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交差点の怪 後編

月が街を鈍く照らす深夜。


朝には活気に溢れた街がその表情を一変させる。


街頭が照らすのは車も疎らな車道と人通りのない歩道。


灰色のビルは淡い青を帯び怪しく月の光を反射する。


時間は午前二時。


草木も眠る丑三つ時。


「流石に人もいませんね」


「時代が変わろうとも、人の子は夜になれば眠る。こればかりは変わらんな」


「例外も増えたようですけどね」


コンビニの明かりは二十四時間営業だ。


深夜まで続くことの多い残業まみれの生活では世話になることも多い。有難いことだ。


「それもまた一興よな。しかし、怪異は変わらん。この刻こそ我らが最も力を増す。今も昔もな」


俺達がこの時間まで待った理由は夜叉の言った通り。怪異がもっとも力を増し、その存在を現世に表すのに最適な時間。


再び事故現場に戻ったところで、違和感に気付く。


この感覚は覚えがある。


口裂け女と退治した時に感じた、肌に纏わりつくような不快感。


それがありありと感じられる。


「この感覚は」


「お主も感じたか。昼間と比べて随分と強いのう」


夜叉と会話を続ける間にも不快感はどんどん強くなる。口裂け女の時と同等かそれ以上に。


「ちと厄介よの。お主は之を持っておれ。決して手放す出ないぞ」


夜叉が俺の手に何かを握りこませる。


拳の中に握られていたのは、小さな鈴。


「御守りのような物よ。何もないよりかはましであろうからな」


今まで「お主は我が守ってやる」という態度であっただけに、俺にも緊張が走る。


「それだけヤバい相手ってことですか」


「人の子と霊は相性が悪い。そしてこの力となると、万が一もあり得る」


乾いた唾を飲み込む。


気付かなかったが、口の中がひりつくように乾いている。


「なに、心配するでない。言ったであろう、万が一と」


心強い。


拳の鈴を握りこみ、俺も覚悟を決める。どこからでもこい。


その瞬間、不快感が増すと同時に、背筋に強烈な悪寒が走る。まるで周囲の気温が一気に下がったかのような感覚。


「漸くお出ましかの」


夜叉が呟くと同時に、俺達の周囲に青白い光がぽつぽつとともり始める。


鬼火。そう形用するしかないだろう。


青白く、幽かな光を宿す炎。炎であるように見えるが温もりは一切感じないそれは、ぽつりぽつりと徐々に数を増やす。


まるで鬼火が周囲の熱を奪うかのように、数が増える度に悪寒は激しくなる。


悪寒が激しくなると同時に、耳鳴りがする。


鼓膜を揺らすように響く不快な音。それに交じるように女の呻き声が聞こえる気がする。


その呻き声がどうしても気になり、耳を傾ける。


「気張れ!意志を強く持て!」


夜叉の怒声にはっとする。意識が持っていかれそうになっていたことにこの瞬間まで気が付かなかった。


耳鳴りも呻き声も掻き消えた。


が、周囲にあったはずの鬼火は一か所に寄り集まり、人の形を成している。


あれが本体か。


いや、霊に肉体はないんだったか。


そこにある人の形をした何かは質量を伴うかどうかは分からない。しかし、その存在感は確実にそこにある。


「よもやここまで思念が強いと怨霊と言うしかあるまいな」


怨霊の定義やらは正直ピンとはこない。しかし、ド素人の俺のにも確実に分かることは一つある。


それは、こいつを野放しにすることだけは絶対にしてはならないということ。


「月光、今宵は馳走であるぞ」


月光、魂を喰ら刃はその銘の如く、月明かりを浴び鈍く煌めく。


冷え切ったアスファルトを蹴り、夜叉が夜の街を駆ける。


大上段から振り下ろされた月光が怨霊の頭部を捉える。


かに見えた。


