幕間 部屋探し
――幕間:部屋探し――
現在から遡ること三年前。雪山での女郎蜘蛛の一件が片付いてから、ちょうど一年後のことだった。
相変わらず、三人と一匹は、六畳一間のアパートにひしめくように暮らしていた。綾戸の仕事机の上には、完成間近のフィギュアが十数体。鈴のコーナーには家事のための電化製品や調理器具がずらり。朔夜の棚には、曰くつきの呪物がきっちりラベル付きで並び、こんの拾ってきたガラクタが玄関から廊下までを占領していた。
「……狭いな」
綾戸が朝のコーヒーを片手にぼそりと呟く。その言葉に反応して、鈴がエプロン姿のまま頷いた。「ようやくお気づきになられましたか。すでに冷蔵庫の上に電子レンジ、その上に炊飯器という構造は、人の住環境としてどうかと」
「食材を温めて、着丼させるという点に関しては最高の立地ではあるんだがな」キッチンの隅から、こんが小さな手を振る。「わらわのお気に入りスペースじゃぞ!」
「その“お気に入り”が問題なんだよ」綾戸が頭を掻く。「棚の下で呪物がカレー粉の横にあるのもどうかしてる」
「心配無用。浄化済みだ」朔夜が新聞を畳みながら淡々と答える。「むしろ香辛料との共鳴で結界効果が上がっておるわ」
「どれが効くんだよ。ターメリックなのか、バジルなのか」
ため息をつきながら、綾戸は積み上がったダンボールを横目に言った。「……本気で引っ越すか」
「ほう、やっとその気になったか」朔夜が薄く笑う。「贅沢は言わんが、我の寝室くらいは欲しいのう」
「できれば、バス・トイレ別で」鈴がすかさず付け加える。「あと収納」
「わらわの遊ぶ庭も欲しいぞ!」こんが胸を張る。
「庭なぁ……」綾戸が額を押さえる。「いや、こんのサイズで庭いらねぇだろ」
「じゃあ、呪物を減らす方向でどうでしょう」鈴がにっこり笑う。
「却下だ」朔夜が即答する。
こうして、恒例の無限ループのような会話が始まる。
「とりあえずは川野さんに相談してみるか。こっちの事情も汲んでくれるだろうし、いろいろ手広くやってるんだ。物件くらい持ってるだろ」
部屋の片づけを名目に、三人と一匹は本気で“次の住処”を探し始めることになった。
――物件紹介――
数日後、綾戸たちは川野が紹介してくれた物件リストを前に集まっていた。テーブルの上には、不動産会社のパンフレットと地図が広がっている。
「はい、一件目。“駅徒歩三分、築三年、家賃は少々高めですが、設備は最新です”」鈴が読み上げると、朔夜が頷いた。「ほう、悪くない。だが結界の張り直しが面倒だ」
「そこかよ……」綾戸が顔をしかめる。「あと“ペット不可”だぞ」
「なんじゃと!」こんが飛び上がる。「わらわはペットではないぞ!」
「書類上は分類難しいけどな……」
二件目。鈴がページをめくる。「こちら、“郊外の一軒家。家賃は安いですが……心霊履歴あり”」
「即却下」綾戸が手を上げた。「前回の女郎蜘蛛で十分だ」
「でも広いですよ?」鈴が意地悪く笑う。「庭付き」
「おお!」こんが手を叩く。「そこに決まりじゃ!」
「待て、まだ説明がある。特記事項あり。これ完全に出るやつだろ」
沈黙。
「……わらわ、庭いらぬ」
「現金だな」綾戸が肩をすくめる。
「今更幽霊如きで何を恐れる?払えばよかろう」
「解決策が脳筋すぎる」
三件目。朔夜がちらりとパンフレットを覗く。「“古民家再生物件。広さは十分、雰囲気も良し。ただし、井戸あり”」
「井戸か……」綾戸が遠い目をする。「前にも似たようなのあったな」
