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妖奇譚~社畜やめて怪異と過ごす日々~ ※年内毎日更新  作者: Tomato.nit
海を越えた想い

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呪物の箱

古いペンチの騒動から数時間。事務所はようやく落ち着きを取り戻し、夕暮れが静かに差し込んでいた。


奏灯とこんは棚の上で寄り添うように眠っている。わずかな寝息が重なり、事務所の空気に小さな温度を添えていた。


綾戸と鈴は、その寝顔を確認すると、ひそかに微笑み合いながら作業机へ戻った。


「ようやく静かになったな……」綾戸が腕を伸ばす。


鈴はほっと息をつき、湯気立つ茶をそっと置いた。「二人とも可愛いですけれど、動き回ると賑やかすぎますからね」


穏やかな時間が流れる中、綾戸はふと手を止めた。


「……そういや朔夜。零課に呼ばれてたって言ってたよな。あれ、どうなったんだ?」


鈴も身を乗り出す。「紅ちゃん、かなり困っていましたよね。よほどの怪異だったのでは?」


朔夜は湯飲みを置き、静かに二人へ向き直った。目元には、話すべきことを選び取るような影が落ちている。


「……話しておいたほうがいいかもしれん。少し長くなるが、構わぬか?」


綾戸と鈴は同時に頷く。


朔夜はひと呼吸置き、淡々と語り始めた。


「最初に現場へ行ったのは紅殿と竜胆だった」


その名を聞いた瞬間、鈴の背筋が自然と伸びる。綾戸もわずかに目を上げた。


「だが……話にならなかったそうだ。意思がなかったからな」


鈴が小さく息を呑む。「……意思が?」


「うむ。殻だけの怪異だった。感情の影も目的もない。ただ形だけが暴れている、空洞の存在だ」


綾戸は肩を組み直す。「中身が抜けた状態……か」


「竜胆も紅殿も対話の余地はないと判断した。だから、我へ指名依頼が回ってきた」


「現場は古い社の跡地。瘴気こそ強かったが、怪異そのものは斬るに足りぬ。脅威はそこにはない」


鈴が少し安堵の息を吐いたそのとき、朔夜は続けた。


「……問題は、斬り払った“あと”だ」


綾戸が包みを見遣る。「残ったのは、あれか」


朔夜は静かに頷いた。「怪異の核は、この呪物のようでな」


包みに触れないまでも、空気が微かにざらりと揺れる。綾戸は目を細めた。


「中身が曖昧だったのは……こいつのせいってわけか」


「意思の形が曖昧だったゆえ、中身として成立しなかったのだろう」朔夜は淡々と言った。


朔夜は胸元から数枚の資料を取り出し、机へ広げた。


「竜胆がまとめた調査資料だ」


鈴と綾戸が並んで読み進める。


・呪物の持ち主は既に故人

・死後も“何かを探している”強い未練を保持

・家族関係に所在不明の人物が一名

・呪物は変質中で、核心は未解析

・外部からの“呼応”が怪異化の素地となった可能性


鈴が眉を寄せた。「……願いとも違います。怒りとも恨みとも……そのどちらにも見えない」


「うむ。紅では拾えぬ種類の未練。形にならないまま濁っておる」朔夜は静かに答えた。


綾戸は資料を置き、腕を組む。


「未完、ってことだな。誰を探してんだかもわからんしな」


「竜胆もそこを気にしておったな」


包みから漏れる瘴気は、焦点を結ばず揺れている。それは怨念の色を持たず、ただどこかへ向かおうとする力だけが漂っていた。


鈴が慎重な声音で言う。「怨みではありません。……呼んでいるような気配です。誰かを」


綾戸は眉をひそめた。「めんどくせぇやつだな、ほんと……放っといたら勝手に怪異になるのか?」


「外殻が形成されるほどには強い。まあ、封印がある以上、しばらくは大丈夫であろう」


鈴が尋ねる。「朔夜様、これは……このままで?」


「当面は我が預かる。瘴気が落ち着けば、鈴と紅殿で“再生”へ導ける可能性もある。しかし、今は触れるべきではなかろう」


綾戸は苦笑した。「まあ、命があるわけじゃねぇし、暴れなきゃ害はないか」


「うむ。しかし、奏灯の言を借りればいずれ続きも現れよう」


鈴は静かに頷く。「“探している先”が分かれば、道が見えるのでしょうね」


綾戸は棚の奥を見遣り、封じられた包みを睨むように見つめた。


「今は静かに寝ておいてくれよ」


事務所には再び静謐が落ち、夕陽が緩やかに差し込む。その光が呪物の所在を静かに照らし、まだ語られぬ物語の影を浮かび上がらせていた。


数週間後


呪物の封印が安定し、いくらか日常が戻った頃。朔夜の端末に一通の通知が届いた。


【竜胆】少し話をしたい。例の“所在不明者”の件だ。いつもの場所で。三人で来てくれ。


“いつもの場所”。零課と事務所が、ごく限られた案件のときだけ使う、古いビル地下の個室付きのバーだ。外観は廃れた空き店舗に見えるが、内側には重厚な扉と静謐な空間が広がっている。


