こんと奏灯の留守番大作戦 朔夜を添えて
綾戸と鈴が零課へ呼び出され、事務所に残されたのは――こんと奏灯、そして朔夜だった。
出発直前、綾戸は困ったように朔夜へ頼み込んだ。
「悪いが、こいつら、ちょっと見ておいてくれ」
朔夜は湯呑を置き、静かな視線で二人の小さな存在を見つめた。その目には、僅かな苦味と“覚悟”のような影が宿る。
「我に子守をさせるつもりか。専門外だ」
「でもよ、放っとくと絶対なんか起きるだろ。な?」
鈴も申し訳なさそうに手を合わせる。
「朔夜様、見守っていただくだけで十分ですから」
その言葉に、朔夜のまつげが淡く揺れた。
彼女は息をひそめ、視線をそらしながら短く返す。
「最悪の事態にならぬ程度には、目を向けておこう」
「頼りにしてる」
綾戸と鈴が出て行くと、事務所は静寂に包まれ――
次の瞬間には、こんの張り切った声が跳ね上がった。
「よし! 奏灯、今日はわらわが“立派な留守番”とは何か、みっちり教えてやるのじゃ!」
胸を張ったこんの尻尾が誇らしげに揺れ、事務所にわずかな賑やかさが戻る。
奏灯は机の上に座り、小さな足をぶらぶらと揺らしながら見上げた。
「こん、すごいの?」
「当然じゃ! わらわはお主の姉なのじゃ!」
奏灯の瞳がぱっと輝く。
「こん、かっこいい」
真正面からの無垢な賞賛に、こんは一気に舞い上がった。
「うむ! もっと褒めてもよいぞ!」
コタツの端で湯呑を持つ朔夜は、静かに二人を眺めていた。深紅の瞳は細められ、口元にはかすかな笑みが浮かぶ。
「……どうせ静かにはならぬ。好きに動くがいい。ただし、我を巻き込むな」
こんは勢いよく頷き、奏灯も同じ動きで続く。その揃い具合が妙に愛らしかった。
などと朔夜が息つく暇もなく、こんは動き出す。
「まずは掃除じゃ! 綾戸はすぐ散らかすからな!」
こんは箒を構え、勢いよく振り回した。
その結果――紙の束が宙に舞い、奏灯が紙吹雪の渦に巻き込まれた。
「きゃっ……!」
朔夜は湯呑を置き、静かに立ち上がる。衣の裾がさらりと揺れた。
「ほれ」
小さな奏灯を抱き上げ、紙を払ってやりながら言う。
「無理をするな。紙は湿る前に拾え。滑って転ぶ」
奏灯は素直に頷き、朔夜の胸元に身を預ける。
「ありがとう、朔夜」
こんが慌てて飛んでくる。
「な、なんで奏灯には優しいのじゃ! わらわにも優しくするのじゃ!」
朔夜は表情を変えずに告げる。
「お前は動きが多い。予測不能な物体は危険だ」
「う、うぬぬ……!」
悔しげに尻尾を揺らすこんを見て、奏灯はくすりと笑った。
紙片の舞う空気が静けさを取り戻す中、二人の胸には“やり遂げたい”という小さな意地の火が灯っていた。
朔夜はその変化を、微かな呼吸の変化のように感じ取っていた。
しかし、まだこんは止まらない。
「次は茶碗洗いじゃ! 留守番といえば掃除と洗い物なのじゃ!」
奏灯は嬉しそうにシンクへ向かう。
しかし茶碗を持ち上げようとした瞬間――
「……あっ」
つるりと滑り落ちかけた茶碗を、こんの尻尾がすばやく受け止めた。
「危ないではないか! 奏灯は無理するでない!」
朔夜は腕を組んだまま、やや呆れたように言う。
「茶碗が大きすぎる。器の選定から誤っている」
「朔夜……?」
「我のことは気にせず続けろ」
奏灯は少し照れながらも微笑む。
「やってみたかったの……」
「気持ちはわかる! 次はわらわがやる!」
こんは胸を張り、蛇口を勢いよくひねった。
――バシャァッ!!
