絡新婦<ジョロウグモ>
雪が降りしきる。
「寒いな」
「流石は東北ですね。体の芯から冷えるようです」
防寒着に身を包んだ鈴が答える。
もこもこした格好の鈴、必要最低限であくまで周囲から浮かない程度の朔夜。
気候にはめっぽう強い朔夜とは異なり、鈴の対候性能は人間並みらしい。
俺もコートに身を包んでいる。
ちなみにノワールとコンは鈴のもこもこの中に潜んでいる。少し羨ましい。
宮城県。
ノワールの記憶を垣間見て調べ上げた結果、辿り着いたのはこの地だった。
視界の端に映る微かな地名や看板。
地形や風景といった情報からどうにか目星をつけた。
「それにしても、当時とは景色が違い過ぎるだろうな」
「致し方あるまい。自然の力とはそれ程の脅威なのであるからな」
ノワールの話から凡そ検討は付いていたが、ノワールの住んでいた家を襲ったのは洪水だった。
東日本大震災。
それがノワールと香澄ちゃんたちを引き裂いたものに他ならない。
「ここまで来たのは良いけどどうやって探すか」
若干途方に暮れているところに電話が鳴る。
ディスプレイには竜胆の名前。
「何か手掛かりがあったか?」
「そっちの方も調べてはいるが、手詰まりだな。
今回は別件だ。今、宮城に居るんだろ?ちょっとこっちの案件も手伝って欲しいんだが」
「こればっかりはお互い様か。で、どんな話だ」
「概要を話すとだな、街で暴れている男がいるから取り押さえてくれって通報で現場に向かったんだ。
そこには通報通り暴れている男がいる。数人がかりで取り押さえて事情聴取を行った。
でも、不思議なことに署に着くころには男は正気に戻り、取り調べも普通に受けたらしい。
その後、精神科医の鑑定何かも行われたが結果は白。科学的には何の問題もなし。
一つ気になる点があるのは、暴れている最中の記憶は全くないこと。
現在も留置されているが、態度は模範的で全く問題無し」
「それがお前たちのところに回ってきたのか?」
正直概要だけを聞くと、あまり俺達に関係ない気もする。
「ああ、この事件単品だと関係ないと思うだろうが、似たような事件がこの地域では四年毎くらいに起きてるんだ」
なるほど。そうなると話は別か。
「暴れたりした人には共通点はあるのか?」
「警察が捜査した範囲では何もない。
性別、年齢、出身、職業、なんかは全部バラバラだ」
「となると手掛かりはなしか?」
「いや、丁度八年前の調書なんだが、一つ気になるのがあった」
竜胆が調書に書かれている内容を読み上げる。
「ここ数日で身の回りに変わったことは?」
「内容はしっかりとは思い出せませんが、女の人と約束をした記憶があります」
「約束?」
「ええ、約束をしたということは覚えているのですが、約束の内容を思い出せないんです」
「その女の人の特徴などは覚えていますか?」
「いいえ、どうにもその人のことを思い出そうとすると意識に靄がかかったようになるんです」
後日精神鑑定を行うが、異常は見られなかった。
「今のが気になる部分か?」
「ああ、過去の調書も今当たっているけどよ、約束だとか女だとか、そういうのはちょこちょこあるんだよ」
「それ共通点なんじゃないのか?」
「調書を見た感じだと眉唾扱いだな。しかも、そっちの地域ではもはや怪談扱いで結構一般に知られてる話だ」
「怪談に準えた愉快犯扱いってことか?」
「所轄ではそんなところだろうな。ただ、うちの部署に回ってきたからには何かあったんだろうが」
その何かも気になる部分ではあるが、話を聞く限り竜胆も掴めてはいなさそうだ。
そっちは任せるとしようか。
「じゃあ、俺達は現場を回れば良いのか?」
「それもあるんだが、拘留中の男の所に行ってくれないか?」
「いいのか?それ」
個人情報とか、機密情報とか、その辺に引っかかる気がする。
「良いか悪いかで言えば、完全にアウトだが今回は特別だ。
話が回ってきたときに現場の巡査とも話したんだが、どうにもソイツも俺達寄りらしくてな。話は付けといた」
「話がついてるなら俺が口を挟むことじゃない。分かった。そっちも行ってみる」
通話を終了し、送られてきた住所やらを確認する。
ここからそう遠くも無さそうだ。
「朔夜、竜胆からも依頼があったけどどうする?」
「ならば別行動で良かろう。お主と子狐で行って参れ」
「そうするか。コン、こっち来い」
「寒いから出たくないのじゃ」
