初仕事 前編
「この格好は些か目立つのう。お主、着物を見繕ってはくれんか」
ドッペルゲンガーが意気揚々と出勤した後、夜叉の一言から今日の難題が始まった。
「今の現世で和装は流行っておらんのだろう?人目を集めても何も得るものなどない故な」
「見繕うとは言ってもこの家には女物の服なんてないですよ?」
「現物を用意せんでもいい。絵でも写真でも構わん」
それでいいなら。
昨日から何の役にも立っていなかったスマホを取り出し、適当に検索する。
昼間出歩いても問題のない格好。
まあ、無難にスーツだろうか。
できるビジネスウーマン風のパンツスーツの画像を検索し、画面に表示、そのまま端末を夜叉に渡す。
しかし、女性物の服というのはどうしてこうも選択肢が多いのだろう。
選ぶ楽しみと言えば聞こえはいいが、選ぶのが楽しくない者の身になれば拷問でしかない。
「現世は来る度に新しいものができおる。ふむふむ。こうかの」
夜叉が指を鳴らすと、その出で立ちが一瞬で切り替わる。
魔法ではないのは理解してるが、人知を超えた力に変わりはない。
紺色のパンツスーツに、シルバーのフレームの眼鏡。
着物越しでも薄々感じてはいたがバランスの取れたスタイルは美しいと表現するのが一番だろう。
「それはそれで別の意味で目立ちそうですが、まあいいんじゃないですか。あとは」
夜叉の額に存在感を示す角を差すように、自分の頭をとんとんと叩くと意味は伝わったようだ。
「ああ、これも隠さねばならぬか」
再び指を鳴らすと、先ほどまで生えていた角は影も形もなくなり、髪色も艶やかな黒となった。
どうやら銀髪と角はセットらしい。
どういう理屈なのかは分からないけれども。
こうしてみるとスタイル抜群のビジネスウーマンといったところだろうか。
いや。こんなのが町中歩いてたら男は確実に二度見するが。
こればかりは仕方ないか。
「どうであろうか。これで良いか?」
「鬼だの夜叉だの思われることはないでしょうね」
「煮え切らん様子であるがまあ良い。我らも出陣するとしよう」
具体的にどこへ向かうのか。
何をするのか。
詳細が一切不明のまま連れ出される。
聞いても「着けば分かる」と一蹴される始末。
家から歩くこと小一時間。
着いたのは何のことはない雑居ビルだ。築年数は結構なものだろう。何度か修繕はされているようだが、外観は周りの建物に比べれば痛んでしまっている。
一階のインド料理店の脇にある階段を上っていく。
エレベーターも設置されていない狭い階段だ。
二階、三階と空きテナントではないようだが、表札も何もない妙なところの脇を抜けて
辿り着いたのは四階。
表札には株式会社 ブリッヂモンスターと記されている。
どんな会社なんだか。
夜叉は特に躊躇することもなく、その扉を開け放つ。
受付と言えるような代物もなく薄いパーティションの奥から若い女性が顔を出す。
少し長めの前髪で表情が判りにくい。
「どちら様でしょうか?」
僅かに覗く目元と口元から不信そうな表情を向けてくる女性。無理もない。いきなりノックもせず入れば誰だってこうなる。
「急にすまんな。河野を出してくれるか」
河野。その名前を聞いた瞬間に女性の顔がハッとなる。
「こちらで少々お待ちください」
先ほどの不審なものを見る表情からは一変。歓迎の表情で俺たちを迎え入れ、応接室に通してくれた。
応接室には雑居ビルには不釣り合いなソファーや調度品が並べられ、重厚な雰囲気を醸し出す。
ここだけ異様な雰囲気というか、この部屋の周りに会社の設備を取ってつけたようなちぐはぐ感が拭えない。
「これは珍しいお客様だ。随分久しぶりではございませんか。夜叉姫様」
「姫はやめよ。今は只の夜叉。それ以上でも以下でもない」
俺たちの前に現れたのはどこにでもいそうな壮年の男性だ。
柔和な表情を浮かべ、年相応に剥げた頭頂部、身長は俺より少し低いくらいか。
なんというか、ザ普通のおっさんという感じだ。
「そちらの男性は初めましてかな。私、河野と申します。以後お見知りおきを」
