悪役令嬢の従者は世界屈指の実力者につき〜転生貴族である俺は、どうにかしてBADエンドから逃れたい〜
そこは、屋敷の中であった。
豪奢な装飾品、家具がずらりと設えられていた正に貴族らしい顕示欲の塊のような屋敷。
爵位こそ子爵ではあるが、建国当初より王国に仕える忠臣と名高い御家の一つ。
ヨルド子爵家の本邸であった。
「……なぜ、拒む」
目の前には小太りの男がいた。
俺の父、ライザス・ヨルドその人である。
「お前にとって悪くない話であるはずだ。リィゼル公爵家のご令嬢の従者であるぞ」
お前に大事な話がある。
と言われ、父の下へと出向いてみればこれである。
リィゼル公爵家はヨルド子爵家と同様、建国当初から仕えている御家の一つ。
しかも、家を興した初代リィゼル公爵閣下は初代国王陛下の実の弟であったとか。
故に、家柄としては最上位。
そんなリィゼル公爵家の末裔のご令嬢の従者を務めるなんて事は光栄以外の何物でもなかろうと父はしつこく俺に向かって言葉を並び立てていた。
「……リィゼル公爵家以外であれば、どんな条件であれ、二つ返事でお受けいたしますとも」
「またそれか。ミラン殿はお前が良いとわざわざ指名して下さっておられるのだぞ。何が不服なのだと言う」
ミラン殿というのは、リィゼル公爵家現当主であるミラン・リィゼル公爵閣下の事である。
だがしかし、当主直々の光栄過ぎる御指名だろうと、俺はそれでも首を縦には振らない。
父は知らないのだ。
俺が、誰かの従者にと指名されるこの日を迎えるまで、全ての時間を犠牲にしてまで剣や貴族としての礼儀作法に費やしていた理由を。
全ては————リィゼル公爵家のご令嬢の従者になりたくないが為。
ヨルド子爵家は代々、爵位の高い御家の従者を務める騎士の家系。故に、優秀になればなるほど、他からも我が娘の従者に是非と声がかかるものとばかり思っていた。
しかし、その予定は見事としか言いようがないまでに粉々に打ち砕かれていた。
リィゼル公爵家から声がかかるまで、父曰く、どこからもお声は掛かっていなかったという。
マジであり得ない。
何の為に俺は強くなったのだと。
何の為にぺこぺこと頭を下げて剣の教えを多くの人間に乞うてきたのだと。
これでは全く意味がないじゃないか……!!
そう胸中で叫ぶ俺の切実な訴えはまさに、心が張り上げる絶叫であった。
「父上、俺は死にたくないのです」
「……確かに、リィゼル公爵家のご令嬢ともなれば、良からぬ輩から命を狙われる機会も少なからずあるやもしれん。だが、その為の従者であろうが」
分かっていない。
父は俺が口にした言葉の意図を何も分かっていない。もし仮に、父の言う通りの事を俺が思っていたならば、口が裂けてもリィゼル公爵家以外ならばとは言っていない。
俺は、リィゼル公爵家だから嫌なのだ。
他であれば王族だろうが何だろうが、どれだけ危険に見舞われる役目であろうと、刹那の逡巡なく二つ返事で頷いた。
しかし、リィゼル公爵家だけはダメなのだ。
ダレス・ヨルドのBADエンドが約束されているリィゼル公爵家だけは。
「どうか、どうか父上。ミラン閣下には諦めていただけるよう、お願いしてはいただけないでしょうか」
「……ならん。他でもないミラン殿の頼みをそのような理由でお断りするわけにはいかぬ」
だが、いくら俺が懇願しようとも、その決定が揺らぐ事はなく。
結局、父に押し切られる形となってしまった。
考え得る中で一番最悪の事態である。
かくして、俺の就職先は決まってしまった。
名家中の名家、リィゼル公爵家のご令嬢————ルシア・リィゼルの従者である。
傍目から見れば羨望の的でしかないこの立ち位置であるが、俺からすれば絶望でしかなかった。
なにせ、あのリィゼル公爵家のご令嬢である。
他人を見下す癖があり、周囲からの反感を買いまくった挙句、処刑され、リィゼル公爵家を1代にして破滅にまで追い込んだ稀代の悪女。
ついでに、俺の死因をつくっちゃってくれるであろう張本人。
沈むと分かっている船には、誰だって乗り込みたかねえよ。
そう人知れず毒突く俺は、最終手段として夜逃げの実行を試みたが、直前で使用人どもに捕まった。
ふざけ。
* * * *
ゲームの世界に転生した。
その衝撃的過ぎる事実に気がついてしまったのはちょうど5歳の時であった筈だ。
しかも、その転生先はモブ中のモブであったかませ犬役のヨルド子爵家嫡子、ダレス・ヨルド。
それが俺の名前であった。
ここは横暴な態度を貫く悪女が断罪され、ヒロインが王子様とめでたくゴールイン。
という具合のシナリオなゲームの世界である。
ただ、その悪女というのがリィゼル公爵家の嫡女さまの事であり、そしてゲームの中で彼女の従者役であったダレス・ヨルドは誰よりも先に死ぬ運命になっていた。
……ゲームの中ではリィゼル公爵家のご令嬢の従者に誰も立候補しなかったから、売れ残っていたダレス・ヨルドが選ばれる設定であった。
だからこそ、俺はならばと誰からも指名されるような立派な従者になってやろうと全てを犠牲にして邁進してみたのだが、何故か未来は変わらなかった。
……おかしいだろクソッタレ……ッ!!