迷いなく振り下ろされた刃は確実に標的の頭部に振り下ろされる軌道だが、その軌道は見えない壁に阻まれ、空に縫い付けれていた。


「ちっ、猪口才な!」


悪態を付き、距離を取る夜叉。


今のが念か。


霊が持つのは念の力。肉体を持たない代わりにその強大な念は物理現象を伴い現世に干渉できる。


その場から動こうとはしない怨霊。


対して夜叉は縦横無尽に駆け回り、斬撃を浴びせていく。


しかし、その悉くが直前に弾かれ、その本体には届かない。


「厄介よのう。これだから霊の相手は疲れて適わん」


夜叉が悪態を付く。が、同時にその瞳が朱く煌めく。


「そちらに合わせて遊んでやるとするかえ?」


カチャリと月光の鍔を鳴らすと同時に、その刀身が朱色の気を纏う。


念。莫大なそれを蓄える怨霊はその力を使役する。


しかし、念とは魂の発する想いの力。魂を持つ者であれば、人間にだって使うことが可能なもの。


長い時を生きた怪異である夜叉。その彼女が使えない道理はない。


幾度目かも分からぬ疾駆。


そこから繰り出される袈裟懸けの斬撃。キンと金管楽器のような澄んだ音が響き、刀身が阻まれる。


だが、阻まれた刀身は今までと異なり弾かれることなく、見えない壁を犯していく。


ジワリ。


月光の刀身が僅かずつ怨霊の首元へと迫る。


異変を察知したのか喉元に刃が突き刺さる瞬間、怨霊が初めて動き距離を取る。


「逃さん!」


その後を追うように夜叉が迫る。


再び振るわれる朱く煌めく刀身。


だが、その刃は怨霊に届かない。幾度繰り返そうともその刃は届かない。


「このままでは埒が明かん!」


苛立たし気に叫ぶ夜叉。心なしか息が上がっているようにも見える。


このままじゃジリ貧だ。


何か策はないか。思考を巡らせようとした瞬間、怨霊が動く。


脱力しきった肩から先をおもむろに持ち上げ、夜叉を指し、ボソボソと声にならない声が俺達の鼓膜を揺らす。


聞いているだけで、頭痛が酷い。聞きたくない。思わず両手で耳を塞ぐ。幾らかましにはなるが、それでも脳をがんがんと揺らされるように不快に声が響く。


「真面に聞くでないぞ!」


塞いだ耳から、再び夜叉の怒声が響く。


そちらに目を向けると、あの夜叉が月光を地面に突き刺し片膝をつき、片手で耳を抑えている。


夜叉が押されている?!


この状況はまずい。怨霊側の攻撃にどれ程のリソースが使われているのかは分からない。だが、こちらが動けない以上削られていく一方だ。


少なくとも夜叉だけでも動けるようにしなければ、この状況は打破できない。


幸い、頭痛さえ耐えれば俺の体は動かせる。


怨霊の注意を俺に向けさせる!


夜叉に貰った鈴を握りしめ、地面を蹴る。


一歩、二歩、確実に怨霊との距離は縮まっている。


残り数メートル。


だが、奴に近づく度に声は大きくなり、頭も割れるように痛む。でも、ここでは引けない。


「うぐううう。うおおおおおおおおおおおお」


無理矢理声を出し、己を鼓舞する。


はち切れそうな肺の痛みのお陰か、少しだけ思考がクリアになる。


相手は零体。実体のない、魂と念の塊。


普通に殴るだけじゃ何の意味もない。


肉体には肉体。


魂に魂。


同じ土俵で殴り合うしかないんだ。


念も魂も使い方はさっぱり分からないが、やってできないことはないはずだ。なんせ俺の仕事に対する怨念は怪異だって呼び出すほどだ。


右手に握る鈴に意識を集中させる。


考えることはただ一つ。


この鈴を俺にくれた夜叉のこと。


俺の命を救ってくれた恩人なんだ。ここで踏ん張らなきゃ男が廃る!


「こっち見やがれええええええええ!」


掌に爪が食い込み、掌に熱が走る。恐らく切れた。だが丁度いい。その痛みで意識を繋ぎながら、渾身のストレートを叩きこむ。


伸ばし切った腕には確かに手応えがあった。豆腐を殴ったような弱い手応えだが、確実に通った!


