山田雄介 1
その日も郵便局員の山田雄介は宝くじ売り場にいた。午前中の配達に目処がつくと、午後の配達の準備のためバイクに給油する。郵便局指定のガソリンスタンドには宝くじ売り場が併設されていて山田はいつも時間調整もかねて仕事の合間に一枚二百円のくじを必ず五枚買う。仕事になれてきてガソリンスタンドの店員たちと世間話をするようになった頃、年配の店員さんに言われて初めて買ったくじがたまたま一万円になった。それ以来配達のある日は必ず宝くじ売り場に立ち寄っていた。
休みが月に八日。残りは毎日同じ事の繰り返し。バイクがガタガタいう田舎道と十分足らずで通り抜けてしまう町内をいったり来たりしてもらえる給料が十五万円。ワンルームの家賃が六万五千円、水道光熱費やら通信費やら引かれると手元に残るのはわずかだった。近所の農家さんに野菜を頂いたりと食べることには困らないが生活は破綻寸前にも関わらず、スクラッチくじは止められなかった。二十七歳を過ぎて、いよいよ山田は将来が不安になった。バイクでの移動中や休みの日に一人でいる時、ふと頭をよぎるのである。数年後、数十年後の未来の自分が頭に浮かぶ度に山田は恐怖を感じた。その都度、他の誰もが感じる事だろうから大丈夫なんて事を自分に言い聞かせながら。
年末年始とお盆の時期以外は配達も少なく、むしろ時間調整している時間の方が長い。そのお陰か配達で行く先々にお茶のみ友達のような人たちが増えていった。元々、人と話をしたくなくて選んだ仕事だったはずなのに。誰かとどうでもいい世間話をしている方が時間が潰れる事に気付いてしまった今では仕事の事以上に、どこの誰と話そうかと考える方が山田の中では大事だった。
山田は五枚あるスクラッチくじを一直線にカウンターに並べていく。毎回この中に一等百万円のくじがあると信じて凝視する。そして手を合わせ、心の中で祈るのである。「神様お願いします。どうか、百万円当たりますように」と。この時、ふと「あ、今日当たるな」と山田は思った。確信はないが頭の中でそんなイメージが湧いた。刺激の無い日々を送る山田にとって一枚の中にある六つのマスを削る瞬間が最高だった。千円や一万円なら一ヶ月買い続けていればたまに当たる事もあるが一等百万円は未だに無い。削るのに使うのはいつも決まって、自分が生まれた年の五百円玉をゲン担ぎに使っている。前に宝くじ売り場のおばさんにあんまり大きい夢は見ない方がいいよと言われた山田はマッチ売りの少女とは違うんですよ。これは現実だからと返した事があった。それ以来おばさんはその山田の儀式みたいなものの最中は話しかけなくなった。静かに、そしてゆっくりと一枚ずつマスを削っていく。一枚目、二枚目、三枚目と同じ絵柄が揃うことはなかった。四枚目を削った時山田はまあ、こんなもんだよなと経験からくる未来を想像していた。四枚目も外れだった。削る前のテンションも落ち着いてきた頃半ば義務的に削った五枚目のスクラッチを見て山田は目を疑った。ピザの図柄が六つ描いてある。
「これって……もしかして当たってます?」
恐る恐る宝くじ売り場のおばさんにそれを渡すとおばさんはどれどれなんていいながらスクラッチくじを眺めて山田にそれをそっと返した。
「山田くん、おめでとう。私も初めて見たわ。一等って本当にあるんだね。これ見るまで都市伝説かなんかじゃ無いかと思ってたんだけど。とにかくおめでとう」
おばさんは興奮した様子で山田に換金する場所の説明や色々あーでもないこーでもないと話してくれたが山田も興奮していて頭には全然入ってこなかった。そのあと昼休みの間に郵便局の制服のまま銀行に行って配当金を受け取った。帯のついたままの百万円の束を制服の胸ポケットにいれたまま午後の配達を終わらせた山田はいつも寄るスーパーで半額の弁当とお茶とピザ、それからハイボールを作るためのウイスキーを一瓶とそれを割るエナジードリンクとコーラ数本買ってからワンルームの部屋に帰った。静かにドアを閉めて鍵をかけるとそれまで押さえてきた感情が一気に溢れてきた。小さなソファの前に置かれた小さなテーブルの上に買い物袋を雑に置いて山田は両手を振り上げて叫んだ。
