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佐東の目に映る将軍だが、傍目には、その辺に居そうな青年にしか見えない。
着ている衣服が上等では在るが、だからといって、それが戦力に成ることは有り得ない。
だが、【司書】は、平然と自分の机を蹴り飛ばし、弾丸の様に、大仰な机が飛ぶ。
一般的な机が飛んで来れば、大抵の人間は驚くだろう。
だが、佐東もまた、並みの人間ではなく、人知を超えた力を発揮する異能力者である。
素手とはいえ、飛んで来た机を片手でなぎ払うが、佐東に殴り払われた机を眼くらましに、将軍は佐東の懐へと潜り込む。
ほんの一瞬だが、佐東は見た。
あからさまに、自分を嗤うであろう将軍の笑顔を。
人の身を捨てた将軍の拳は、大柄な佐東を殴り飛ばし、居城の石造りの壁に、罅を入れた。
強かに背中を打ちつけたからか、ほんの僅かとはいえ、佐東は咳き込む。
それを見て、彼を殴り飛ばしたであろう将軍は、面白げに笑っていた。
「ほほぅ………実に素晴らしい…………並みの人間であるならば、私が殴っただけで死んでいる筈…………だが、君は生きている。 実に素晴らしい」
両手を広げてそう言うの将軍は、何処か玩具を買い与えられたら子供の様な声を上げた。
そんな将軍の言葉では在るが、無理もないだろう。
かつての英雄である皇帝に従い、彼もまた、人ではない何かに、身を墜とした。
結果として、彼が手に入れたのは、いつ果てるとも言えない命と、人間を遥かに超えた力であった。
【司書】を始めとした将軍達は、全員で十二名であり、その全てが、今や人の姿をしてはいても、その身に宿る力は、人間を遥かに超えていた。
この世界に来て以来、初めて手応えというモノを、佐東は感じていた。
彼の持つ力を用いれば、他者を惑わし、殺すのも容易く、それ故に、彼は失望感すら感じていたのだが、それでも、自分を変えてくれた少女と、目の前の敵という存在に対して、感謝の念すら抱く。
少女と過ごす内に、いつしか忘れかけていた残虐性を、佐東は思い出し、その口には、何処か薄っぺらい笑みが張り付いていた。
床に向かって、唾を吐き捨てる佐東。
「お褒めに預かり…………恐悦至極ってやつだやな………いいよ、お前………今までのカス共よりも、全然面白いわ」
嫌みな声でそう言うと、佐東もまた、目の前で悠然と構える将軍へと、身構えた。
調整の力使い、将軍を暗殺するだけならば、在る意味、簡単な事だろう。
気付かれずに背後へ忍び寄り、腰に帯びた短剣にて、将軍の首かき切れば良い。
だが、敢えて佐東はその方法を選ぶことはなかった。
問題の二つであり、カインの提示した条件と佐東の力の欠点にある。
カインの提示した条件はさほど難しいモノではなく、帝国への反旗の狼煙として【可能な限り、派手に相手を殺せ】と言うものだ。
調整の力は、自己の数値を弄れるのだが、それにこそ、欠点が見え隠れしている。
仮に、佐東が、自己の所持金を増やそうと思っても、出来ない事はないのだか、それに際して、一つの問題が持ち上がった。
所持金という欄を弄る事は出来たとしても、それには、必ずしわ寄せが存在する。
何故かと言えば、佐東の力はあくまでも調整する為のそれであり、無いモノを産み出す事は、出来ない。
それでも、集める気なら出来ない事はないが、結果としては、周りの人間から金を吸い上げるという形に成ってしまう。
自分の財布から、いつの間にか現金を抜かれれば、誰と言わずに、皆が困惑するだろう。
だからといって、本来の佐東であれば、特に気にする程の問題ではなかったが、今や、それは形を変えている。
多額の金銭を要求する以上、代価は必要であり、その代価として、佐東はカインの仕事を引き受けていた。
存在感を弄れない以上、佐東の姿は、将軍に丸見えなのだが、だからといって、それを気にしている暇は無い。
町の人間に、少女を預けてあるとは言え、其処の守りは、佐東が側に居ない以上、万全ではないだろう。
仮に、包丁片手に人間が少女を狙えば、それこそ目も当てられない。
だからこそ、在る意味、佐東は真剣に成り始めていた
佐東が、如何に仕掛けようかと悩んでいる内に、将軍はというと、肩をぐるぐると回して、佐東へと視線を向ける。
負ける筈は無いと、高を括っていた佐東だが、同時に、彼の頭には在る不安を思い起こさせる。
実際の所、佐東は死んだ事は無い。
他の能力者が、死んでも再復活出来るが、だからといって、佐東が復活出来る理由など、感じられない。
試したことが無いそれは、確実に佐東を蝕んでも居た。
何度なく人を殺して居るはずの彼だが、未だに彼は一度も【此方では】死んでいない。
朧気に覚えているのは、何かが近寄って来るような感覚と、身体に感じた激しい衝撃、後は、暗く成る意識だけ。
思わず、手のひらの中で操作を行おうと画策する佐東だが、生憎と、それを待つほど将軍も暇ではない。
唐突に、掌を見つめ始めた佐東へと、将軍は脚を踏み出していた。
石畳に罅を入れる程の爆発的な将軍の突っ込みに、佐東は操作を中断し、横へ跳ぶ。
攻撃を回避すると言うこと事態は初めてではないが、意図してそれをさせられたのは、初めてであった。
「なんだ? 威勢がいい割には、そっぽを向く………随分と余裕だな?」
