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ドッペルゲンガー

黄泉の国からの帰還。


こう言うと、まるで臨死体験をした人間みたいで格好がつくが、俺の場合は――電車に揺られて、煙草を吸って帰ってきただけだ。


迷い込んだ時と異なり、幽世から現世への移動は驚くほどあっさりしていた。


神社の大門の前で、仁礼、二拍手、一礼。

門を潜ると、そこは自宅近くの寂れた神社。見慣れた街の空気が肺に戻ってくる。


夜叉曰く――


「今のお主なら適当な神社にでも行って、今の手順ですぐにでもあの神社に戻れるであろう。まあ、用事は無いと思うがの」


らしい。


その“件の夜叉”はというと、こちらの世界に来るのは相当に疲れるらしく、俺の部屋に着くなりベッドを占拠して寝てしまった。

境界を越えるのは負担が大きいという。俺が向こうに行ったとき金縛りに遭ったのも、そのせいらしい。


規則正しく上下する布団の膨らみを眺めながら、俺は思う。

――現実離れした光景が、嫌でも現実のものだと理解させられる。


自分の布団で眠る、妖艶な美女。

高校生の頃の俺なら、理性を失っていたかもしれない。

だが流石にいい大人だ。ここは堪える。


……いや、ふと気になる。

妖怪相手に法律って、適用されるんだろうか。

仮に寝込みを襲ったら強姦になるのか。いや、定義的には当てはまるんだろうが、法で裁けるのか?

――おそらく、返り討ちにされる。なにせ鬼だし。


考えても仕方ない。俺も寝るか。

「詳しい話は起きたらする故、まずはお互い体を休めようぞ」

とのことだ。従うことにする。

押し入れから来客用の布団を引っ張り出し、床に就く。

微かに香る甘い桜の匂いに包まれ、すぐに眠気が襲ってきた。


ガチャ――。


鍵の開く音で目が覚めた。

夜叉が外に出たのかと思いベッドを確認すると、暗闇の中で布団が微かに膨らんでいる。

つまり、外に出たのは別の誰か。


第三者。まさか、泥棒?


体を起こそうとした瞬間、パチリ。

部屋の電気が灯る。

大胆にも、犯人は玄関から堂々と入ってきた。


その姿を見て、言葉を失う。

――俺に瓜二つの男が立っていた。


「夜叉!」


思わず声を上げると、ベッドの上の夜叉が薄く目を開けた。


「起きておる。早速お出ましか。思ったより早かったのう」


俺は慌てて構えを取る。

昔取った杵柄というやつで、多少の武術心得はある。

だが相手――ドッペルゲンガーは、動く気配すら見せず、ただこちらを見ている。


「敵意は感じられんの。お主も力を抜け。こやつぐらいなら我が守ってやる」


夜叉がサッと俺の前に立つ。その動作がやけに様になっていて、やだイケメン。


「別に襲う気はないので、安心してください。というか、私もこの状況の意味が分からないのですが」


喋った。

しかも声が――俺の声だ。


自分の録音を聞いたときのような気持ち悪さ。二重の違和感が胸を刺す。


夜叉が眉をひそめる。


「随分と流暢に喋りおるわ。どれほど魂を喰いおったのか」


「いやいや、それも誤解です。私が宿主である彼の魂を頂いたのはほんの一部。基本的には彼の怨念を受けて生まれただけです」


怨念、か。……心当たりが無いわけではない。

仕事のこと、だろうな。


「怨念とな。お主、呪いでもやっておったか?」


「呪いなんてそんな大それたことはとても。せいぜい仕事のストレスを発散していたくらいで」


夜叉は顎に手をやり、何かを思案するように言った。


「ふむ。それにしても妙じゃな。こやつ、復体ではあるが依り代を持っておるな」


「依り代?」


「我ほど力のある怪異ならば、肉体ごと現世に留まることも可能であるが、低級のこやつら程度では現世に存在を繋ぎ止める核のようなものが必要となる。昨晩話したであろう。二三日もすれば復体など消えると」