しかし、何処からも声がかかっていなかった俺は運良く、リィゼル公爵閣下の目に留まったらしい。
そして父は光栄な事だと言って頷いたと。
……作為的な何かを感じずにはいられない展開である。
俺の努力を返せ。
「————で、貴方が私の荷物持ちの方かしら。お父様も随分と冴えない方を寄越したものね」
ミラン殿は今日にでも娘の従者について貰いたいと仰られている。だから、行ってこい。
などと言われ、家を無理矢理に追い出されたのが数時間前の出来事。
顔合わせ初日のそれも初対面にて、さらりと口にされた罵倒は遠くない未来、悪女と呼ばれる事になる彼女らしいものであった。
さらさらとした金糸のような髪。
長い睫毛に縁取られたアイスブルーの瞳は海を想起させ、黙っていれば美人。
それを地で行く端正に整った甘く繊細な面立ちが視界に飛び込んでくる。
ただし、次の瞬間、彼女の唇から紡がれた毒を含んだ言葉のお陰で現実に引き戻される。
しおらしい態度を取られようものなら、つい、コロっといってしまいそうな容姿をしているので、ある意味、俺にとってこの毒は有難いものでもあった。
「……荷物持ちではなく、従者です。お嬢様」
「あそう。私からすれば荷物持ちも従者も変わらないから違いを気にした事がなかったわ」
どうにも、俺はこき使われる予定であるらしい。今日から、すぐにでも従者を努めてくれと言われた理由はこれが原因か。
そんな事を考えながら、気付かれないように俺は溜息を漏らす。
とはいえ、である。
(……にしても、本当に原作より一年も早くコイツに仕える事になるとは)
BADエンドの未来を潰してやろうと画策した結果なのか。
はたまた、昨日夜逃げしようとしたせいなのか。
親父の冗談かと思っていた言葉は、ものの見事に現実へと変わり、俺が知っている原作に歪みが生まれてしまっていた。
原作通りならば、俺————ダレス・ヨルドは今から一年後に学園に通うルシア・リィゼルの従者役として仕える事になる筈の人間である。
その理由は、人間性に問題しかないルシア・リィゼルが我儘お嬢様であったから。
それ故に、余り物であったモブ中のモブであったダレス・ヨルドに白羽の矢が立ったわけである。
だからこそ、俺自身が優秀になれば、原作開始前に他の貴族家からお声が掛かるとそう信じていたのに。
現実は全く掛かる事なく、その上、原作開始の一年前にリィゼル公爵家から声が掛かった事をこれ幸いとし、クソ親父様がOKしてしまったワケである。
しかし、である。
(けど、だ。今が原作開始一年前であるならば、俺もまだ逃げようがある)
要するに、ルシア・リィゼルにコイツ使えないからチェンジ。と言わせればいい。
簡単な話だ。
我儘に拒絶しまくったせいで、彼女は最終的に余り物である俺を選ばざるを得なかった。
しかし、今は原作の一年前。
という事は、彼女の従者選びもまだ余裕があるという事。つまり、さっさと拒絶されてしまえば選ばれる可能性はゼロになるという事。
とすれば、今このタイミングで早々と選ばれてしまった事は寧ろラッキーだったのではないだろうか。
(……物は考えようとも言うしな)
「……一つ言いたいのだけど、私の前で笑わないで貰えるかしら。キモイから」
危ない危ない。
どうやら、顔に出てしまっていたらしい。
溜息を吐きたいのはこっちだってのに、ルシアお嬢様は殊更に深い溜息を吐き、部屋を後にしようと動き出す。
恐らく、買い物に出掛けるのだろう。
俺の役目はその従者兼、荷物持ち。
流石に一日で音を上げては拙いので、一週間くらい我慢したのちにクビにされる感じでいこう。
「……承知いたしました」
右の手で己の頰をバシンと思い切り叩き、顔の緩みを正してから俺は彼女の後を追従する事にした。
……ちょっと強く叩きすぎたかも。痛い。
* * * *
時は遡り、一日前。
「ライザス殿。突然の来訪、申し訳ない。ただ、ライザス殿に折り入って頼みがあるのだ」
「頼み、でありますか」
それはダレス・ヨルドがルシア・リィゼルの護衛としてリィゼル公爵家に向かう一日前の話であった。
リィゼル公爵家が当主であるミラン・リィゼルは、ライザス・ヨルドを訪ねるべくヨルド子爵家へと赴き、そう話を切り出していた。
本来であれば、ミランの頼みであるとはいえ、家格的にライザスが公爵家へ赴くべき状況。
しかし、それをせず、ミランがわざわざヨルド子爵家に赴きてきた事から只事ではないと判断し、ライザスは表情を引き締める。
「ああ。単刀直入に言おう。ライザス殿の子息……確か、名はダレスくんだったか。彼をうちの娘の従者として仕えて貰う事は出来ないだろうか」
「ダレスを、ですか」
青天の霹靂とも称すべき申し出に、ライザスは目を丸くする。
彼にとって己の息子であるダレスは、控えめに言って変人過ぎる子供であったからだ。
基本的に、ダレスは家にはいない。
朝早くから出かけ、どこかで何をしていたのか。決まってボロボロになりながら夜遅くに帰ってくる。その繰り返し。
偶に家にいると思えば、見るたびに剣を振っているか、爆睡しているかの二択。
故に、ライザスはダレスの将来を特に不安視していたのだ。
本人としては己の生存戦略の為に、このくらいはやらないと安心出来ねえ。
と、日々、鍛錬に勤しんでいたのだが、それがリィゼル公爵家からの従者にライザスが二つ返事をした件に深く関わっていた事など、本人は知る由もない。
「娘————ルシアには、来年から魔法学院に通わせる事にしている。しかし、うちの娘は淑女とは程遠いじゃじゃ馬でな……」
遠い目で何処かあらぬ方角に視線を向けるミランの様子から、日々の苦労を感じ取ったのだろう。
ライザスも、心中お察ししますと言わんばかりに同情めいた感情を胸に抱く。
「魔法学院では、侯爵家以上の家格の人間は側に学院籍にある従者をつけるしきたりがある事はライザス殿も知っているだろう?」
「……もしや、その従者にうちのダレスを、ですか……!?」
ライザスは驚愕に目を見開いた。
しかしそれは感激によるものではなく、信じられないものを目にした際に見せる感情に近かった。
