決意
ドッペルの体を乗っ取た奴は、人形神と呼称することにした。
オフィスの屋上で奴と遭遇してから早三日。
何の事件も進展もなく、ただただ時間だけが過ぎていった。
「急に姿を現したかと思えば、影も形もないとは。一体何を考えておるのかのう」
「それが分れば苦労は無いんでしょうが」
一人住人がいない部屋は随分と広く感じてしまう。
「辛気臭い顔じゃなあ。そんなに暇なら童の相手をするのじゃ」
何をするでもなくテーブルに肘を付いていると、机の隅からちっさなお狐様が顔を覗かせる。
「相手って、何をするんだ」
別にやることもない。
たまにはコンの暇つぶしに付き合うのも悪くない。
「そうじゃのう。ちょいちょい」
テーブルの向こうから手招きをされる。立つ。のは面倒なので、上体をテーブルに乗り出す。
「ちぇすとーー!」
「危な!?」
某、薩摩剣士のような叫び声と共に、飛び蹴りを繰り出してくるコン。
慌てて頭を逸らして回避する。
「何しやがる!」
「まだまだ行くのじゃー!」
テーブルに着地すると同時に、再び俺に飛び掛かってくる。
いや、まあ、流石に体格差もあるし、余裕で見切れはするんだが。
捕まえようとするとスルリと腕を抜けられる。
「ええい、鬱陶しい!」
「ふふん。捕まえてみるのじゃ~」
ぴょんこぴょんこテーブルの上を跳ねながら、おちょくるような攻撃を繰り返してくる。
だが、俺の手を躱すために空中に浮いたコンの体。今なら捕れる。
「そこだ!」
「甘いのじゃ」
コンを左手で掴むと同時に、俺の後頭部にぺちりと何かが叩きつけられる。
微妙な湿り気というかなんというか。微妙な感触が伝わる。
「なんだこれ」
開いている右手でソレをつまみ上げる。
目の前に持ってくると、油揚げだ。
左手の中のコンは捕まっているにも関わらず得意気な顔だ。
「ふふん。童の勝ちじゃな。今のが油揚げでなく他の得物なら綾戸の命はどうなっておったじゃろうな~」
悔しいがコンの言う通りかもしれない。
「分ったよ。俺の負けだ。でも食べ物で遊ぶなよ」
「心配せずとも、スタッフが美味しくいただくのじゃ」
そのまま、俺の右手から油揚げを奪い取り胃に納めていく。胃があるかは分からないが。
「ごくん。まあ、綾戸は良くも悪くも目の前のことに集中しすぎなのじゃ。もうちょっと周りを見ないと今みたいに足元を掬われちゃうのじゃ」
「それを伝えるためにわざわざこんなことを?」
俺が聞くと、左手の中で暴れ出し、
「違うわい!暇だっただけじゃもん!」
ぷいっとそっぽを向くコン。
「なんて古典的なツンデレムーブなんだ」
「たまには趣向を変えてみたいのじゃ。どうじゃ?萌えるじゃろう?」
「うーん。まあ、可愛くはあるし、ツンデレ具合は満点なんだが、属性盛り過ぎだろ」
のじゃロリ、ちっこい、和服、怪異、ツンデレ。多いわ。
「うーむ。難しい。次はバブみとやらに挑戦するのじゃ」
「またの機会にしてくれ。それに我が家のママ成分はドッペルで足りてるだろう」
「うむ。じゃからささっと連れて帰ってくるのじゃ。童も久しぶりにあやつの味噌汁が飲みたのじゃ」
そうして、ふんわりと笑うコン。
こいつなりに気を使ってくれているんだろう。
「ありがとな」
「たまにはこういうのもいいじゃろう」
手持無沙汰でつけていただけのテレビから、事故のニュースが流れる。
事故の状況を現地にいるレポーターがアナウンスしている。
道路での玉突き事故らしい。
事故現場には難題もの車が立ち往生し、数台はフロントがひしゃげた物あり、結構な事故であることを物語っている。
各所で、野次馬なのか事故の被害者なのか、人も多い。
「酷いな」
そんなことをぼんやりと考えていると。
「ただの事故ならな」
そう言って夜叉が画面の左端を指す。
野次馬の中に見知った顔。というより、俺の顔がある。
「人形神ですか」
