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トラカレ  作者: ケヤキ
8/12

8

 朝、いつもの時間に起きると父の姿はなくて、まるで元から誰もいなかったみたいにがらんとした部屋だけが残っていた。

 でも、殴られた身体の痛みと、空き缶に詰め込まれた煙草の吸い殻が、確かに父がここにいたことを証明している。

 私はため息をついて、とりあえず学校に行くための準備を始めた。身体が痛くてあまり動きたくないから、朝ご飯は適当にパンで済ませてしまおう。

 早めに学校に行って、昨日できなかった予習もしたい。家より学校の方が集中できるし。

 父に学校の荷物が荒らされていないのは助かったな、と思いながら鞄に今日の時間割の教科書とノートを入れて家を出た。

 空は微妙な曇り具合だけど、雨が降る予報はなかったから、傘はいいかな。

 まだちょっと早い時間だから、通学路に生徒の姿はほとんどない。

 なるべく身体に響かないようにゆっくり歩いていたら、


「蓬茨」


 後ろから呼び止められた。振り返れば、そこには難しい顔をした月山君が立っている。


「あ、月山君、おはよう」

「……おはよう」


 不満そうに挨拶を返されたけど、どうしたんだろう。なんだか機嫌が悪いみたい。


「……えっと、月山君はいつもこの時間なの? 早いね」

「それはそっちもだろ」

「私は学校で今日の予習しようと思って。昨日できなかったから」

「……昨日、何かあったのか?」


 一段と月山君の声が低くなった気がする。

 昨日と言えば、トラ君はちゃんと帰れたのかな。


「そういえば、昨日の夜トラ君に会ったけど、ちゃんと帰ってきた?」

「……あぁ。蓬茨はなんであの時間に公園にいたんだ?」

「え? なんで公園って知ってるの?」

「……散歩コース、だから」


 なんだか言い辛そうにしながら月山君は目を逸らして答えてくれた。

 そういえば初めて会ったのもあの公園だったなぁ。


「そっか、ならよかった。昨日はトラ君しかいないみたいだったから」

「……虎のことはいい。なんで公園にいた?」


 急に月山君が腕を掴んできて、私は驚いてすぐに答えられなかった。すごく怖い顔をしている月山君が目の前にいて、思わず身が竦んでしまう。


「昨日、何があった?」

「な、何もないよ。ちょっと散歩に出たら、公園でトラ君に会っただけで……」


 私の答えに納得できていないみたいで、月山君は眉間に皺を寄せた。月山君は、何を怒っているんだろう。

 腕を離してもらえないままでしばらく道端に立ち止まっていたけど、そろそろ学校行きたいな、と思っていたら、不意に月山君が鼻を鳴らした。


「……蓬茨、怪我してるのか?」

「え……?」


 思わず逃げそうになったけど、私の腕を掴んでいた月山君の腕に力が入って、それは叶わなかった。


「な、なんで……? 別に、どこも怪我してないけど」


 声が震える。でも、私は必死にそう答えた。

 本当にどうしてわかったんだろう。

 少なくとも、目につく場所に傷はつけられてない。顔だって殴られなかった。ちゃんと家を出る時に、制服に着替えてからチェックだってしたから、大丈夫なはずだったのに。

 すると、月山君はまたスンスンと鼻を鳴らして、私の首元に顔を寄せてきた。


「っ、つ、月山、君……!?」


 あまりの近さに逃げそうになったけど、月山君は逃がしてくれるつもりはないみたいで、腕をもっと強く掴まれた。


「……血の臭いがする」

「え?」

「もしかして、自分で気づいてないのか? 少しだけど、臭うぞ」

「血、のにおい……?」


 月山君の言ってることがよくわからなくて、首を傾げた。血なんか出てないし、もし出てたとしても臭いがわかるなんてすごい量の出血じゃないと無理なんじゃ……。

 身を捩って腕を離してもらおうとしたけど、昨日の殴られたところに響いて、ズキリと痛みが走る。

 血の臭いはともかく、腕を離して欲しいと思って月山君を見上げた。


「月山君、痛いから……離して」

「やっぱり怪我して――痛っ!」


 何か言いかけた月山君は、顔を歪めたと思ったら弾かれたように振り返った。どうしたんだろう、と思って月山君の後ろを見ると、そこには燐先輩の姿。

 なぜだろう、笑っているのに少し怖い。


「ツッキー」

「リンさん、なんでこんなとこに」

「俺が朝に通学路を歩いてたら悪いのか? それより、ツッキー何やってんの?」

「何って……」

「よく知らないけどさ~、カヤちゃん迷惑してるっぽいし、離してやれよ」


 燐先輩に言われて、月山君はやっと私の腕を離してくれた。ホッと息をついていたら、いつの間にか燐先輩がすぐ隣に立っていて肩が跳ねる。


「っ、り、燐先輩?」

「ツッキーに何された?」

「え?」


 燐先輩は真剣な顔でじっと私の顔を見つめてくる。真顔の先輩もちょっと怖い。


「あのさ~、別にどこでどうイチャつこうが2人の自由なんだけどさ~」