そういえば、そんなことを聞いた気がする。


「丑の刻参り。呪いの藁人形。お主も概要くらいは知っておろう?」


俺はうなずく。


「必要な要素は三つ。人型。怨念。体の一部。それだけ用意すれば、作法なぞ適当でも低級な怪異程度なら呼び出せる。心当たりはないか?」


――ある。嫌な予感しかしない。


人型、怨念、体の一部。

脳裏に浮かんだのは、作業机の上の“あれ”。


俺が問いかけるより早く、ドッペルゲンガーがコクリとうなずき、作業部屋を指差した。


……ああ。やっぱりそうか。


部屋に駆け込み、机の上を見る。

あるはずのフィギュアが、消えていた。


夜叉が机の上を覗き込み、低く唸った。


「ふむ……これが依り代か。なるほど、念の籠り方が尋常ではないな」


俺は頭を掻きながら、苦笑いで応じる。


「いや、作りかけのやつなんだけどな。血をちょっと……その、うっかり落としただけで」


夜叉は目を細めた。


「うっかり、で済む話ではないぞ。血とは魂の欠片。その一点が、この者を現へと引き寄せたのじゃ」


ドッペルゲンガーは神妙な顔でうなずいている。まるで自分が犯人ではなく、被害者のような表情だ。


「彼の血が触れた瞬間、意識が生まれました。目覚めた時にはすでに形があり、思考があり……気づけば立っていたのです」


「人の魂ってのは、そんな簡単に分裂するもんなのか?」


夜叉がゆるく首を振る。


「本来はあり得ぬこと。だが、お主の魂は欠けておる。欠けたものは流れ出やすい。血と共に零れ落ちた一片が、この者を形作ったのだろう」


「……つまり、こいつは俺の魂のコピー、ってわけか」


「厳密には、魂の“かけら”に怨念が混ざり、形を得たもの。コピーとは違う。だが、似て非なる存在じゃな」


俺は椅子に腰を下ろし、ため息をついた。

現実感のない会話なのに、なぜか納得している自分がいる。


「で、お前の目的はなんなんだ?」


俺が尋ねると、ドッペルゲンガーは静かに口を開いた。


「目的、ですか。……強いて言うなら、あなたの模倣、でしょうか」


「模倣?」


「我々複体に、明確な存在理由などありません。ですが、依り代を得て生まれた私は、あなたの生死に関わらず現世に留まることができる。だからこそ、あなたの代わりとして生きていくことが、最も自然なのです」


「俺に成り代わるってわけか」


「端的に言えばそうなります。ただし、私の関心はあなたの“仕事”のみ。あなたの思念の大半がそこに集中していましたから」


「なるほど……俺のストレスが具現化したってわけか」


「言い得て妙ですね」


ドッペルゲンガーはわずかに笑みを浮かべた。その笑みが、鏡越しの自分のようで不快だ。


しばらくして、夜叉が戻ってくる。手には二つのフィギュアを抱えていた。


「我が見た限り、この二つが危険よの。他の物とはけた違いの念が込められておる」


「そりゃまあ、魂込めて作ったやつだからな……」


「下手に壊すと念が暴れる。封印が吉じゃ」


「封印って、どうすればいい?」


「陽の気に当てるのがよい。お主の愛着が残る限り、陰は薄まる」


「要するに、大事にしてりゃいいってことか」


「うむ。愛でる心こそ、最上の浄化よ」


その言葉にドッペルゲンガーが妙な笑みを浮かべた。


「愛でる……そういえば、奥の棚に随分と情熱的な作品がありましたね」


「ストップ。それ以上言うな」


夜叉がくすりと笑う。


「生の情動もまた陽の気じゃ。恥じることはない」


「……この話、終わり!」


顔が熱い。地獄より恥ずかしい。


夜叉は真顔に戻り、俺とドッペルゲンガーを順に見た。


「さて。お主の魂の欠けを癒すには、未知に触れるのが一番手っ取り早い」


「未知、ねぇ。旅行でもすりゃいいのか?」


「それでもよいが、効率が悪い。お主にとっての未知とは――怪異そのものじゃ」


「やっぱりそう来たか……」


ドッペルゲンガーが淡々と呟く。


「つまり、あなたは彼女の仕事を手伝う、と」


夜叉が頷く。


「うむ。そしてお主は彼の仕事を担う。都合がよいではないか」


「おいおい、そんな簡単に言うなよ」


だが、気づけば妙に納得していた。

俺は夜叉の助手として怪異と向き合い、ドッペルゲンガーは俺の代わりに会社へ行く。


奇妙だが、理に適っている。


その夜、ベランダで三人並んで煙草を燻らせた。

人間と鬼とドッペルゲンガー。どう見ても異様な光景だ。


「というか、お前も吸うのかよ」


「仕事終わりの一服は何にも代え難い。違いますか?」


「異論はないな。今日は働いてないけど」


「明日から嫌でも忙しくなる。覚悟しておくがよい」


夜風に煙が溶けていく。三つの影が、ひとつに混ざり消えた。


こうして俺の、怪異と歩む新たな人生が始まったのだ。

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