差し出された名刺を受け取り、自分の名刺を取り出そうかとも考えたが、ポケットには名刺入れが無い。
ドッペルゲンガーが持ち出したらしい。
まあ、今は行っていない会社の名刺というのも変だしいいか。
「頂戴いたします。生憎名刺を切らしておりまして。私、廣守と申します」
流石に数年社会人をやっていれば自然とビジネスモードになってしまう。悲しい性だ。
こちらは自己紹介のみに止め、貰ったばかりの名刺を一瞥する。
株式会社 ブリッヂモンスター
取締役 会長
河野 流
と記されている。
読みはカワノナガレとよむらしい。
というか、こののほほんとしたおっさんが会長か。世の中分からんものだ。
「そう畏まらず。お掛けください。このお方のお連れとあれば無下には致しません」
夜叉との面識があるということはあっち関係と見て間違いはないのだろう。
「早速ではあるが商談と参るか」
全員が席に着いたタイミングで夜叉が切り出す。
「相も変わらず。夜叉様はせっかちですな」
「性分よ。そう簡単には変わるまいて」
「左様ですな。では、こちらを」
本棚から一冊のファイルを抜き取り、こちらに差し出す河野氏。
背表紙にはゴシック体で調査報告書 十三集とのみ記されている。
「緊急性の高いものはこの二つ。被害規模こそ少ないものの、対処の必要性は高そうですな」
ファイルから抜き出された紙には何らかの事件のあらましが記されているようだ。
件名、概要、発生日、委細
書かれているのはそんなところだ。
そして目を引いたのは件名。
怪死事件 令和三年度 一三号
「これは随分と。少し人の世が進んだ所で妖の数は減らぬものだな」
「この情報社会で妖の活動は制限されるようにはなりましたが、それはそれ。所詮人の魂を喰らう存在である妖は
こうすることでしか生き永らえることはできませんからな。それが表出するのは至極当然のことです」
「もうちと知恵を使えば良いものを。さすれば滅せられることもあるまい」
「それこそ性分ですな。そう簡単には変わらぬと先ほどご自身がおっしゃたところでしょう」
「一本取られたか」
悔しそうに歯嚙みしながら茶を啜る夜叉。珍しいこともあるものだ。
二つの資料を見比べながら、片方をファイルから抜き出す。
「こっちの正体の目星は付いておるのか?」
「残念ながら、周囲の痕跡からは目ぼしいものは見つからず。唯一あったのがこれです」
ジップロックに入った一本の髪の毛を取り出す河野氏。
只の髪の毛と言えばそれまでの気もする。
「随分と濃いな。呪詛の類ではなさそうだが」
「近頃は少なくなりましたが、都市伝説の類ではないかと睨んでおります」
「都市伝説か。我はちと疎いがお主はどうじゃ?」
話を聞くだけになっていたところに夜叉から振られる。
「都市伝説なら人並だと思います。妖怪の類よりかは幾分か詳しいと思いますよ。世代ですし」
昔はテレビでも都市伝説スペシャルみたいなのをやってはいたが、最近は随分と少なくなった。
あっても、秘密の組織だ、陰謀だばかりでトイレの花子さんとか口裂け女とかそういった怪異の類は少なくなってしまった。
「僥倖。僥倖。ではこの案件は我々で受け持つとしよう」
「助かります。必要なものはありますかな?」
「現状何とも言えんな。個人的にはあのスマホとやらを使ってはみたいが」
「スマホですか。手配しましょう」
河野氏は内線で二、三言、話すとすぐに元いたところに戻る。
革張りのソファがキュと音を立て、軋む。
「あと三十分もすれば用意できるそうです。折角ですからアレでも食べてお持ちください」
「たまには相伴に預かるのも悪くないか。馳走になろう」
「喜んで頂けると良いのですがね」
と同時に。
コンコンとノックの音が響き、先ほどの女性がお盆を持って現れた。
俺たちの目の前にコトリと置かれたのはお茶とキュウリの漬物。
何故キュウリ。
「この胡瓜の漬物が私の趣味でしてね。どうぞおひとつ」
河野氏の趣味ということは自分でつけているのか。
おっさんが糠床を仕込んでいる姿はなかなか想像できないが、老後の楽しみとしてはありなのだろうか。
「では頂こう」
