1 サイファスの朝・続き・3
長身の若い神官と、その連れの農夫が草叢から道へと馬車を戻す様子を、一人の美しい魔術師は遠く眺めていた。その肩の上には一羽の極彩色の鳥がとまっている。
「気は済んだかい、セラフィー。」
魔術師が話しかけると、綺麗な鳥は、プイッとそっぽを向いた。
「言いたいことを言ってきたのに、ご機嫌ななめだな。顔をぶたれたせいか?」
透き通る緋色の宝玉のような色合いの顔には、よく見るとナイフで線を引かれたような痛々しい傷が一本、額から両目の間を通って走っている。
「だから人面鳥なんかに化けて、脅かすような真似はよせと忠告したんだ。あの神官さんはともかく、農民に罪はないからね。どれ、傷をみせてごらん。」
イテェョ、バカ、なにをする!
「しいいっ!静かにしておくれ。ほら、神官が気付いて、こちらを見ている。」
お互いの表情を読めないほど距離が離れているが、ゆっくりと走る荷馬車に揺られながら、若い神官は、目立つ派手な色合いの、いかにも奇妙な取り合わせの一人と一羽を注意深く観察しているようだ。
(趣味の悪い服装の女だな。気味が悪い。おかしな鳥を連れているし。)
魔術師とセラフィーの脳内に、神官の思考が飛び込んでくる。
セラフィーはギィイイッと怒った。
おれ、やっぱ、あいつ、キライ!
「まぁまぁまぁ。何と言われても、しょうがないでしょ。僕も、確かにこの衣装はどうなの、と思っていたもの。」
魔術師は、やたらと風にはためいて始末のわるい、絢爛たる豪華衣装を見回した。
皇帝から直々に下賜された、オルキア特産八色金糸の刺繍を散りばめた極上の薄絹である。
諸国を巡回する魔術師、遊芸者、薬師、占い師らは、帝国特産の薄絹、金糸銀糸の刺繍物を身につけるように、とのお達しが出たのだ。役者や吟遊詩人らの衣装は、帝国特産品の良き宣伝になる、という事で。
「ナシルパル!貴様、仕事をやる気はあるのかッ!」
お目付け役の厳しい声が飛んだ。
やれやれと、魔術師は振り返る。
「視察はもう終わったよ。あとは帝都に帰り、皇帝陛下に奏上申しあげれば宜しかろう。」
魔術師は、適当な返事を返しつつ、丘陵の牧草地を、これだけは自前の編み上げサンダルで下り、物々しい甲冑姿の国境警邏兵の小隊長へ歩み寄った。
美しいが、男とも女ともつかない、得体の知れない魔術師を露骨に嫌った顔をして、壮年の小隊長は、眼下の光景に視線を戻した。
ぐるりと周囲を丘陵に取り囲まれた窪地に、灰燼に帰した集落があった。
一晩中燃え続けた木造家屋の黒焦げの残骸から幾筋もの煙が立ち昇っている。
「あとは鎮魂士の仕事だな。この集落について、僕のやるべき仕事はもうないよ。君等ももう、本来の持ち場へ帰ったら?」
「貴様はどうするつもりだ。」
「だから、さっき話した通り、帝都に向かいます。陛下に謁見して、報告します。さて、解散!」
しらっとした空気の中、兵士達は動かない。隊長の命令を待っているのだ。
小隊長は苦虫を噛み潰した顔で部下達に号令をかけた。「撤収!」
がっしゃ、がっしゃと甲冑を鳴らして、兵士たちは帰路に着いた。
小隊の先頭には、それぞれに緑、赤、紫の縁取りをされた漆黒の三枚の三角旗。一番上の旗には日輪を抱く多頭の蛇ヒュドラが描かれている。
魔術師ナシルパルは、少し考えると、腕を上げてひょいと空間を握り締めた。
白い手が開かれると、魔術師の手の平の上には、小さな美しい水色に煌くヒュドラが乗っていた。
ギャ、ギャ、とセラフィーが鳴く。
「シイーッ!」
ナシルパルは口元に指を当てた。
どーすんだ、それ。くうのか。やきへびか。おれにくわせろ。はら、へった。
「あとで使うのさ。それより、荷馬車はもう遠くへ行ってしまったかい?」
しらね。みえね。もーいない。たぶんな。しらね。
「よかった。セラフィーの声は、あの青年に筒抜けなんだもの。」
魔術師が歩き出すと、魔術師の体と衣装から、さらさらと全ての色が抜けて行き、代わりに白髪は澄んだ空の色に染まり、瞳は森の緑になった。鎮魂士の色だ。
さらにそれらしく見えるように、うなじで髪を結わえると、セラフィーに手招きをする。
ガ。いやだ。おれ、じゆうでいたい。
「いいから。辛抱しておくれ。」
逃げようとする極彩色の鳥をひッ捕まえて、胸元に抱きしめる。すると、セラフィーは紅玉色の光を放って消え去った。
ナシルパルが襟元をはだけ、白い胸を見る。肌の上に刺青の鳥となったセラフィーと水色のヒュドラがいた。
「これでよし。」
ナシルパルは鎮魂士に化けて本物の鎮魂士たちを待ち受けるつもりだ。