「偶然か誘っておるのかは知らぬが、他に手が無い以上行くしかあるまい」
「ですね。早速向かいましょう」
目的地は茨城県。
自宅のある埼玉県からは結構な距離になるが、行くとしよう。
身支度をしつつ、カーシェアリングの手配を行い、移動手段を確保する。
自宅から数分の駐車場で予約した車に乗り込む。
「お主、車なぞ持っておったのか」
「俺が持ってる訳じゃないんですよね。コレ。サービスに登録すると皆でこの車に乗れる。みたいな感じです」
「昨今は個人主義が強くなってきたかと思うておったが、そのような物も成り立つのか」
「そう言われると確かに不思議ですね。車に乗れることと所有することが分離された結果ですかね。使えるならそれでいい。というところでしょうか。」
「昔は、そのような考え方の方が普通であったがのう。村で一つの財産を共有し、必要な時に必要なだけ使う。ある意味先祖帰りやもしれぬ」
「世の中は便利になっても、人間の本質は変わらないのかもしれませんね」
「本質など、今も昔も変わらぬよ」
タバコを咥えた夜叉が煙を吐き出す。
たまたま取れたこの車は珍しい喫煙可能車。
遠慮なく吸えるわけだ。
暫く走り、外環自動車道に乗る。ここからはそのまま常磐道に乗り入れれば茨城まで一本道だ。
「しかし、なんでまた茨城なんかに出没したんでしょうかね」
「さらに北が目的地かもしれんがな」
北関東とも言われる茨城。
さらに北となると、東北。
現代となっても、手つかずの自然が多く、そういった話には事欠かない。
そんなところに自ら乗り込んで何をする気なのか。
「いずれにしろ、目的を達成させると碌なことにならなそうですね」
「うむ。可能な限り早く仕留める。それが最善よ」
車を走らせること二時間程。
ようやく、報道のあった事故現場に到着した。
現場の撤去はだいぶ進んでいるものの、衝突の後を残すガードレールや、車の破片など、事故の痕跡はそこかしこで見て取れる。
「あいつが居たのはこの辺りですか」
事故現場からほど近い歩道。
そこが人形神を目撃したポイントになる。
「この事故、あいつの仕業ですよね」
「やはりな。物見遊山で訪れたわけではないらしい」
現場から感じる残滓はかなり強烈な物だ。
屋上で奴と遭遇した時のことを鮮明に思い起こす程に。
「流石に簡単には追わせてくれぬか」
夜叉が珍しく歯嚙みをする。
「見事に足取りが消えていますね」
「何年もお主の中に潜んでいたでけのことはあるのう」
わざわざ出向いて収穫無しとは。
先が思いやられる展開だ。
「ここからどうしましょうか?」
「今宵は宿を取り様子を見るとするかのう。戻るのも億劫であるしな」
という訳で、早速宿を取る。
何のことはないシンプルな温泉旅館だ。
食事を済ませ、温泉に浸かるとここ数日の疲れが一気に溶けて行く。
大浴場に行く元気は無かったが、立派な内風呂が付いている。折角なので使わせて貰うことにした。
屋上で人形神とやり合ってから、事件の調査や、戦闘こそ無かったものの、神経は張りつめていたらしい。
この調子だと気付かないうちに体を壊していたかもしれない。
温泉を提案してくれた夜叉に感謝するしかない。
「やはり広い風呂は良いな」
そんなことを宣いながら、当たり前のように夜叉が風呂に入ってくる。
「ストップ。ストップ。俺入ってるんですけど」
「それがどうかしたかのう。我も早う湯に浸かりたいのよ」
「いやいや、そっちは良くても俺の方がダメです」
「前にも言うたが、我を抱きたければ抱けば良かろう。勝てるならという条件は付くがな」
「だからそれが出来なくて、悶々とするんでしょうに」
「かっかっか。見るだけで満足するなら、いくらでも好きにするが良い」
そして俺にはお構いなく、タオルを剥ぎ取りかけ湯を行う。
瑞々しい肌はお湯を弾き、ほんのりを朱を帯びている。
くそっ!目が離せない!
