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トラカレ  作者: ケヤキ
6/12

6

「なんであんなとこにいたのかと思ってた。掃除当番だったのか」

「うん、じゃんけんで負けちゃって」


 えへへ、と笑って頭を掻けば、月山君は小さく息をついた。

 呆れられたかな……。


「取りに付き合わせちゃってごめんね」

「別にいい」


 月山君の答えは素っ気なかった。

 怒ってはいないと思うんだけど、ちょっと不安になる。

 あの後、ゴミ捨て場に置き去りにしてしまったゴミ箱を一緒に取りに行ってもらい、こうして私は月山君と並んで帰り道を歩いていた。

 そんなことをしてたらすっかり遅くなってしまって、茜色の夕焼けに夜が滲んでいる。薄暗い道をぽつぽつと外灯の明かりが照らしていた。


「あ、あの……言いそびれちゃってたんだけど、助けてくれてありがとう」


 いろんなことがあって結局お礼を言ってなかったことを思い出した。

 月山君は驚いたように目を見開いて、そして眉根を寄せて微妙な顔をする。


「いや、俺の面倒に巻き込んだようなもんだし」

「でも、月山君に助けてもらわなかったら、あのまま殴られてたと思うから」


 あれは私が不用意に出て行ったのが悪いんだし、そのせいで月山君に怪我をさせてしまったのがすごく申し訳なかったけど、それでもお礼は言いたかった。

 絆創膏を貼った月山君の手を見ると、ガーゼに少し血が滲んでいる。


「その……怪我、お大事にね」

「かすり傷だからすぐ治る」

「そっか……」

「もし、またあの人らに絡まれたら逃げろよ。どこで絡まれるかわかんねぇし、俺がずっと見てやれるわけじゃねぇし」

「う、うん」


 頷いてはみたけど、ちょっと不安。

 でも、それを言っても仕方ないから私はそれ以上何も言わなかった。

 それきり会話が途切れてしまって、私たちは無言のまま道を歩く。

 なんだか、沈黙が痛い。

 せっかくだし、もう少し話がしたいな。何か話題ないかな。


「そうだ、トラ君は元気?」

「あ?」


 月山君は眉根を寄せて、怖い顔で私を見下ろしてくる。

 なんだろ……聞いちゃいけないことだったのかな。

 しばらくして、月山君はあ、と声を上げた。


「……そうだった」

「え?」

「……なんでもない」


 どうしたんだろうと思って月山君の顔を覗くけど、思いきり目を逸らされてしまう。

 やっぱり怒らせちゃったかな。


「……元気」

「え?」

「そっちが聞いたんだろ。元気だよ、別に……いつも通り」


 ちょっと遅れて、トラ君のことだと理解した。


「そっか」

「……」

「最近は……散歩、してないの?」

「蓬茨に会ってからはしてないな」

「そうなんだ、ストレス溜まらない?」


 犬や猫と同じように考えていいのかわからなかったけど、人も動物も引きこもってたら精神衛生上よくないはずだ。

 そう思って尋ねてみたら、月山君は眉根を寄せた難しい顔をした。


「……別に、外に出てないわけじゃない」

「そうなの?」

「家に庭あるからそこで動き回ってる」

「庭があるんだ。月山君の家って大きいの?」

「……まぁ、普通」


 素っ気ない答えを聞く限り、あまり家のことは話したくないのかも。

