初仕事 後編
電車を乗り継ぎ、たどり着いた目的地は埼玉県の中心、川越。
駅から少し歩けば小江戸と呼ばれる城下町の雰囲気を残す観光地がある。
そことは逆方向閑静な住宅街だ。
平日の昼間ともなれば、人通りもまばらだ。
時々見かけるのは自転車に乗った主婦や公園で幼い子と遊ぶ親。
そんなところだ。
「事件の内容はだいたい確認したんですが、一体何を探すんです?手掛かりは髪くらいしかなかったと河童も言ってましたが」
ジップロックに入った髪を目の前でひらひらさせなが夜叉は答える。
「まずは匂いといったところか。この髪が現場にあったというのであれば、似たような匂いを辿って行く」
匂いか。夜叉は鼻が利くんだろうか。
時々犬っぽい。
やはり犬夜叉。
「何かまたつまらんことを考えておるな。正確には匂いというより、気配を追うことになるがの」
どうにも夜叉と出会って以降感情の抑制というものが弱い。
感情と肉体がダイレクトにつながるというか。
理性みたいなものが弱くなった気がする。
特に困ってないから別にいいんだが。
「現場はここかの」
少し歩いて辿り着いたのは何の変哲もない十字路。
血痕もなければ献花もされていない。
事件があった痕跡はまるでない。
「資料に書かれている場所はここですね。それにしても何もない」
「無理もない。事件自体が無かったことにされておるらしい」
事件のもみ消しか。
手に負えないから無かったことにする。被害者は浮かばれないな。
人知を超えた存在を追いかけるというのも無理な話ではあるのだが。
「お主も多少とはいえ幽世と交わった身。何か感じるか?」
漠然とした問だが、意図は分かる。
五感をに意識を集中させると同時に雰囲気のようなものに意識を向ける。
湿度や風とは異なる微かな違和感。
肌にうっすらと纏わりつくような感覚。
「僅かに何かは感じます。これが何なのかは分かりませんが」
「上出来。それこそがこの事件を起こした怪異の残滓よ」
残滓。まさに残り香といったところか。
「この場はかなり濃いな。流れは彼方か」
周囲を見渡しながら、独り言つ夜叉。
濃いかどうかは俺には判断が付かないが。
夜叉の見つめた先にあるのは公園だろうか、路地の先には少なくない緑が見える。
「お主よ。公園に関する都市伝説なぞ知っておるか?」
「公園ですか。東京なら、井の頭公園のボートにカップルで乗ったら分かれる。とかは知ってますけど。関係ありますか?」
「ないであろうな。とりあえず向かうとするか」
カツカツとヒールを鳴らす夜叉の後ろに続く。
何もしないのも気が引けるので、公園 都市伝説 など適当なワードで検索を行うが目ぼしいものは見つからない。
公園は一旦除外し、人に害を加える都市伝説という形で考えた方が良いのかもしれない。
そもそも都市伝説が原因とは決まっていないのだが。
辿り着いたのは本当に何の変哲もない公園。
遊具が数個、小さな砂場、ベンチが2組。
住宅街の中にあるベーシックなものだ。
先ほどの肌に纏わりつくような感覚は既にない。
「薄いな。通っただけかの。それにしてはここで気配が途切れるのも妙よな」
「あれ、ここから先はないんですか?」
「うむ。先程の場所からここまでは辿れたが、先が無い。状況証拠だけで考えるなら、公園で発生し、現場で消えたかその逆。といったところか」
距離にすればここから現場まで二百メートル程度か。
活動範囲が狭い。
「都市伝説ではなくて、地縛霊とかそういう可能性はないんですか?」
「霊か。可能性の話をするなら零ではない。霊が生物に害をなすとなると怨念の類が必ず残る。今回はどうにもそれが希薄でな」
「そもそも幽霊や妖怪、都市伝説ってどう違うんです?全部怪異ではあるんでしょうけど」
「丁度よい。その話もしてやるか」
夜叉がベンチを指すので自販機で飲み物を買ってから向かう。
緑茶と紅茶のラベルを差し出すと、一瞬考え、夜叉は紅茶を手に取った。
あ、そっちなんだ。
「魂と肉体。人の子にはそれぞれが存在するという話は覚えておるか」
コクリと頷く。そのあたりは最初に出会った夜に聞いた。
ちなみに俺は魂が欠けているらしい。
「魂と肉体が乖離する状態が死。意図的に切り離すことができる者もおるらしいがそれは一旦置いておく」
