黒い猫
新章スタートです。
チリン。
ビルの隙間の薄暗い路地に、鈴の音が響く。
音の主は猫の首に下げられた鈴。
真っ黒な体に映える白い首輪。
見た目には何の変哲もない黒猫。
ゴミ箱から飛び降り、路地の先を目指す。
同時に鈴がチリンと音を奏でる。
あの娘にもう一度会うために。今日も黒猫は歩く。
「全く。猫という生き物は横暴が過ぎるのじゃ!」
何故か朝から怒り心頭のコンが吠える。ちなみに狐はイヌ科で鳴き声も犬と似ている。
決してコンコンとは鳴かない。
うちの狐は人語で吠えるが。
「朝からどうしたんだ。また、近所の猫に拉致されたのか?」
今月は二回。先月は四回だ。
多分大きなネズミくらいにしか思われていないんだろう。もしくは動くおもちゃ。
「違うのじゃ。最近はちゃんと話もできるようになったからそうそう襲われないのじゃ」
「え、猫と喋るのか。いいなー。羨ましい。俺も喋りたい」
「ふふん。羨ましいじゃろう。気が向いたら教えてやるから、その時はお揚げをはずむのじゃ。って違う!」
見事なノリ突っ込みに拍手を送りたくなる。
ちなみに俺は犬派なので、猫と話すよりも犬と話したい。狐とは現在進行形で話しているが、これはノーカンだ。
「さっき猫の集会に潜り込んだんじゃが、あやつら完全に人間を舐めておるぞ」
猫の集会が実在したことの方が驚きだし、何故かそこに紛れ込んでいる狐の方も驚きだ。
「人間は適当にすり寄っておけば餌をくれる」
「ちょっと愛想よくしたら構ってくれる」
「相手するのが面倒だから放置しても何故か喜ぶ」
「「「おれ、達ってもしかして人間にとっての神なんじゃね?」」」
「な?完全に舐めておるのじゃ」
「いや、猫なんてそんなもんなんじゃないか?」
犬派ではあるが、別に猫が嫌いな訳じゃない。むしろ好きだ。犬の方が上と言うだけで、猫の魅力も理解できる。
ツンデレ、いいよね。
「納得いかんのじゃ!狐となれば、やれ人を化かすだ、エキノコックスだと、風当たりが強いのに。
あやつらときたら、ちょっと可愛いからと言って調子に乗りおって。お稲荷さんはきちんと神様をやっておるのじゃ。
願いを聞き届け、たまに力を貸してもやるのじゃ。それなのに猫どもときたら、寝てるだけの癖に神様気取りとは。
許せんのじゃー!」
後半は殆ど聞き逃しているのだが、コンの怒りが収まる気配はない。
というか、別にコン自体はこっくりさんであって、お稲荷様ではない気がする。
言うと面倒くさそうなので言わないが。
「はいはい、コン様。お揚げですよー」
「頂きますなのじゃ!」
いつの間にかキッチンでお揚げを用意した鈴にまんまと釣られ大人しくなる。単純な奴め。
「ちなみに私は犬派です」
「いや、聞いてないけど」
「犬派です」
大切なことなので二回言いました。と言わんばかりの確固たる意志を感じる。
「犬でも飼うか?」
「既にコン様も居りますしそれはよろしいかと」
「ん、童ペット扱いなのじゃ?」
「そんなことないですよー。お揚げもう一枚食べますか?」
「もちろんなのじゃ!」
綺麗に丸め込まれてしまった。
ちょろい狐だ。
「犬猫の話で言えば、猫の妖怪とかは何個か思いつくけど、犬の妖怪ってあんまり聞かないな」
猫又、化け猫、猫魈などなど。犬でぱっと思いつくのは人面犬くらいのものだ。
「犬は古来より人と共にあった故、神格化されることの方が多かったのであろう。
狛犬、犬神、干支にもなっておる。猫は日ノ本に居ついたのも比較的最近。人が新しいものに恐れを成すのは今も昔も変わらぬな」
いつの間にか、起きてきた朔夜が流暢な解説を披露する。
妙に納得だった。
「付け加えると我も犬の方が好きである」
どこから話を聞いていたのやら。
というか、この家には犬派しかいないのか。哀れ猫。君の居場所はここにはなさそうだ。
本日は仕事もないので、鈴と買い出しである。
そろそろ真面目に稼ぐ手段を考えないと不味い。主に世間体的な意味で。
ドッペルが残してくれた大量の貯金。主にインセンティブとボーナスで俺の収入を遥かに超える額を叩きだし、現在通帳の残高は過去最高を記録している。
来年度の税金を払っても一年くらいは暮らせそうな額ではある。
現状の俺を言語化すると、同棲する女の子が稼いだ貯金を食いつぶしているクソニートである。
まさか、ヒモよりもひどくなるとは思わなかった。それもこれも全部人形神のせいだ。
「綾戸様とお買い物なんて初めてですね」
隣を歩く少女は本当に俺から生まれ落ちた存在なのかと疑問に思う。流石に買い物にメイド服は目立つので着替えたらしいが、普通の服を着ると
一般人と比べての可愛さが際立つ。
「前に竜胆とプレゼント選びには行ったぞ?」
「二人きりで。という意味です」
