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次の日、教室に行くと、
「何もされなかった!?」
ってあざみんに詰め寄られた。
その様子を見た伊花ちゃんにまで心配されてしまったほどで、月山君が他の人にどう思われてるのかを改めて実感した気分だった。
少なくとも、月山君はみんなが思ってるように、意味もなく暴力を振るったり、自分勝手に振舞ったりするような人じゃない。
私に声をかけた時も私の都合を聞いてくれたし、気遣ってくれた。
私もそんなに親しいわけでもないし、怖いのはわかるんだけど、月山君は悪い人じゃないと思うんだよね。
私が笑って宥めてなんとかその場は収まったものの、月山君が近くを通るたびにあざみんが私を庇うようにしがみついて来てたのがちょっとかわいかった。
誤解されてる月山君には申し訳ないなぁと思いながら、あまり話しかけるきっかけも掴めないまま、秘密を知ってから時は過ぎ、なんだかんだと8月が終わろうとしている。
まだまだ夏の暑さが抜けない日々にうんざりしながら、私は放課後清掃の当番でゴミ捨て場に来ていた。
ゴミ捨て場は体育館裏の隅っこにあって、普段は滅多に生徒もよりつかない場所だ。日陰で薄暗いし、ちょっと不気味なんだよね。
できればあんまり来たくない場所だけど、ジャンケンで負けたのは仕方ない。
ゴミ箱の中身を捨ててから、私は腰に手を当てて逸らす。
花の女子高生が何やってんのって伊花ちゃんに言われそうだけど、ゴミ箱って重いんだもん。
どこか遠くでセミが鳴いている声を聞きながら、私は教室に戻ろうと床に置いていたゴミ箱に手をかけた。
その時だった。
「ふざけてんじゃねぇぞ!」
突然の怒声に私は息を呑んで、そのままの姿勢で固まってしまった。
慌てて辺りを見回すけど、私の他には誰もいない。
でも、すぐにまた声が聞こえてきた。
「んだ、その目はァ? ケンカ売ってんのか!? あぁ!?」
自分に向けられてるわけでもないのに、つい身が竦んでしまうほどの怒鳴り声だった。
足音を立てないように恐る恐る声の方へ向かってみる。角からそっと顔を出すと、そこにはいかにもって感じの生徒が3人いて、壁際の1人を囲むように立っている。
多分、3人は先輩だ。同級生なら顔を見れば大体わかる。それに、あんな着崩された制服に金髪の姿は、教室棟にいれば嫌でも目を引くはず。
1年生には金髪の子なんていなかったと思うし。
今時、校舎裏に呼び出しなんてする人いるんだなぁと思いながら、囲まれている人を見れば、なんとそれは月山君だった。
「なんとか言えや、ごるァ!」
至近距離でそう怒鳴られても、月山君は無表情のまま微動だにしないで立っている。慣れてるのかな。
そんな月山君に先輩はますます怒ったのか、胸倉を掴み上げた。それでも月山君は動かない。
月山君が殴られると思って、私は咄嗟に角から飛び出していた。
「あ、あの!」
「あァ!?」
4人が一斉に私を見た。先輩3人に睨まれて、胃をぎゅっと掴まれたような気分で身が竦む。
月山君は、私を見て驚いたように目を見開いていた。
「……ぅ、えと……暴力は、いけない……と思います」
勢い込んで飛び出したけど、声が尻すぼみになってしまった。
先輩3人は怪訝そうに私を見ていたけど、月山君の胸倉を掴んでいた先輩がその手を離して私に詰め寄ってくる。
この先輩がリーダーみたいな感じで、2人は取り巻きみたいだ。
「んだ、手前?」
「ひっ」
近い距離で睨まれて、つい引き攣った声が漏れてしまった。
それに気を悪くしたみたいで、先輩の表情がますます凶悪な物になる。
「やんのか、コラ?」
「っ!?」
いきなり胸倉を掴まれて踵が浮いた。
だ、男女平等ですか、先輩……!?
