休日の朝
口裂け女の依頼を解決してから数週間後。
なんだかんだで妖怪二人と同居するという状況に慣れてきた。
現代における一人暮らしの男性なんて、家事の一通りはできて然るべきなので、俺ももちろんできる。
面倒くさいという理由で朝食は抜きがちだが、それ以外は普通に生活している。
掃除もすれば洗濯もするし、晩飯くらいなら気が向けば作る。気が向けばだが。
そんな俺の雑な魂を引き継いだ癖に、ドッペルゲンガーは俺よりも家事ができる。
何故だ。
今朝は起きると味噌汁、白米、鮭の切り身、サラダという完璧な調色が用意されていた。
「なあ、なんで朝からこんなに豪華なんだ」
「無論、貴方には死んでもらっては困りますから、栄養管理も私の仕事のうちです」
そういえば俺が死んでしまうと、ドッペルゲンガーも一緒に消滅するらしい。
難儀なことだ。
味噌汁を啜りながら部屋を見渡すと、生活できる程度の雑な掃除しかしていなかった部屋が妙に整頓されていることに気付く。
「もしかして、掃除もしてる?」
「家に居てもやることないですからね、私。適当に家事をして時間を過ごそうかと。あ、もちろん物の配置などは把握してますので
使い勝手は変わらないはずです。あくまで掃除と整頓だけです」
なんだこいつ。俺のことを完璧に理解した上であくまで綺麗にするだけ。
「神か」
「妖怪ですが」
しかも、ボケたら突っ込んでくれる。
こんな機能はお掃除ロボット風情には真似できまい。
ざまあみろ、ル〇バ。
「というか、お前は食わないのか?」
「食べたいのは山々なのですが、どうにも受肉したばかりで体が馴染んでおらず、食べると体調が悪くなるのです」
「無理に食べさせる気はないが、そんなんで栄養大丈夫なのか?それこそお前が体壊すぞ」
何の気なしに言った俺の言葉を不思議そうに聞いた後、ほくそ笑むドッペルゲンガー。
「怪異の体の心配とは、変わった人ですね。姿形は人間というかあなたそのものですが、生命維持はまた別の話です。食事をとらない程度は死にはしません。
食物から栄養を摂取するのが手っ取り早いのは事実ですが。そこで最近試して一番いいのがコレです」
流し台の下からガサゴソと取り出したのは何の変哲もないドリンクタイプの栄養食。俗に言うウ〇ダー。
「これなら妙な体調不良も感じることなく、適度な栄養も摂取できます」
「なんか味気ないな」
「いえいえ、そんなことはありません。それにこれ一本で大体3日は動けますし。そうそう飽きないです」
なんという低燃費。スーパーカブもびっくりだ。
下らないやり取りをしていると、背後の布団からガサゴソと音がし、
「朝から賑やかよの」
と、布団から顔だけを覗かせた夜叉が呟く。
「「おはようございます」」
タイミング的にはそうするしかないので、俺とドッペルゲンガーの挨拶が綺麗に被る。
そんな俺たちに胡乱な目をしながら一言。
「声を被せるな。気色の悪い」
寝起きから随分毒舌な。まあ、気色悪いのは否定しないが。
「夜叉様も朝食召し上がりますか?」
「朝餉は遠慮しよう。代わりと言ってはなんだが牛乳を貰えんかの」
かしこまりました。と冷蔵庫に向かうドッペルゲンガー。
夜叉は基本的に朝は牛乳のみで済ます。先日、一緒に朝食を取ったが重いとのこと。気持ちは分からなくはない。
直ぐに戻ったドッペルゲンガーから、グラスを受け取り一気に飲み干す夜叉。いい飲みっぷりだ。
「くあぁー。冷えた牛乳は美味いのう」
チロリと赤い舌が覗き、上唇についた僅かな牛乳を舐めとる。
なんかエロい。
「女子の顔を凝視するでないわ。非礼ぞ?」
「すいません。つい見とれちゃいました」
若干の申し訳なさを感じ食事に意識を戻すと、不意に肩に重さを感じる。
俺の方にしな垂れかかった夜叉が耳元で囁く。
「ん?興奮したのか?その欲望、我に叩きつけてもよいぞ。無理やり組み伏せられるものならな」
甘い吐息が鼓膜を揺らすが、夜叉に勝てる訳がない。
先日の口裂け女との戦闘は、とても俺の追いつけるような次元じゃない。
「人間の俺が夜叉に勝てる訳ないでしょ」
「釣れん奴よの。男なら自らの力を誇示してみよ」
「君子危うきに近寄らずですよ。流石に勝てない相手に喧嘩売るほどガキじゃないですって」
「かっか。彼我の力を正しく把握できるのは生きる上では肝心よな」
肩の重さともに、夜叉が体を離し、文字通りの肩の荷が下りる。
俺が高校生なら一か八かに賭けて飛び掛かっていただろう。思春期男子の性欲はえぐいのだ。
別に今の俺が枯れた訳ではないが。
俺たちが遊んでいる間に身支度を整えたドッペルゲンガーが玄関から声を掛けてくる。
「さて、それでは私は仕事に向かいます。行ってきます」
「おう、いってらっしゃい」「うむ。気を付けてな」
この家でみんなで暮らす際に作った一つのルール。
それが、いってらっしゃいとお帰りなさい。の声掛け。
まあ、せっかく家に人がいるなら声掛けくらいは欲しいなと思い作った決まりだが、意外とこれは悪くない。
真っ暗な部屋に響くただいまという自分の声は精神的に突かれていると存外ダメージを喰らってしまうものだ。
ふと、暗い気分を思い出しそうになり無理やり思考を変えるため、夜叉に話題を振る。
「俺たちの方は今日は仕事ですか?」
「仕事か。どれ、メールは来ておるかの」
いつの間にか夜叉のスマホには河野氏からの仕事のメールが届くようになっていた。
曰く、こちらの方が便利かと思いまして。近くにいらしたときには是非お立ち寄りください。
とのこと。
徐々にスマホを使いこなしている夜叉も大概ではあるが。
「今のところは我らが出向く必要のある仕事は無いな」
夜叉はつまらなさそうにスマホを布団に放り投げ、伸びをする。
依頼もないとなると今日はオフか。
なんだかんだ細々とした依頼(小さなものは生まれたばかりの猫又の確保など)が数件続いたので、この仕事が始まり完全な休みというのは実は初めてだ。
「ってことは今日は休みですか」
「ふむ。そうなるな」
何をするでもない日と言わると意外と困る。俺一人ならいくらでも暇は潰せるが夜叉を放っておくのはどうも落ち着かない。
「お主は何か用事でもあるのかのう?」
「いや、特にこれという予定はないですね」
俺の答えを聞くと、何やら嬉しそうに口元を緩める。
「そうかそうか。ならば少し我に付き合ってはくれんかの」
「それは全然構いませんが、どこか行きたいところでも?」
「うむ。今の現世の様子を詳しく知る良い機会かと思うてな。今風に言うとデート?という奴かの」
こうして唐突なデートの誘いを受け、俺たちは街に繰り出すこととなった。
怪異とはいえ、美人に誘われるという状況自体は垂涎ものなので断るはずもない。
夜叉が本当にデートの意味を理解しているのかは怪しいものだが。