隣では夜叉がポリポリとキュウリを齧っている。
河野氏も同じく。
俺だけ食わないというのも変か。
大人しく頂くことにする。
パリという小気味よい音とともに、じわりと水分が溢れ出す。
水分が口に広がると同時に程よい酸味が舌先を刺激する。
もう少し濃ければ青臭さとなるであろう、一歩手前のさわやかな味わい。
なんだこの漬物。
分類としてはキュウリの漬物に違いはないのだが。
やたらと旨い。
「う、旨い。これ河野さんが作られたんですか?」
「ええ。実は胡瓜も自分の畑で作ったものなので完全自家製ですよ。気に入って頂けたならなによりです」
「うむ。美味。また腕を上げたか」
褒められて嬉しそうな河野氏を横目にポリポリとキュウリを口に運んでいく。
この調子だとすぐになくなってしまいそうだ。
しばらく室内にはポリポリという音が響く。
妙な空間が出来上がった。
色々聞きたいこともあるし、時間も少しありそうだ。この機会に聞いておくか。
「ところで、さっき見せて頂いたファイルというのは怪異に関する事件のものという認識でいいんですか?」
「その通りです。わが社は表向きはしがないシステム会社ですが、本業はこちら。
所謂未解決事件と呼ばれるような人知を超えた事件を調査しています。
我々で解決できるような小規模なものはいざ知らず、手に負えないようなものは夜叉様のような実力のある方に依頼しているのです」
未解決事件の捜査。
まるで、警察や探偵だな。
「怪異が関わる事件なんて頻繁に起こるものなんでしょうか」
「今の世の中では数は随分と減りましたな。科学と怪異は互いの趨勢が反比例するもの。科学の発達したこの世の中では
怪異は数を減らしています。数が減った。ということではなく、より現代に溶け込んでいると認識頂いた方が誤解が少ないとは思いますが」
社会に溶け込む妖怪か。
妖怪なんてのは日本では古来から身近な存在ではあったはずだ。
それが、時代に合わせて変化する。
人間も社会に合わせて変化することを考えればさほど不思議ではないのか。
「人の子の目とは不思議よな。見たいと思うように世界を見る。そして自らの埒外の事象には目を瞑る。たとえそれが目の前で起こったことだとしてもな」
有名な話を上げれば切りがないだろうが、
地球が球体であるとされる以前には、海の果ては大きな崖になっており、そこを過ぎれば世界から外れる。
なんて大真面目に信じていた時代もあったのだ。
科学の発達した現代で、存在の証明ができない怪異による事件。
そんなもの警察がどうやって捜査するのか。
犯人を特定し、それが仮に鬼の仕業となれば誰がどの法で裁くのか。
頭の痛そうな問題だ。
「我の生業はその事件の解決に手を貸すことよ。別に人の子を助けるのが目的ではないが、古き盟約があるが故な」
古き盟約。一瞬の憂いを帯びた表情。言及する気にはならなかった。
キュウリを齧った時とはまた違う何とも言えぬ雰囲気が室内に漂う。
そんな空気を切り裂くように
コン、コンと扉が叩かれる。
「失礼します」
三度先ほどの女性が現れる。お盆の上にスマホが一台。
お盆に載せないといけないルールがあるのか。
「こちら、ご依頼の品になります。どうぞ御納めください」
お盆からスマホを受け取り、しげしげと眺める夜叉。
外見さえ除けばその様子は新しいおもちゃを貰った子供と同じ表情だ。
「なあ、お主よ。使い方を教えてくれんか?」
どうにも、不意に訪れる夜叉のお願いに俺は弱いらしい。
それからしばらく事務所であーだこーだと時間を過ごす。
河野氏が孫を見るおじいちゃんのような目をしていたが俺は気づかないことにする。
夜叉は気づいていないし。
「そろそろ参るとするかの」
連絡先の登録やら使い方など簡単なことをレクチャーしたところで、ようやく夜叉が腰を上げる。
「よろしくお願いいたします。どうかご武運を」
入り口まで見送りに出る河野氏と受付?の女性。
「お気をつけて」
そう言って、カチカチ。
両手に持った石を打ち付け、火花を散らす。
あれ、火打ち石って魔除けかなんかじゃなかったか?
