出会いと別れ
ページを開いてくださった皆様ありがとうございます。前回までの話では彼女「早紀」に出会うまでの話になっています。今回からはそんな彼女といろんな出来事が起こったり、彼女が居ない場での主人公の言動や心情などを楽しめるような内容に作ってありますので。よろしければ最後までご覧ください
「じりじり」
朝を迎える音が部屋中に広がる。
「ん、んぅ~ん。あいたた」
いつもならばこの音が少し耳に届いた後もう一度夢の世界に行くはずなのだが、椅子で寝ていたためか、腰の痛さが意識を一瞬で起こした。
何だったか、昨日寝る前に確か。何か整理事をしていた気がするんだが。
「なんか、忘れてることがある気が」
目覚まし時計を止めて一度昨晩のことを振り返る、昨日は帰ってから。
帰ってきてからの事を振り返ると、一番最初は母さんに泣き顔を見せてしまったことが浮かんだ。
手で顔を覆って溜息を一つ吐く。
「やめよう、振り返ったところでいいことはなさそうだし」
そう吐き捨てて目覚まし時計に目線を送る。デジタルの数字は五時四十分を示していた。
「ち、遅刻する」
今日もいつも通りの朝を迎えることとなった。
「いってきます」
靴の踵を踏むか踏まないかというところまで履き玄関のドアノブに手を掛ける。
「あら朝早くからどこ行くの」
トイレに起きたところか寝室から出てくる母さんが目をこすりながら言っていた。
「部活だよ」
母さんの見送りを聞かずにすぐに外に出て走り出す。
いつも俺が起きるころには目をぱっちり覚ましている母さんが今日は寝坊だったのかと少し疑問に思いながらいつものペースで坂を駆け上がる。
いつもの曲がり角を抜けた先。今日は校門は空いているようで誰も門の前にはいなかった。
「なんか静かだな」
門が早めにあくことはこの時間だとほぼ当たり前、ただいつもは聞こえてくる部員たちの話声が一切聞こえてこない。
「今日って朝練、、あっ」
今更かと自分でも突っ込みたくなるほどあほなことをしてしまったことに気が付く。確かに目覚ましで曜日は確認していないし、平日以外は母さんの起きる時間は遅めだし、この二つがあれば答えは一つ。
「今日土曜じゃん」
学校の前で立ち止まり唖然としているからか、土曜なのに制服でいるからなのか通行人は一度彼のほうに視線を送っていた。
恥ずかしい。ただその気持ちだけが俺の頭の中を回る。
今から帰るのもなしではないが。今日の部活は午前中。確か九時から始まるから、三時間ほど学校でのんびりするのも悪くはない。
「ここで引き返すのも恥ずかしいな」
よくよく考えるともうこの時点で最大限の恥ずかしさではあるが、帰り道誰かに見られるのなら、気休め程度にはまだましだと考えた。
まるで俺は朝練をしに来た、そんな風なすまし顔をして悠々と校内に入っていった。
たまたまではあるがほかの部活動があるのか校舎のドアも空いていたので、その中で仮眠でも取ることにした。
校舎に入ってまず下駄箱、それを抜けた先は左右に道が伸びている。左側に行けば二階三階に続く階段といつもの教室側で右側に行けば保健室や体育館に続く。
「たっしか、こっこに、いっすがあるぅ」
右の道に進みながらのんきに歌を歌う。そう俺は部活をしに来ただけ、何も恥じることではない。
保健室の前に椅子があるのはチェック済み。さぼるときとかに使えそうな場所はほぼ全部記憶済みだ。
「あれ、まてよ体育館には長椅子があった気が」
ひょっとすると体育館前の椅子のほうが寝心地いいのではないかと少し考える。
「部活やってないよね」
少し確認するために体育館に向かい進む。
トントンと弾むいい感じの音が聞こえてきた。
「ちっバスケ部がいるのか」
ボールの弾む音は子守歌にしては少しうるさすぎる。寝れなくもないがよい眠りにはつけない。よし保健室の前で寝よう。