「おそらく、前世紀の霊的残滓が沈んでおる。面白そうではないか」朔夜が涼しい顔で言う。
「面白くねえよ」綾戸がパンフを取り上げた。「お前の“面白い”は信用ならない」
鈴はため息をつき、書類をまとめた。「まともなのがないですね……」
「どこも一長一短じゃな」朔夜が腕を組む。「しかし、こうして探しておる時間も悪くない」
「そうだな」綾戸が笑う。「このまま一生探してる気もするけど」
「まさか。次の部屋が決まったら、引っ越し祝いをせねばな」朔夜が口元をゆるめる。
「お祝いといえばケーキですね!」鈴が元気よく言う。
「庭を作るぞ!」こんが張り切る。
「……その前に物件決めようぜ」
笑い声が部屋に広がった。狭いアパートの中でも、四人の暮らしは今日も賑やかだった。
――内見――
数日後、四人と一匹は川野の紹介で、実際に物件を見に行くことになった。道中、鈴が手にした地図を見ながら言う。
「一件目、ここですね。築浅マンション、三階。日当たり良好、設備充実」
「なんか営業トークっぽいな」綾戸がぼやきながら歩く。「でもまあ、第一印象は大事だ」
「ペット不可って書いてあるぞ」朔夜がパンフレットを覗く。
「わらわは荷物扱いで通すのじゃ!」こんが得意げに胸を張る。
「お前の存在、荷物より書類通らないよ……」綾戸が頭を抱える。
エントランスを抜け、内見開始。白い壁とフローリング。広く見えるが、どこか人工的で落ち着かない。鈴がキッチンを覗き込んで感嘆の声を上げる。
「IH三口コンロ! しかも食洗機付き!」
「なんと……」朔夜が神妙な顔で言う。「火を使わぬ台所とは、文明の末期を感じる」
「末期じゃなくて進化だよ」綾戸が即ツッコミ。
一方、こんは押し入れを覗いて叫んだ。「わらわ入らんぞ! この天井、低すぎる!」
「入る前提で話すな」
結局、一件目は“快適すぎて落ち着かない”という理由で保留。
――二件目――
郊外の古い一軒家。玄関の前に立った瞬間、全員の足が止まった。外壁は少し黒ずみ、軒先の風鈴が勝手に鳴っている。
「うん……風、吹いてないよな?」綾戸の声が低くなる。
「たぶん、中で吹いてるんです」鈴が淡々と答える。
「怖いこと言うな」
扉を開けると、室内は思ったよりきれいだった。畳の匂いがする。ただ、奥の廊下の先に“何かが覗いていた”気がするのは気のせいか。
「気にするな、ただの残滓だ」朔夜が軽く呪符をかざすと、空気がひと息で静まった。
「こういうときの対応だけは速いな」綾戸が呆れたように言う。
「お主もそろそろ慣れればよかろう」
「慣れたくねぇよ」
「しかし、この家、ずいぶん瘴気が濃いのう。土地ごと焼き払わんとキリがないではないか」
「いや、それ墓でキャンプするのと変わらねえよ。却下だ却下」
――三件目――
古民家再生物件。庭も広く、日差しが入る。建物の造りも風情がある。だが、中央の居間に不自然な円形の跡が残っていた。
「これ……焚き火跡か?」綾戸がしゃがみこむ。
「いや、儀式痕じゃな」朔夜がにやりと笑う。「この様式だと悪魔の類か」
「そんなもん出てきてもらっても困るんだが」綾戸が即座に立ち上がる。
立ち上がった振動か、背後からごとり。と何かが音を立てて落ちる。
「ビデオテープ?」
鈴がしげしげと眺めながら小首をかしげる。
周囲を見渡す綾戸の視界の端、窓の外の庭には古めかしい井戸が映る。
「いや、これはダメだ。完全にあれが出てくるだろ。撤収!」