「かかっ。景気付けよ。なーに、複体のやつならいざ知らず、我には効かんから安心せい」
むしろドッペルゲンガーには効くのか。
火花を背に受け、階段を下りていく。
「そういえば聞きそびれていたんですが、河野さんって一体何なんです?怪異絡みの人なのは理解してはいるんですが」
「ん?お主気づいておったのではないのか。奴は河童よ。人ですらないぞ」
あー、河童。
だからキュウリなのか。
そう言われるとあの頭は河童に見えなくもない。
そして河童の河野流。
カッパノカワノナガレ
いや、河童の川流れとニアミスだとほとんど失敗してるじゃないか。
こうして少し不安な俺の初仕事が始まった。
「この格好は些か目立つのう。お主、着物を見繕ってはくれんか」
ドッペルゲンガーが意気揚々と出勤した後、夜叉の一言から今日の難題が始まった。
「今の現世で和装は流行っておらんのだろう?人目を集めても何も得るものなどない故な」
「見繕うとは言ってもこの家には女物の服なんてないですよ?」
「現物を用意せんでもいい。絵でも写真でも構わん」
それでいいなら。
昨日から何の役にも立っていなかったスマホを取り出し、適当に検索する。
昼間出歩いても問題のない格好。
まあ、無難にスーツだろうか。
できるビジネスウーマン風のパンツスーツの画像を検索し、画面に表示、そのまま端末を夜叉に渡す。
しかし、女性物の服というのはどうしてこうも選択肢が多いのだろう。
選ぶ楽しみと言えば聞こえはいいが、選ぶのが楽しくない者の身になれば拷問でしかない。
「現世は来る度に新しいものができおる。ふむふむ。こうかの」
夜叉が指を鳴らすと、その出で立ちが一瞬で切り替わる。
魔法ではないのは理解してるが、人知を超えた力に変わりはない。
紺色のパンツスーツに、シルバーのフレームの眼鏡。
着物越しでも薄々感じてはいたがバランスの取れたスタイルは美しいと表現するのが一番だろう。
「それはそれで別の意味で目立ちそうですが、まあいいんじゃないですか。あとは」
夜叉の額に存在感を示す角を差すように、自分の頭をとんとんと叩くと意味は伝わったようだ。
「ああ、これも隠さねばならぬか」
再び指を鳴らすと、先ほどまで生えていた角は影も形もなくなり、髪色も艶やかな黒となった。
どうやら銀髪と角はセットらしい。
どういう理屈なのかは分からないけれども。
こうしてみるとスタイル抜群のビジネスウーマンといったところだろうか。
いや。こんなのが町中歩いてたら男は確実に二度見するが。
こればかりは仕方ないか。
「どうであろうか。これで良いか?」
「鬼だの夜叉だの思われることはないでしょうね」
「煮え切らん様子であるがまあ良い。我らも出陣するとしよう」
具体的にどこへ向かうのか。
何をするのか。
詳細が一切不明のまま連れ出される。
聞いても「着けば分かる」と一蹴される始末。
家から歩くこと小一時間。
着いたのは何のことはない雑居ビルだ。築年数は結構なものだろう。何度か修繕はされているようだが、外観は周りの建物に比べれば痛んでしまっている。
一階のインド料理店の脇にある階段を上っていく。
エレベーターも設置されていない狭い階段だ。
二階、三階と空きテナントではないようだが、表札も何もない妙なところの脇を抜けて
辿り着いたのは四階。
表札には株式会社 ブリッヂモンスターと記されている。
どんな会社なんだか。
夜叉は特に躊躇することもなく、その扉を開け放つ。
受付と言えるような代物もなく薄いパーティションの奥から若い女性が顔を出す。
少し長めの前髪で表情が判りにくい。
「どちら様でしょうか?」
僅かに覗く目元と口元から不信そうな表情を向けてくる女性。無理もない。いきなりノックもせず入れば誰だってこうなる。
「急にすまんな。河野を出してくれるか」
河野。その名前を聞いた瞬間に女性の顔がハッとなる。
「こちらで少々お待ちください」
先ほどの不審なものを見る表情からは一変。歓迎の表情で俺たちを迎え入れ、応接室に通してくれた。
応接室には雑居ビルには不釣り合いなソファーや調度品が並べられ、重厚な雰囲気を醸し出す。
ここだけ異様な雰囲気というか、この部屋の周りに会社の設備を取ってつけたようなちぐはぐ感が拭えない。
「これは珍しいお客様だ。随分久しぶりではございませんか。夜叉姫様」
「姫はやめよ。今は只の夜叉。それ以上でも以下でもない」
俺たちの前に現れたのはどこにでもいそうな壮年の男性だ。
柔和な表情を浮かべ、年相応に剥げた頭頂部、身長は俺より少し低いくらいか。