喉元付近にまで、それはやめておいた方が……! という感情と。あの変人過ぎる息子の行く末を心配していた事もあり、これはいい機会なのではという二つの感情がライザスの中でせめぎ合う。
そんな中。
ミランが首肯し、ライザスの言葉に頷いてから、
「じゃじゃ馬の娘に付き従えるような従者はいないものかと知己に相談したところ……それなら、お誂え向きのような奴がいると紹介されたのだ」
「それが、ダレス、なのですか」
「ああ、その通りだ」
「……ちなみに、どなたからの紹介かうかがっても?」
ライザスにとってダレスは、まごう事なき謎多き息子である。
ダレスが何かをしているという事はライザスの知るところではあったが、何処で何をしているかについての情報は全くないのだ。
一度、朝から出掛けるダレスの後を、ヨルド子爵家に仕える使用人の1人がつけた事があったのだが、いつの間にか姿を見失っていたらしい。
だからこそ、誰からの紹介であるのか。
ライザスは気になったのだ。
「マードック・アルハティア」
「……マードック、アルハティア。はて、何処かで聞いた事があるような」
「〝剣聖〟、といえば分かりやすいか」
「————っ!?」
ミランの答えに、ライザスは息をのむ。
マードック・アルハティアといえば、言わずと知れた剣の天才、〝剣聖〟とまで呼ばれるに至った傑物の名であった。
その名声は世界中に轟いており、〝剣聖〟の名を知らぬものはいないと言える程の人物である。
しかし、直後。
驚愕に思考が停止するライザスであったが、次第に落ち着いてゆく頭で極々当たり前の疑問に衝突する。
————何故、〝剣聖 〟マードック・アルハティアがダレスを紹介したのだろうか。
「あの堅物なマードックが、ダレスくんに剣を教えたらしい。弟子は取らないと公言していたあの、〝剣聖〟が、彼にだけ」
実際は、マードックがダレスの才能を見出した、などという秘話があるわけでもなく。
どうにかして生き残る為、世界最高峰の剣の使い手————〝剣聖〟にダレスが「弟子にしてくれ」「弟子にしてくれ」と執拗に纏わりついていた、というのが現実である。
そして、〝剣聖〟がダレスという厄介を払うべく、「……これが出来たら剣を少しだけ教えてやる」と無理難題を押し付けるも、それをダレスが持ち前のゲーム知識を使ってまさかの無理難題を突破。
結果、〝剣聖〟が渋々ダレスに剣を教えていた、というのが事の顛末であった。
「あれ程の粘り強い根性の持ち主ならば、たとえじゃじゃ馬だろうと、きっと根気よく付き合える事だろう、と、〝剣聖〟からダレスをどうかと言われてな」
〝剣聖〟のいうダレスに対する粘り強いは、いつまでもしつこく剣を教えろと付き纏っていたから。という皮肉が多分に含まれているのだが、何も知らないミランがそれを汲み取れるわけもなく。
「何より、ダレスくんは、あの〝剣聖〟から剣の薫陶を受けた人物だ。それを聞いてしまったからか、この通りだよ」
じゃじゃ馬なルシアに付き合えるだけの根気強さを持ち合わせ、尚且つ、剣の技量もある程度は保障されている。
これほどの人材もいまいと、気付けばヨルド子爵家に向かっていたと笑い混じりにミランは言う。
「……朝早くから家を出ては、夜にはボロボロの姿で家に帰って来る。偶に家にいるかと思えば剣を振ってばかり……成る程。〝剣聖〟殿から剣の教えを受けていた、というのであればこれまでの愚息の奇行もある程度納得出来るというもの」
剣の頂点に位置する〝剣聖〟からの教えを受けるとなれば、生半可な修練では済まないだろう。
とすれば、あの変人過ぎる奇行もそれなりに仕方のないものに思えなくもない。
「分かりました。そういう事でしたら、このお話、是非とも受けさせていただきたく」
「おお!! 受けてくれるか! ライザス殿!」
「ええ。愚息が剣を学んでいたのも、きっとヨルド子爵家の騎士の教えを受け継いでいたからこそ、でしょう。誰かを守る剣となれる機会。きっと、この場にダレスがいたならば、あいつも喜んで話を受ける事でしょう」
否、本当にダレスが居合わせていたならば、即答で拒絶の言葉を叩きつけていた事だろう。
そもそも、どうにかして生き残る為にダレスは剣を学んでいただけであって、騎士の教えは全く受け継いでいないのだが、それを知らないライザスはミランからの申し出を受けてしまう。
その翌日、ライザスがその吉報をダレスに知らせるも、何故か断固拒否の態度を取り、挙句、その日の夜に、夜逃げまで試みるという荒れっぷりに頭を悩ませる事になるのだが、この時はまだ知る由もなかった。
「そこで、なのだがライザス殿」
「なんでしょうか、閣下」
「従者の件なのだが、早速というわけにはいかないだろうか」
ルシアが魔法学院に通うまで、あと一年の時間がある。ミランは、ルシアの従者として、ダレスを迎えたいと言っていたにもかかわらず、早速とはどういう事なのだろうか。
ライザスは眉根を寄せる。
「最近流れている物騒な噂を、ライザス殿はご存知だろうか?」
「物騒な噂、といいますと、最近、貴族家の馬車を狙ったならず者が増えてきている、という噂でしょうか」
「あぁ、それだ。それ、なのだがな、」
ミランの歯切れ悪くなる。
「にもかかわらず、娘が護衛を付けたがらないのだ」
「……それ、は」
物騒な噂が飛び交う中。
貴族の、それも公爵家のご令嬢が護衛を付けないともなればそれは狙ってくれと言っているようなものだ。
「勿論、説得はした。したのだが、拒絶をされてしまってな。しかし、だからといって娘の意見に同調するわけにもいかない。そして、どうにか説得を続け、最終的に、来年の魔法学院での従者を選ぶ為に一時的に従者をつける、という条件付きでどうにか渋々娘を納得させる事が出来てな……」
「……成る程。それでしたら、愚息を明日にでも向かわせましょう。ミラン殿の頼みとあっては断れませぬ」
「重ね重ね感謝する、ライザス殿。だが、勿論、護衛はダレスくんだけに押し付ける気は無い。娘に気付かれないように密かに護衛をつけるつもりではいるのだが、ダレスくんは念の為の護衛と思って貰っていい。気負う必要はないと伝えてくれ」