 うーん、他に何か話題はないかな。


「そういえば、もうすぐ文化祭だけど、月山君って何か部活してたっけ?」

「いや、帰宅部」

「そっかー。うちのクラスって何やるんだろうね?」

「さぁ」

「去年の先輩たちは屋台とか喫茶店とかしてたよね」

「そうなのか」

「え? 月山君、去年の文化祭いなかったの?」

「いや、いたけどリンさんと一緒だったから見てない」

「一緒に回らなかったの?」


 冗談だろ、と月山君が肩を竦める。


「あの人と文化祭回るとか、身体がいくつあっても足りねぇ」


 私は思わず笑ってしまった。

 燐先輩に振り回されている月山君の姿がすぐ浮かんでくる。

 心の中で燐先輩に謝りながら、笑うのを止めてふと前を見ると、道の先に目当ての家が見えてきていた。


「あ、月山君。ここまででいいよ。すぐそこだから」

「そうか」

「今日は、本当にありがとね」

「こっちこそ悪かったな」

「ううん。じゃあ、また学校で」

「おぅ」


 月山君に手を振って踵を返し、家のドアノブに手をかける。

 恐る恐る回してみたら、鍵の引っかかる感触があって安心した。

 よかった、まだ帰ってないみたい。

 鍵を開けて家の中へ入ると、中はいつも通り薄暗かった。

 靴を脱いで自室に鞄を置き、脱いだ制服をジャージと一緒に洗濯機に入れる。スイッチを入れて洗濯機が回り始めたのを確認してから、スカートはハンガーにかけておいた。

 ちょっと皺になってるところは寝押ししておこうかな。

 軽くスカートを手で払ってから、キッチンへ。明日の予習があるから今日の夕ご飯は簡単に済ませよう。

 冷蔵庫には材料もまだあるし、ご飯は冷凍してある分が残っているから買い物に出なくても問題はなさそうだった。

 と言っても、料理スキルはお世辞にも高い方じゃないから、材料がいっぱいあったところで大したものは作れないけど。

 野菜炒めでいいかなと思って、適当に材料を切ってフライパンで炒める。油の跳ねる音はちょっとワクワクしてくるんだけど、あざみんに言っても理解してもらえないんだよね。

 目分量で調味料を入れてからもう少し炒めて火を止める。冷凍ご飯を電子レンジで解凍してる間に、お皿に盛りつけて洗い物。

 ご飯もお茶碗に盛りつけてテーブルに並べてから席についた。


「いただきます」


 湯気が立つお皿に手を合わせて箸を取る。

 一口、野菜炒めを食べてみたら、味が薄かった。飲み込んでちょっと悩んでから、やっぱり薄いなって思って醤油を足す。

 春に母が入院してからは、ほとんど一人暮らしのような生活を送っているけど、なかなか料理は上達しない。

 家事をしてみて改めて母の大変さが身に染みる日々。

 もうちょっと小さい時からお手伝いとかしておくんだったなぁと何度も思ったけれど、なんとか生活していた。

 黙々とご飯を食べ終わって食器を洗ってから、お風呂の給湯器のスイッチを入れておく。

 居間の床に座り込んでぼんやりしながら、なんとなく今日のことを思い返した。

 いろいろあり過ぎて頭の中が整理できていないけど、前よりは月山君と仲良くなれたかな。

 みんなは月山君のことを怖い人だって思っているみたいだけど、本当はとても優しい男の子だ。確かにちょっと顔とか喋り方は怖いんだけど、今日だって私のことを助けてくれたし、わざわざ家まで送ってくれた。