幽体離脱とかのことだろうか。
「人の子の魂は通常、死を迎えれば幽世に向かう。お主が迷い込んだ所よな」
「俺が体ごと向こうに行ったのが異常なんですよね」
「左様。そしてしかるべき処遇を受け、魂は輪廻の輪に戻る。それが理よ」
地獄や天国やそういう話なんだろう。
「霊とは死の後、幽世に逝かず現世に留まり続ける魂そのもの。理すらも超える念によって現世に縛り付けられた存在よ」
うん。理屈は納得できる。
今んとこ見たことはないので存在は信じられないけど。見たら信じるんだろうなぁ。
「次は妖。妖怪でも好きに呼ぶがいいが。我を見れば分かるであろうが肉体もある。無論魂もある」
「あれ、そう言われると人間と何が違うんです?」
「根本的な違いは二つ。一つはその起源。もう一つは魂の在り方」
起源と魂の在り方。よくわからん。
「まずは起源について話そうかの。人の子は親から産み落とされる。しかし、妖はどうであろうな?」
確かに考えてもみなかった。妖怪がどうやって生まれるのか。
「人間みたいに親が居て、という訳ではないんですよね」
「それも可能ではある。数は少ないがな」
ペットボトルの紅茶を一口煽り、夜叉が続ける。
「お主は付喪神というものを存じておるか?」
「長年使い続けた物には魂が宿って神様になるってやつですよね」
「左様。そして妖怪とはその付喪神の類であることが常よ。幽世の物を器とすることが圧倒的に多く、神という程の力は持たんのが常。それが大方の妖の正体」
「なるほど?じゃあ、夜叉も?」
「それも時が来れば伝えよう。今はまだ秘密ということにしておこうかの。多少秘め事のある方が面白かろう」
まあ、秘密にしたいというなら無理に聞くこともないんだが。
「そして、幽世から現世に渡り、人の子の目に触れるようなものが妖怪と言われるようになる」
人間もたんぱく質の塊に魂が内包されていると考えればいいのか。
「故に器と魂が存在するという点においては人の子と妖は変わりはない」
「でも、魂の在り方が違うっていうのは?」
「何が分かり易いかの。お、これが良いか」
夜叉が自らの額を指さすので視線を向けると、今朝の後継とは逆に角が生えてくる。そして暫くするとまた消えていった。
「これは魂により器の形を変容させておる。人の子にはできまい?」
できてたまるか。
「何故人の子はできぬか。それこそが魂の在り方。良くも悪くも人の子、いや現世の生物は器に魂が縛られておる」
「分かるような、分からないような。魂と肉体どちらが上位なのかってことですか?」
「今はその認識で良かろう。いずれ分かるようになる」
ギリギリ脳が認識できる範囲の説明。
理屈は分かるが。
「最後に都市伝説」
ああ、まだあったのか。俺の許容量を超えないことを祈る。
「これがちと特殊でな。まず、魂。明確にはこれが存在せん」
あれ、魂はないのか。
「そして魂が無ければ、器は必要ない。入れ物だけあっても仕方ないからの」
魂もなければ、器もない。今の俺の認識では妖怪は生物の範疇に含まれるがこうなると都市伝説は怪しい。
「だが、確実に存在はする。その実態は人の子らの念が寄り集まったものに外成らぬ」
ここまで来るとかなり理解が追い付かない。
念ってのは都市伝説が存在するという認識のことか?
「なかなか、苦戦しておるな。何でもよい。直ぐに思いつく都市伝説の名前を挙げてみよ」
「ぱっと思いつくのは口裂け女でしょうか?」
「それでよい。それはどんな容姿。どんな習性。思いつくことを述べてみよ」
「赤いコートにマスクをしていて、手には鉈を持っていて、私ってキレイ?という質問をしてくる。
質問には答えても答えなくても殺そうとしてくる。そんなところでしょうか」
「うむ。ではそれは誰から聞いた?どこで見た?と聞かれると困るであろう?」
「確かに。そう聞かれると答えに困りますね」
「それはお主だけではない。他の者もそうであるな。多くの人の子が思い描くその姿、いや口裂け女という概念。その概念に対する恐怖や好奇心、期待。様々な感情が寄り集まり実態を持つのが都市伝説というものの正体よの」
人の想像力だけで生まれる存在?
そんなものがあり得るのか?