鈴のもこもこフードの中から顔だけを出し、駄々を捏ねる。
「我儘言うなって。途中で油揚げ買ってやるからさ」
「約束じゃぞ」
もぞもぞと鈴の頭部から這い出したかと思えば、俺のコート内側に滑り込んでくる。
「こっちの用事が済んだら連絡するよ。何か当てがあるのか?」
「無ければ作るまでよ。朗報を待っておるぞ」
少し高いハードルを押し付けられたが、向うは向うで大変なことには違い無いのでお互い様だろうか。
「そんじゃ、早速行くとするか」
「その前にスーパーに寄るのじゃ」
大人しく近所のスーパーに寄ってから目的に向かい、その足で留置所に向かう。
拘置所と留置所の違いは管轄が裁判所か警察かどうかの違いらしい。
「失礼します。警視庁公安零課、阿良々木竜胆警部補の紹介で参りました。廣守綾戸と申します」
受付でこの通りに言えとメールが来ていたが。
受付の警官が対応を行おうとする前に、奥に控えていた男性が割って入ってくる。
歳の程は俺より上、三十代前半だろうか。
「お待ちしておりました。私、宮城県警、留置管理課の八巻と申します。お話は伺っていますのでどうぞこちらへ」
そのまま、別室に通される。
「わざわざご足労頂き、ありがとうございます」
丁寧な挨拶を返され、思わずこちらもビジネスモードになる。
「いえ、丁度こちらも近くに来ていたものですから、お気になさらないでください」
「そう言っていただけると助かります。それでは早速ではありますが」
ごほん。と一つ咳払いをし、八巻さんが続ける。
「零課の竜胆警部補から聞いているかと思いますが、私も霊感がある体質なのです」
成程。こちら側というのはそういう意味か。
「疑う訳ではないのですが、霊が見えるということでしょうか?」
「霊も勿論見えます。そこまではっきりと見える訳ではないですが。どちらかと言うと、感じる方が強い体質です」
少し試してみるか。
空いている右手で気を練り、念としてぶつけてみる。
人体には影響ないだろうが、霊感があれば寒気くらいは感じるだろう。
すると八巻さんがブルりと体を震わせ、肘を摩る。
「少し肌寒いですね。今、暖房を」
「ありがとうございます」
今のが感じられるのであれば、霊感があるというのも嘘ではなさそうだ。
リモコンを操作し、温度を上げたようだ。
「話を戻しますね。今留置所に入っている男性なのですが、彼がここに入る時に私もその場に居合わせたのですが、
彼がここに入った瞬間、強烈な寒気を感じました。しかし、彼自身には何も異常はなく、その寒気も日に日に弱くなっています。
ただ、ここまでの寒気というのは私も感じたことがなく、慌てて連絡した次第です」
「そういう経緯だったんですね。その男性に会うことは可能ですか?」
「勿論です。本人も協力的なので問題なく進むと思います」
随分と話が早いな。
「話が変わってしまい申し訳ない。これは個人的な興味も含まれていて恐縮なのですが、廣守さんはこういったことにお詳しいのですか?」
「どこまでお伝えするのか悩みますが、その質問の答えはイエスですね」
と、俺の答えを聞いた途端に八巻さんの表情が明るくなる。
「では、幽霊や妖怪なども実際に?!」
随分と食いついてくるな。
少し、驚いたのが表情に出てしまったのか、八巻さんはっとして居住まいを正す。
「し、失礼しました。少々興奮してしまいました。お恥ずかしい」
「いえ、大丈夫です。それよりもなぜそこまでの興味を?」
「なんと言いますか、私自身は霊感があると自負はしていますが、周囲の人間には共感もされず自分の思い込みかと思う時もあり・・・」
「なるほど。そういうことでしたら、一つ面白いものをお見せしましょう」
コートの内側からコンを取り出す。
余所行き使用なのか微動だにしない。
「ん?フィギュアですか?」
「ぱっと見はそうですね。おい、コン動いていいぞ」
「仕方ないのう~。ちょっとだけじゃぞ?」
動き出し、喋り出すフィギュア。その光景を目の当たりにし、八巻さんは驚きを隠せない様子だ。
「こ、これは一体!?」
「細かい説明は省きますが、こっくりさんはご存じだと思いますが、それです」
目を白黒させる八巻さんを他所にコンは偉そうに胸を張る。
「如何にも!童こそ、こっくりさんそのもの。今でこそこんなにキュートなボディーのお狐様じゃが、ちゃんと都市伝説のこっくりさんじゃ!崇め奉るがいいのじゃ!」
これはやりすぎたか?