ボールの音が気になるが横になって眠れる場所、もしくは静かではあるが座りながら寝ることになる場所、今朝の腰の痛さを考えれば少しうるさくても横になった方が良かったのかもしれないが、今の彼にはそこまで回る頭を持っていなかった。
保健室の前にある中庭をガラス越しに横目で見ながら椅子に腰かける、学校にはスマホの持ち込みは禁止のため、やることもなく眠りにつくのも時間の問題だった。
ぴろぴろと心地の良い鳴き声が聞こえる、我が校は少なくとも都会の学校よりものどかで自然に近い。朝には校門前の電線に鳩や烏と様々な鳥が止まり。教室、通路、体育館に囲われている中庭には芝生や池がある。こんな自然な環境であるからこそ都会では体験できない様々なものがある。近くの小学校では芋ほりや田植え、稲刈りを行っており、うちの中学校では近くの川に釣りに行くこともある。釣った魚は食べるわけではなく解剖実験として学びと自然を調和している。他校では行事として花火大会があるとかも聞いたことがある。
そして今彼が見ている夢はそんな自然に囲われた彼の妄想世界であった。
「この町っていいところでしょ」
川沿いに自転車を走らせる少年、その少年に身を任す少女は風に揺られながら川のせせらぎを楽しんでいた。
少年少女は町を自転車で走らせる、ただその行為を満喫していた。
少女の髪とワンピースが風に揺れ少年の顔に髪が触れる、さらりと触れる感触に気づかれない程度に喜んで話を続ける。
「早紀はこの景色どう?好き?」
ひらひらと揺れる白い帽子と彼女の横顔がちらりと目に映る。
「ちょ、危ないって」
彼女は自転車の後ろに横向きに座りながら川の方へ体を反る。
「こうすれば大丈夫だって」
彼女の左手が腰をぎゅっと回した。そうして彼女は押さえていた帽子を握り、川の方へぐっと腕を伸ばす。
「こんな町、一生出ていかない!本当に最高!」
揺れる自転車の舵を必死に取る、しかしはしゃいでいる彼女にはなにも言わない。ただものすごく嬉しかった。彼女が喜んでくれて、彼女にこの景色を共有出来て。
ちょうど正面に沈む夕日があたりをオレンジ色に染めていた。
「早紀、水面を見てみな」
少し右に重心が傾く。その直後彼女は「すごいすごいよ!」と言いながらまた自転車を揺らす。
川の水面に反射するオレンジ色の太陽の光は泳いでいる魚、鳥、亀、すべての生物を煌びやかに輝かせ忘れられない景色を俺たちの目に焼き付ける。ちょうど夏のこの時間、雲一つない空がこの世界を作り上げてくれる。今日じゃなくてもいつか見せてあげたいとずっと心の中で思っていた。
こんな素晴らしい時間が、いやこんな素晴らしい時間だからこそ気が付けばあたりは暗く虫たちが合唱を始める時間になっていた。
今日はお別れ、また明日合える学校でもどこでも。「また明日!ばいばい」その一言で早紀の家の前で俺たちは解散した。
そうしてその一言で俺も夢の世界から抜け出した。
「ピッ」
甲高い笛の音が真っ先に耳に入る、これはうちの部活の顧問が良く使うホイッスルの音。つまり
「部活が始まってる!」
すぐに椅子から立ち上がり下駄箱のほうへと走った。案の定というべきか走り始めた直後、朝感じた腰の痛さとは比にならない激痛が襲ってきた。走っていた足が止まり手で腰を押さえながら俺は前向きに倒れる。
「いってぇぇー」
声にならないほどかすれた声が出る。それほど痛かった。まさかこの年でこんな腰を痛めることがあるとは思ってもいなかった。
「か、母さんに言われた通りクローゼットで寝るのはよくないみたいだな」
今更ながらではあるがクローゼットで寝ていた俺はいつも腰へと負担を掛けていた。
部活も始まっているし行かなければならない。そんな気持ちに反し体はびくりとも動かない。
「だ、だれか、誰かいませんか」
精一杯顔を上げ助けを呼ぶ。どうやっても今の体は動かないし、せめて部活がなければこんなに焦ることはなかったのだが。