「人の子の念というものはお主が思っているよりも強い力を持つものよ。その古今、洋の東西を問わず、呪いや祈りの類は存在するであろう。
その気になればたった一人でも人を呪い殺すことすら可能となるのが人の念。それが個々は小さいとはいえ、何千何万とより集まり怪異となる。そう不思議ではあるまい」
概念が実体を得た存在か。
「とはいえ、妖とそれらの境が曖昧な場合も多いがな。妖に対する噂の流布が都市伝説と化すことも間々あるのも事実。お主の複体もどちらが先か今となっては分からんよ」
あー、確かに。ドッペルゲンガーってどっちなのか良く分からない。
都市伝説だという人もいれば、海外の妖怪だなんていう人もいるだろう。
「でも、俺のドッペルゲンガーは魂があるみたいなことを言ってませんでした?」
「明確に魂と言えるものを持たん。というだけでそれらしいものは存在するのが厄介でな。単純に人を殺すという都市伝説があったする。そやつの存在理由は人を殺すことのみ。
そして存在理由を保つために最適化された行動を取るように変化し、蓄積された変化は他の魂と同じように経験の塊となる。念を束ねて器とし、自らの存在を全うする為の偽りの魂を持つ者。これが都市伝説の行き着く所よ」
夜叉が締めくくるとともに、公園を一陣の風が吹き抜けた。
同時に感じるのはさっき十字路で感じた肌に纏わりつく感覚。それがより深く、嫌悪感を伴うものとなり体を襲う。
「ようやくお出ましか。待ち草臥れたわい。」
クシャリと空になったペットボトルを握り潰し、ベンチを立つ夜叉。
俺も同じく立ち上がる。
「怪を語れば怪至る。正体が判らん以上、適当にその場で呼び出すしかなかったがお主の直感も捨てた物では無いようだぞ」
公園の中心。
俺と夜叉が見つめる先の空間が歪む。
光の屈折率が急に変わったような奇妙な空間。
その中心には季節外れの赤いトレンチコートの女。
長い髪、薄汚れたマスク、鉈。
なるほどどうして、まさに口裂け女だ。
「ワタシッテキレイ?」
一言一言がサンプラーで音程を無理やり変えたかのような出鱈目な声。
普通に生きていれば一生耳にすることのないその声で一気に鳥肌が立つ。
「お主、答えてやれ」
突然の無茶ぶりである。
「お、俺ですか?」
「うむ。怪異と話すのも乙なものよ」
妙に落ち着いた夜叉に促される。
それに関しては毎日夜叉やらドッペルゲンガーやらと話してるので特別感はないんだが。
意を決して、言葉を紡ぐ。
「綺麗ですよ」
「コレデモ?」
にやにやとした表情で剝ぎ取られたマスクの下には耳まで裂けた巨大な口蓋。
うーん。
パーツ単位で見たら意外と美人なんだが。
高須委員長にでもお願いしたら多分好みの顔である。
例の如く余計な事を考えていると、夜叉が話を進めてしまう。
「見目麗しいかという問いなら、人の子の美醜は我に聞かれても困る。貴様の存在が美しいかという意味なら否よの」
その返答を聞いた瞬間。
口裂け女の動きがピクリと止まる。
夜叉の子言葉を噛み締めるように俯き、ブツブツと美しくない、美しくないと繰り返す。
嫌な予感。
「ナラ、アナタハイラナイ」
感情の無かった瞳に明確な殺意を灯し、夜叉に飛び掛かる口裂け女。
肩の関節の動きなど無視したような遠心力を込めた一撃が夜叉の頭部に振り下ろされる。
振り下ろされる鉈を一瞥し、避けようともしない。
次の瞬間俺の予想に反し、ガキンと金属音が鳴り響く。
「ふん。血の気の多いことよ。その赤い着物は返り血かえ?」
鉈を受け止めたのは夜叉の角。
服装こそそパンツスーツのままだが、銀色の交じる黒髪と角が傾きかけた日の光に照らされている。
「少し離れておれ」
短く俺に言い放った夜叉の瞳が朱く煌めく。
美しい。そんな場違いな感想が浮かんだ瞬間、その手には一振りの刀が握られていた。
「銘は月光。魂を喰らうこの刃は貴様の歪な魂すらも容易く喰らう。貴様の血は何色かえ?」
鈍色の切っ先が口裂け女を捉える。刃を倒し、カチリと鍔が音を鳴らす。公園に響くその音が開戦の狼煙となる。
ことここに至り、夜叉の変化に気が付く。
外見もさることながら、その口調は今までのどこか飄々としたものから、得物を狩る肉食獣のようなどう猛さが垣間見えた。
「ダ マレ」
乱雑に振り回される鉈は無軌道だが、確実に夜叉の首から上を狙い振るわれる。
一撃一撃を最小限の動きで往なし続ける夜叉。
端から見れば、夜叉の有利に見える。
体力という概念が存在するのであれば、先に息切れになるのは口裂け女の方なのは明確だ。
剣戟の合間に「ナンデ」と繰り返す。口裂け女。
「問の意味が分からんな。貴様は何を欲する」
夜叉の問いには答えず、鉈を振り下ろすのみ。