そんなふざけたことを考えていると、先輩が腕を振り上げるのが見えた。
あ、殴られるな。
どこか冷静にその腕を見上げている私がいた。
痛みに耐えようと目を閉じて歯を食い縛る。
何かがぶつかるような鈍い音が耳に入って、浮いていた踵が地面に着いた。
バランスを崩しかけた私の腕を誰かに捕まれたおかげで転ぶことはなかったけど、予想していた痛みと衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、そこには制服を着た大きな背中がある。
さらに見上げれば、少し長めの色素の薄い髪に覆われた後頭部が目に入った。
「……月山君?」
思わずそう漏らす。
月山君の目の前には、地面に倒れている先輩の姿があった。その頬は痛々しいくらいに赤くなっていて、唇の端からは血が滲んでいる。
「月山、手前……やりやがったな」
先輩がそう言って口元の血を拭った。
他の2人が手を貸して殴られた先輩を起き上がらせる。
どうやら、私を殴ろうとした先輩を月山君が殴り飛ばしたらしい。さっき腕を掴んでくれたのも、きっと月山君だ。
私は戸惑いながらも、月山君の制服の裾を軽く引いた。月山君は私を背中に庇うように身をずらす。
「くそが、調子こきやがって、この――ッ!」
激昂した先輩が殴りかかってこようとした時だった。
「な~にやってんの?」
間延びした声が響いた瞬間、先輩は動きを止めた。まるで一時停止をしたみたいに動かなくなってしまった先輩にわけがわからないまま月山君を見れば、月山君は先輩から視線を外して別の方を見ていた。
その目は少し見開かれていて、驚いているみたいだった。
私もそっちを見ると、そこには見知らぬ人が立っていた。
赤みがかった茶髪はセットしているのか天然なのかわからないけどふわふわしていて、耳にはピアスがたくさんついている。見てるこっちが痛くなってくるくらいだった。
制服はシャツにブレザーを羽織っていて、全身からだらりとした雰囲気が出ている。
力のない笑顔を浮かべているけれど、その目はちっとも笑っていなかった。
「リン、さん……」
殴りかかろうとしている姿勢のまま、先輩がそう呟いた。
ちょっと声が震えてるのは気のせいかな。
ダラダラと冷や汗をかく3人に歩み寄りながら、リンさんと呼ばれたその人はニコニコしながら小首を傾げた。
「何やってんのって聞いてんだけど? イヌガラシとおまけ2人」
「いや、その……」
「イヌガラシさぁ……こいつに喧嘩ふっかけて何かおもしろいのか?」
「お、おもしろいわけでは……」
「何度も返り討ちにあってんのに懲りないねぇ、お前も。あとさぁ~」
先輩の目の前にやって来たリンさんは、口元を歪めてさらに笑う。
「関係ない女の子殴ろうとするのはさすがにどうかと思うんだよねぇ~」
「こ、これはその――げぼっ!」
何かを言いかけた先輩のお腹に、リンさんの足がめり込んだ。
お腹を抱えて蹲った先輩の後頭部を踏みつけて、リンさんは笑う。
私は怖くなって無意識に月山君の腕にしがみついていた。
「言い訳はいらないからさぁ~」
「ぅ、げ……」
「さっさと消えろ、雑草」
底冷えするような声が投げられたと同時に顔を蹴り飛ばされた先輩が地面に転がった。
取り巻き2人が小さく悲鳴を上げて、完全に気を失っている先輩を引きずっていく。
私がその姿を呆然と見つめていると、
「蓬茨、大丈夫か?」
月山君の声に我に返り、腕にしがみついていたことに気づいて慌てて離れた。
「あ、うん……ごめん」
「いや、こっちこそ巻き込んで悪かったな」
心なしか落ち込んでいる様子の月山君に、私は首を横に振る。
「勝手に出て行ったのは私だし、月山君が謝ることないよ」
「だけど……」
「ツッキー、この子どこの子ぉ?」
間延びした声が割って入って、すぐ隣にリンさんが立っているのに気づいた。びっくりして思わず肩が跳ねる。
いつの間に隣に来たんだろう……ツッキーって月山君のことかな?