全員が部屋を出たところで、電気が通っていないはずの部屋のブラウン管のテレビが一瞬映るが知る由もない。
「惜しいのう、庭もあったのに」こんがしょんぼりと尻尾を垂らす。
「庭付きで怪異付きはお得とは言わん。一般的に」
鈴が地図を見ながら苦笑する。「結局、今日も決まりませんでしたね」
「まあ、まだ焦る時期じゃないさ」綾戸が伸びをして言う。「そのうち、うちに合う物件が現れるだろ」
「物件が逃げぬことを祈ろうか」朔夜の皮肉に乾いた笑いが起こる。
こうして、彼らの部屋探しはもう少しだけ続くことになった。
――特別な物件――
それからさらに数日後。川野から電話が入った。
『ちょっと変わった物件があるんですよ。条件さえ合えば、今の倍の倍の広さで家賃も手頃です』
「怪しいな」綾戸は受話器越しに呟いた。「で、どう“変わってる”んだ?」
『うーん……“普通の人には貸さない”ってオーナーが言ってまして。曰く、夜に変な来客があっても驚かない人限定とか』
「……ああ、つまり俺たち向きってことか」
通話を切ると、綾戸は三人と一匹に向き直った。「次、ちょっと変わり種だ」
「どんな物件ですか?」鈴がメモを取りながら首をかしげる。
「川野さんいわく、“普通の人には貸せない”らしい」
「我らが入居できる時点で普通ではないな」朔夜が笑う。
「それ、誉め言葉なのか?」綾戸がため息をつく。「まあ、見てみるだけ見よう」
――
その日の夕方、一行は古びた商店街の奥にたどり着いた。小さな路地を抜けた先、少し傾いた二階建ての建物が一軒だけぽつんと残っている。
「ここ……?」鈴が看板を覗き込む。「“空室あり”って書いてありますけど、上は何ですかね」
「どうやら一階が店舗、二階が住居だな」朔夜が見上げる。「雰囲気は悪くない。古いが、妖気はない」
「代わりに埃っぽい」綾戸がくしゃみをする。「これ、掃除大変そうだぞ」
「問題ない。鈴がいる」朔夜が当然のように言う。
「勿論ですとも」鈴が苦笑しながらも、腕まくりをして見せる。
その時、建物の奥から初老の大家が現れた。どこか達観した目をしていて、妙に穏やかな笑みを浮かべている。
「見に来たのは君たちかね? 歓迎するよ。ただね……この部屋、条件がひとつあるんだ」
「条件?」綾戸が眉を上げる。
「“夜の客”を追い出さないこと。それさえ守ってくれれば、家賃は半額にしていい。下の店も使ってくれて構わないよ」
全員の顔が一斉に固まった。
「……“夜の客”って、どういう意味です?」鈴が慎重に尋ねる。
「ふふ、まあ実際に見てみるといい。彼らは静かだし、悪さはしない。ただ、寂しがり屋なんだ」
「怪異とのハウスシェアリングか。よほどの物好きしか暮らせんぞ」朔夜が呆れたように言う。
大家はにこにこと笑うだけだった。「さて、どうする?」
沈黙の後、綾戸がぽつりと呟いた。「……事務所に使えそうだな」
「は?」鈴とこんの声が重なる。
「静かで、家賃も安い。しかも客なんだろ?なら、依頼の一つでももらえれば万々歳だ」
朔夜がくくっと笑った。「ふむ、実に合理的。悪くない判断よのう」
「わらわ、幽霊嫌いじゃぞ!」こんが慌てて竜胆の肩にしがみつく。
「お前、こっくりさんだろうが。得体が知れてる分幽霊のほうがましだわ」
「それとこれとは別なのじゃ!」
大家は愉快そうに頷いた。「気に入ったようだね。じゃあ、契約書を用意しておくよ」
こうして、彼らの次の住処――後に“廣守探偵事務所”と呼ばれる場所――との出会いは、ひどく緩い条件付きで始まったのだった。