「あの、廣守さん。一応確認なのですが、ドッキリやロボットという訳ではないのですよね?」
「まあ、その反応も無理はないですよね」
ポケットからさっきコンに食べさせるために買った油揚げ(税込み八十六円)を取り出し、コンに与える。
ちっこいフィギュアが油揚げを無座ぼる光景をただただ見つめる。
「ふぅー。ご馳走様なのじゃ」
「食事まで。これは信じるしかなさそうですね」
「力技みたいで申し訳ないですが、この通り妖怪も幽霊も都市伝説も実在します」
俺の言葉を聞くと同時に深いため息を漏らす八巻さん。
「何か心のつっかえが取れた気がします。ありがとうございます」
深々とお辞儀をされる。
「いえ、私は何も。礼ならこいつに言ってやって下さい」
腕組みし仁王立ちのコンに八巻さんは丁寧にお辞儀を返す。
「うむ。苦しゅうないのじゃ」
満足そうだしいいか。
そろそろ八巻さんも満足したことだし、本題に行くとするか。
「彼に合う前にできる限り情報などを頂けると助かるのですが」
「そうですね。すっかり横道にそれてしまいましたが、こちらを」
そういってバインダーをこちらに手渡してくる。
中には「彼」の情報が書かれている。
「名前は羽鳥健介。年齢三十五歳。職業、自営業。犯罪歴は無し。
勾留の経緯についてはご存じでしょうから割愛します。
精神鑑定も行っていますが、特に異常は見られません。
ただし、暴れていた当時の記憶は無し。
収監してから三日になりますが、こちらも目立った行動などは無く非常に模範的な様子です」
基本的には竜胆から聞いた話と一緒か。名前や年齢なんかを聞けたくらいだ。
「そういえば竜胆から過去にも似たような事件があったと聞きましたが」
「ああ、そちらもご存じでしたか。仰る通りです。大体四年に一回くらいですが、街中で暴れる。逮捕する。記憶がない。というようなことが起きていますね」
「八巻さんは過去に係ったことが?」
「いえ、私も噂を聞いていた程度で今回が初めてです。しかし、実際に体験して初めて理解しました。これは、ただの愉快犯などではない」
「その愉快犯というのは、怪談に纏わるものですか」
「この辺りでは結構有名なものですが、絡新婦の怪談です」
「ジョロウグモってあのでかい蜘蛛ですか?」
「この場合は当て字の方で、蜘蛛の妖怪とでも言いましょうか」
八巻さんはそう言い、紙に絡新婦と記す。
これでジョロウグモか。当て字か?
