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妖奇譚~社畜やめて怪異と過ごす日々~ ※年内毎日更新  作者: Tomato.nit
第三章 願いの形

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最後の言葉

――二地点目――


移動のたびに風が強まっていく。紅の足取りは少し重くなっていたが、笑みを崩さないまま湖畔の次の観測点へと向かった。綾瀬は端末の電源を再起動し、利根川が機材を再設置する。


「紅、無理はするなよ」利根川が念を押すと、紅は小さく首を横に振った。「大丈夫。少し、湖と繋がりすぎただけ」


紅が再び計器に指を伸ばす。光脈が反応し、淡い紅の光が湖面を走った。数秒後、紅の体が小さく震え、息を吸い込む音が聞こえる。


「紅!」竜胆が支えると、彼女は弱く微笑んだ。「平気。ほんの少し、力を使いすぎただけ。……この湖の“願い”は思っていたより深い」


綾瀬は端末を睨む。「データが不安定。紅さんが干渉するたびにノイズが重なる。まるで、彼女の中にもう一つの波があるみたい」


「……願いの残響だ」竜胆が呟く。紅の肩を支えながら、かつて朝倉と見た湖の光を思い出す。「この湖は記録を返すんだ。過去の祈りを、何度でも」


紅は瞳を閉じ、静かに息を吐いた。「その記録が積もりすぎたら、きっと誰かが溺れてしまう。だから、私がそれを受け止めるの」


――三地点目――


夜がさらに深まり、風が止んだ。最後の観測地点Cは、月に隠れた雲の下、岩棚のように張り出した小さなテラスだった。足を踏み入れた瞬間、竜胆の胸が締めつけられるように痛む。冷たい空気と湿った岩の匂い――それは、五年前のあの夜とまったく同じだった。


「座標はここ。南東斜面の崩落帯上――視界、祠跡へ通る。最後はここで締めるわ」


綾瀬が端末を見ながら何気なく言った。その声に、竜胆の足が止まった。喉の奥が乾き、指先が冷えた。


「……ここだ」


利根川が顔を上げる。「竜胆?」


竜胆はゆっくり頷いた。「朝倉さんが……最後に立っていた場所だ」


一瞬、誰も動かなかった。夜が息を潜め、波の音すら途絶える。綾瀬は驚きの表情を浮かべ、端末を閉じて一礼した。「知らなかった。……ごめん、ここでやろう」


竜胆の視線は岩棚の先へと向かう。そこには、崩落の跡がまだ薄く残っていた。頭の中で、あの夜の光景が蘇る。


――閃光、叫び、崩れる岩、朝倉の背中。


『忘れるなよ、竜胆。俺たち刑事に必要なのは――』


あの時、崩れ落ちる直前の声が、耳の奥で蘇る。届かなかった言葉。掴めなかった手。記録できなかった“最後の瞬間”。


胸の奥が痛い。自分が閉じ込めていた夜が、再び目を覚ます。


紅がそっと近づき、竜胆の肩に触れた。その指先は、まるで過去と現在を結ぶ糸のように温かい。


「……思い出して。あの時のあなたが何を見たのか、何を残したかったのか」


竜胆はゆっくりと息を吐き、瞼を閉じる。過去の光景が、湖面に映し出されたように浮かび上がる。崩れ落ちる瞬間、振り返った朝倉の顔。その眼差しは恐れでも後悔でもなく、ただ静かな信頼だった。


紅の声が重なる。「あの人は、君に託したんだ。言葉の続きを」


竜胆が目を開ける。紅の手が彼の胸に触れる。光が広がり、湖面に薄い靄が立つ。その中から、朝倉の姿が現れた。夜の光に編まれた幻――しかし、その微笑みは確かだった。


『忘れるなよ、竜胆。俺たち刑事に必要なのは――』


紅が静かに囁く。「……信じること」


竜胆の唇が動き、同じ言葉を重ねた。「人を、信じること」


朝倉の幻が微笑み、光がほどける。風が流れ、紅の髪と竜胆の手帳が揺れた。竜胆は震える手でページを開き、未完の一行を見つめる。インクを走らせると、途切れた線が繋がった。


――忘れるなよ、竜胆。俺たち刑事に必要なのは、人を信じること。


書き終えた瞬間、湖が呼吸を取り戻すように波を立てた。紅がその光景を見つめながら微笑む。「これでようやく、願いは形を変えられたね」


竜胆は深く息を吐く。重くまとわりついていた罪と後悔が、静かに剥がれ落ちていく。紅が優しく頷いた。「あなたが記したその言葉が、彼の魂を解いたんだよ」


綾瀬が小さく呟く。「……観測完了。ここでは“開かない”を記録する」


利根川が岩棚の縁から湖を見下ろし、低く言った。「朝倉さんも、それを望んでたんだな」


竜胆は手帳を閉じ、紅と同じ方角を見た。夜はまだ続いている。けれど、胸の中の夜は確かに終わった。


「行こう。次は、俺たちの手で“終わり方”を選ぶ番だ」


紅が微笑む。湖面で小さな光がほどけ、風がやさしく通り過ぎた。

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