朔夜と奏灯
雨上がりの午後。綾戸も鈴も、そしてこんまで外出し、事務所には朔夜と奏灯だけが残っていた。
外の湿り気を含んだ風が窓辺を揺らし、その向こうで白椿が静かにうなずいている。
朔夜は湯飲みを置き、奥の棚へちらりと目を向けた。
いつもなら“ざらり”と空気を揺らす呪物の気配が、今日は妙に静かだった。
「……あやつ、今日は寝ておるのか」
小さく呟くと、奏灯が折り紙を折る手を止め、同じ方向を見上げた。
「うん。きのうより静か。“夢みてる”みたいな感じ」
朔夜は驚きもせずに頷いた。「悪くはあるまいが、静かすぎるのも、少し気にかかるのう」
奏灯はまた折り紙へ向き直り、指先を必死に動かした。
やがて、ふわりと紙兎が生まれる。
「できた!!」
朔夜はその仕上がりを見て、わずかに目元を和らげた。
「丁寧に折れたな。良いできだ」
その言葉に、奏灯の胸がぽっと明るくなる。褒められるのは嬉しい。
ただ、喜びの影に、違う色が混ざっていた。
奏灯は膝を抱え、ぼそりと呟く。
「朔夜さま……」
「どうした」
奏灯は俯き、着ぐるみの耳を小さく揺らした。
「みんな、いつも怪我して、帰ってくる」
その声には、不安が滲んでいた。
「ぼくは、見てるだけ」
同時に、小さな決意も。
「だから、やくに立ちたい」
朔夜はゆっくりと湯飲みを置き、奏灯の横に座った。
目の高さを合わせるように、少し身を屈める。
「自分は役に立っておらぬと。そう思っておるのか」
奏灯はこくりと頷いた。
「みんな痛いの、いやだから、ぼくも、助けたい」
朔夜の瞳が柔らかく揺れる。
静かな深みのある声で言った。
「奏灯。我らが戦えるのは、お前がここにいるからだ」
奏灯はきょとんと目を丸くする。
「お前の声で、綾戸は刀を収めることがある。鈴は、お前の笑顔で心を整える。
そして……我も、お前がいると静かに過ごせるのだ」
奏灯は胸を押さえた。自分でもわからない温かさが、そこへ広がる。
「ぼく、なにか……してる?」
朔夜はふっと微笑んだ。
「お前が“ここにいる”ことが、既に力だ。
強さとは、牙の鋭さ、刃の速さ、そんなものだけではない」
奏灯は小さな拳を胸の前で握り、そっと問う。
「ぼくも、強くなれる?」
「ゆっくりで良い。焦らず、迷わず。生まれたばかりの付喪神が、急ぐ必要などどこにもない。
強さとは、歩みの先で、自ら掴むものだ」
その言葉は、深く、穏やかに、奏灯の胸へ落ちていった。
奏灯は紙兎を抱きしめ、小さく頷く。
「うん。ぼく、ゆっくり、つよくなる」
朔夜は満足げに頷いた。
「それでよい」
ふたりはコタツへ寄り、折り紙を並べて遊び始めた。
ときおり棚に目を向ければ、呪物はやはり静かで、まるで深い眠りへ沈んでいるかのようだった。
しかし──その静けさの奥には、微かに熱を帯びた“予兆”が見え隠れしていた。
朔夜はそれを感じ取りながら、あえて口にしなかった。
今はただ、この幼い灯りを守る時間でいたかった。
奏灯は朔夜の袖をそっと握り、安心したように寄り添う。
朔夜はそんな背中を静かに見つめる。
(この子はきっと、遠くへ行ける。誰よりもな)
言葉にはしないまま——ただ、そっと頭を撫で続けた。