「いやっっっっっほぉぉぉぉぉい!!!!!」
ヘビィメタルのバンドみたいに頭を上下にブンブン振り回して踊る様はまるで正気とは思えないようだった。たかが百万円とはいえ山田にとっては大金であり、何より自分の運で掴みとったものだという充足感はこの上無いものだった。息が上がるほど踊り倒した山田はやっとソファの上に腰かけた。ゆっくりと胸ポケットの中から百万円の束をテーブルの上にポンっと置いてからタバコに火を点ける。深呼吸をするように煙を吐き出しながらこれからこの百万円をどうしようかイメージする。山田の頭の中には南国の浜辺で酒を飲む自分や、可愛くて薄着の女性達と遊ぶ自分等イメージは無尽蔵に膨らんでいく。さらに欲も出てきた。百万円ぽっちではくそ長い人生で考えたら瞬きの間に終わってしまう。そう考えるとそこまで湧いてきたイメージは吐き出した煙のように一瞬で消えてしまった。これを元手にもっと増やすことはできないだろうかと思う山田は、とりあえず腹ごしらえと買い物袋に手を伸ばそうとしたそのときインターホンが鳴った。
その瞬間山田は居留守を使おうか迷った。まだ夕方六時前。近所の農家さんの可能性もあるし何かしらの訪問販売の可能性もあると考えたが山田は返事をすることにした。
「どちら様ですか?」
「あ、えっと、今日隣に引っ越してきました神といいます。ご挨拶に」
「あ、あー、今開けますね」
山田は思った。今、神って言ったよね? 珍しい名字だな。変な人じゃなきゃいいけどお隣さんと揉め事とか起こしたくないもんなあ。そんな事を考えながらゆっくりドアを開けた。そこには茶髪にロン毛、しかも鼻から顎までびっしり髭を生やした男が立っていた。山田はイメージだけで「あ、この人ヤバイ人だ」と感じとる。郵便局員として仕事をしてきた中で培ったコミュケーション能力が裏付けする確かな感覚だった。
「改めまして、今日から隣に越してきました神といいます。どうぞよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる神さん。
「あ、こちらこそよろしくお願いします。山田と言います。何か困った事とかありましたら気軽に声をかけてください」
同じように社交辞令も織り混ぜながら頭を下げる山田。ありがとうございます、こちら心ばかりの品ではございますがと言って神さんは手にもっていた袋を山田の前に差し出した。山田がそれを受け取ろうとした瞬間、神さんは「ぜひ一緒に」と言って中に入ろうと体をいれてきた。あせる山田。油断が判断を遅らせるには十分だった。ドアを閉めようとしても遅い。もうすでに神さんの体の半分はドアの敷居を跨いでいるが山田の体とドアに挟まれて辛うじて止まっていた。
「いやいやいや、困りますって!」
「いや大丈夫ですって! ただこれ一緒に食べるだけですから! 神に誓って」
「今日会ったばかりの人を家にいれるのはどうかと思うので」
「私が綺麗な女性だったらいれるんでしょうが、そんなのずるくないですか? 偏見ですよね? イメージですよね?」
山田のドアを引く手に力が入る。
「いだだだだだ!」
神さんが苦痛に顔歪める。それを見た山田は躊躇してしまう。
「……いいんですか? 山田さん。今日良いことあったでしょう?」
「……何の事ですか?」
「ピザの図柄」
山田ははっとした表情で神さんの顔を見た。
「何で?」
「私の名前は?」
「神……さん?」
神さんは目を閉じて深く頷いた。




