都内観光
朝の柔らかな光が街に落ちる。ホテル前のロータリーには、綾戸の車が静かに停まっていた。
アレッサがロビーから姿を現すと、ミラが肩の上でぴこっと羽を揺らした。
綾戸が手を上げる。「おはよう、アレッサさん。昨日はよく眠れたか?」
「はい。綾戸さん、ありがとうございます、です」
アレッサは少しぎこちないながらも笑った。
その横から、柔らかな気配が近づく。
「はじめまして。鈴と申します。本日はご案内させていただきますね」
鈴が丁寧に頭を下げる。
アレッサはぱちぱちと瞬きし、ミラが肩から落ちかけるほど驚いた。
「……はじめまして、です。……よね?」
鈴が小さく笑う。「はい。はじめまして、ですよ?」
「でも、なんか。前から知ってる気が……」
アレッサは胸に手を当て、初めて会うはずの鈴をまじまじと見つめた。
綾戸が横からぼそっと言う。「デジャヴってやつだろ。たまにある」
「そう、ですか?」
ミラだけが、何か思い当たるようにこっそり羽を揺らしていた。
最初の目的地は浅草寺。
アレッサは雷門の大きな提灯を見上げて、「おお……お寺、です!」と素直に目を輝かせる。
鈴はほほえましくその様子を見守り、綾戸は人混みを避けるように後ろからついていく。
綾戸のコートから、こんがそろそろと顔を出す。
「むっ、外は広いのじゃ」
綾戸がひそひそ声で制止した。「おい、だめだって。人前に出るな」
「いやじゃ、遊びたいのじゃ!」
鈴が苦笑しながら、そっと押し戻す。「ほら、後で人の少ないところに行きますから」
アレッサはその様子を見てくすりと笑った。 「にぎやか、です」
仲見世通りを歩いていると、アレッサがふいに足を止めた。
視線の先――屋台の影に、小さな影法師のようなものが立っていた。
丸い豆粒のような目でこちらを観察している。
「あれ、見えてるです?」
綾戸が歩みを止める。「見えてるのか。あれは“付喪神の幼体”みたいなもんだな。悪さはしねぇよ」
アレッサはミラを抱き寄せ、そっと覗き込む。
「むこうで見るフェアリーと、全然違います、です。向こうは、もっと光ってて、いたずらっ子みたいで」
「日本のは結構クセ強いぞ。悪意あるのも少なくないしな」
綾戸がぼそっと言う。
鈴が補足する。「根源や生まれ方が違うからですかね。道具の念、土地の想い、時には人の怨嗟、そういったものが形になりやすいんです」
アレッサは真剣な瞳で頷いた。 「世界が違う、です。ミラと同じ“見える”のに、感じ方が違うです」
ミラがアレッサの耳元で細かな声を響かせる。アレッサはくすりと笑った。
「ミラは“あの子、ちょっと怒ってる”って言うです」
影法師がぷるぷる震える。
「ほれ」
綾戸が飴玉を出すと、影法師はぽふっと音を立てて消えた。
アレッサは目を丸くした。「消えた?」
「ただの照れ隠しだったみたいですね」 鈴が笑っていた。
昼食を取るために喫茶店へ入ったとき。
アレッサはストローをいじりながら、ぽつりと漏らした。
「変です。今日、あなたたちと歩いて、ぜんぜん、変な感じしないです」
綾戸が眉を上げる。「ん?変な感じがしないのが変なのか?」
「はい。はじめて合うのに、初めてじゃない。うーん。難しいです」
鈴が小さく首をかしげる。「怪異が見える者同士の親近感とかですかね?」
ミラがアレッサの膝に座り、慰めるように頬を寄せた。
アレッサはその羽の感触を胸に、ゆっくり笑う。
「日本、すごく素敵です。明日も歩きたい、です」
綾戸は照れ隠しのようにメニューをめくった。「まあ、明日も案内はさせてもらうよ。鈴がな」
「はい、任せてください」鈴が穏やかに応じる。
アレッサは嬉しそうに笑い、窓の外の街を見つめた。
その視線は、はっきりと輝いていた。
——まだ気づかない。
その“馴染む感覚”の理由が、もうすぐ彼女の目の前に現れることを。
そして、彼女が探している“答え”に近づきつつあることを。
夜。観光の疲れと心地よさを胸に、アレッサはホテルのベッドへ倒れ込んだ。
ミラは枕元に座り、静かに髪を撫でるように羽を揺らしている。
「今日は楽しかった、です」
小さく呟きながら、アレッサの瞼はゆっくりと落ちていく。
やがて――夢の中へ沈んだ。
景色は白い霧に包まれていた。
輪郭のない世界。音も匂いも曖昧で、ただ“懐かしさ”だけが静かに満ちている。
霧の向こうから、誰かの足音が近づいた。
重く、しかし優しい足取り。
アレッサは息を呑む。
――お父、さん?
霧がほどける。
姿が現れた。
背丈の高い男性。
優しげな横顔。外国人の血を引く彫りの深い輪郭。
アレッサが持つ写真にそっくりだが、もっと柔らかく、温かい気配をまとっていた。
胸が熱くなった。
アレッサは走り出す――
「お父さ――」
その瞬間。
男性は振り返らず、空へ手を伸ばした。掌の上には、緑色の宝石が浮かんでいる。
宝石は脈打つように光り、淡い緑の波紋が霧へ広がっていく。
アレッサは立ち止まり、手を伸ばす。
けれど距離は縮まらない。
男性の声だけが、霧の奥から響いた。
――名を。
――相応しい名を。
宝石が熱を帯び、光が強くなる。
霧が渦を巻き、アレッサの体が引き寄せられるように揺らぎ始めた。
「ま、待って……! お父さん、どこに――」
霧が完全に閉じる直前、男性の手がわずかに動き、優しい仕草で宝石を包み込んだ。
そして、一片の言葉が残る。
――迎えに行く。
「……っ!」
アレッサは息を飲んで目を覚ました。
胸が早鐘のように鳴っている。
ミラが心配そうに頬へ触れた。
「ミラ、夢、見たです」
震える手で、枕元のポーチを開ける。
緑の宝石が、かすかに灯るように温かい光を放っていた。
「これ、ほんとに、動いてるです」
ミラは宝石にそっと触れ、羽を震わせた。
アレッサはゆっくりと宝石を胸に引き寄せる。
「明日、分かるですかね。わたしの“名前をつける相手”」
夜の街は静かで、遠くから車の音だけが響いていた。
緑の宝石は、心臓の鼓動に応えるように、優しく、しかし確かに熱を持っていた。




