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妖奇譚~社畜やめて怪異と過ごす日々~ ※年内毎日更新  作者: Tomato.nit
人形の夢

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展示会

薄く照らされたホールは、静かなざわめきに満ちていた。磨かれた床にスポットライトが反射し、ガラスケースの中でフィギュアたちが淡く光を帯びている。


綾戸のブースは、会場の端にほどよく人が流れる位置にあった。白いクロスの上に並べた作品群は、どれも綾戸らしい陰影を含んだ造形だ。


その中で――机の端にちょこんと座る小さな狐耳の少女が、ひときわ異彩を放っていた。


「わらわは展示物ではないと言っておろう!」


「まあまあ、評判いいんだから、いいだろ」綾戸は苦笑しながら来客に頭を下げる。「こちら、事務所のマスコットです。……たぶん」


「たぶんとはなんじゃ!」こんはぷんすか怒りながらも、来場者に写真を撮られるたび尻尾がふわりと揺れていた。


「……まんざらでもないんじゃないですか」鈴が小声で囁く。


「うるさいのじゃ!」


鈴は落ち着いた仕草でパンフレットを配りつつ、綾戸の作品に触れる客の反応を観察していた。展示は順調に進んでいる――はずなのだが、ひとつだけ奇妙な点があった。


「綾戸様」鈴が近づき、小さく囁く。「……あの人形のこと、誰も触れませんね」


綾戸も視線を向けた。白い和装の青年の人形――身に覚えのない“あれ”は、ガラスケースの中央に置かれている。造形が悪いわけではない。むしろ、他の作品より目を引くはずだ。


だが。


誰も、見向きもしなかった。

視線を走らせても、その前で立ち止まる者さえいない。


「……おかしいよな」綾戸は低くつぶやく。「あれだけの出来なら、ひとりくらい感想を言うはずなんだが」


「わらわもさっきから見ておったが、みんな綺麗に“避けて”おるぞ?」


「避けてる?」


「うむ。意識してるわけではなかろうが……“見えておらん”ようにも思えるのじゃ」


こんの言葉に、鈴と綾戸は沈黙した。


――まるで、その作品だけが現実から切り離されているかのように。



午後三時。会期終了まで残り一時間となった頃だった。


来客の波が一度引き、会場に柔らかな静けさが訪れたその瞬間――


「いい造りだ」


背後から落ち着いた声がした。


振り向いた綾戸は、思わず言葉を失った。


そこには、深い皺の刻まれた老人が立っていた。長いコートに、古いハット。年季の入ったステッキをつき、どこか時代から取り残されたような風貌。


だが、不思議と会場の光景に馴染んでいた。


老人は微笑み、ガラスケースの中の作品をゆっくりと眺めた。


「君の作品は、“念”が強い。しかし――これは格別だ。君のものではないのかもしれんがね」


皺だらけの指が、例の“白い和装の人形”を指し示す。


「……あれを、見えるんですか?」鈴が息を呑む。


老人は軽く笑う。「見えぬものなど、この世にはあまりないさ。ただ、見ようとしない者が多いだけだ」


その言葉に、綾戸の胸が僅かにざわめく。


老人はゆっくりと顔を寄せ、囁くように言った。


「その人形には、“誰かの夢”が縫い留められている。君が作ったものではない。……だが、君が見つけるべきものだ」


「夢……?」綾戸が問い返すより早く、老人は微笑み直した。


「名乗ろう。私は――夢縫いと呼ばれた者だ」


その瞬間、こんの耳がぴんと立った。


「夢縫い……夢を縫う者……!」


老人は軽く帽子を押さえ、深く礼をした。


「君の作る“形”は、美しい。だからこそ、あの人形も――君を待っているのだろう」


綾戸の心臓が音を立てる。


老人が立ち去ろうとした、その時。


「あれは、いつか“動き出す”よ」


その囁きだけが、綾戸たちの胸に静かに刻まれた。


老人の背中が人混みに溶けていくのを見送りながら、鈴は小さく震えた声で言った。


「……綾戸様。あの老人、ただ者ではありません」


「だろうな」綾戸は人形を見つめる。その顔は静かに、しかし確かに――微笑んでいたように見えた。


「また厄介ごとか。ほんとに退屈しないな」「恰好つけてるところ申し訳ないですが、若干手が震えているので台無しです」鈴に指摘された手をすかさず、抑える綾戸の顔は夕焼けのせいか赤く色づく。