だが、徐々に「ナンデ」という言葉の続きを紡ぎ始める。
「ナンデ ワタシガ」
「ナンデ コンナコトニ」
「ナンデ ワタシハナニモワルイコト シテナイノニ」
口裂け女の都市伝説。
その中に、こんな現象はあっただろうか。
ひたすら繰り返されるなんでという問い。
その先に続く、まるで天災にでも見舞われ、成す術なく翻弄されるかのような言葉。
「何のことやらさっぱり分からんな。お主は分かるか?」
随分と余裕な夜叉は剣戟の合間に俺に問う。
とはいえ心当たりは皆無だ。
沈黙が答えになったのだろう。
夜叉は再び口裂け女に向き合う。
「そろそろ児戯にも飽いてきたわ。仕舞とするかえ」
一足飛びに距離を空け、間合いを取る夜叉。
鞘に納められた月光を腰に止め、半身で口裂け女を見やる。
鉈を振り下ろすべく飛び掛かった口裂け女。
その体が間合いに入った刹那。
夜叉の姿が霞のように掻き消えた。
キン。
飛び掛かったはずの口裂け女の背後から納刀の音が響く。
不思議そうに振り向く、口裂け女。
しかし、動くのはその上半身のみ。
夜叉の居合での一太刀により既に寸断されていた腹部は
振り返る。という動作でその繋がりが絶たれた。
「何が切っ掛けで再び顕現したかは知らぬが、今宵が潮時よな。大人しく眠れ」
崩れ落ちる口裂け女の上半身。
何かに縋るように繰り出された腕が中を掻く。
地面に触れる直前。
夜叉は月光を振るい、その存在ごと切り払った。
月光が触れた部分から口裂け女は霧散し、一振りでその存在は虚空へと消え去った。
「これにて一見落着」
先ほどまでの一段低い声から、いつもの調子に戻る。
「それにしても口裂け女なんて随分時代錯誤な」
調べてみれば、口裂け女の流行は一九七〇年代。俺は生まれてもいない。
子供の頃はまだテレビで心霊特集などもやっていたが、最近はめっきり見なくなった。
そんな存在が今でも誰でも知っている都市伝説として語り継がれていること自体が興味深くはあるが。
「どうにも手応えが妙な感覚よの」
俺がスマホでポチポチしている間、不思議そうに掌をぐーぱーしている夜叉。
「今ので終わりじゃないんですか?」
「止めは確実に刺したが、その感覚が妙でな。童が古い玩具で遊ぶような。魂と念に隔たりがあるというか」
「魂が古いのに、念は新しいってことですか?」
「その表現は的を射ているのう」
口裂け女を一目見たとき俺の胸中には別のものが過っていた。
マスク。
あれは現代における一つの負の象徴でもある。
世界中を混乱に陥れた疫病。
直接の死因となるのはもちろんだが、流行に伴う様々な弊害は社会の様子を変貌させるほどの脅威だ。
個人の規模であれば、抑圧された行動。
大きな規模では会社の倒産。
様々な負の感情を生んだことは想像に難くない。
そんな行き場のない感情の渦が、マスクを手繰り忘れ去られた口裂け女を呼び起こした。
そんな妙なストーリーが思い浮かんだ。
「神妙な面持ちをしおって。何か思い浮かんだか。申してみよ」
「仮説というか、なんというか。笑わないでくださいよ?」
一見荒唐無稽な俺の話は存外的外れということもないらしい。
伝承の変化変容。妖の中にはこうして存在を確立されたものも多くいるという。
歴史を鑑みれば、神仏習合やキリスト教が他の宗教の神を悪魔としてその教えに取り込むように、神と呼ばれるものが妖となることもあれば、その逆も然り。
その存在が曲げられ、それが一般に定着する。
そうなれば念の力により存在自体が曲げられる。
後は卵が先か鶏が先か。
歪んだ存在が独り歩きし怪異となるか。
怪異が歪められ新たな怪異となるか。
どちらにしろ新たな怪異の誕生となる。
今回の口裂け女は昭和のモノとは別物。
令和という時代に新たに生まれ落ちた存在。
病の流行により無理矢理にその殻を持ち出された悲しき怪異なのかもしれない。
マスクを取り払った際の口裂け女の表情。
今となっては知る由もないが、笑っていたのではないだろうか。
怨嗟の中にある願い。
病の象徴を取り去ることで、その願いはかなったのだろうか。
「ふう。久々に動いて疲れたのう。お主よ、葉巻を貰えんか?」
物思いに耽っていると、夜叉が顔を覗き込んできた。
夜叉のこの顔には弱い俺だが、ここは譲れない。
「残念ですがここは禁煙です」
公園の隅の寂れた看板を指さす。煙草に斜め線が引かれた禁止マークが描かれている。
世間の風当たりの強い喫煙者だからこそ、マナーの大切さは身に染みるのだ。
泣きそうな顔の夜叉から目を反らし、決意を改めた。
作中の時代は2023年。
来年くらいにはコロナが収まってるといいなと思い、作中ではコロナが収束してます。