 今日はこれまでの中で、月山君と一番たくさん話をした日のような気がする。

 月山君の声は低くて静かだけど、不思議と聞き取りやすくて、聞いていて落ち着く声をしてる。特徴的な声ではないんだけど、月山君の声は私の耳に残っていた。

 だから、あの夜に公園で声を聞いた時、すぐわかった。


 初めて月山君の声を聞いたのは、確か春のことだったと思う。

 先生に雑用をお願いされた私は、断れずに頷いてしまい、放課後の教室に残って作業していた。

 日直の日誌を届けに行った時に頼まれたから、あざみんや伊花ちゃんはもう帰ってしまっていて、一人でするしかなかった。

 生徒たちに配布するプリントをまとめてホチキスで綴じる簡単な作業だったけど、その量がすごく多くて、いつ終わるんだろうって遠い目をしながら手を動かしてた時だった。

 教室のドアが開いて、男子生徒が入ってくる。

 顔を上げるとバッチリ目が合って、私はびっくりして固まってしまった。向こうも驚いていたみたいで、ポカンと私を見つめていた。

 その男子生徒というのが、月山君だった。

 当時、月山君のことは名前と噂だけでしか知らなくて、同じクラスだけど全然話をしたことがなかったから、なんとなく気まずくて私は黙々と作業を続けた。

 月山君は自分の席にいって鞄を取ると、さっさと教室を出て行こうとする。

 けれど、立ち止ったかと思ったら早足で私のところにやってきた。


「おい」

「ひゃい!」


 急に声をかけられて、この時も私は変な声を出してしまったのだった。

 恐る恐る月山君を見れば、不機嫌そうな顔で見降ろされていて、怖かったのを覚えている。


「それ、先生から言われたのか?」

「え……ぅ、うん」

「……1人でやってんのか?」

「うん……友達はもう帰っちゃったから」

「……そうか」


 月山君は何か考えるように黙り込んでしまって、私がビクビクしながらどうしようと思っていたら、急に前の席の椅子を引いて座ると、プリントの山に手を伸ばした。

 1枚ずつ重ねてまとめると、私に差し出してくる。

 反応できなくて月山君の顔とその手のプリントを交互に見ていたら、


「……日が暮れる」

「え?」

「さっさと帰りたいだろ。俺が渡すから、そっちがホチキス」

「え……あ、うん」


 どうやら手伝ってくれるつもりらしいとわかって、慌ててプリントを受け取ってホチキスで留める。

 そうして月山君のおかげであっという間に作業が終わってしまい、私がお礼を言って、まとめ終えたプリントの山を持とうとすると、先に月山君の腕が伸びてきて奪われてしまった。


「職員室でいいのか?」

「う、うん」

「担任のとこ?」

「うん」

「わかった」


 私は混乱しながら月山君についていく形で職員室に向かい、先生に終わりました、と報告した。

 先生はプリントの山を抱えた月山君を見て、声をなくすくらい驚いていた。月山君は気まずそうにしていたけど、何も言わないでプリントを置いてさっさと帰ってしまったのだった。


 思えば、あの時から月山君に対する気持ちがちょっと変わったと思う。

 怖いのは、まだあるんだけど。

 その内、月山君のこと怖いなんて思わないようになればいいな。

 無意識に口元が緩んでしまう。

 1人でニヤニヤしてるなんて怪しいなぁなんて思いながら、明日の予習をしようと立ち上がろうとした時だった。

 ドン、と乱暴にドアが叩かれる音がして飛び上がる。

 そのまま固まっていたら、またドアを叩く音がして肩が跳ねた。もう叩くと言うより殴ると言った方がいいくらいの音。

 震える膝に力を込めてゆっくり立ち上がる。玄関に向かう途中でまたドン、とドアが殴られた。

 ドアノブに手を伸ばす。手が震えて、うまく力が入らない。

 またドアが殴られた。

 もうこれ以上待たせられない。

 息を吸って止めてから、鍵を開ける。ドアノブを回し終える前に、乱暴にドアが開かれた。

 それに引っ張られて転びそうになったのを、慌てて踏み止まる。


「遅ぇ! 1回で出ろ!」


 怒鳴られて突き飛ばされた。

 玄関に尻餅をついて見上げると、射殺すような瞳に見下ろされる。


「っ……!」


 悲鳴が出そうになって必死に飲み込んだ。今ここで声を出したら何をされるかわからない。

 お酒を飲んで来たみたいで、不機嫌そうなその顔は少し赤かった。

 白髪混じりの短髪を掻きながらドアが閉められる。ズカズカと上がり込んできて、尻餅をついたままの私の横を通り抜けていく背中を振り返った。

 ニヤリ、と笑ったその人の口には短くなった煙草が咥えられていて、ポロポロと灰が零れ落ちていく。


「カヤぁ、今日泊まらせろ」


 サーッと血の気が引いていくのがわかった。


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