◆ 同時刻・綾戸探偵事務所


留守番の朔夜は、珍しく静かな事務所で火を灯した。薄くたゆたう紫煙は、春先の冷たい空気にゆっくりと溶けていく。


「……たまには静寂も悪くはないの」


椅子に腰を預け、煙草を細くくゆらせる。人混みが苦手な朔夜にとって、展示会への同行はもとより選択肢ではなかったが――それでも、ひとり残るこの空気には、どこか“間”があった。


(綾戸たち、無事にやっておるか)


思考が煙に溶け始めたその時、コンコン、と扉が叩かれた。


「……客か? 今日は休業なのだがな」


煙草を灰皿に押し当て、扉を開ける。


そこに立っていたのは、黒いコートを羽織った青年――竜胆。落ち着いた眼差しに、どこか影を引くような佇まい。そして、彼の横には、薄紅の着物をまとった少女が静かに立っていた。


「邪魔するぞ」竜胆が短く言い、軽く頭を下げる。


紅はぱっと顔を上げ、明るい声で言った。「朔夜さん、お久しぶり」 その元気さとは裏腹に、彼女の周囲にはほんの僅かに空気の揺らぎがあった。


「お前たちか。珍しいの。綾戸なら当分戻らんぞ」


「そのようだな。少し間が悪かったか」


朔夜はちらりと紅を見る。少女は壁の古時計に視線を向けていた。その仕草はどこか幼く、しかし影のように静かだった。


「……で、何か用事でもあったか?」


竜胆は肩を竦めた。「大した話じゃない。……零課に“気味の悪い依頼”がいくつか続いてな。念のため綾戸にも伝えておこうと思っただけだ」


「妙な依頼?」


「実害はない。ただ……不可解なんだ」


竜胆は言いにくそうに続けた。


「部屋に置いてあるぬいぐるみとか、人形とか……持ち主が寝ている間に“位置が変わる”らしい。腕に何かを抱えていたり、顔が反対を向いていたり」


「……ああ、あるのう。一度死後硬直したものが勝手に立ち上がる、などという怪異も昔は普通にあったが……」


「今回は、どうも違うらしい」竜胆は眉を寄せる。「誰かが怪我をするわけでも、物がなくなるわけでもない。ただ“動くだけ”。それが、やたら件数だけ増えている」


紅が続きを引き取る


「僕も何個か現場に同行したけど、なんだか妙な感じがするんだよ」


その声音は明るいがどこか、喉の奥につかかるような物言いをする。


朔夜はじっと紅を見た後、静かに目を細めた。


「……なるほど。綾戸に伝えておこう」


竜胆が軽く頭を下げる。「頼む。正式に依頼になるかもしれん」


紅はふわりと朔夜を見上げ、かすかに微笑んだ。


「僕が何かを感じるってことはやっぱり願いに纏わることなのかな?」


神としての権能はほとんど失った紅だが、その力の残滓は残っている。その彼女の言葉の意味を朔夜はしばし考え込む。          


「その可能性は捨てきれんな。願いに夢か…」


別れ際、朔夜はふと思い出したように棚から紙袋を取り出した。「……これを持っていくがよい。鈴が作った甘味。お主、前に随分気に入っていたであろう」


「えっ、いいの?ありがとう!」紅はぱあっと笑って紙袋を抱きしめた。


竜胆は呆れたように眉をひそめつつも、「……ありがたい」と小さく礼を言った。


扉が閉まると、朔夜は短く息を吐いた。


(人形が勝手に動く怪異……嫌な符合じゃ)


灰皿の中で消えかけた火が、ふ、と揺れた。

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