自切した蟹の足から生える触手
受験の本が面白いとめっちゃ流行っている。
いわゆる赤本というやつなんだけど、時期でもないのに本屋入り口にコーナーできてて平積み状態。
ポップまで書いてある。
宣伝して売る?
そういう本なのこれ?
という疑問を他所に人だかりができ売れに売れている。
ついつい手に取り、うちに女の子なんかいないのに女子校用のを買ってしまう。
この本屋は立ち読みし放題。
ご丁寧に椅子や机が置いてあり、カードゲームやボードゲームもお試しできる。
司書的な存在の店員がいて、いろいろな本の解説やゲームのやり方を教えてくれる。
ほとんど児童館だ。
帰ってから買った受験の本を読む。
夢中で読んでいて、昼食を食べ忘れてしまう。
思った以上に面白い。
わたしは帰省してきているようで、これからみんなで姪っ子たちの家に行くことになる。
ショッピングモールに寄るようだから何か買って軽く食べようと思う。
父の車で出発だ。
ショッピングモールにつくと子供は真っ先にペットショップへと駆け寄っていった。
用はないがついていくしかあるまい。
ペットショップの通路の中央に、全ての足を自切してしまい蛸壺に篭った蟹が、青いトレーに載せられて放置されていた。
何の柵もない。
みている人もない。
蟹にはもう一本も足がないのだから脱走のしようがないと思ってのことだろう。
蟹は人知れず切断面から蜘蛛の糸のようにほっそりとした薄紫色の触手をツーっと床に伸ばし始めた。
触手にはところどころ桃色の大きな吸盤がついている。
蟹は吸盤で床をしっかりとらえるとそれを頼りに移動しようとし始めた。
グラグラ揺れるのが精一杯。
今は、まだ。
だけど。
触手の先にはかすみ草みたいなふわふわしたものがついている。
そこから何らかの物質を放出しているのか触れた場所が暗く変色していく。
よく見るとかすみ草の先から小さな綿帽子みたいなものが吐き出されていた。
蟹の仔だ。
どんどん湧いて出てくる。
半透明の蟹の仔は僅かな風に吹き飛ばされてすぐに物陰に隠れてしまう。
誰も気がつかない。
でもわかる。
あれは危ういやつだ。
黒い黒いものをみんな飲み込んだようなあの蟹は、まもなく力を得る。
動き出す。
息子は天井まである水槽に張り付いて、キラキラ光る大きなアジたちに夢中になっていた。
わたしは床を這うもはや何者なのかわからない無気味な蟹を指差し、急いで息子の手を引いた。
たくましく輝くアジの群れに心を残しながら、ペットショップを後にする。
ショップを出たところで偶然ママ友Aにあう。
双子の娘も一緒だ。
Aはわたしが脇に挟んだ流行りの受験本に興味津々だ。
読み終わったら彼女に受験本をやろうと思う。
立ち話で共通のママ友の話になる。
Aのするママ友の物真似があまりにそっくりで笑ってしまう。
いつのまにかこれから泊まる家は姪っ子の家ではなくAの家になっている。
帰省もなかったことになっている。
父もいない。
私は息子と二人だ。
Aの双子の娘は泊まりの話を聞くと「えーやだー」と声を揃える。
嫌ならうちにきてもらうのでもいいよ、というけどそれもいやーという。
男の子とお泊まり会をするのは嫌ということらしい。
少し前までは一緒にキャンプもしてたけれど、まあもうそういうのは困る年頃だよな。
でもなんだかんだで彼女たちはうちにくることになった。
家で一緒に夕食を食べる。
食べていると夫が仕事から戻ってくる。
いつも遅いのでこんなに早い帰宅とは思わなかった。
ご飯あるっちゃーあるけど……と慌てることになった。
ふと息子の髪に何か付いていると目をやる。
蟹の仔だ。
からっからの死骸になって髪に絡みついていた。
20200221




