4
山賊崩れの統治者が、一人、死ぬ。
それだけでは、強大な帝国は微塵も揺るがない。
だが、蟻の穴は強大な堤防すら決壊させると同時に、酷く小さいモノで、皇帝は、未だに現れた者達を知る由も無かった。
青年に頭領が討ち果たされる。
それほど時が過ぎることなく、【ごく偶々】同じ様にして、皇帝配下、下級の男爵の屋敷が、火の手に包まれていた。
怪しい青年に殺された頭領と同じく、この男爵もまた、暴利を貪る政治を展開していた。
内訳は難しいモノではなく、領民から武器を奪い、金を召し上げ、食料を強奪した。
やっている事自体は、頭領と同じだが、男爵もまた、そういった性格になるのには、理由が有った。
彼は幼少の頃から、父親に厳格に育てられた。
統治者となるべく、父親は彼の人格を否定し、熱した鉄の棒を、叩き延ばすが如く、彼を叩き付け、今の彼を作り上げた。
厳格な父とは反対に、男爵の母は奔放であり、夫とは別の男性の元へと走り、それ故に家には居らず、幼少の男爵を慰める者は庭の小鳥達であった。
しかしある時、豪邸の裏に在った筈の小鳥の巣は、綺麗さっぱりと、跡形も無く、片づけられており、幼少の彼は、その手の中の餌をボトリと落とした。
幼少の男爵が、使用人に巣の存在を問いかけるが、老若男女の何人も全てが、同じ冷たい表情で、同じ冷たい答えを返してきた。
【旦那様の命令で、お掃除しておきました】と。
それ以来、彼は、人の心を棄てた。
有り体に言えば、父から爵位を受け取り自分が行った政治の結果、数万の中から十人、五十人が死のうが、どうとも思わなくなっていた。
暴政を行おうと、人口を管理してくれる以上、男爵には皇帝も口を出すことはなく、傍観するのみ。
そんな男爵の屋敷が、火の手に包まれたのは、近辺の貴族が、皇帝に対して、反旗を翻した際の、ほんの些細な行き掛け毛の駄賃程度の事である。
だが、いざ足を農具で突かれ、動きを失った男爵の前には、近辺からも、庶民からも、神童、名君と言われている公爵が居た。
端正な顔立ちから、同じ貴族からも引く手数多であり、庶民からも、戦士や騎士すら、彼を崇め奉った。
「屑共は下げてあります…………ようやく、ゆっくりとお話が出来ますね?」
今更、襲いかかった相手に対して、青年公爵はあくまでも、紳士的な態度で
あった。そんな公爵の余裕など態度、高級な衣服、端正にして均整の取れた見事な体躯と、男爵からは欲しても得られなかった全てを、憎き敵は持っていた。
「…………今更、何のようだ?」
男爵はと言うと、公爵の隙を窺っていた。可能ならば、せめてこの美男子を道連れにしてやろうと。男爵の荒い呼吸に対して、公爵は、単発の古めかしい銃を、ワザと男爵へと投げ渡す。男爵は、一瞬目を疑った。
だが、急いで這いずり、その銃を手に取ると、薄く笑う公爵へと、向ける。
「余裕のつもりか? それとも、イかれているのか?」
男爵の訝しむ声に、公爵は笑うと、ワザと両手を開いて、敢えて的になる。
「どうぞ? 在る意味、最後の機会ですよ?」
そんな、どこか挑発めいた公爵の言葉に触発されたのか、男爵は、引き金を引かんと、指に力を込めた。
その時である。
未だに、男爵の屋敷の周りでは、公爵率いる農民と、美麗の女性戦士や騎士が、一方的な虐殺を繰り返していた。その女性達全ては、公爵を愛し、神のように崇め、狂信的に信じている。それ故か、異常なまでに強く、男爵の私兵では止めるどころかただの練習以下でしかなかった。
そして、偶々、女騎士に切り捨てられた私兵の持っていた銃から、弾があらぬ方へと飛んでいく。
撃ち出された弾は、男爵と公爵の居る部屋の窓ガラスを突き破り、偶々置いてあった置物にぶつかり、その軌道を変えた。
そして、乾いた破裂音と共に、男爵が持つ銃からは、弾が吐き出される。
確かに、男爵はしっかりと公爵を狙っていた筈だ。
だが、先程部屋に飛び込んできたあらぬ弾丸は、男爵の持つ銃へと当たり、その銃口の向きを変えた。
撃たれた筈の公爵もまた、顔の直ぐ横を弾が抜けても、瞬き一つせず、実につまらなそうに溜め息混じりに、舌打ちすら漏らしていた。
「…………ほら、やっぱり当たらない…………」
奇跡的に、弾が外れた割には、公爵はあからさまにつまらないという顔を浮かべ、その反対に、男爵は驚愕し、その太めの身体は恐怖に震えた。
「…………勝手に話すので、勝手に聞いててくださいね?」
狼狽える男爵をよそに、公爵は溜め息を漏らした。