……。
………。
…………。
……………。
「……む。ダレスにその事を話すのをすっかり忘れておったな」
先日のミランとのやり取りを思い出しながら、ヨルド子爵家本邸に位置する執務室にて、ライザスはふと、思い出したかのように呟いた。
リィゼル公爵家に仕えたくないと駄々をこねるダレスを説得する事に注力していたからか。
ミランからの伝言をすっかり伝えそびれていたと漸く彼は思い出していた。
「しかし、まぁ、大丈夫だろう」
物騒な噂が飛び交っているとはいえ、ミラン殿もリィゼル公爵家の方で手を回すと言っていた。
ならば、心配は杞憂でしかないだろう。
そんなライザスの呟きは、開かれた窓の隙間から吹き込む風にさらわれる事となった。
* * * *
「…………どんだけ買うんだあのお嬢様は」
荷物持ちとはよく言ったもので、結局、俺はあれから四時間ほどルシア・リィゼルの買い物の付き添いをする羽目になっていた。
手には服がぎっしりと詰まった紙袋が五つほど。
一週間は耐えてやる。
と、思っていたものの、想像以上に面倒臭い従者の業務に、俺は早々に音を上げかけていた。
しかし。
(……原作を度外視すれば、あのお嬢様は我儘ではあるが、普通の女の子ではあるんだよな)
原作では、魔法学院に入学してからの内容であった為、こうして一緒に買い物をする。
なんてイベントに見舞われる事はなかった。
そもそも、ルシア・リィゼルは悪役ポジなので、彼女のイベントは周囲からヘイトを買うやり取りか、断罪シーンくらいしかなかった。
(とはいえ、関わり続ければ間違いなく俺はBADエンド一直線だ。それだけは、勘弁願いたい)
見捨てるといえば聞こえは悪いが、ここはあくまでゲームの世界。
けれど、怪我をすれば痛いし、腹も空く。病気もする。眠気だってやってくる。
ゲームなのに、そこだけちゃんと現実だった。
だから、死にたくない。
死ぬ事だけは何を差し置いてでも、避けなくてはならなかった。
それもあって、ルシア・リィゼルが俺にとって嫌な奴である事は寧ろ、感謝すべき事柄でもあった。
「荷物持ち」
そんな事を考えながら、店の外で荷物を持ってベンチに腰を下ろしていた俺に、不意に声が掛かる。
それは、ルシア・リィゼルのものであった。
……また荷物が増えるのか。
生き残る為に無我夢中で鍛錬に明け暮れていなかったら、きっととうの昔にへばってたな。
瞳に不満げな感情を湛えながら、声のした方に顔を向ける俺であったが、予想していた光景とは少し異なった現実が飛び込んでくる。
「あげる」
愛想なんてこれっぽっちもない平坦な声音であったが、なぜか、俺に向かって差し出すように伸ばされた彼女の右手には、購入してきた服ではなく、パッケージに詰め込まれたクッキー状のアイスクリームが握られていた。
「帰り道に倒れられると面倒臭いから」
そういえば、この四時間ずっと飲み物一つ口にしていなかったっけと思い返しながら、なら飲み物にしてくれよ。
と思ったが、黙っておく事にした。
しかし。
相手は天下の悪役令嬢、ルシア・リィゼルである。たかがアイスクリーム。
されどアイスクリーム。
なにか裏があるのでは。
などと考えるあまり、硬直してしまっていた俺の態度を不審に思ったのか。
「……いらないなら私が食べるけど」
「有難くいただきます」
アイスクリームをこぼしてはマズイので、腕にさげていた荷物を側のベンチに置いてから、アイスクリームを受け取る。
もしや、激辛ソースでも中に入っているのかと思ったが、
「……美味しい」
「そりゃそうよ。私もそこのアイスクリームは好きだもの。文句ひとつ言わずに付き合ってくれたお礼。便利な荷物持ちは嫌いじゃないわ」
普通に美味しいただのアイスクリームであった。
どうにも、俺は荷物持ちとしては合格ラインであったようだ。
このアイスクリームは今日のご褒美という事らしい。
(……なんか、調子狂うな)
俺の知っているルシア・リィゼルは、ザ・悪役令嬢みたいな傍若無人な高慢ちきな奴だった。
従者であったゲーム内でのダレス・ヨルドには常に使えない奴呼ばわりをしていたし、そりゃ断罪されて仕方がない。
といえるような性格をしていた。
だからこそ、俺が知っているルシア・リィゼルは荷物持ちの体調なんか気にする奴ではないし。
勿論、荷物持ちがアイスクリームを食べ終わる事を律儀に待つような人間ではなかった。
……否、ちょっとばかり俺の手元を見過ぎな気がする。
「……お嬢様の分は購入なさらなかったのですか」
「……一個しか売ってなかったのよ」
めっちゃ物欲しそうな目で見てくる理由はそれか。
だけど、そういう事なら余計に意外に過ぎた。
いくら飴を与える為とはいえ、自分の欲求を我慢してまで荷物持ちである俺に好物を差し出す。
これは本当に、あのルシア・リィゼルなのか。
一瞬、自分の目が信じられなくなるが、それも刹那。ここまで物欲しそうにする彼女の目の前で食べるのは良心が許してくれなかった為、俺は受け取っていたクッキー状のアイスクリームを半分に割り、口にしていなかった片割れを彼女に差し出した。
「……なに?」
「俺、アイスクリームを食べ過ぎるとお腹を壊しやすくて。残すのも勿体ないんで、半分食べて貰えませんかね」
ルシア・リィゼルの性格はよく知ってる。
だからこそ、面倒臭くはあったが、こういった言い回しを選んだ。
「そ、そう。なら仕方ないわね。そういう事なら私が貰ってあげるわ」
本当に、仕方なくだけど。
殊更にこの部分を強調していたが、めちゃくちゃ嬉しそうだった。
分かりやすいにも程がある。
やがて、俺からアイスクリームの片割れを受け取ったルシアお嬢様はぱくぱくと口に詰め込み、気づいた時にはリスみたく頬を膨らませていた。
そして、彼女は幸せそうに、顔を僅かながら綻ばせていた。
(……そういえば、俺、ルシア・リィゼルの笑顔って見たことあったっけ)
……ふと思う。
頭の中の記憶をどうにか掘り漁ってみるが、ゲームの中でも一度として見た記憶がなかった。
(アイス一つで幸せの絶頂です。みたいな顔をするやつが一度も笑わない、なんて事あるか?)
