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「ちょっと良いですか?」
侍女頭にそう声をかけられて長い廊下を歩く。
この先に何があるのだろうか?
凛は戸惑った。
「扉の中へ入りなさい」
侍女頭は凛を見ると静かに告げた。
目の前には立派な扉。
言われなくてもここが何処なのか分かってしまった。
凛はそっと扉に触れる。
侍女頭はついて来ないようだ。
何かへマをしただろうか?
凛は首をかしげる。
いや、何もしていないはずだ。
だから怯えることはない、と自分に言い聞かせる。
扉を開けると部屋の中には一人の男が立っていた。
彼はこの国の第一王子愁である。
一介の侍女である凛に用があるとは思えない。
「君に頼みたいことがある」
真剣な顔で愁はそう告げた。
「イヤなら断っても構わない」
愁の言葉に凛は思わず苦笑する。
「王子、私は侍女ですよ?
その侍女に遠慮してどうするのですか?」
どんなことでも引き受けましょう、と凛は答えた。
「…そうか。では、10日間、一人の男の世話をしてほしい」
「畏まりました」
凛の言葉を聞いても愁はまだ苦々しい顔をしている。
「王子?そんなに厄介な相手なのですか?」
「いや…そういう男ではないのだが」
愁の言葉は歯切れが悪い。
「それなら大丈夫です。
10日間頑張って勤めさせて頂きます」
凛はそう言うと頭を下げる。
「よろしく頼む」
愁の言葉を聞いて凛は微笑んだ。
凛がお世話をすることになったのは敵国の王子だという。
凛の国は戦争に勝ち、負けた国の捕虜として王子は捕らえられた。
王子はまだ若く、凛と同じくらいだと聞く。
凛はこの国の貴族の娘だが、身分は低く王族の侍女となって王宮に勤めている。
愁とは母方の従兄になるが、それは皆は知らないことだった。
凛はため息をついた。
まだ見ぬ王子を恐れてもいた。
たった10日間だと言っても相手は王族だ。
恐れ敬う対象なのだ。
恐れないほうがどうかしている。
凛は王子のいる部屋へと向かう。
今は客人として扱われているようだ。
離れにあるその部屋は捕われ人が住むのに相応しい。
重厚な重い扉だ。
その扉の前で呼吸を整える。
ノックをしてから静かに扉を開けると窓辺に立つ男がいた。
彼が翠王子だ。
王子は黒い瞳と髪の美しい男であった。
凛は挨拶を忘れるほどに見惚れてしまう。
「誰?」
問い掛けにハッとして凛は頭を下げた。
「今日からお世話をさせて頂きます。
凛といいます。よろしくお願いします」
凛の言葉に翠は柔らかく微笑む。
「そうか。よろしく頼む」
さすが王族。
世話をされるのが当たり前な態度だ。
凛は静かに頭を下げた。
それが翠との生活の始まりだった。