「なんで茶碗が飛ぶのじゃ!? おかしいのじゃ!!」
「こんが強いんじゃない?」
「ち、違う! 今のは茶碗が――」
(※全部こんのせい)
朔夜はタオルを静かに差し出す。
「奏灯、足が濡れたな。冷える」
「ありがとう」
こんはしょんぼりしながらも、どこか悔しさを押し殺すように顎を上げた。
奏灯は唇を結びながらも、前を向こうとする小さな強さを胸に宿す。
朔夜は二人を見守りながら、湯呑越しにその成長を静かに感じつつ、次の騒動を予見していた。
「見回りじゃ! 留守番といえば見回りなのじゃ!」
こんは勢いのまま走り出し、奏灯もとことこ追う。
その風圧で――
植物は倒れ、棚の置物は転げ、スニーカーは転がっていった。
「こんー。これ落ちてる」 「また落ちたよ」 「こん、いっぱい落としてるよ」
「な、なぜじゃ!? なぜ増えておるんじゃ!?」
(※全部こんのせい)
朔夜は静かに片付けながら、小さく呟いた。
「ほんに、騒がしいこらだ」
だがその表情は、不思議と柔らかかった。
事務所の空気が熱を失い、静けさが戻り始めた頃――
こんの耳が、しゅんと垂れた。
奏灯も小さく肩を落とし、息を整えている。
だが二人の顔には、どこか“やり切った”色が宿っていた。
朔夜は煙草を手にし、その静かな成長を受け止めるように目を細めた。
夕陽が傾き、事務所に柔らかな光が差し込む。
コタツへ力尽きたように倒れ込んだこんは、小さな声で呟いた。
「なんか今日、全然うまくいかんのじゃ」
奏灯は静かにこんへ近づき、その尻尾へそっと触れた。
「こん、いっぱいがんばってたよ」
こんはぴくりと肩を揺らす。
「が、がんばっても失敗ばかりじゃ」
奏灯はほんの少しだけ微笑んだ。
「でも、やさしかったよ。ぼくのこと、いっぱい見てくれた」
その一言に、こんの目が細かく震えた。
「っ……」
「こんがいなかったら、ぼくさみしかった」
こんは唇を噛みしめ、顔をそむけた。尻尾の先がわずかに震えている。
「そ、それは……まあ……わらわは姉じゃからな……当然じゃ……!」
声は震え、誇らしさと照れと嬉しさが入り混じった複雑な色を帯びていた。
朔夜は湯呑を置き、その横顔に静かに言葉を落とした。
「良いではないか。姉とは、そういうものだ」
その声音は淡々としていながら、どこか柔らかかった。
こんは拳をぎゅっと握りしめ、小さく胸を張り直す。
事務所に落ちる夕陽が、朔夜の吐き出す煙草の煙を照らし、二人の小さな背中をやわらかく包んでいた。
ガチャリと扉が開き、綾戸と鈴が戻ってきた。
「ただいま戻ったぞ……って、おい」
視線の先には――
紙片が散らばり、濡れた床が光を反射し、転がるスニーカーがひとつ。
そして、胸を張るこんと、控えめに手を振る奏灯の姿があった。
「おかえり」
綾戸は頭を抱え、深いため息をつく。
「……おまえら、なにしたんだ」
「ち、違うのじゃ! わらわは悪くない!」
「こん、がんばってたよ」
鈴はくすりと笑い、こんの頭をそっと撫でた。
「ありがとう。留守番、大変だったでしょう?」
「う、うむ。まあな!」
朔夜は湯呑を置き、涼しい顔で言った。
「戻ったか。家は燃えてはおらぬ」
「それ褒めてるのか?」と綾戸は肩をすくめたが、どこか安堵したように息を吐いた。
奏灯は綾戸に抱き上げられ、嬉しそうに尻尾を揺らすこんを見て微笑んだ。
夕陽の中で再び賑やかさを取り戻した事務所は、どこか温かい気配に包まれていた。