なんというか、ザ普通のおっさんという感じだ。
「そちらの男性は初めましてかな。私、河野と申します。以後お見知りおきを」
差し出された名刺を受け取り、自分の名刺を取り出そうかとも考えたが、ポケットには名刺入れが無い。
ドッペルゲンガーが持ち出したらしい。
まあ、今は行っていない会社の名刺というのも変だしいいか。
「頂戴いたします。生憎名刺を切らしておりまして。私、廣守と申します」
流石に数年社会人をやっていれば自然とビジネスモードになってしまう。悲しい性だ。
こちらは自己紹介のみに止め、貰ったばかりの名刺を一瞥する。
株式会社 ブリッヂモンスター
取締役 会長
河野 流
と記されている。
読みはカワノナガレとよむらしい。
というか、こののほほんとしたおっさんが会長か。世の中分からんものだ。
「そう畏まらず。お掛けください。このお方のお連れとあれば無下には致しません」
夜叉との面識があるということはあっち関係と見て間違いはないのだろう。
「早速ではあるが商談と参るか」
全員が席に着いたタイミングで夜叉が切り出す。
「相も変わらず。夜叉様はせっかちですな」
「性分よ。そう簡単には変わるまいて」
「左様ですな。では、こちらを」
本棚から一冊のファイルを抜き取り、こちらに差し出す河野氏。
背表紙にはゴシック体で調査報告書 十三集とのみ記されている。
「緊急性の高いものはこの二つ。被害規模こそ少ないものの、対処の必要性は高そうですな」
ファイルから抜き出された紙には何らかの事件のあらましが記されているようだ。
件名、概要、発生日、委細
書かれているのはそんなところだ。
そして目を引いたのは件名。
怪死事件 令和三年度 一三号
「これは随分と。少し人の世が進んだ所で妖の数は減らぬものだな」
「この情報社会で妖の活動は制限されるようにはなりましたが、それはそれ。所詮人の魂を喰らう存在である妖は
こうすることでしか生き永らえることはできませんからな。それが表出するのは至極当然のことです」
「もうちと知恵を使えば良いものを。さすれば滅せられることもあるまい」
「それこそ性分ですな。そう簡単には変わらぬと先ほどご自身がおっしゃたところでしょう」
「一本取られたか」
悔しそうに歯嚙みしながら茶を啜る夜叉。珍しいこともあるものだ。
二つの資料を見比べながら、片方をファイルから抜き出す。
「こっちの正体の目星は付いておるのか?」
「残念ながら、周囲の痕跡からは目ぼしいものは見つからず。唯一あったのがこれです」
ジップロックに入った一本の髪の毛を取り出す河野氏。
只の髪の毛と言えばそれまでの気もする。
「随分と濃いな。呪詛の類ではなさそうだが」
「近頃は少なくなりましたが、都市伝説の類ではないかと睨んでおります」
「都市伝説か。我はちと疎いがお主はどうじゃ?」
話を聞くだけになっていたところに夜叉から振られる。
「都市伝説なら人並だと思います。妖怪の類よりかは幾分か詳しいと思いますよ。世代ですし」
昔はテレビでも都市伝説スペシャルみたいなのをやってはいたが、最近は随分と少なくなった。
あっても、秘密の組織だ、陰謀だばかりでトイレの花子さんとか口裂け女とかそういった怪異の類は少なくなってしまった。
「僥倖。僥倖。ではこの案件は我々で受け持つとしよう」
「助かります。必要なものはありますかな?」
「現状何とも言えんな。個人的にはあのスマホとやらを使ってはみたいが」
「スマホですか。手配しましょう」
河野氏は内線で二、三言、話すとすぐに元いたところに戻る。
革張りのソファがキュと音を立て、軋む。
「あと三十分もすれば用意できるそうです。折角ですからアレでも食べてお持ちください」
「たまには相伴に預かるのも悪くないか。馳走になろう」
「喜んで頂けると良いのですがね」
と同時に。
コンコンとノックの音が響き、先ほどの女性がお盆を持って現れた。
俺たちの目の前にコトリと置かれたのはお茶とキュウリの漬物。
何故キュウリ。
「この胡瓜の漬物が私の趣味でしてね。どうぞおひとつ」
河野氏の趣味ということは自分でつけているのか。
おっさんが糠床を仕込んでいる姿はなかなか想像できないが、老後の楽しみとしてはありなのだろうか。
「では頂こう」
隣では夜叉がポリポリとキュウリを齧っている。
河野氏も同じく。
俺だけ食わないというのも変か。
大人しく頂くことにする。
パリという小気味よい音とともに、じわりと水分が溢れ出す。
