泣き虫の妖精
夜更け。探偵事務所の扉が静かに開いた。鈴が片付けの手を止めて顔を上げると、朔夜が無表情のまま入ってくる。その手には、淡い金の光を帯びた小さな塊がぶら下がっていた。
鈴はゆっくり近寄り、目を瞬かせる。 「朔夜様、それ、何を?」
綾戸も工具を置き、腰をひねってそちらを見る。
「おい、また妙なもん拾ってきたのか?」
朔夜は簡潔に答えた。
「勝手に付いてきた。喧しかったので捕らえた」
手の中の光がぷるぷる震え、抗議する声が上がる。
「はなせーっ! 返せーっ! わたしの袋返せったら!」
指の隙間から、小さな姿が覗いた。親指ほどの少女──フェアリーだった。薄い金色の羽がかすかに震え、淡い緑髪が光を跳ね返す。
鈴が困惑したように声を漏らす。
「妖精……ですか? どうして事務所に?」
綾戸が半眼で呟く。
「いや、どう見てもティン──」
鈴は慌てて綾戸の口を塞いだ。
「それ以上はいけません!」
朔夜は椅子に座りながら淡々と言う。
「帰り道、頭の横で喚き続けてきた。“袋を返せ”と」
フェアリーは朔夜の指をこじ開けようと必死だ。
「返して! わたしの“歯の袋”なの! 人間の子どもの歯と交換するんだよ! でも落としたの!!」
綾戸が呆れたように眉を寄せる。
「落としたお前が悪いだろ」
「悪くない! 夜の風が悪いの!」
鈴はフェアリーの頭をそっと撫でた。 「袋がないと困るのですね?」
フェアリーは涙ぐみながら小さく頷く。 「子どもががんばって抜いた歯なのに、ぐずっ、贈り物渡せない。ずびっ」
朔夜は状況をまとめるように口を開く。フェアリーにティッシュを投げつけながら。
「つまり落とし物探しの依頼だ」
フェアリーは勢いよく手を挙げた。
「報酬は光る砂! めっちゃすごいよ!」
綾戸はため息をつき、鈴は苦笑しながら頷いた。
こうして廣守探偵事務所初の“海外妖精からの依頼”が始まった。
◆ 調査パート:歯の袋の行方
事務所の天井近くをフェアリーが飛び回りながら、断片的に落とし物の記憶を語る。
「天井高くて! 青い布の窓! パンの匂いがして!」
鈴が考え込む。 「ホテル、でしょうか?」
綾戸が指を鳴らす。 「朝食ブッフェの匂い。あっちの繁華街で間違いないか」
朔夜もうなずく。「向かおう」
フェアリーは朔夜の肩に軽々と着地して嬉しそうに揺れた。
「さくや高いから案内しやすい!」
朔夜は小さく息を吐く。
「降りろ」
言葉に反し、手で払う様子もなく、フェアリーはそのまま肩に落ち着いた。
鈴と綾戸が目を合わせながら微笑むと、三人と一匹は夜の街へ歩き出した。
ネオンが揺らめくホテル街。通りの明滅がフェアリーの金色の光と混ざり合い、夜気を淡く照らしていた。
鈴がふと指を向ける。 「あそこ、一反木綿がいます」
「妖怪ってほんとどこにでもいるよな」
鳩でも眺めるかのような綾戸の呟きに、朔夜が呆れて返す。
「お主は、自分の言動に疑問を持った方がよいぞ」
フェンスの影で、白い布のような怪異がふよふよ揺れていた。一反木綿は三人に気づくと、ひらりと近づいてくる。
「おや、お前らか。夜に珍しいの」
綾戸が軽く会釈する。 「小さな袋、知らないか? 白く光るやつだ」
一反木綿は体をふわりと揺らし、路地の奥を指す。
「風に流されてのう、“風溜まり”に引っかかったはずじゃ」
鈴が丁寧に礼を言うと、一反木綿は満足げに夜風に紛れていった。
「助かる」
既に虚を映す空に、朔夜の声が優しく響く。
「さくや、さっきの“助かった”って言い方、すごく渋かった!」
朔夜は困惑した声で答える。
「……褒められても困る」