「同じクラスの蓬茨です」
「へぇ~、ツッキーのこと庇おうとするとかすごいね」
面白そうに笑って、リンさんは私の顔を覗き込むように首を傾げた。
隣に立たれて気づいたけど、月山君よりは大きくないものの、リンさんも背が高い。
「名前教えて」
「え?」
「俺は、3年の青野木 燐。君は?」
「……えと、蓬茨 茅です」
「カヤちゃんって呼んでもいい?」
「……はい」
「俺のことは好きに呼んでいいよ~」
頷くと、笑顔で頭を撫でられて私は戸惑ってしまう。
そんな燐先輩に、月山君がため息混じりに口を開いた。
「リンさん、蓬茨が怖がってます」
「えぇ~、怖くないよね?」
同意を求められて、私は困ってしまった。
正直なところ、さっきの様子を見て怖がらない方がおかしいと思う。
「ところで、リンさん珍しいっすね。いつもは人のケンカなんか口も手も出さないのに」
困っている私を見かねたのか、月山君が話を逸らしてくれた。
「だってさぁ~、ツッキー庇おうとする女の子だよ?」
「どういう意味っすか?」
「そのまんまの意味ぃ~。ていうか、お前がクラスの女の子と交流持ってるのも驚き。てっきりクラス中から怖がられてると思ってた」
「それは、まぁ……」
月山君が居心地悪そうに言葉を濁す。
怖がられていることは月山君も自覚してるんだ。いつも周りの反応なんか関係ないって顔してるから、気にしてないのかと思ってた。
「それに、お前が先に手ぇ出すのも珍しいし」
「……俺はいいですけど、蓬茨は関係ないですから」
「ふーん。で、カヤちゃん。ツッキーとはどういったご関係?」
「え?」
急に話を振られて呆気に取られていると、燐先輩はそんな私に構わず続けた。
「付き合ってどれくらい? こいつ愛想ないから大変でしょ? 悩みとか文句あったら代わりに聞いちゃうよ? カヤちゃん気弱そうだもんねぇ。あ、惚気でもいいよ? それはそれで聞きたい。ツッキーの性癖とかさ~」
なんで私と月山君が付き合ってる前提で話が進んで行くんだろ?
「リンさん、蓬茨と俺はそういうんじゃないです」
「またまたぁ~」
「隠してどうするんですか、本当っすよ」
答えられないでいる私の代わりに月山君が答えてくれたけど、燐先輩は腑に落ちないって顔で私を見ている。
「お前が言うならそういうことにしておいてやるけどさぁ」
「いや、だから……」
「まぁまぁ、この話はいいとして」
「……よくないっす」
不満げに呟く月山君に、私はつい笑ってしまった。
「ツッキーさ、とりあえず保健室行けば?」
燐先輩のその言葉に、私は首を傾げて2人を交互に見つめる。
「いや、大したことないんで」
言いながらひらひらと振られた月山君の手には血が滲んでいた。
私はギョッとしてその手を掴む。
突然掴まれて月山君は驚いていたみたいだったけど、気にしていられない。
「け、怪我……! 手当てしなきゃ!」
「大したことないからいい」
「ダメだよ!」
血はそんなに出てないみたいだけど、だからってこのままにしてはおけない。
「保健室行こ!」
少し強引に腕を引けば、月山君は渋々といった様子だったけど、何も言わずについてきてくれた。
その後ろから、どこか楽しそうな燐先輩もついてくる。
何人かすれ違った生徒が不思議なものを見るような目を向けて来た気がするけど、気にしない。今は早く保健室だ。
そう思って廊下を早足で歩いていると、不意に立ち止まった月山君に繋いでいた手を引かれた。
「蓬茨」
「何?」
振り返ると、月山君は眉根を寄せて私を見下ろしている。
「手、離してくんね?」
「え? あ、痛かった?」
傷に障ったかなと思って慌てて離す。
「子どもじゃねぇし、独りで歩けるから」
「そ、そうだよね。ごめん」
「ツッキー、女の子にはもっと優しくしてやった方がいいぞ~」
茶化すような燐先輩の言葉に、月山君は不機嫌そうに眉根を寄せた。
怒っちゃったかなと思ってハラハラしてると、
「照れんなって」
燐先輩は笑いながら肘で月山君を小突いている。
月山君は面白くなさそうに軽く唇を尖らせてそっぽを向いた。
「……照れてないっす」
「ツッキーがそういう態度取るのは照れてる時だって知ってるもんねぇ~」
燐先輩は完全に月山君をからかって楽しんでいるみたいだった。
微笑ましくもある2人のやりとりを見て、私はちょっと安心してホッと息をつく。
……あの顔、怒ってるんじゃなくて照れてたんだ。