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妖奇譚~社畜やめて怪異と過ごす日々~ ※年内毎日更新  作者: Tomato.nit
海を越えた想い

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邂逅の夜


事務所には雨上がりの湿り気がまだ残っていた。木の香りと紙の匂いがやわらかく混ざり合い、午後の光が静かに差し込んでいる。鈴は本棚の整理をし、奏灯はソファの上でパペット着ぐるみの耳を揺らしながら落書きをしていた。


その穏やかな空気を震わせるように、机の上のスマホが震えた。


鈴が受話器を取る。「はい、鈴です……綾戸様?」


『今、零課。アレッサさんと接触してきた。事情は聞けたが……明日、案内を頼まれた』


鈴は小さく息をのむ。「……そうでしたか。状況が大きく動きましたね」


『だが、しばらく距離は保つ。呪物と彼女をすぐ会わせるのは何が起こるか分からんしな』


湯飲みを置いていた朔夜が、静かにまなざしを落とす。


「妥当な判断だな。あの呪物はまだ不安定だ」


綾戸の声が続く。


『明日の案内なんだが、鈴もこっちに合流してくれ。流石に俺だけじゃ若い女の子と二人はきつい』


「もちろんです綾戸様。任せてください」


『助かる。こっちは零課と話を詰める。合流は明日の朝現地で』


通話が途切れると、事務所はふたたび静けさを取り戻した。


その静寂の中で、奏灯の耳がぴくりと動いた。着ぐるみの耳がしゅんと下がり、棚の方へじっと視線を向ける。


「あれ、さっきより、はっきりしてる」


鈴はすぐに表情を引き締める。「奏灯ちゃん、どんな感じです?」


奏灯は胸の前で手を組み、言葉を慎重に選ぶようにして言った。


「こわい、じゃない。でも……“だれかに会う”って、そんな感じ。前より強いよ」


鈴は呪物を収めた木箱に歩み寄り、そっと手を添える。


ざらり――。


空気がわずかに震え、肌をかすめるような感触が走った。


「確かに。瘴気というより、“濁りの向こう側から手が伸びている”ような、未練が形を成し始めている……」


朔夜が箱を見つめ、ゆっくり息を吐く。


「意図は読み取れんが、害意を持つかは望み次第といったところかのう」


奏灯は首を小さく横に振った。「うん。さがしてる、だけ」


鈴と朔夜は、互いの目線が交わるのを感じた。


(——アレッサさんの来日。その未来が確定したことで、呪物の“行き先”が見え始めている。  奏灯ちゃんの能力は、未来の断片をより鮮明に拾い始めている……)


鈴は深く息を吸い、机へ戻った。


「では、明日のアレッサさんの案内には、私が同行します。綾人様の甲斐性ではエスコートも心配ですしね」


朔夜が鼻で笑いながら同意する。


「至極だな。我はここに残り、奏灯と呪物の監視を行おう。何かあればもう一度切る」


奏灯がそっと袖を引く。「朔夜さま、こわいの?」


朔夜は微かに眼差しを和らげた。「恐れたはおらん。ただ、目を離すべき時ではない」


奏灯はその言葉に安心したように小さく頷いた。


朔夜は箱へ歩み寄り、結界を重ねて補強する。指先が触れるたび、薄い光の膜が揺らめき、内部の気配をそっと押さえ込んだ。


「その娘が来たことは吉報か凶報か、いずれにしろ明日には分かろう」


鈴はスマホを置き、静かに答えた。「この土人形が何を望むのかを見届けないとですね」


事務所に、ゆっくりと夜の静けさが降りていく。


棚の奥の箱は、かすかに震え、息を潜めるように沈黙していた。 まるで——“待つべき誰か”が近くにいることを悟ったように。


同時刻ーホテルの一室


雨雲が引き、都心に夜の湿気が落ち着きはじめた頃。

綾戸に送られ、アレッサは宿泊先のホテルの部屋。


柔らかな照明が落ちる部屋。シンプルな木製テーブルの上にバックパックを置くと、

その口から、ぱたぱたと光の粒を散らしながらミラが飛び出した。


「ミラ、お疲れ様」


アレッサが小さく笑いながら両手を差し出すと、ミラは指先にちょこんと腰を下ろし、

羽を揺らして頬ずりしてきた。


「道中、よく頑張ったです」


ミラはくすぐったそうに鳴き声を洩らす。


アレッサは靴を脱ぎ、ソファへどさりと倒れ込むように座った。

旅の疲れは濃く、それでも胸の奥はどこかそわそわしていた。


「あの男の人、綾戸さん。すごく優しかったです」


ミラがこくこく頷くように首を縦に振る。


「猫を探してる途中だった、って言ってたです。困ってるわたしを助けてくれて……」


アレッサの頬が少し赤らむように見えた。


「それに、こんちゃん?あの子、かわいい……です。

 日本に、あんな小さな神さまみたいなの、たくさんいるんです?」


ミラが指先で コテン と寝転ぶ動きをしてみせる。


「ああ、そう。ミラも、あんな感じに可愛いです」


そう言いながら笑うアレッサ。


しばし二人でじゃれ合っていたが、ふとアレッサは窓の外へ視線を落とした。

街の灯りが滲み、ガラスに反射する。


「変なのです。今日、初めて日本に来たはずなのに」


ミラが首をかしげた。


「綾戸さんも、こんちゃんも……“前から知ってたような”感じがしたです」


言いながら、自分でそれが奇妙だと気付いたらしく、アレッサは小さく笑った。


「ね、ミラ。わたし、少しおかしいですか?」


ミラは首を横に振って、アレッサの髪をそっと撫でた。


――そのとき。


バックパックの奥にしまっていた小さな黒い布袋が、かすかに音を立てた。


アレッサの視線が吸い寄せられるようにそこへ向かう。


「……気のせい、じゃないです。

 今日ずっと気になっていた、です」


布袋を開くと、中には掌に乗るほどの緑色の宝石がひとつ。


人工のエメラルド。


鑑定士には「価値はほぼありません」と断言されたもの。


けれど――アレッサにとっては唯一の“父からの贈り物”。


「……最後の、誕生日」


ミラがそっと肩に止まる。


アレッサは宝石を掌に乗せ、母から渡された茶封筒の文字を思い出す。


『いつかこれを使う時が来る』


添えられていた紙には、父の筆跡で短く続いていた。


——相応しい名前を考えておけ。


「名前?」


宝石を握る指先に、微かな熱が伝わった。

じんわりと温かく、まるで脈のように感じられる熱。


アレッサは驚いて目を瞬く。


「……ミラ。これ、熱いです。生き物みたい……」


ミラがそっと近づき、宝石に触れるように手を伸ばす。

その羽がふるりと震えた。


アレッサの胸に、わずかな期待と、不思議な懐かしさが灯る。


「……父が残した“なにか”が、動いてる、です……?」


その問いは夜の静けさに吸い込まれ、明かりに照らされた宝石だけが淡く光を返していた。


明日の観光――その先に何が待つのか。

アレッサにはまだ想像もつかない。

ただ、胸の奥に灯った予感だけが、静かに熱を帯びていた。


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