その夜。朔夜、綾戸、鈴の三人は重い扉を開き、薄暗い店内へ足を踏み入れた。


個室に入ると、竜胆が既に座って資料を広げていた。


「よく来たな」


綾戸が苦笑しながら席につく。「ここまで静かな空間は久しぶりだな」


鈴も微笑む。「奏灯ちゃんやこんちゃんがいますから、こちらも賑やかですしね」


竜胆はわずかに目を細め、「零課も似たようなものだ。最近は紅に混じって花子さんもいる」と呟いた。


「こうしてお前たちと話していると、美香のことを思sい出すな」


綾戸が頷く。「美香さん、今は海外任務だったか」


「詳しくは話せんが……長期になるらしい。あいつのことだ、元気でやっていることは確かだが」


鈴が穏やかな眼差しで言う。「きっと、美香さんも竜胆さんを思っているはずです」


竜胆はわずかに表情を緩め、資料へ視線を落とした。


「本題に入るぞ」


竜胆は資料の束から一枚を抜き、三人の中央へ静かに置いた。写真が一枚だけ添えられている。輪郭の柔らかい少女の横顔。日本人離れした淡い色彩に、どこか儚げな影が落ちていた。


「――柏木アレッサ。呪物の所有者の、血縁上唯一の娘だ」


鈴が息を呑む。「娘さん……」


綾戸は写真を覗き込みながら、眉を寄せる。「外国籍か?」


「母親が欧州系だ。離婚後に生まれ、父親とは一度も会っていない。交流と呼べるのは、断片的なメールのやり取りのみ」


朔夜が低く続ける。「写真すら、数枚見ただけだそうだな」


竜胆は頷き、短くまとめる。「血はつながっていた。だが、関係は最初から欠けていた」


鈴は胸元を押さえて呟いた。「では、呪物は娘さんを探して……?」


竜胆は一拍置き、首を横に振る。

「断言はできない。だが“探す理由”の輪郭はようやく見え始めた。未完の家族関係。未提出の想い。そうしたものが怪異化の素地を作ることもある」


綾戸は深く息を吐いた。「つまり、戻るべき場所を失って、彷徨ってるわけか」


竜胆は静かに目を細めた。「帰る先のない器ほど危ういものはない。その歪みが、殻だけの怪異として噴き出したのだろう」


朔夜が資料に目を落としながら言う。「しかし、この娘自身はどうしておる?」


竜胆は資料の最後を指で叩いた。「国外在住だ。だが、母親の遺品整理のため“父の痕跡”を辿りたがっていると聞いた。日本に来る可能性は高い」


鈴は驚いて顔を上げる。「こちらに?」


「来るとしても、父を知るためだ。呪物のことを把握しているわけではない。ただ……」


竜胆はグラスの水を少し揺らし、言葉を続けた。


「彼女の存在は、呪物が何を求め、何を終えたがっているのか、その“鍵”になるかもしれない」


個室の照明が静かに揺れる。言葉にならない重さがテーブルの上に積もっていく。四人の視線が、ひとつの“未完”へそろって向けられた。


綾戸が口を開く。「今後はどう動く?」


竜胆は静かに息を吸い、三人を順に見た。


「アレッサが来日する気配があれば、零課が先に動く。その時は情報を共有する。朔夜、呪物の封印は継続してくれ」


「任された」朔夜は短く答えた。


鈴が緊張を孕んだ声で尋ねる。「アレッサさんは、危険なのでしょうか?」


竜胆は首を振った。「今は危険ではない。ただ……まだ“物語の外”にいるだけだ」


「物語の外」鈴が繰り返す。朔夜も静かに目を伏せた。


綾戸は腕を組み、短く息を吐く。「こっちも無理に関わる必要はない。ただ、何が来ても良いように腹は括っておく」


竜胆は軽く頷き、資料を閉じた。「そういうことだ」


個室の空気がゆっくりと緩む。店主が気を利かせ、静かな足音と共におしぼりを置いて去っていった。


鈴が小さく微笑む。「……それにしても、この四人でこうして集まるの、懐かしいですね」


綾戸が笑う。「まあ、うるせぇ小物たちが増えたせいで余計そう感じるだけだろ。あいつら置いてきて正解だった」


朔夜がわずかにくすりと笑う。「いつもなら、こんが店内を走り回っておるだろうからな」


竜胆は肩をすくめた。「紅は無駄に店主と仲良くなるしな」


四人の間に穏やかな笑いが広がる。だがその下で、それぞれが理解していた。


――“未完の物語”がゆっくりと動き出していることを。


やがて沈黙が落ち着いた頃、竜胆が軽くグラスを傾けた。


「……続きが分かれば連絡する。今は静観だ」


そうして四人は情報を胸に刻み、それぞれの帰路へ向かう準備を始めた。


個室を出ると、地下へ降りてきたときよりも少しひんやりした空気が頬を打つ。それは、遠い異国で生まれた“欠けた縁”の気配が、静かに風へ混ざったような感触だった。




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