アレッサ
薄い朝光がカーテン越しに差し込み、古い木製の棚に置かれた雑貨の影を柔らかく照らしていた。海外の古都らしく、部屋の壁は石造り。窓を開けると乾いた風と、遠くで鐘を鳴らす教会の音がかすかに響く。
アレッサはベッドから半分落ちかけた姿勢で、うつ伏せになったまま腕を伸ばした。
「……ミラ、そこ……くすぐる、です……」
彼女の枕元では、手のひらほどの光の粒がふわふわ漂い、羽ばたきとともに可愛らしい笑い声をあげていた。白銀の翼を持つ小さな妖精が、アレッサの髪先についた寝癖をつんつんして遊んでいる。
アレッサは目をこすりながら笑う。「朝から元気……です」
ミラは嬉しそうに頬へすり寄り、光の粉を散らした。
アレッサは、物心ついた頃から“こういう存在”が見えていた。人型、粒子の塊、影の長いもの――種類は様々だが、どれも普通の人間には見えないものらしい。
母には言えなかった。理解されないと分かっていたし、母が心配する顔を見るのが嫌だった。
ただ、ひとつだけ確信していることがある。
それは決して“害”ではない。
彼らはただ、見える者に寄り添うだけの存在だ。
アレッサはミラをそっとすくい上げた。「今日は、少し、胸が重い、です」
ミラは彼女の胸元でくるりと回り、淡く輝く。
「行くです、か?」
囁くような妖精の声が、まるでその答えを肯定しているように聞こえた。
数時間後。アレッサは母の残した箱を開けて、古い封筒を取り出した。そこにあったのは、父が日本へ残してきたとされる“最後の荷物”を示す情報と、荷物が置かれている日本の住所。
「……日本。母さんの生まれた国、初めて行くです」
何かに呼ばれるように胸がざわつく。理由は分からない。ただ、“行かないといけない”感覚が濃くなっていく。
ミラが箱の縁にとまってアレッサを見上げた。光が震え、“今だよ”と言っているようだった。
アレッサはひとつ、大きく息を吸い込んだ。「日本語。大丈夫です、たぶん。ゲームで覚えたから……ちょっと変でも、がんばる、です」
ミラは彼女の肩に乗り、応援するように両手を挙げた。
「行くです。父さんの荷物、確かめたい、です」
空港へ向かうタクシーの中で、アレッサは窓の外をじっと眺めていた。街並み、古い石畳、遠くの山並み……全てが今日で見納めになるかもしれない。
助手席に座るミラが、車内の風に揺られながらアレッサの髪にくるりと巻きつく。
「大丈夫……です。向こうにも、きっと、優しい人、いるです」
喋るわけではない。けれど、妖精の存在がそう告げていた。
アレッサは指を胸元に添えながら微笑んだ。
「うん。行くです、父さんの居た国へ」
胸のざわめきは恐怖ではなく、“期待”に近い何かへ変わりつつあった。
やがて飛行機が見えてくる。大きな影が地面を覆い、その先に待つ未来の輪郭がぼんやりと揺れていた。
アレッサにはまだ、その行き先で自分が大きな渦へ巻き込まれることなど知る由もない。
けれど。
ミラは――何かを感じたかのように、小さな羽音は、微かに震えていた。
「大丈夫です。決心はできたです」
アレッサは静かに呟き、空港ターミナルへ歩き出した。




