1 サイファスの朝・続き・1
「ゼクソーの市場へ行きゃあ、何でも揃うけども、方向が逆だ。仕方がねぇ、おらの家でおっかぁに、エメスさんの服を用意してもらおう。ついでに昼飯でも一緒に食いましょうや。」
エメスは、農夫へーコの気前の良い申し出にびっくりした。
「良いのですか?!突然にお伺いしては、奥方にご迷惑が掛かるのでは・・・。」
ゴトン、と二人を乗せて走る荷馬車が揺れた。
へーコは巧みに手綱を繰りながら、走行する荷馬車の車輪があげる騒音に負けぬよう、声を張り上げた。
「平気さ!家のおっかぁは、人様の面倒を見るのが趣味なんだ!」
「あ・・・、ありがとうございます!ありがたく、お言葉に甘えさせていただきます。」
エメスは思った。
(神殿内で噂に聞いたほど、外界は悪いところではないじゃないか。これからも、きっと良い出会いが数多くあるだろう。きっとそうですよ、前向きに考えましょう。)
機嫌よく、エメスは微笑んだ。心地よく風が頬をなでる。旭日はいつの間にか昇りきって、柔らかな春の日差しとなって田園地帯を進む荷馬車の上に降り注ぐ。
(わが師、ヨタナンは流石です。世間知らずの私と違い、人の性情を見抜く眼力がある。師は、旅立ちに当たって、良き人を選び、私に出会いを授けて下さった。)
ふふ。
「?・・・何か言いましたか、へーコさん。」
「あ?いや、おら何も言ってねえよ。暫くは道がでこぼこだから、しゃべると舌噛むよ。」
「は、はい、わかりました。そ、(ガタ、)の、(ゴト、)通りの、(ドスン、)よ、う、(バコン、)ですね!」
ははは。
(!?笑い声が聞こえる・・・。風の音だろうか。)
さいふぁす、しんかん、バーカ。しんじまえ、しんじまえ。
エメスは今、御者台で隣り合って座るへーコの顔をずっと見ていた。彼の口元は動いていない。
薄気味悪くなって、エメスはとっさに背後の荷台を振り返って見た。
荷台は相変わらず空っぽだ。当然だれも居はしない。
ほら、バカがみる、バカがみる。
(・・・・。私、疲れているのだろうか。酷い幻聴だ。神殿を離れた不安のあまり、おかしくなっているのですね・・・。情けない。)
オマエ、キライ。おれ、きらい。オマエ、でる、ひと、たくさん、コロス。
空耳の言う言葉を聞き取り、エメスが心に軽い衝撃を受けたとき・・・突然、へーコが叫んだ。
「くそ!人面鳥だ!なんてこった、ちくしょうめ!」
(人面鳥!?)
へーコの見上げる方角に目をやると、鷹ほどの大きさの、漆黒の怪鳥が宙を舞っていた。
「あんた、神官なんだから、さっさとあの化け物を追っ払ってくれ!」
「ただの大きなカラスに見えますが!」
「馬鹿言っちゃいけねぇ、カラスに人間の顔が付いているもんか!」
「人間の顔・・・・。」
へーコの表情は深刻そのものだ。どうやら本気らしい。外界の農民は迷信深いと聞いたが、カラス一羽で大騒ぎとは、幾らなんでも大袈裟な、と思った矢先のことだった。
地表に近い空を旋回していると思われた黒鳥が、走る荷馬車に狙いを定めたように急降下して来る。
大型のカラスに見えていた黒鳥の姿は、見る間に巨大化して、大きな羽音が聞こえる頃には、この怪鳥は人間の子供ほどの大きさなのだと、エメスは知った。
「ひぃいいっ、くわばら、くわばら、あっちゃいけ〜っ!!」
うろたえた余り、へーコは手綱を放り出し、ブンブン両手を振り回す。エメスは落ちる寸前の手綱を、あわてて捕えた。馬車の御者などやったことは無い。もう人面鳥どころではなかった。
「どう、どうッ!へーコさん、叫ばないで下さい、飼い主の声で、馬が興奮している!危険です!」
「ひーッ、」
「人面鳥より、馬車の暴走の方が、絶対に危険ですって!正気に戻ってくださいよ!」
「ひーッ、助けてくれぇ、神官さん、神様ぁッ!」
必死で手綱を取るエメスに、へーコはしがみ付いて来る。これでは体の自由がきかない。