「私はあまり怪談などは得意ではないので概要だけになりますが、この地方に伝わる絡新婦は一般に知られる蜘蛛の化け物とは異なり、
妖艶な女性の姿になると言われています。そして、その女性の姿で人に出会うと約束をすると言われています。
その約束を果たさなければいずれ狂ってしまうとも。ですので、この辺りでは美人との約束は無暗にするなとも言われますね」
この怪談のお陰で女や約束という話が出てきて、眉唾扱いか。
「ちなみに羽鳥さんはそういった話は?」
「私も気になりそれとなく聞いてはみましたが、特には」
全員が全員という訳ではないのか。
「彼に関しては、当日から遡って数日の記憶が朧げというのが正確でしょうか」
記憶が曖昧か。最悪話が聞けなくても残滓の方を辿るとしよう。
「では、そろそろ面会させて頂いても?」
「そうですね。こちらから共有することはもう無さそうなので、行きましょうか」
部屋を後にし、羽鳥さんの元に向かう。
鉄格子の掛けられた部屋が並ぶ空間はドラマでしか目にすることは無いと思っていたが。
流石にそこに通されることは無く、面会室に通される。
こちらもドラマでしかお目に掛かれないアクリル板に仕切られた空間だ。
「それではしばしお待ちを」
八巻さんが部屋を離れ、俺とコンだけとなった。
「なあ、コン。羽鳥さんの記憶は覗けるか?」
ふと、思いついたことを聞いてみる。
「どうじゃろうなあ。本人が忘れてるだけなら多分見れるんじゃが、その絡新婦が関係しているとなると微妙じゃ」
五分五分か。
「おまじないは無しでも行けるか?」
「ちょっと疲れるが仕方ないのじゃ。紙は広げて服の中に仕込んで、お揚げの残りはポケットに入れておくのじゃ」
この状況でこっくりさんを行うのは怪しすぎるので、簡易的に行うことにする。
「あと、十円玉を握っておくのじゃ」
言われた通りに準備を整えると同時にアクリル板の向こうの扉が開き、羽鳥さんと八巻さんが入室する。
「どうも、急に押しかけてすみません」
「面会ということでしたが、初めてお会いする方ですよね?」
不思議そうな顔の羽鳥さん。無理もない。
見ず知らずの男が面会に来たら俺でもそうなる。
ならここはあの肩書を使うとしよう。
「これはこれは、ご挨拶遅れて申し訳ありません。私こう言う者です」
自分で若干胡散臭く感じるが、大げさな位が丁度いいと以前にドッペルに言われたことを思い出す。
アクリル板越しに手渡した名刺には、
株式会社 ブリッジモンスター
宣伝広報課/記者 廣守綾戸
と記されている。以前に河野さんのところで作って貰った取材用の名刺だ。
最近は出番が少なかったが、久々に使うことになる。
活動内容はオカルト雑誌の取材。
実際に発刊もしているらしい。読んだことないが。
「はあ、記者さんですか?」
胡乱な表情をされるが、慣れたものだ。
「そうなんですよ。少し変わった雑誌でしてね。羽鳥さんはオカルトとかご興味あります?」
まずは先手。
記者という警戒される立場をさらに訳の分からない情報を被せて霞ませる。
「いえ、全く」
そりゃそうだ。という返事が返ってくるが想定内だ。
「ですよね。正直、私個人としても懐疑的なんですけどね。会社の方針なもので」
「はあ、それで私になんの取材なんでしょうか?」
ここまでは想定内だ。
「本日お邪魔させていただいたのは他でもない絡新婦の怪談についてです」
「ああ、そのことですか」
「こちらの地方では結構有名な怪談とのことですが、羽鳥さんはご存じですか?」
「そうですね。私もここらの出身なので知ってはいますよ」
思ったよりもスムーズに進むな。
「で、今回のことがその怪談に関係していそうなので来たんですよ」
「私が暴れた時の記憶がないということがですか?」
少しむっとした表情になる。
「いえいえ、ここだけの話なんですが、過去にも何度か似たような事件があるんですよ」
奥に控えている八巻さんが少し顔をしかめているがここは目を瞑って貰おう。
「それは初耳ですね。でも、それが何か関係あるんですか」
「過去に同じようなことが起きた際には証言の中に、女との約束というような話が何度か出てきたそうですよ」
「残念ながら私は思い当たる節は無いですね」
対面している雰囲気では嘘を言っている様子は無い。
「そうですか、では、もしも何か思い出すことがあれば連絡頂けますか?」
「ええ、お役に立てそうなことがあれば」
俺から聞くのはここまでで大丈夫だろう。
「それでは本日はありがとうございました」
俺が一礼をすると、八巻さんが羽鳥さんを連れ部屋を出る。
「コン、どうだった?」
「詳しくは後じゃ。さっきの警官にも同じ話をするんじゃろ?」
随分険しい表情のコン。
俺の方も似たようなものだろうが。
部屋に二人きりになると同時に一気に緊張の糸が解けた。
羽鳥さんが部屋に入ってきた瞬間に感じたのは強烈な残滓。
事件の現場に残されているようなものとは比較にならない程の怪異の痕跡だった。
何かしら怪異が関係しているのは確定だが、一般の人間があそこまでの残滓を纏って平気なのか。
記憶の障害だけで済んでいるのはある意味奇跡だ。
次回30日更新予定