水分が口に広がると同時に程よい酸味が舌先を刺激する。
もう少し濃ければ青臭さとなるであろう、一歩手前のさわやかな味わい。
なんだこの漬物。
分類としてはキュウリの漬物に違いはないのだが。
やたらと旨い。
「う、旨い。これ河野さんが作られたんですか?」
「ええ。実は胡瓜も自分の畑で作ったものなので完全自家製ですよ。気に入って頂けたならなによりです」
「うむ。美味。また腕を上げたか」
褒められて嬉しそうな河野氏を横目にポリポリとキュウリを口に運んでいく。
この調子だとすぐになくなってしまいそうだ。
しばらく室内にはポリポリという音が響く。
妙な空間が出来上がった。
色々聞きたいこともあるし、時間も少しありそうだ。この機会に聞いておくか。
「ところで、さっき見せて頂いたファイルというのは怪異に関する事件のものという認識でいいんですか?」
「その通りです。わが社は表向きはしがないシステム会社ですが、本業はこちら。
所謂未解決事件と呼ばれるような人知を超えた事件を調査しています。
我々で解決できるような小規模なものはいざ知らず、手に負えないようなものは夜叉様のような実力のある方に依頼しているのです」
未解決事件の捜査。
まるで、警察や探偵だな。
「怪異が関わる事件なんて頻繁に起こるものなんでしょうか」
「今の世の中では数は随分と減りましたな。科学と怪異は互いの趨勢が反比例するもの。科学の発達したこの世の中では
怪異は数を減らしています。数が減った。ということではなく、より現代に溶け込んでいると認識頂いた方が誤解が少ないとは思いますが」
社会に溶け込む妖怪か。
妖怪なんてのは日本では古来から身近な存在ではあったはずだ。
それが、時代に合わせて変化する。
人間も社会に合わせて変化することを考えればさほど不思議ではないのか。
「人の子の目とは不思議よな。見たいと思うように世界を見る。そして自らの埒外の事象には目を瞑る。たとえそれが目の前で起こったことだとしてもな」
有名な話を上げれば切りがないだろうが、
地球が球体であるとされる以前には、海の果ては大きな崖になっており、そこを過ぎれば世界から外れる。
なんて大真面目に信じていた時代もあったのだ。
科学の発達した現代で、存在の証明ができない怪異による事件。
そんなもの警察がどうやって捜査するのか。
犯人を特定し、それが仮に鬼の仕業となれば誰がどの法で裁くのか。
頭の痛そうな問題だ。
「我の生業はその事件の解決に手を貸すことよ。別に人の子を助けるのが目的ではないが、古き盟約があるが故な」
古き盟約。一瞬の憂いを帯びた表情。言及する気にはならなかった。
キュウリを齧った時とはまた違う何とも言えぬ雰囲気が室内に漂う。
そんな空気を切り裂くように
コン、コンと扉が叩かれる。
「失礼します」
三度先ほどの女性が現れる。お盆の上にスマホが一台。
お盆に載せないといけないルールがあるのか。
「こちら、ご依頼の品になります。どうぞ御納めください」
お盆からスマホを受け取り、しげしげと眺める夜叉。
外見さえ除けばその様子は新しいおもちゃを貰った子供と同じ表情だ。
「なあ、お主よ。使い方を教えてくれんか?」
どうにも、不意に訪れる夜叉のお願いに俺は弱いらしい。
それからしばらく事務所であーだこーだと時間を過ごす。
河野氏が孫を見るおじいちゃんのような目をしていたが俺は気づかないことにする。
夜叉は気づいていないし。
「そろそろ参るとするかの」
連絡先の登録やら使い方など簡単なことをレクチャーしたところで、ようやく夜叉が腰を上げる。
「よろしくお願いいたします。どうかご武運を」
入り口まで見送りに出る河野氏と受付?の女性。
「お気をつけて」
そう言って、カチカチ。
両手に持った石を打ち付け、火花を散らす。
あれ、火打ち石って魔除けかなんかじゃなかったか?
「かかっ。景気付けよ。なーに、複体のやつならいざ知らず、我には効かんから安心せい」
むしろドッペルゲンガーには効くのか。
火花を背に受け、階段を下りていく。
「そういえば聞きそびれていたんですが、河野さんって一体何なんです?怪異絡みの人なのは理解してはいるんですが」
「ん?お主気づいておったのではないのか。奴は河童よ。人ですらないぞ」
あー、河童。
だからキュウリなのか。
そう言われるとあの頭は河童に見えなくもない。
そして河童の河野流。
カッパノカワノナガレ
いや、河童の川流れとニアミスだとほとんど失敗してるじゃないか。
こうして少し不安な俺の初仕事が始まった。