堅牢な石の壁に、拳で穴を穿つ。
それをまざまざと見せ付けられ、佐東は慢心という言葉を思い出していた。
「はぁ? 全然余裕なんすけどぉ!?」
元々短絡的な佐東の口から、虚勢とも悪態とも付かない言葉が漏れる。
だが、やはりと言うべきか、普段から少女と過ごす内に、過剰な筋力を抑える形だったのだが、この時、それが裏目に出ていた。
将軍の拳を受け止めた筈の腕は痺れ、其処には、鈍痛すら伴っている。
骨こそ折れてはいない。
だが、確実に痛みを感じた佐東は、心の何処かに、恐怖を覚え始めていた。
なかなか操作をする余裕が無い以上、なんとか、将軍の隙を見つけねば成らず、それに対して、以前上げたままにしていた佐東の知能は、素早く策を巡らせる。
部屋の外からは、将軍と佐東の激突による爆音から、他の兵士達も異変にようやく気づき、足早に此方へと向かってくるのが、佐東には分かる。
何人かの声と、着ているであろう鎧のガチャガチャという金属音。
佐東は、如何に異能力者とはいえ、決して無敵ではない。
何故かと言えば、コンソールを観るまでもなく、実感として感じるモノがある。
殴られた腕と、壁に叩きつけられた背中が、それを訴えていた。
「将軍! 御無事ですか!?」
今や、ドアが破られ、単なる入り口と化している其処からは、ゾロゾロと兵士達が乱入。
それに対して、将軍は微塵も隙を見せる事なく、片手を上げる事でそれを制した。
「よい…………久々に力を振るえるのだ…………長年の事務など飽き飽きしていた所へ来てくれた客………なれば、私自身が歓待するのが礼であろう?」
そう言う将軍に、兵士から、将軍愛用の槍が投げ渡されるのと、散らばった机の破片を、佐東が急ぎ棍棒へと変化させるのは、ほぼ同時だった。
能力者以上に素早く、そして、正確な槍さばき。
それを何とか棍棒で弾く佐東では在るが、彼は、失敗したと考える。
自分は人を遥かに超えた化け物である。
であるならば、何故に道具に頼る必要が在るのか。
其処には、能力云々以前に、人としての佐東の弱みが在った。
素手よりも、武器を使った方が強いというのは、ごく当たり前なのだが、それは、異能力者には何の関係もない。
そもそも、彼はその気になれば、大岩でも持ち上げられる。
成ればこそ、わざわざ必要のない小細工に手間を取ってしまったと、佐東は僅かに歯噛みをしていた。
金属の穂先と、佐東の棍棒が立てる轟音に、兵士達は近寄るのを躊躇う。
当たり前だが、眼にも留まらぬ速さで繰り返される攻防に、皆一様に魅入っていた。
突き出される槍の柄を、佐東は片手ではじき出し、必殺の一撃を加えんと、棍棒を将軍へと振り下ろす。
刹那の瞬間ではあるが、将軍は、敢えてそれを肩で受け止め、彼の肩の骨は砕け、肉と地が飛び散った。
勝ちを信じた佐東ではあるが、一つの問題が彼を悩ませる。
飛び散った将軍の血が、偶々目に入り込み、視界を奪った。
一旦距離を置き、将軍は自分の肩を見入る。
人間であれば、痛みに呻き、膝を着いたとしても不思議ではない。
だが、将軍は嗤ってすらいた。
「何十年振りか…………手傷を負うなど、久しく思う…………」
将軍の言葉よりも、周りで見守る兵士達は、将軍の異変に気付き、皆が一様に息をのむ。
砕かれた筈の将軍の肩からは、泡とも言い難い何かが這い登り、衣服は無理でも、傷口を完治させてしまった。
兵士達の眼も忘れ、将軍はすっかり治った肩をグルグルと回すと、片手の槍を軽く振り回す。
その槍の穂先は、激しい【司書】の意志を受けてか、真っ赤に赤熱かし始めていた。
「さぁ…………勇者殿? 続きと参ろうか…………」
嬉しそうな将軍の声に、佐東は我が耳を疑った。
身体の痛みも勿論だが、それ以前に、目が見えない。
水筒の一つでも腰にぶら下げておけば、或いはこんな事態には成り得ないのだが、生憎と、佐東の自負と余裕は、危険に対する心構えを怠らせていた。
先程までの攻防は何処へやら、今では、将軍の一方的な攻めが続く。
ほとんど効かない視界は頼りに成らず、槍の穂先が繰り出される度、佐東の傷は確実に増えていく。
佐東は、己の力の欠点を初めて体験していた。
調整は、それを見て、指で弄る事によって初めて力が作用するのだが、生憎と、持ち主の目は見えない。必死に掌に表示はさせても、其処には佐東の身体の状態が着々と記されているだけであり、それは、佐東にとっては微塵も有り難くない。
何とか自己を弄ろうにも、見えない以上は下手に調整を使う訳にも行かず、佐東は、この世界に来てから、初めて焦っていた。
調整の項目は多岐に渡る。
それである以上、どこに何の項目が在るのかを、見なくてはいけない。
無論、ある程度で在れば、見なくても記憶は出来るが、慢心していた彼は、そういった努力を怠り、怠惰に過ごしてしまった。
そのしわ寄せとはいえ、佐東からは、思わず舌打ちが漏れる。
一方、将軍にしても、万を超える民と、千を超える兵を預かる以上、簡単に死ぬわけには行かない。
だからこそ、彼の攻めは過酷であり、そして容赦がない。
見えない以上、槍の穂先を特定するのは困難である。
唐突に、佐東は己の腹部に激しい衝撃と、凄まじい熱を感じ、口から僅かとはいえ、血を吐く。
佐東には見えてはいないが、それでも、将軍の槍は、佐東の腹を確実に貫いていた。




