最善の死よりも最悪の生を選ぶべし2
「まぁ、似ているけど違うのよ」
ニヤッと幼女の顔が売春宿の遣り手ババアに変わった。
「これ」
「たまご?」
レイが出してきたのは普通のゆで卵のような物だった。
「そう、世界のたまご」
「中身は<虚空> 。霊子光格膜を使って極限まで圧縮した無」
僕は旧友の奇妙な姿と同じくらい理解不能な顔をしてしまったのだろう。
「君の脳みそでは無理か」
やれやれといった風で細くて白い腕をふると、空中に地図が現れた。
「時間地図だよ」
幼女の両目を見開いて彼は続けた。
「原始人たちは時間が因果関係を規定していると妄想していたようだけれども、現実は違う。時間もまた、単なる地形に過ぎない。よって、あたしの手にかかれば当然、整地可能なわけだ」
「で?」
「整地するのに最も適した機械が人間であり、その道具がこのたまごというわけさ」
「好きな時間に変化させられるってこと?」
「まぁ、いまのところはそこまでは無理だが、お前一人ならなんとかなる」
「なら、お願いするさ」
「まぁ、まてよ」
レイは逞しい男性の足を組み直した。
「当然、問題もある」
「いえよ」
「君が<たまご>を食べる。君の中で孵った<虚空>が君を喰い尽くすまで、煉獄の苦痛が君を焼き尽くす。その上、喰い尽くされた君は、この世界から完全に忘れ去られる」
「痛いのごめんだが、忘れ去られるのは最高だ」
「最高か・・・。一度、訊きたいと思っていたんだが、何を覗いた?」
「・・・、お前が言ったように、煉獄の苦痛って奴さ」
「十三人之悪魔っていうのは、そんな大層な代物だったのか?」
「まあ、いいだろ。話をすすめろよ」
「あぁ、そうだな」
レイは細い腕を組んだ。
「あたしも、君の元妻も、全員が君がいなかった世界に生きるのさ。そして、君は次のどこかの時間へと生まれかわる。もっとも、生まれ変わるといっても、次の世界の誰かの体を奪いとる、という感じでね」
「知らない奴を乗っ取るっていうのか。精神支配に近い感じかな」
「まぁ、そうだね」
「なら、精神武器で使ったことがあるから、問題なさそうだな」
「問題なら、大ありだよ。君が精神支配していられる期間はそう長くはない上に、終わりがきたら次の転送が始まり、また、世界は君のことを完全に忘れる。それを無限に繰り返す。あたしなら、絶対に選ばない生き方だね」
「永遠に忘れ去られるか・・・。良いんじゃない? その永遠の間に、この煉獄を作った奴と出会える希望があるわけだから」
「なるほどね。君はやっぱり馬鹿だね」
「じゃ、これ、喰えば良いんだろ」
僕は蛇のように、卵を丸呑みした。
レイは笑っていたよう思うが、途端に全心身を襲った衝撃に視野も聴覚も嗅覚も吹っ飛んだ。全身の毛穴というか、全部の細胞がトゲトゲの鉄棒で抉られ、薄いカミソリで引き裂かれ、その上に電撃が与えられ、内臓は猛毒で焼かれ、そんな拷問の中、卵から何かが生まれて育つのは確実にわかった。そいつは、胃のあたりから僕の内臓を喰らいはじめ、どれくらいの時間が経ったのだろうか? 消えそうな意識を支えたのは、あの十三人之悪魔たちへの抵抗心だけだった。他の心は激痛と共に一つ一つと消え行き、妻への愛も、仲間への友情も喰われ、ただ残ったのは網膜に映ったあいつらの姿だけだ。
そして、最後に残った僕の眼球が喰われた時、僕はレイに初めて心の底から感謝した。
これでこのフザケタ世界を作った奴を殺す希望が生まれたからだ。