フェアリーは髪を引っ張りながら無邪気に笑った。
「いい匂いするし、安心するんだよね!」
綾戸は吹き出しそうになりながら肩を揺らした。
「妖精限定のモテ期か、お前」
鈴もおかしそうに微笑む。
「朔夜様は落ち着いて見えるのでしょうね」
フェアリーは足をぶらぶらさせながら、肩の上で揺れ続けた。されるがままの朔夜だが、その表情はどこか満足気でもある。
風溜まりの路地裏は、不自然なほど静かだった。紙くずが風に持ち上げられては落ち、ゆっくり渦を巻いている。
フェアリーが奥を指した。
「たぶんあそこ!」
物置の扉がわずかに開き、赤いスカートが揺れる。姿を見せたのは、巻き髪の女子高生姿の──トイレの花子さんだった。
彼女は手を振って軽やかに笑う。
「おー、綾戸くんじゃん。ひさしぶり〜」
綾戸は額に手を当てた。
「なんで花子さんがこんなところに……」
花子さんはスカートをひらりとさせる。
「だってここ、欲望とかストレスとか吐き出される場所じゃん? トイレと似たようなもんだよ〜」
綾戸は思わず噴き出す。
「現代社会の闇だな」
「でも、花子さんは出る場所によって服装変えるんでしょう?ここで女子高生はどうなんですか?」
鈴の純粋な疑問。しかしそれにニヤリと反応する花子さんの口元。
「だ、か、ら、だよ。ね?綾戸くんっ?」
「ノーコメントだ」
これ以上は何を答えても墓穴。そう判断した綾戸は黙秘を貫く。
「お主ら、目的を忘れた訳ではあるまい?」
朔夜の指差す先。
花子さんの手には、問題の“歯の袋”がぶら下がっていた。わざとらしく揺らしながら首をかしげる。
「これキラキラして可愛いんだよね〜。あたしの宝物にしちゃおっかな〜?」
綾戸が落ち着いた声で言う。
「それ、この子のだ。返してやってくれ」
フェアリーの瞳が潤み、声が震えた。
「返して……返してよ……子どもがプレゼント待ってるの……」
涙がこぼれ落ちると、花子さんは慌てて手をぶんぶん振った。
「ちょ、泣かないで! 涙は無理! 心に来るやつだから!」
綾戸がポケットを探り、飴玉をひとつ取り出す。そのまま軽く放ると、飴玉は空気を切って花子さんの方へ飛んだ。
「交換だ。これで譲ってやってくれ」
綺麗な放物線を描いた飴玉を、花子さんは器用につまみ取った。くるりと指先で回しながら、満足げに微笑む。
「ん〜、ギャル的にはアリ。飴で手を打ってあげる〜」
花子さんは“歯の袋”をひょいとフェアリーへ渡した。フェアリーは胸に抱きしめ、ほっとしたように光を揺らす。
「ありがとう……! 本当にありがとう……!」
泣き笑いする小さな顔を見て、鈴も胸を撫で下ろした。綾戸は肩の力を抜き、朔夜は静かにうなずく。
花子さんは飴玉を口の中に放り込み、甘さに満足したように頬を緩ませた。
「んじゃ、あたし帰る〜。またなんかあったら呼んでよー?」
軽く手を振り、花子さんは物置の陰へと姿を消した。
フェアリーは袋を抱いたまま、三人に深々と頭を下げた。
「ほんとに助かった! これでお仕事できるよ!」
綾戸は手を振り返しながら呟く。
「平和な依頼でよかったな。まあ……海外怪異の初仕事ならこんなもんか」
鈴も微笑む。
「でも、かわいらしい依頼でしたね」
朔夜の肩にまたふわりとフェアリーが着地する。
「さくや、ほんとにありがとう!」
朔夜は軽く眉を上げた。
「……礼は要らぬ」
小さな光が夜風に揺れ、三人と一匹はゆっくりと事務所へ戻り始めた。
なお、この程度の失せ物探しなら、こんに油揚げを数枚貢げば即座に解決したのだが──フェアリーの涙と騒がしさに押され、誰も思い出さなかったのである。




