲンガーが話を続ける。
「陰と陽は表裏一体です。例えば、目の前の敵を打ち倒したいと考える。重要なのはその動機です」
指を一本立て、ドッペルゲンガーが続ける。
「相手が憎い。殺したい。許せない。こういった感情で練る気は陰となります」
更にもう一本。
「しかし、何かを守るために敵を打ち倒したい。倒すことでしか前に進めない。こういった心意気であれば陽の気となります」
夜叉とドッペルゲンガーの話を合わせて考えると、常にぶれない心の芯を持つこと。それが重要ってことか。
「まずは心構えってことか」
「その通り。それができなければ念が練れたところで実戦では使えないでしょう」
そこで、ドッペルゲンガーが再び構えを取る。
「一度は念を練れたのですから、後はその状態を再現するのが手っ取り早いでしょう。ここからは私も念を込めて打ち込みます。覚悟してください」
「脳筋しかいないのかこの空間には」
「そっちの方が分かりやすいでしょう?」
否定はしないが。頭で理解するより、感覚で覚える方が性には合ってる。
「それでは、行きますよ!」
お互いに構え、再び組手を交える。
「来い!」
畳を踏みしめ、一気に距離を詰める。
念を込めてどうなるかは知らんが、そっちがその気ならこっちも本気で行くしかない。
前手のガードごと打ち抜くように渾身の上段突き。
捌けないと悟ったのか、バックステップで突きを躱してくる。
「逃がさねえ!」
踏み込みの勢いを殺さずにさらにもう一歩。
拳を引くと同時に虎の子の右を放つ!
「見切りました!」
俺の追撃を蹴り払い、反作用を利用し、そのまま上段に蹴りが繰り出される。
不味い!
眼前に突き出される蹴りの軌道が見える。
突き出した拳に踏み込んだ前足。捌くのは不可能。
一か八かだ!
唯一制御の利く上体を無理やり折り曲げ、蹴りの軌道から頭を逸らす。
転がるように距離を取り、間合いを抜ける。
「ったく、なんだよ今の蹴り。速度がおかしいだろ」
「言ったでしょう。念を使うと」
帯を締め直し、再び構える。
「念の使い方は大きく二つ。そのままぶつけるか、物理現象として顕現させるか。先ほどの種明かしをすると、練った気を体の一部として顕現させて筋力強化を行ったというところでしょうか。
実際にはそこまで深く考えてはいませんが」
瞬間的に身体能力を向上させるか。
「反則くさいなそれ」
「これで済んでるだけ可愛いものですよ」
夜叉の戦いを見ていれば分かる。こんなもんじゃない。
「それでは、まだまだ行きますよ!」
「望むところだ!」
俺の打ち込みに合わせて、放たれる俺よりも速く、重い反撃。
明らかに後の先を取られる状況に、打ち込んでいけばいくほど追い詰められていく。
「このままだと体力勝負ですが、どうしますか!」
フェイントの中に織り交ぜられた本命の蹴りが俺の側頭部を狙う。
「うるせえ!」
受けた右腕に衝撃が走る。
変な姿勢から打った癖になんて重さだ。
「クソ、息が上がってきやがった」
「私はまだまだ行けそうですよ」
余裕を表すように、ぴょんぴょんとステップを踏み、軽い構えに組み替えるドッペルゲンガー。
煽られているのは分かる。
熱くならず冷静に。
「そっちがその気なら受けて立つさ」
畳を踏む両足に力を籠め、前腕を少し上に上げる。
俺の中では守りの構え。
攻めて来いよ。弾き飛ばしてやる。
がら空きの胴体はおとりだ。向こうもそれを理解しているからだろう。
執拗に上段に攻撃を浴びせてくる。
読まれていても構わない。
「そこですよ!」
連撃に意識を集中しすぎたか、反対の胴までがら空きになった。
さて、やるしかない。
残身により流れの中にある右腕に意識を集中する。
イメージするんだ。速く。もっと速く。
相手の拳よりも速く目的地に到着するように。
「はっ!」
通常の速度では捉えられなかった筈のドッペルゲンガーの拳を捌く。
今の感覚は覚えがある。上手くいったのか?
分からんが、このまま行くしかない。
自分のイメージをもっと洗練させるんだ。
骨格、靭帯、筋肉、体の稼働を司る部分に意識を集中させる。
今必要なのはこいつに食らいつくためのスピードだ。
「偶然ですか?必然ですか?今から確かめさせていただきます!」
「望むところだ」
次々と打ち込まれる攻撃はさらに鋭さを増す。
速さも重さも今まで以上だ。
だが、俺の守りも確実に追い付いている。
捌きつつ、反撃を打ち込んでいく。
こっちだって今は動ける。防戦一方は終いだ。
もっと速く。速く!
更に意識を集中し、スピードを上げるイメージを強固にする。
一瞬の隙を付き、最大限の威力の反撃を見舞う。
それしか勝利の道はない。
どれだけ、捌き、どれだけ、打ち込んだか。
数分かもしれないし数秒かもしれない。
時間の感覚が曖昧になり、意識は戦いのみに収斂する。
四肢の痛みに耐え、現れた絶好のチャンス。
「ここだ!」
ガードを打ち抜ける強度と、逃げ切れないスピード。
その二つをイメージしながら拳を放つ。
「そこまで!」
不意に放たれた夜叉の声に一気に意識が現実に引き戻される。
無我夢中で放った拳は確かにドッペルゲンガーの急所を捉えていたが、同時に
ドッペルゲンガーの拳も俺の額を捉えていた。
「相打ちであるな。とはいえ、初めてにしては良くやったと褒めておくかのう」
「引き分けか。決まったと思ったんだけどな」
「引き分けに持ち込めるだけでも上出来でしょう。私も最後は手加減なしですから」
最初は手加減されてたんだな。当然か。
「なんとなく感覚は掴めたけど、今ので合ってるんです?」
「気を練り念に転じさせるという目的は十分に達せられたであろう。当面はその感覚を磨いていくが吉よ」
気を練るか。
多分人によってこの感覚は違う。感覚で理解する俺みたいなタイプもいれば、もっと理論立てて深めていくタイプもいるんだろう。
「よくもまあ、この短期間で念まで練られますね。正直引きます」
微妙な表情のドッペルゲンガー。
「どういう意味だよ」
「人間が気を練れるようになるのは相当の修行が必要なんですよ。それこそ、一生をかけて修行してもその境地に辿り着けない人も居るほどです」
「そんなにか?」
個人の感覚的にはそこまで大それたことをやったつもりはないんだが。
「そういう意味で言うなら、既に人間という枠からは片足はみ出てる感じですね」
「まだ人間辞めたつもりはないんだが」
「自分の状況を一回整理してからその台詞吐いた方が良いですよ」
同居人 夜叉(鬼) ドッペルゲンガー(俺と瓜二つ)。
職業 無職 ただし収入源は妖怪が稼ぐ。
特技 秀でたものはないが幽霊を殴れる。
何だこの意味の分からないステータスは。
「なぁ、今の俺ってもしかして」
「一言で言うなら霊感持ちで妖怪のヒモって感じですね」
しばらく目を反らしていた事実に改めて直面する。
どうしよう。人間の前に社会人辞めちゃってる。