殺人者は少女になったのか
障害物など何もないかのようなめちゃくちゃな勢いで、転がるようにAは逃げていた。
通りの人々は悲鳴を上げて、身を逸らす。
時になぎ倒され、蹴飛ばされるものもあるが、それどころじゃないといった様子でAは様々なものをなぎ倒しながら走り抜ける。
Aは自身の弟を殺した。
殺したのは川沿いの倉庫みたいな木造の小屋だった。
縊り殺しているところを目撃したBに咎められ、ものもいわず逃げ出したのだ。
河川敷から工業地帯の産業道路を抜けて街中、そして大きなため池の辺りまで十何キロも駆け抜ける。
人殺しだ! 彼を止めて! 捕まえて!!
Bは叫び、仲間を集めながら集団でAを追い詰めていく。
追い詰められたAは柵を飛び越え、池の上のボロい木でできた使われていない船着場の上まで逃げたところで、足を踏み抜いた。
必死で割れた板にしがみつくも、地上には追手が迫っている。
Aは自ら濁ったため池に飛び込んだ。
あっという間に見えなくなってしまう。
逃すものかとBは濁った水面を見つめ、Aの行方を目で追った。
池の水は泥が舞ってほとんど沼のようにどろりとしてくる。
あそこだ!
指を指し追いかけるも、ぽっかりと浮かび上がった人型のものはAじゃない。
カエルの卵のようにどろりとした透明の物に包まれたあれは、少女だ。
淀みに打ち上げられた少女が目を閉じ直立の姿勢のまま、ヌルッとした膜に何重にも包まれて眠っている。
ここで神視点だった私の視点は、Bに重なる。
Bは少女を見て、この人は私の大切な人だったのに、追い詰めて殺してしまったと嘆いた。
私が殺した。
取り返しのつかないことをしてしまった。
この少女は殺人者Aだ。
間違いない、彼なのだ。
Aは池に落ち、目を閉じて眠る少女になったのだ。
誰かが「生きているぞ!」と声を上げる。
少女の白い胸は上下し、目蓋の内側で眼球が揺れている。
白桃のように赤く染まった頬は死人のそれではない。
剥がそうと膜に触れると、透明な粘り気が手にまとわりつく。
それどころか刺激によって膜はますます分泌されて、厚く層を作りはじめるようだった。
膜そのものが生きているかのように。
そうだ。
幾重にもなった膜の中で少女は生きている。
身動ぎもせずに。
今は届かなくとも。
生きている。
殺人者Aは少女になったのだ。
20191212