ゲームなんだから仕方がない。
といえばそれまでだろう。
ただ、気付いてしまったが最後。
この疑問は、喉に刺さった小骨のように、俺の中で煩わしく引っかかった。
確かに性格は限りなく最悪だ。
出てくる言葉も基本的に毒が含まれている。
嫌われる要素てんこ盛りだ。
関わりたくない人間は誰か。
そんな質問を受ける事があれば、大多数の人間が彼女の名前をあげる事だろう。
しかし、なんだろうか。
言葉に言い表せない違和感が付き纏う。
(……今は、原作開始の一年前。原作の頃より今のルシア・リィゼルは何というか、まだ穏やかだ)
嫌な奴ではあるのだが、それでも、悪役令嬢として断罪エンドを迎えるほどか?
と聞かれれば、今のルシアお嬢様であれば俺は首を傾けずにはいられなかった。
(いや、待て待て待て。なにを俺は分析してんだ。一週間でオサラバする相手だろうが)
原作開始するまでの一年で何かが彼女の身にあって、そのせいであの救いようがない悪役令嬢、ルシア・リィゼルが出来上がったのではないか。
そんな事を考え始める己をどうにか諌める。
俺の生存戦略に、ルシア・リィゼルは邪魔者でしかない。
ただの死へ誘う元凶でしかない。
しっかりしろ、ダレス・ヨルド。
ゲームの内容を思い出せ。
あの救いようがなかった悪役令嬢ルシア・リィゼルの言動。呆気なくBADエンドを迎えたダレス・ヨルドの末路。
それらを思い出し、一週間だけ。一週間だけだからと暗示をかけるように胸中で反芻を繰り返す。
そうして頭の中を落ち着かせ、我に返る。
一週間だけ辛抱し、その後に音を上げてしまえば全てが解決なのだ。
そうすれば、あの傍若無人なルシア・リィゼルの下で一週間も従者を務められた頑張り屋なダレス・ヨルドくんが出来上がる。
これで他家から是非ともうちの娘の従者に!
と、人気爆発間違いないだろう。
大きな後ろ盾を得られ、俺の人生は安泰。
そう、これだ。これしかない。
「……帰りましょうか、お嬢様」
差し出されたアイスクリームを口の中に放り込み、荷物を持って立ち上がる。
明るかった筈の空も、気付けばすっかり、茜色に染まっていた。
恐らく、買い物も終わったのだろうし、あたりが暗くなる前に帰ろう。
そう思いながら、「そうね」と肯定するルシア・リィゼルと共に俺は帰路についた。
「…………」
案の定というべきだろう。
行き道と同様に、帰り道もまた、お互いに無言でひたすら歩き続けていた。
特別話す事もないので、これは仕方がない状況ではあるのだが、やはり多少の気まずさは感じずにいられない。
かと言って口を開けば毒が飛んでくる事は間違いない。
やはり、多少息苦しくはあるが、現状維持が最善か。
「……お父様に目をつけられるだなんて、貴方も運がなかったわね」
そんな事を考えていた俺の耳に、同情の色を孕んだルシア・リィゼルの声が届いた。
反射的に、そうだなと悲観すべき俺の現状に向けられた同情に、肯定してしまいたくなる。
しかし、俺が反応するより早く、彼女の言葉が続いた。
「従者をやりたくなかったのだったら、お父様に言えばよかったのに」
「……お戯れを」
今の俺はルシア・リィゼルの従者。
お前、使えないからクビ。
と言われる瞬間を待ち望む俺だからこそ、もういっそ肯定してしまうのも手かと思ったが、それは思うだけに留めておく。
流石に時期尚早過ぎる。
「でも実際、貴方は従者をやりたくはないんでしょう?」
文頭に、ルシア・リィゼルの。
という言葉を付ける必要はあるが、彼女の言葉に間違いはない。
「何故分かった? みたいな顔してるわね。でも、それが答えよ」
「と、いいますと」
「顔に出てるって事よ」
……あぁ、と納得した。
目指せ一週間後にクビを目指す俺からすれば、ルシア・リィゼルに愛想を向ける理由はどこにも無い。
かと言って嫌悪を向けていた覚えもないのだが、
「一応、私の家は公爵家だもの。普通、公爵家の令嬢を相手にともなれば、みーんなご機嫌を取りに来るわよ。でも、貴方にはそれをする気配が一切なかった」
そりゃ、クビにされたいからな。
ご機嫌を取るなんてとんでもない。
「だから、貴方は従者をやりたくないのだと思った」
半分正解で、半分不正解の回答だ。
「ねえ。面白そうだから答えなさいな。貴方は何故、私の従者をやりたくないの?」
前を歩いていたルシア・リィゼルは足を止め、肩越しに振り返る。
瞳には好奇の色が滲んでいた。
とはいえ、これは俺にとって都合の良い問い掛けであった。
「————死にたくないからです」
「……死にたくない?」
上手いこと言いくるめて落胆させてしまおう。
そう考え、口にした正真正銘の俺の本音に、ルシア・リィゼルは小首を傾げた。
「公爵家のご令嬢ともなれば、不埒な輩に狙われる事もありましょう。良からぬ事を企む他の貴族家からの嫌がらせもありましょう。時には、それが己の命を奪うような展開にまで発展するやもしれない。だから、俺は(貴女の)従者になりたくは無いのです」
「……お父様からは、貴方は優秀な剣士であると聞いていたのだけれど。なのに、怖いの?」
意味が分からないと言わんばかりの視線を向けられる。
俺が剣士擬きである事を知っているのは極々少数。あのクソ親父様でさえ、それは知り得ていない情報の筈だ。
とすると、必然、その情報を売りやがったクソ野郎は、〝剣聖〟のオッサンか。
〝死閃〟のジジイか。
〝剣王〟のババアか。
このうちの誰かだろう。
