4 招魂魔法・続き・2
バルファスの砦で、オルキア帝国北西方面第二駐屯軍指令長官直属の辺境守備軍バルファス小隊隊長のユリディアトスは、湯浴みのあとの寛ぎのひと時を自室で愉しんでいた。
秘蔵のぶどう酒の杯から香る芳香を嗅ぎ、満足げに月光に杯を差し上げて,望月に乾杯してから、一口飲む。
その様子を、物陰からずっと観察している人物がいるなどとは、想像だにしていない。
(うわぁ、いやなものを見ちゃったな。出るにでられないよ。どーすりゃいいのさ。)
ナシルパルは、見たくもないのに目撃してしまい、アーチ窓の柱の陰で、げんなりとなる。
筋力頼りで出世した、体毛豊富で髯の剃り跡の青々とした、暑苦しいご面相をした男が、ユリディアトスという、一際美しい響きの名だと知った時にも驚いたが、小隊長の密かな自己陶酔癖には、さらに度肝を抜かれた。
「えーっ、ゴホン、んー、んー・・・。あのーユリディアトス殿?」
裏返った声色で、ナシルパルは自身の存在を知らせる。
なにせ、時間が惜しい。
「だ、誰だっ?!何奴ッ!」
さすがつわもの、ユリディアトスは、即、剣を引き寄せ、身構える。
「僕だよ。ナシルパルだ。」
「貴様、許可無く、夜中の城内に侵入するとは!」
「しーっ。お静かに。実は、あの後、件の廃墟でちょっとしたトラブルがありましてね。ここら一帯は、何と言ってもユリディアトス殿の管轄地域ですし、帝都に参上する前に、まずは貴方にお伝えすべきかと思いまして・・・・。極秘にしたい内容なので、仕方なく、このような形で。」
「お・・・・・おう、そうか。極秘か。俺だけに聞かせたい話なのだな。待て、人払いをする。」
「人払い?」
どう見回しても、そう広くは無いユリディアトスの寝室と続きの居間には、彼とナシルパル以外誰も居ない。
「扉の向こうに、宿直番の兵が居るのだ。」
ナシルパルは、吹き出しそうになるのを堪えた。
(まるで、一国一城の太守気取りだな・・・・・。)
回廊へ出る扉に隙間を開け、宿直番役の部下を追い払うと、オルキアの小隊長は、「まあ、座りたまえ。」
とナシルパルに椅子を勧めた。
「いえ、卑しい魔術師の分際で、もったいない。立ったままご報告させていただきます。」
本音だ。なにしろ、時間がない。
「ヘロデア人の鎮魂士二人組みに、ユリディアトス殿の帝国旗のヒュドラを盗まれました。」
沈黙。反応がない。
小隊長殿は、ナシルパルの言葉の意味を理解できていないようだ。
しかし、『帝国旗』という単語には、敏感に反応する。
「わが軍の旗がどうしたと?」
「ですから、オルキアの象徴、日輪を抱く多頭蛇が、鎮魂士の不思議の技をもって、盗まれたのですよ。」
「旗が盗まれたのかッ!?」
「しーっ!事が露見すれば、小隊長どのの進退問題になってしまいます。お静かに。盗まれたのは、火難除けのシンボルである、ヒュドラの紋章のみです。日輪と、生地は無事です。
鎮魂士が使う、下等な技で、軍旗からヒュドラを抜き取ったのです。」
「何のために、そんな。」
ユリディアトスの顔色は、悪くなっている。
それはそうだ。神聖な、死守すべき誇り、『帝国旗』を汚されたとあっては、左遷では済まない。
必死に築き上げた現在の地位が、崩壊する。
「どうすれば良いのだナシルパル・・・・。」
ユリディアトスは、悪魔にでもすがりつきたい気分だった。