少しむっとした表情を向けてくる。それですら可愛いのだ。反則である。
「そういうことか。だったらそうだな」
しどろもどろの返事になるが、これは仕方ない。
「夕食は何か食べたい物はありますか?」
「何でもいいって言うと困らせちゃうか。悩むな」
「特に思い付かないようでしたら、スーパーで食材を選びながら決めますよ?」
なんて出来たメイドさんなんだろう。
家事スキルと優しが天元突破している。
ちなみにドッペルは怪異としての分類はドッペルゲンガーだったが、鈴は座敷童に分類されるらしい。
何でも人形神の持ち主の願いを叶えるという部分を微妙に取り込んでしまったらしく、
存在が歪んだ結果、座敷童に転生したということらしい。
家に居つくことで知られているが、俺達が居る空間こそが彼女にとっての家という認識だそうで、
活動の幅は広い。部屋から出られないということもない。
色々と食材を買い込み、今日の晩飯はシチューに決定した。
もうすぐ年末も迫るこの時期には暖かい食べ物は嬉しい限りだ。
白い誘惑に思いを馳せながら、のんびりと二人で家路を進んでいると。
目の前を黒い影が横切った。
「あら。黒猫さんですね」
「黒猫に横切られると不幸になるって言うよな」
件の黒猫は俺達の方を見たままじっと動かない。
「警戒されてるのか?」
「どうなんでしょうか。何か言いたげな気もしますが」
「みゃーお」
唐突に鳴く。別段猫の鳴き声をよく聞く訳ではないが、何かを訴えている気がする。
鈴がしゃがみ込み、猫と目線を合わせる。逃げる気配がない。
「え、はい。分かりますね」
「にゃ?なにゃ」
「そうですそうです。良く分かりましたね」
「なんで猫と喋ってるの?」
普通に会話をし始めないで欲しい。扱いに困る。
「あれ、綾戸様はこの子の言葉分からないんですか?」
「当然分かりますよね?みたいな顔されても俺にそんな特殊能力はないぞ」
「いえいえ、綾戸様位の実力でしたら、これくらいの猫ならお話もできますよ?」
おっと。どうやら本気だ。
せめて原理を教えてくれ。
その間も鈴は黒猫と話を続ける。
たっぷり十分後。そろそろ荷物を持つ腕が疲れてきたなというタイミングで鈴が黒猫をひょいっと抱え上げる。
「なんだ?連れて帰るのか?」
「ええ、少し話を詳しく聞いた方が良い気がしますので」
猫のみゃーみゃーという声に包まれながら帰宅すると。
「なんじゃ!猫の匂いがするのじゃ!」
扉を開けると同時にコンが騒ぐ。
「ただいまー」
とりあえず無視する。
「お帰りなのじゃ。って違う!鈴よ、なんじゃそ奴は!」
すると鈴が口を開きかけた瞬間、黒猫は鈴の手を離れ、床に着地。
「みゃー」
一鳴き。そしてお辞儀。
「あれ、今お辞儀した?」
「なんじゃ、随分礼儀正しい奴じゃのう。そこまで言うなら無碍にするのも忍びないのじゃ」
「なあ、なんでみんな猫の言葉わかるんだよ。分からないの俺だけとか言わないよな?」
「うっさいのう。ちょっと黙っておるのじゃ。こいつの話が聞けんじゃろうが」
滅茶苦茶邪険にされる。
「朔夜も猫の言葉分かるのか?」
「子狐程ではないが、そこにおる黒猫くらい流暢なのであれば問題ない」
もはや猫の言葉が分らない俺は少数派らしい。
「そう落ち込むでない。少しコツを掴めばそのうち分かるようになる」
「マジでか。猫と喋れるようになるのか!」
「随分と食いつくのう。別に猫だけと言わず、そこそこの齢を重ねた生物なら大抵は意思の疎通くらい可能であろう」
「是非ともご教示下さい」
久々に心から頭を下げる。我ながら綺麗な土下座だと思う。
しかし、動物との会話能力は喉から手が出るほど欲しい。
そのためならば土下座など安いものだ。
「男がそう簡単に頭を垂れるでないわ。ほれ、そこの黒猫の鳴き声に耳を傾け、声に乗る想いに心を傾けてみよ」
耳と心?どういうことだ。
とりあえず言われた通りに耳は傾けるが、心はどうすればいいんだ。
声の響きに意識を集中してみる。鼓膜を揺らす音の波。その奥に微かに別のものを感じる。
言うなれば感情の揺らぎのようなもの。
ああ、自分で気を巡らせて念を練る工程の逆だ。
発せられた言葉に交じる感情の揺らぎを知覚すればいいのか。
捉えたのは感謝の想い?
「いま、ありがとうみたいなこと言った?」
「うむ。正解。その調子で精進せい」
見れば黒猫も少し驚いたような顔でこちらを見ている。
「ね?綾戸様も分かるようになったでしょう?」
「だな。でも、流石に細かい話まではまだ分からんから、話まとめてくれないか?」
「勿論ですとも。では、ノワールさんもこちらへどうぞ」
フランス語のやたらとおしゃれな名前の黒猫だった。
意味は黒なんだが。