しかし、文句を言おうものなら、あのクソチート共に返り討ちにされるだけなので、この恨みは胸の内に秘めておく事にする。
「……俺が優秀かどうかはさておき。そりゃ、怖いですよ。斬られれば痛いし、死んだ後、俺自身がどうなるかも分からない。怖いに決まってるでしょう」
俺に、前世の記憶は殆どない。
鮮明に思い出せるのは、このゲームであった世界の記憶だけだ。
どうして俺がこの世界にいるのか。
この世界に生を受ける前は何をしていたのか。
それらに関する記憶は虫食いだらけ。
だから尚更、俺は死が怖かった。
「俺は、剣士だから怖くない、じゃない。怖かったから剣士になろうと考えたのです。そもそもの順番が違います」
「臆病なのね」
「ええ。俺は自他共に認める臆病者ですとも」
死を怖がってなかったら、そもそもこんな面倒臭い生存戦略なぞ考えてはいない。
……とはいえ。
「お嬢様は、怖くないのですか?」
自分の事を聞かれっぱなしというのもアレだったので、今度は俺から質問を投げ掛ける。
先程のアイスクリームや、珍しいルシア・リィゼルの一面が見られた事で俺は珍しく少しだけ機嫌が良い。
死が怖いと言おうものならば、まずはその態度から改めろ。などと助言の一つでもしてやろうかと考えたが、
「さぁ? そんな事、考えた事もなかったわ」
予想の斜め上をゆく、拍子抜けする返事がやって来た。
「でも、人間誰しも、死ぬ時は死ぬでしょ。別に、どうしても生きたいって思えるだけの理由も今の私にはないもの。まぁ、死なないで済むならそれが一番なんでしょうけど」
さっぱりとした答えだった。
達観しているというか。
厭世的に近いというか。
「ただ」
「?」
「私自身が、その『理由』がないからこそ、貴方がそこまで死にたくないと思うに至った理由が気になるわね」
にぃ、と喜色にルシア・リィゼルの口角がほんの僅か、つり上がる。
反射的に俺の顔は強張った。
————あ、これ、悪い事考えてる顔だわ。
一瞬で俺は理解した。
「貴方、今日からうちで仕えるのでしょう? 初めは鬱陶しいだけと思っていたけれど、少しだけ面白くなって来たわ。理由を答えるまで、今日は逃がさないから」
その理由が俺にとって言い辛いものと見透かした上で、彼女はそう宣う。
性格の悪辣さは原作開始一年前であっても、どうやら健在という事らしい。
しかし、馬鹿正直に取り敢えず、無惨に殺されちゃう運命だけは回避したかっただけです。
などと言おうものならば、間違いなく変人扱いされるだろうし、彼女からすれば適当に煙に巻こうとしているとしか捉えられないだろう。
はてさて、どう答えたものか。
そんな悩みに、頭を悩ませる羽目になっていた俺であるが、
「———————」
不意に俺達の前に姿をあらわした男達の存在によって、その思考は彼方へと追いやった。
目の前には、お世辞にも身なりがいいとは言えない人間が————10人ほど。
ただの通行人と思いたいところではあるが、俺の目が正常ならば、彼らは間違いなく此方を待ち伏せていた。
それも、街を出るこのタイミングの為に。
彼らの手には、剣を始めとした武器がある。
……まず間違いなく、不埒な輩だろう。
リィゼル公爵家と関わるとろくなことが無い。
これだから、関わりたくなかったんだ。
「お嬢様。引き返し————」
その感想をどうにか胸中に押し留めながら、来た道を引き返すように指示をしようとして。
「私もそうしようと考えたけれど、どうやら手遅れみたいよ?」
その指摘と同時。
後ろからも複数の足音が聞こえてきた。
はさみ撃ち、という事らしい。
逃げ道は塞がれた。
ならば、どうにかしてこの不埒な輩を退かす必要があるのだが、
(……おいおいおい。途中まで見張ってたリィゼル公爵家の連中、どこ行きやがった)
俺とルシア・リィゼルを遠くから監視————もとい、護衛していた筈の連中の気配が何処にも見当たらず、冷や汗のようなものが俺の背中に流れる。
可能性としてあり得るのは、
・問題ないと判断して早々に切り上げた。
・此方とは別件で、不測の事態に見舞われた。
・単に、俺達を見捨てた。
ルシア・リィゼルがいる以上、三番目の選択肢だけはあり得ないだろう。
とすると、一番目か、二番目。
しかし、どちらであったとしても、すぐに助けに来てくれる可能性は極めて薄い。
「一体、どちら様かしら」
「おうおう。流石はリィゼル公爵家のご令嬢。言葉一つとってもオレらとは気品がちげえなァ」
気丈に振る舞い、言葉を投げ掛けるルシア・リィゼルであったが、返ってきたのは嘲笑。
憐む視線が俺と彼女に向けられる。
多勢に無勢とでも言いたげな視線であった。
「……それで、何の用?」
「いや、オレたちはあんたに用はねェんだ。あんたの、家に用があるんだわ。なに、大人しくついてきてくれりゃ、今なら痛くはしねェぜ?」
ルシア・リィゼルもどうしたものかと考えあぐねているのか。
会話が止む。
とはいえ、あのルシア・リィゼルだ。
きっと、相手を小馬鹿にするセリフでも考えているのでは無いか。
そんな下らない事を思い浮かべる俺であったが、ふと、違和感に気付く。
俺の中で鮮明に刻み込まれた高慢ちきで、傲岸で、天上天下唯我独尊を地で行っていたあのルシア・リィゼルが、何故か僅かに震えていた。
見間違いかと思ったが、肩が小刻みに震えている。一瞬、愉悦ここに極まれりといった様子で大声に笑い出すのかと思ったが、どうにもそれも違う。
……そもそも、ルシア・リィゼルは何故己の側に護衛をつける事を拒んでいた?