目の前で揺れる、双丘。その頂上は長い銀髪に阻まれ、微妙に見えない。
「というか、何故に今、鬼の姿に?」
「ん?この姿の方が楽であるからな。湯に浸かるにはこれが一番よ」
「だからわざわざ内風呂に?」
「左様。流石に浴場でこの姿は晒せぬしな」
そのまま、ゆったりとした足取りで湯に浸かる。
「生き返るのう」
「そんな簡単に生き返られたら俺達の商売上がったりですよ」
「どのような怪異も、黄泉返りの経験者にだけは言われたくなかろうよ」
そういえばそうだった。
「なあ、お主よ」
「どうかしました?」
暖かな湯気に包まれながら、夜叉が問う。
「人形神の思想は兎も角、お主は奴をどうしたい?」
「どうしたいって言われると、一番はドッペルを取り返したいってところでしょうか」
「では、それが叶わぬとなればお主は奴を追わぬのか?」
「あいつが人に害を為す存在であるなら、関係なく討つつもりです」
「では、さらに問う。複体を取り戻すことも叶わぬ。しかし、彼奴も人襲わぬと誓った。そうなればお主はどうする?」
そうなったら。
どうすればいいんだろうか。
咄嗟に答えは出せずに言葉に詰まる。
「迷いの中にこそ答えが見つかるものよ。決して一つのことに縛られてはならぬ。我のようにな」
夜叉が縛られていること。
怪異を討つということにだろうか。
「肝に銘じておきます」
「うむ。それで良い。ところでお主よ。少しそこに直れ」
「え、直れって?」
「力を抜いて、決して動くでないぞ」
そのまま、湯をかき分け、こちらに近づいてくる。
温泉の仄かな硫黄の香りを夜叉の桜のような香りが上書いていく。
「だから力を抜けと言うておる」
ご無体な。緊張なのか、興奮なのか、期待なのか。
多分どれも当てはまる。
夜叉の美しい裸体が近づいてくる。この状況は固くなるのも仕方ない。
伸ばされた細い腕が、ピタリと俺の左胸の上に置かれる。
ドクン。と心臓が脈を打つ。
「そのまま心を落ち着けておれ」
夜叉は瞳を閉じ、自らの指先に集中しているようだ。僅かながら、夜叉から念が流れてくるのを感じる。
この状況で心を落ち着ける方法って何だろう。
円周率でも数えるか。
3.141592
あ、これ以上知らないわ。そもそも円周率なんて、十桁も覚えてる人間そうはいないだろう。
「もうよいぞ。その顔はまた下らんことを考えておったな」
やはりバレた。でも今回は不可抗力だと思う。
「もういいって、一体何してたんです?」
「お主は、そもそも何故、我の手伝いをしておるのか忘れたのか?」
目的?はて、なんだったか。あ、思い出した。魂だ。
「お主、今、本気で忘れておらなんだか?」
「そんなことある訳ないでしょうが。魂の修復でしょう。ちゃんと覚えてますって」
妙に早口になった気がするが気のせいだろう。
「そういうことにしておくかのう。久々に具合を見てみたが、そちらの経過は良好よ」
なるほど、それが目的か。言ってくれればいいのに。
妙にドキドキした。
「ふと思ったんですが、俺の魂が元に戻ったらどうするんですか?今更普通の生活に戻れる気がしないんですが」
妖怪、幽霊、都市伝説。この半年足らずで俺の常識はすっかり塗り替えられてしまった。
「常識とは十八歳までに身に着けた偏見のコレクションのことをいう」かのアインシュタインの言葉らしいが、
ここまで身を持って経験する必要もないだろう。
「お主の場合は既にこちらに足を踏み込みすぎておるしのう。いっそ人間を辞めるのも手かもしれぬぞ」
冗談めかして言う夜叉。
俺の定義的には既に結構人間辞めている気もするが、妖怪から見ればまだまだ人間の枠内らしい。一安心だ。
「後のことは後になって考えれば良い。まあ、我も今の生活は気に入っておる。お主さえよければ、今のままでもよかろう」
「望む所です。ですから一刻も早く収入を確保するためにドッペルを取り戻しましょう」
「遂に自らヒモであることを認めおったか」
「ヒモでもニートでもなんでもいいですよ。皆でまた笑い合えるなら」
「違いない」
隣で夜叉がそう呟く。
必ずドッペルを取り戻す。俺の中の決意が輪郭を帯びた瞬間だった。
と、真面目な空気で終わった筈が部屋に戻ると、風呂場での光景が頭から離れず、眠れぬ夜を過ごすことになるがそれは語るまい。
一言だけ言及するのであれば、「若干の申し訳なさを感じたが、背徳感がそれを上回った」というのが賢者となった俺の言葉だ。
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