「私はね………元々、此処の人間じゃあ、ないんですよ…………それこそ、死ぬ前の私は、タダの屑でした…………でも、くだらない理由で死んで、何が悲しくてこんな所に居なければ成らないのか…………」
公爵の言葉を余所に、屋敷に火が回り、どんどんと明るさを増す。
「初めは…………本当に楽しかった…………本当の俺とは正反対の美男子に産まれて、最初の十年、二十年は、あれやこれやと楽しめた…………本当に…………でも、直ぐ気づいたんですよ? 失敗や挫折と言うのは、人生の口直しか、再起を奮起させる為のスパイスなのだとね…………」
ワザとらしく、公爵は纏う豪勢なマントを翻したながら、クルクルと回った。
「………最悪だと思いませんか? 私が気紛れに植えた種は、全てが芽吹き、何をしようと、どんな事業だろうと、それは成功する………周りの男女は、歳も関係なく、どうしようが私に好意的だ…………面白いと思いませんか? 私には、既に妻が五人以上居るんですよ? 誰もが、目を引くような美女ばかり……でも、誰一人として俺を見てなんかいやしない……最悪です……」
クルクル回るのを止めた公爵は、狼狽える男爵を無視して、その場に座り込んだ。
周り中が燃え始めようが、一切気にすることなく。
「………変だとは思ったんですよ? 知りもしない知識が頭に山ほど詰め込まれ、何をどうしようが、必ず成功という帰結に辿り着いてしまう…………誰も、本当の俺を見てなんてくれない……涙ながらに上っ面の私を慰めてくれるだけ……輝ける成功者、救世主、勝手に持ち上げ、勝手に騒ぐ……でも、それは、本当の俺じゃあない……本当に最悪ですよ…………」
何故かは分からない、だが、男爵には、悲しげに語る公爵が、自分と重なって見えた。
「英雄的奇跡と、主人公補正そして、無限之知識が在る限り、死にたくとも、絶対に死ねないし、何をやろうが成功してしまう……一回ね、この御伽噺から逃げようと、岩山から飛び降りてみたんですよ? でも、足の骨に罅しか入ってくれなかった………そのくせ、国が滅んだかの如く周りは大慌て………なんの為に生きてるのでしょうか? 私は…………」
此処に来て、男爵すらも笑った。
「貴様が何を言ってるのかは知らんが、何が不満だ!? それだけ好き勝手にしておいて…………皇帝陛下が、さぞや嘆き悲しむであろう………貴様の様な化け物の為に、世界が壊れるとな…………」
そんな、男爵の言葉を受けてか、公爵は立ち上がると、流麗な金髪をかき乱しながら、酷く下品に笑った。
「化け物? 素晴らしい! その通りですよ、男爵殿! 私達の様な存在はね、ただの怪物なんですよ? 好き勝手に暴れ、殺してまわって、好き勝手に国すら作れる…………そんな私達に、最後に残された娯楽…………何だか分かりますか? お別れ前に教えてあげます………殺しですよ、虐殺です、他者が作り上げた全てを、横から現れてぶち壊す! 最高にして、最後の娯楽………人間はね、バクテリアの時代から何も進歩なんてしてや居ないんですよ、作っては殺し、殺しは作って、また殺す…ただのくだらない繰り返しなんですよ? どんな形でも良い! 相手を殺そうが蔑もうが、上と下、生と死、何人も優劣を着けずには、絶対に居られない!」
狂った様に、公爵は笑い、酷く下品に、裏声の様に引きつりながらも、普段の穏やかな彼とはかけ離れ、ゲラゲラと笑いながら語った。
此処に来て、いよいよかと、男爵の覚悟も決まる。
「それで、英雄殿…………何でそんな話を、俺に?」
男爵の哀れむ様な声に、公爵は、動きをピタリと止めた。
ゆっくりと男爵へと振り向き、腰から、もう一丁の銃を引き抜き、ピタリと男爵の額へ狙いを定めた。
見事なまでに細工が施され、それ一丁だけでも、一財産とでも云うような銃であった。
「…………正直に言います…………誰でも良い、誰かに……本当の俺の声を聞いて欲しかったんです…………でも、貴方は黙って、本当の俺の声を聞いてくれた…………ありがとう…………」
本心偽ることなく、心からそう言うと、公爵は、男爵に向かって引き金を引いた。
火に巻かれる屋敷から、公爵が僅かに煤に汚れつつも出てくるのを、彼が率いた軍勢は高らかに彼の無事を祝い、勝ち鬨を上げた。
彼の側近、そして、妻を自称する彩りの女性達は、我先にと公爵へと寄り添い、彼の無事を安堵し抱き付いた。
そんな、周りの騒ぎに、英雄は、少し悲しげに笑いながらも、周りに、感謝の言葉を漏らす。
「いやぁ…………助かったよ、ありがとう」
だが、男爵へと向けたその言葉よりも、公爵の口から漏れ出る声は、酷く適当なモノでしかなかった。