本来、この状況をどう打破すれば良いかと悩むべき場面で、俺の頭の中でそんな場にそぐわない疑問が浮かび上がった。
リィゼル公爵家にたどり着いた当初、俺は当主であるミラン殿から、ルシア・リィゼルが護衛をつけたがらない人間と聞き及んでいた。
だからこそ、俺頼みな部分もあるとも。
じりじりと詰められてゆく距離。
残った時間はほんの僅か。
今はそんな事で悩んでいる暇はない。
それは分かっている。
分かっているのに、その疑問が頭の中から消えてくれない。
(……さて、俺はどうするか)
ルシア・リィゼルを守るのもいい。
だが、彼女は俺の死因を作るであろう人間。
BADエンドへと誘う、いわば悪魔である。
彼女を置いて逃げ、見殺しにするか。
彼女を、助けるか。
そんな中、脳内にちらつく悪魔のような囁き。
ここで彼女がいなくなれば、ダレス・ヨルドが無惨に死ぬ未来は無くなるのではないのか。
ならば、これで俺の生存戦略は完了するのではないか。
「…………」
正直、そうすべきだと思う。
きっと、昨日の俺であったら間違いなくその選択肢を選んでいた。
でも、こうして実際に関わってみるとその考えは違う意見にいつの間にか塗りつぶされていた。
目の前のこのルシア・リィゼルと、ダレス・ヨルドをBADエンドに導いてくれやがったルシア・リィゼルが同じ人間とは、俺には何故か思えなかったんだ。
彼女を見殺しにすれば、少なくとも作中で描かれていたあのBADエンドは消える。
それは確定している、にもかかわらず。
「……荷物持ち?」
ここは名前を呼ぶところだろう。
雰囲気を考えやがれ。
そんな事をつい思ってしまうが、此方を振り返るルシア・リィゼルの肩に気付けば俺は、腕に下げていた荷物を放り出して手を置いていた。
「……こんなのは、柄じゃないんだけどな」
俺の剣は、俺を守る為だけに磨いているもの。
だからこそ、こんな使い方は柄じゃなかった。
俺は持ち前の原作知識を使い、クソチート共に半ば嫌がらせのようなストーキング行為を続け、その努力が実を結び、ほんの少しばかり剣を教えて貰った過去がある。
その際にめちゃくちゃ呆れられたのはまだ記憶に新しい。
『……そんなに剣を教えろ教えろってせがむんだ。坊主にゃ、誰か守りたい奴でもいんのかよ』
『勿論、いますとも!! 守りたい人がいるんです!! だから剣を教えろください!!』
『ほぉ? なら言ってみろよ』
『無論、俺!!!!!』
『死ね』
『いぎゃぁぁぁぁぁあ!!?』
自己愛の何が悪いというのだろうか。
しかし、故に、こんな使い方は想定外に過ぎた。しかも、俺をBADエンドに誘う元凶を助けようなんざ、正気の沙汰ではない。
「……お嬢様。痛い思いをしたくなかったら、そこから一歩も動かないで貰えますか」
だが、荷物持ちを労う為に、自分の好物を我慢してまで不承不承ながら差し出してくれたあの行為。その際に浮かべていたルシア・リィゼルの表情というものは、ただの人畜無害な女の子にしか見えなかった。
勿論、猫を被っているという可能性は多分にある。だけど。
「それと、そのまま一分程度、目を閉じて」
今ここで見捨てることは、なんか違う気がした。
だから、
「おいおいオイ!! 勇者気取りかよっ!? いいねえ! いいねえ!! 勇ましいねえ!!」
ルシア・リィゼルを守るように前に立とうとする俺を前に、声を上げていた男が、面白おかしいものを見たと言わんばかりに哄笑をあげる。
周りもそれに同調し、盛大に俺を嘲ってくれる。
しかも、その間にも俺達を囲うように不埒な輩共がさらに距離を詰めてゆく。
人数はあわせて30人近くいるだろうか。
多勢に無勢。
確かに、この状況ではまさにそんな言葉が似合うのかもしれない。
とはいえ————そんな言葉は、ことこの場に限り、クソの役にも立つ予定はないのだが。
「だが、リィゼル公爵家に仕えていた事がてめェの運の尽き。立ち向かおうとするその気概は褒めてやるが、てめェが死ぬ運命は変わらねえ。世の中はなァ!? 気概でどうこう成る程、上手いこと出来てねえんだわ!!?」
「……運だとか、運命だとか、気概だとか、ごちゃごちゃうっせえな、あんた」
俺の嫌いな言葉トップ3は
運命。天才。ルシア・リィゼルの三つである。
特に、BADエンドの運命をどうにかして変えようと足掻いている俺に、運命は変えられないよーん。
などとほざくクソ野郎がいたら、ぶっ殺してやると昔から決めていた。
「運命の行く末なんざ、足掻いてみなきゃ分かんねえだろ。ちょうど、ほら、今みたいに」
周囲から見れば無手であった筈の俺は、武器を手に、舌なめずりという漫画の三下もびっくりな態度で肉薄してくる数名の相手に向かって振るう。
「ハッ、武器も持たずに何が、」
————できるんだよ。
本来、そう続いたであろうその言葉であったが、続きを紡ぐより先に肉薄していた彼らの身体が、腹部からずれ落ち、間も無く失命。
「いやいや、武器なら持ってるよ? ほら」
自他共に認める臆病者の俺である。
自衛の手段は常に肌身離さず持ち歩いている。
確かに、鍛冶職人が魂を込めて打った刀剣を持ち歩いてはいないが、その代わり、即席で剣を生み出す〝剣王〟直伝の『技術』を持ち歩いていた。
「…………」
突如として出現し、一瞬にして襲いかかって来た連中を斬り捨てた得物————俺が手にする青白に染まった奇妙な剣に、誰もが視線を向けていた。
だから俺は、生成した得物を、ぽいと宙に放り投げてしまう。
「な————」
刹那の逡巡なく手放したその行為によって得られたのは、素っ頓狂な声と、値千金とも言える彼らの致命的過ぎる「隙」。
その一瞬を突くべく、俺は大地を思い切り蹴りつけ、肉薄。
先程から威勢よく叫び散らしていたリーダーらしき男の目の前へと移動を遂げ、そして
「悪いが、容赦はなしだ」
咄嗟に防御すべく、身構えようとしていた男を再度剣を生成し、躊躇いなく俺は斬り捨てる。
次いで、側にいた男を更に三人戦闘不能に追い込み、俺は飛び退いてルシア・リィゼルの側へと戻る。
リーダーの男を含めてあの一瞬で七、八人。
お陰で俺達を待ち伏せていた男共は茫然自失となりながら、混乱している。
「……逃げますよ、お嬢様」