「い、いちゃ……?」

「カヤちゃんが嫌がってるなら話は別」


 そう言うと、燐先輩は目だけを動かして隣の月山君を見た。


「ツッキー、正直に言わないと去勢」


 物騒な言葉にギョッとして月山君を見れば、月山君はバツが悪そうな顔をしてため息をついた。


「……別に何もしてないですし、そもそも俺と蓬茨はそんなんじゃないんで」

「でも、カヤちゃん嫌がってただろ?」

「……それは」


 月山君が口籠ったから、私は慌てて口を挟んだ。


「あ、あの! 違うんです! 月山君は私のこと心配してくれただけで」

「心配って?」

「え、えっと……私の元気がないみたいだから、どうかしたのかって心配してくれたんです」

「……ふ~ん」


 血の臭いがとか私が怪我してるとかは言っちゃいけないと思って濁すと、燐先輩はスッと私から離れていく。引いてくれたけど納得はしてくれてないみたいで、両手を腰にあててやれやれとため息をついた。


「カヤちゃんが言うなら納得してやるけどさ~」

「あの、先輩。本当に月山君は何も――」

「かやの~ん!」


 突然割り込んできた声にそっちを見たら、少し離れたところからあざみんが手を振りながらこっちに走ってくるところだった。


「おっはよー! 一緒に教室行こー!」

「え? あ、あざみん?」

「遅刻しちゃうよー!」


 走ってきたあざみんは私の手を取って、走ってきた勢いのまま私を引いて走り出した。

 転びそうになったけど、慌ててあざみんに合わせて走りながら後ろを振り返る。月山君と燐先輩はポカンとしていて、追いかけてくる様子はなかった。

 顔を前に戻して、まだ足を止めないあざみんを見る。


「あ、あざみん。走ると転ぶよ!」

「もう大丈夫!?」

「え、何が?」

「さっきの2人、追いかけてきてない!?」

「う、うん」


 鬼気迫るあざみんに私が戸惑いながらも頷くと、あざみんはやっと足を緩めてくれた。それでも手を握ったまま学校までの道をゆっくり歩く。

 あざみんは何も言わない。だけど、私を助けようとしてくれたことはわかっていたから、そっと手を握り返した。


「ありがとね、あざみん」

「……何か嫌なことされなかった? さっきの、月山君と怖い先輩でしょ?」

「あざみん、燐先輩のこと知ってるの?」

「あんな目立つ先輩、知らない方がおかしいよ! すっごく危ない人だって聞いたことあるよ!」


 あざみんが燐先輩のどんな噂を聞いたのか気になるところだけど、今はやめておこう。


「大丈夫だよ、でもありがとね」


 笑顔でお礼を言えば、私を振り返ったあざみんは泣きそうな顔をしていた。


「……何かあったら、すぐに言ってね」

「……うん」


 頷くと、あざみんはやっといつもの笑顔を見せてくれた。私もホッとしてあざみんの隣に並ぶ。

 悪者にされてしまった月山君と燐先輩には、心の中で謝っておいた。

 生徒も増えてきた通学路で肩を並べて歩きながら、私はふとさっきの月山君の言葉を思い出して、そっと制服の襟元を摘む。

 スン、と息を吸ってみるけど、やっぱり血の臭いなんてわからない。自分の体臭には気づかないっていうけど、そういうことなのかな?


「ねぇ、あざみん」

「なぁに?」

「……私、臭い?」

「え?」


 パチパチと瞬きをするあざみん、やっぱりかわいい。


「臭うって言われたんだけど、よくわからないんだよね。制汗剤使ってきたけど、足りなかったかな?」

「……それ、誰に言われたの?」

「え? ……えっと、月山君」


 ずいっと身を乗り出すように聞かれてつい答えてしまった。

 すると、あざみんはぐっと眉根を寄せて頬を膨らませる。


「かやのんは臭くないよ! もぉーサイテー! 女の子に言っていいことじゃないよ! 気にしないで、かやのん!」

「う、うん。気にしてないよ」


 プンプンって音が聞こえてきそうなくらいの勢いに戸惑ったけれど、こうして怒ってくれることが嬉しくて、つい顔がにやけてしまう。ただでさえ、あざみんは癒し効果抜群なんだよね。怒った顔もかわいい、なんてあざみんのためにありそうな言葉だ。


「かやのん、他には何も言われてない? 私だけじゃなくて、はなちゃんも連れてくるよ! 一緒に月山君怒ってあげるよ!」

「だ、大丈夫だよ」


 伊花ちゃんまで一緒になったら、月山君に心の傷が残りそう。伊花ちゃんは敵だと思った相手には容赦ないから。

 私は伊花ちゃんには内緒にしてね、ってあざみんにお願いしながら、もうこの話は忘れようと思った。

 月山君の勘違いかもしれないし、たぶん悪気はなかったんだから、気にしないことにしよう。

 でも、やっぱり後で制汗剤は使っておこうかな。

 怒って速足になったあざみんについていきながら、教室に入るまでずっとあざみんは手を握っていてくれた。

 それだけのことが、不思議と嬉しかった。

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