spring〜紫紺〜
目の前に、ことりと置かれたマカロン。右がラズベリー、左がピスタチオらしい。
「ピンクと、緑かぁ」
そんなことを呟いて、ラズベリーの方から手に取る。さくり、と口に含めば、ベリーの香りと優しい甘さが広がった。
程よい甘みが、ほんのいっときだけ私を満たす。余韻を味わったあと、残りをひとくちで頬張った。
「やっぱり美味しいよ、君が作るマカロンは」
「それは良かったよ〜。今日のは力作だし」
君が喋るのにあわせて、低めの位置で結んだポニーテールが揺れる。ゆらゆら? いや、ふわふわといった方が近いのかな。
「力作? 何か違うの?」
なんて聞くと、君は怒ったように笑う。今度は、ばしばし。
「アーモンドパウダー、高級品だよ!いつもよりグレード上げたからね」
……実を言うと、そんなのはもちろん分かっていた。分かってて言わない、だけ。
「うーん、どっちにしても美味しいから良いや」
もうひとつのマカロンに手を伸ばした。ピスタチオ風味。
ピスタチオの緑が綺麗だな、と思ったから、何気なく窓の方向へ翳してみる。
窓の外に覗く梅の薄紅、ぽっかりと羊雲の浮かぶ青い空、そしてちいさな焼菓子の緑色。ガラスの外の世界と中の世界のコントラストに、ほんの少しだけ目眩がした。
「今日は、紅茶もおすすめのやつだから是非どうぞ〜。高級品、でもないけど、私のお気に入りのキャンディ」
ありがと、と言ってからカップを持ち上げた。立ち昇る螺旋の湯気が、私の視界を白く染め上げてゆく。
────嗚呼、君に触れて、そのまま愛してしまいたい。
口付けより先がないのなら、失うものなんてきっとない。
失うものさえもないのなら、怖いものなんてないでしょう?
「なーんてね」
君が受け入れてくれないことに意味なんてない。
これはただの戯れ言だ。あるいは、言葉遊び。叶わぬ夢の、そのまた夢。
視界がクリアになると同時に、思考も正常へ戻っていった。さっきのは、白昼夢だということにしておこう。
「ん、この紅茶、美味しい」
そうでしょ? と、我が意を得たりとばかりに笑う君。ぴょんぴょんと跳ねる、長い髪。
「キャンディはね、その名前の通り、飴みたいな味がするの。だけど甘ったるい訳でもなくて。このお店でも常連さんだけに出してるよ」
サービスだね、なんて言って微笑む。色っぽさと、愛らしさと、その狭間にいる君。美麗とも違うし、妖艶とも違う。
好きな人に触れたい、抱き締めたい。そんな感情を教えてくれたのは、すべて君だ。みんながアイドルに感じるのかもしれない想いを、君にぶつけたい、とか。
「じゃあ、そろそろ行くね。仕事の時間だし」
「お会計はほっといていいからね〜。また来てね!」
肯定でも否定でもなく、ただ手をひらひらと振り返して店を出た。その意味を捉えるのは君の役割だろう。
扉の向こうでは、梅が今を盛りと咲き誇っていた。特有の甘い香りを漂わせ、枝をこちらへ伸ばしている。
「ごめんね、私はロウバイの方が好きなんだ」
今度こそ、拒否するように手首を返す。
梅の花を越えれば、別れと出会いの季節がやってくる。その時まで、今はただ────