「……え? っ、ちょ」
ここで全員始末。
なんて格好良い展開も悪くはなかったが、残念な事に俺は自分が守れればそれで良いという戦い方しか知らない。
誰かを守る為の戦い方を、あのクソチート連中から学んでいなかったのだ。
俺一人ならば何とかなっただろうが、ルシア・リィゼルを無傷の状態でこの場を切り抜ける場合、相手が混乱している今、身を引いて逃げ出してしまった方が確実。
俺はそう判断する。
故に、背に腹はかえられないとして散々付き合わされた荷物を放置し、律儀に目を瞑ったままであったルシア・リィゼルを抱き抱える。
ろくにご飯を食べてないのか。
めちゃくちゃ身体は軽かった。
あの不埒な輩はきっと、俺達を遠くから護衛していたであろうリィゼル公爵家の人間が対処すると信じ、重点的に鍛えに鍛えた逃げ足を使ってその場の離脱を試みる。
ただ、その際。
何故か、ルシア・リィゼルの頰が若干、紅潮していたのだが、リィゼル公爵家の屋敷にたどり着く直前に、「……いい加減、下ろしなさいよ。もういいでしょ」と言って思い切り脛を蹴られる事になった。
あのルシア・リィゼルが照れてるのかと思ったが、全然違った。
俺の知ってるルシア・リィゼルだった。
……やっぱり、選択を間違ったかもしれない。
* * * *
早いもので、あれから、一週間が経過した。
襲われる事になったあの日の後、流石に当分の間は外に出すわけにはいかないからと、ルシア・リィゼルは屋敷から出る事を当主であり、彼女の父であるミラン殿から一時的にだが、禁じられていた。
そして俺はといえば、事の顛末を知るや否や、ミラン殿にめちゃくちゃ感謝をされる事になった。
その際に、高揚していたからか、〝剣聖〟の言う通りだったとかなんとか、俺の情報をリークした張本人の名前を聞く事が出来たこともあり、俺としてはそこそこに満足な結果に落ち着いていた。
しかも、この件でミラン殿に恩を売る事が出来た。
この調子ならば、ちょっと限界がきたんで辞めさせて下さい……!!
などと言おうものならば、二つ返事でオーケーだろう。間違いない。
いくら、この世界のルシア・リィゼルが、俺の知る悪役令嬢を地でゆく作中のルシア・リィゼルと少し違う気がしたとはいえ、俺の生存戦略に彼女は必要ない。
むしろ、遠ざけるべき相手である。
「ダレス・ヨルドです」
「おお! ダレスくんか。待っていた。入ってくれるか」
そして今。
お誂え向きと言わんばかりに、俺はミラン殿の執務室に呼び出されていた。
何の用事かは聞かされていないが、ちょうど良い。俺がリィゼル公爵家の屋敷に来てから今日でちょうど一週間。
話終わりにでも、従者を辞める旨を伝えよう。
うん。そうしよう。
そんな事を考えながらドアを押し開けると、そこには何故か、ミラン殿だけではなく、ルシア・リィゼルまでもがいた。
「……お嬢様?」
不意打ちであったが故に、その言葉が俺の口を衝いて出てきたのも仕方がないと言えるだろう。
だが、俺の言葉にルシア・リィゼルは応えるどころか、ぷいを目を逸らすだけ。
買い物に付き合わされたあの日以来、ずっとこの調子であった。
「ダレスくんに来て貰ったのは他でもない。ルシアが君に用があるらしくてな」
微笑ましいものでも見るかのような視線を向けられていたが、俺はその意図に気付く事なく、ついにこの日が来てしまったかと感慨にふける。
否、最近の俺に対するルシア・リィゼルの態度を考えれば、これが妥当だろう。
恐らくこれは————解雇宣言だ。
「…………」
しかし、何故かルシア・リィゼルは口を真一文字に結んだまま、言葉を口にしようとしない。
「ルシア」
だが、ミラン殿に名を呼ばれた事で、覚悟を決めたのだろう。
固く閉ざされていた口は開き、
「ぇ、と、あの時は、その、ありがとう。たす、かったわ」
お待ちかね、解雇宣言————!!!
……と思ったら違った。
今更ながらの、たどたどしいお礼であった。
……なんか調子が狂う。
「ぇと、お守りする事が出来て、よかったです」
お陰で、そのたどたどしさが俺にまで伝染してきた。
「……そ、それと、はいこれ!!」
後ろに回していた手に隠し持っていたのだろう。中に何か詰め込まれた紙袋を彼女から強引に押し付けられ、逃げるようにルシア・リィゼルは執務室を後にしていった。
……なんだあれ。
「うちの娘は不器用でね」
ミラン殿は苦笑いを浮かべていた。
とはいえ、彼女は何を俺に押し付けたのだろうか。
「びっくりしたものだよ。あの娘が、男性にお礼の贈り物をする際は何が良いのかと聞かれた時はね」
「…………」
耳を疑うような言葉が聞こえてきた。
「口は悪いし、性格も……ちょっと難ありではあるんだけど、根は良い子なんだ。だから、その、娘とこれからも、仲良くしてくれると嬉しい」
「は、はあ」
予想外過ぎる展開故に、俺は生返事をする事くらいしか出来なかった。
「私はこれから用があるから、これで失礼させて貰うよ」
そして程なく、俺一人が執務室にポツリと取り残される事となる。
やがて、ルシア・リィゼルから押し付けられた紙袋には一体何が入っていたのか。
そんな疑問が頭の中で浮かび上がり、俺は恐る恐るではあったが、紙袋に手を突っ込み、
「……服、か」
そこには服が入っていた。
あの出来事のせいで、外出禁止となっているルシア・リィゼルが選んだわけではなかっただろうが、中々にセンスの良さが感じられる服であった。
ま、ぁ、無難ではあるのか。
なんて感想を抱きつつ。
「…………って、あ!!!」
ルシア・リィゼルの従者を辞めるという、本来の予定をすっかり失念していた事を漸く今、思い出す。
「や、やらかした……」
今からミラン殿を追いかけ、言いに行くか?
と思ったが、この空気の中、それを言い出せるほど俺の面の皮は厚くなかった。
「でもまぁ……もう少しくらい付き合うのも悪くはない、か」
別に、他に何かやる事があるわけでなし。
もう少しくらい、付き合うのも悪くはない。
一週間前なら考えもしなかった感想を抱きながら、俺は服の入った紙袋を抱え、自室に戻る事にした。
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