同時に頭痛が嘘のように消え去る。


達成感と共に顔を上げる。


そこにあったのは血走った眼で俺を睨みつける怨霊の顔だった。


瞳が合う。たったそれだけの事。


しかし、その瞳と目が合った瞬間に俺の脳に無数の思念が流れ込む。


「ナンデウラギッタノ」


旦那の不倫現場を目撃した妻


「ナゼオレガ」


痴漢冤罪での逮捕


「ドウシテコンナコトニ」


会社の倒産した社長


怨嗟、後悔、不安、殺意。数えきれないほどの負の念と情景が俺の感情を上書きしていく。


耐えられない。


感情の渦に飲み込まれる。


搔き毟りたくなるほどの嫌悪感が体を襲い、思わずその場でのた打ち回る。


何かを切り裂くような音が響く。


「無茶をしおって。しかし、上出来!」


混濁する意識の中、夜叉の声だけがはっきりと響く。


その後、風切り音が響いた後、カチリと金属音。


月光の斬撃が通ったのだろうか。


意識が途切れる刹那、無理矢理にこじ開けた俺の瞳に映ったのは、崩れる俺の体を抱きかかえる夜叉の腕だった。


ふわふわとした意識。


海に揺られるような浮遊感。


自分の体がどこまでも水に溶けていくような感覚の中でうっすらと意識が覚醒する。


しかし、水に溶けた体は一切動かず、変わりに五感だけが研ぎ澄まされていく。


いつか見た夢と同じく明晰夢の類だろうか。


分からない。ただ、揺蕩う。


「今夜はごちそうさま。おかげで私のお腹もいっぱいになったわ」


声が聞こえる。


聞いたことのない声。


高く澄んだ美しい声。


だが、その声の色にはどこか悲しい音が混じるような気がする。


一体それが誰の声なのか。


どこから聞こえる声なのか。


俺には分からない。


だが、この感覚はなんだ。


体の芯から力が抜けていくような感覚。脱力するのではなく外から無理矢理に力を奪われていくような感覚。


何かが体から吸い取られる。


それが何かは分からない。


気持ちがいいのか、気持ちが悪いのか。


味わったことのない奇妙な感覚に翻弄される。


数秒なのか、数分なのか、時間の感覚も分からないまま、無抵抗な状態を続けていると、急に意識が現実に引き戻される。


覚醒と同時に全身の力に妙な力が入り、飛び起きる形になった。


「にょわ!?」


と、隣で随分と素っ頓狂な声が響いた。


「お、驚いたぞ!。急に飛び起きるでないわい!」


微妙に涙声なのは気のせいだろうか。声のした方向に顔を向けると、若干涙目の夜叉の顔があった。


本当にびっくりさせてしまったらしい。


「すいません、変な夢見ていたみたいで」


「こほん。元気そうで何より。大事無いならそれでよいわ。体は平気かのう」


適当に体の力を入れてみるが特に変わったところは、掌の痛みくらいか。


違和感を感じた右手の平にはいつの間にか包帯が巻かれている。


「これ、夜叉が?」


「心配はせんでいい。大した傷ではなかったわ」


「すみません。お手数おかけして」


「気にするでない」


素っ気無くそう言うと、椅子に引っ掛けてある俺のズボンからたばこを抜き取り、火を付ける。


「お主も吸うか?」


「もちろん」


流石にベッドで吸うのは気が引けたので掛布団から這い出す。


そこで俺は自分の体の異変に気付く。


正確には体自体は特に問題はない。問題はもう少し外側。


なんで俺全裸なんだ。


目の前にはにやにやとこちらを見る夜叉。


「随分大胆よのう。そんなに我に見て欲しいのか?」


俺の股間に注がれるにやにやとした視線。たまらず布団に潜り込む。


「初奴よのう。我は既にお主の体を隈なく改めた後なのだがな」


「人が気を失ってる間に何てことを」


「これでも心配しておったのだがなぁ。そう無下にせんでもよかろうに」


「それとこれとは話が別です。あと、拗ねた振りはやめてください」


「かっか。そう言うな。折角このような場に参ったのだから、楽しもうではないか」


このような場?その夜叉の言葉で、今の自分がどこにいるか気付く。


やたらとふかふかしたベッド。


ちょっと暗めの証明。


枕もとのでかいリモコン。


ここ、ラブホじゃねーか。


「つかぬことを伺いますが、何故俺たちはラブホに?」


「何をつまらんことを。このような時間に空いておる宿など数が知れておろう」


うん。異論はない。


異論はないが、異議はある。文句の一つでもと口を開こうとした時。


「気を失ったお主をこうしてここに運ぶのも一苦労よ。少しは感謝しても罰は当たるまいて」


夜叉の言う通りだ。


「そうですね、ありがとうございます」


「うむ。素直なのは美徳よな。いつまでも裸は落ち着かんであろう。ほれ」


ぽいっと夜叉が俺に投げて寄越したのはパンツ。


布団の中でいそいそと着用し、ようやく落ち着く。


男にとって股間を丸出しにすると言うのはどうも、防御力が低すぎる。


こんな薄布一枚でも甲冑を纏うくらいの安心感があるのだから間違いない。


「吸うのであろう?近う寄れ」


布団から這い出し、促されるままにタバコを咥えるとすかさず夜叉が火をくれる。


「ふぅ。今宵はゆっくりと養生するがいい。あれだけの無茶をする者は我も初めて見たわ」


部屋には二人の吐き出す煙がゆっくりと漂い、換気扇に吸い込まれていく。


幽霊を殴りつけるというと、我ながら無茶な行いだと思う。


「言われてみれば、よく無事で済みましたね」


「全くよの。もう少し奴を切るのが遅ければどうなっていたことか。もう少し自分を大切にするが良い」


「以後気を付けます」


そんなプチ反省会を終える頃には、タバコも根本まで吸い終わっていた。


緊張の糸が解けたからだろうか、疲労感や倦怠感が一気に体を襲い、唐突に睡魔に襲われる。


「良き哉。良き哉。安心して眠るが良い」


そんな夜叉の声を最後に、俺の意識は再び眠りに落ちるのだった。








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