毎夜負担を掛けていた腰は先ほどの椅子から飛び起きた瞬間にトリガーを引いてしまったらしい。すなわちぎっくり腰とやらだ。なったことがある人でなければ分からないこの痛み、初めてであればなおさら痛みを強く感じるものであろう。
そんな時だった、奇跡と思うほど偶然に下駄箱に入ってくる三人の女子生徒たち、けらけらと笑いながら話す彼女たちは今から始まる部活の愚痴でも吐いていたのだろう。そんな彼女たちが女神に見えたのは今この状況だからこその事だろう。
「三女神様」
階段際から出てくる三女神は彼に気づかずに階段を上るところだった。気合で発したその言葉で後ろを振り向いた右端の女神には感謝してもしきれない。
力尽きたかのように顔を廊下にくっつける俺のもとに近づく三つの足音、これで助かるよかった。。
「あれぇー?こいつ空じゃね?」
聞き覚えのある声だ、いつも教室の隅でずっとうるさいと思っていた、その声には嫌な思い出がある。
「まじ?うけるんだけど、どうする?ほっとく?」
けらけらと笑う三人を一瞬でも女神に見えてしまった俺の目は節穴なのかもしれない。でも今はそれどころではない。
「か、奏様、美月様、麻沙美様。僕を助けてください」
プライドの欠片もない言葉を言ってしまった。まさかいじめっ子三人が来るとは。人が来たのはよかったもののこれは幸運というべきか不運というべきか。
心の中で叫びたい気持ちをぐっと抑える。今更訂正しても遅いし何ならこのまま置き去りにされかねない。
「ぷっ、様だって。聞いた奏?」
「聞いた聞いた。」
「あははは」
三人の笑い声が廊下の隅から隅まで占領する。まるでやまびこのように壁の端にあたって帰ってきた笑い声が数秒遅れで聞こえてきた。
「そっかー助けてほしいんだ。どーしよっかな」
「条件付きでならいいけど」
遊びをしているのかと思うほど楽しそうに三人は笑っている。
「じょ、条件とは」
「どーする?」
彼女らは輪を作るように顔を向かい合わせてひそひそと話し始めた。
くそ、こんなことになるなら母さんの言うこと聞いとけばよかった。
少し心の準備をする時間があるかないかくらいで彼女らは話を終えたようで、こちらを向きなおしていた。
「じょ、条件とは何ですか?」
疑問形で丁寧に聞く。
「あの女気に入らないのよね。助けてあげるからあいつを不登校になるまで追いつめてくんね?」
息が詰まる、想像していたよりもはるかに難しい条件。
「あ、あの女とは」
「は?わからないの?」
長い髪揺らした麻沙美が俺の前にしゃがみ込む。
「あいつだよ、廣田 早紀」
唾を一度飲み込む、その女が早紀だってことは察してはいた。だけど本当に早紀だとは認めたくなかった。先日の出来事で彼女たちも少しは反省してほしかった。彼女たちも早紀や沢山の人たちと仲良くできる、そんな人になってくれればと少しではあるが希望を持っていた。だけどそんな俺の希望も意味はなかった。彼女たちは一切反省の色を見せる気はない。変わろうとしない。心が痛む。
なんで俺こんな奴らの事考えてるんだろう。
「んで、答えは?」
数秒も考える時間をくれない。
「で、できない」
「何だって?」
「俺にはそんなことできない」
何度考え直そうと俺の決断は変わらない。どうやっても俺の腰のほうに天秤が傾くことはない。
できない、そういった俺の決断は間違えではないと思った。
「あっそ、それじゃあ誰か来るまでそこの床でもきれいになめてな」
答えを聞いた彼女たちはさっきまでの楽しそうな顔とは一変ごみを見るような顔をして俺をにらみつけていた。
「麻沙美そろそろ始まるし行こ」
はぁそんなため息が出るように麻沙美は腰を上げて背を向けた。自分に関係のない人はみんなおもちゃ同然そんな風にしか思っていないのだとそこで、はじめてわかった。