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月が丸い夜だった。
誰もいない夜道をとぼとぼと歩く私はきっと家出少女か何かに見えるに違いない。
背は高くないし、お世辞にもスタイルだってよくない。
時々中学生に見られてしまうこともあるけど、私はれっきとした高校2年生だ。
未成年には変わりないんだけど、中学生と高校生は全然違う。
月とすっぽんほどじゃないけど、月と星ぐらいは違う。
ともあれ、警察の人に会ったら補導されてしまうかも、とビクビクしながら、私はいつも立ち寄る公園に逃げ込んだ。
腕時計は、夜の11時を指している。
当然公園には誰もいない。外灯の下にぽっかり浮かぶベンチに座って、目を閉じた。
風が木々を揺らす音が微かに耳に届いてくる。この音を聞いてると、すごく落ち着く。どんな安眠音楽やクラシックよりも、ずっとずっと心が落ち着くのだ。
いつもなら家でテレビを見ながら宿題をしている時間なんだけど、今日は家にいたくなかった。正確にはいられなかった、なんだけど置いておく。
夏休みが終わって、まだ夏の名残を残した空気は少し湿っているけれど、夜は冷たい風が肌を撫でてくれるから気持ちいい。
補導される前に帰らなきゃと思うんだけど、ついついあと5分って思ってしまってなかなかベンチから離れられなかった。
朝に二度寝したくなる気分に似てる。ダメだと思いつつ、どうしても誘惑には勝てないものだ。
そうして、静かな夜の音に耳を澄ませていた私は、ふと妙な音を拾って目を開けた。
風の音に混じって聞こえてきたのは、低く重い唸り声のようだった。
なんだろう、と思って周りを見回してみるけど、私以外に誰もいない……よね。
犬の散歩でもしてる人がいるのかと思ったけど、人影がなくてただ唸り声みたいな音が聞こえてくる。
私は立ち上がって、声のする方へ向かってみた。
公園は広場と遊具置き場の三方を囲むように林が広がっている。林というよりは森かな。
あまり違いがわからないけど、木が鬱蒼と茂っていて昼間でも薄暗い場所だ。森林浴にはもってこいの緑豊かな空間で、声はそこから聞こえてくる。
月明かりの届かない森の中は昼間以上に真っ暗だ。
踏み込むのに躊躇して、でも好奇心が勝った。
好奇心は猫をも殺すって誰の言葉だったっけ。
草を踏みしめてそろそろと足元を確認しながら森を進んでいくと、唸り声がどんどん大きくなってきた。
突然、パキリと足元で音がして、耳を澄ませていた私は飛びあがりそうになった。落ちていた枝を踏んだみたい。
ホッと息をついて前を見ると、目の前の暗闇で何かが動いたような気がした。
木々の隙間から漏れた月明かりに照らされて、薄らとその姿が見える。
その影は大きくて、犬や人じゃないことはすぐにわかった。
じゃあ、なんだろう?
息遣いが聞こえる。荒いわけじゃないけど、なんか緊張してるみたいでこっちの心臓もバクバクしてきた。
唸り声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
そっとその陰に近づいてみる。
怖かったけど、不思議と大丈夫だって直感がある。
暗い森の中で、月明かりに切り取られた場所に踏み出すと、その影が驚いたように息を呑むのがわかった。
「……蓬茨、か?」
私の耳に、声が飛び込んできた。
確かに、目の前の影が発した声。
ちゃんと聞き取れた。蓬茨は、私の苗字だ。
相手は私を知っている。
私もその声に聞き覚えがあった。
目の前の影がのっそりと動いた。
月明かりに浮かび上がったその姿を見て、私は一瞬大きな猫かと思った。
オレンジ色に近い黄色い毛並。
しなやかな体に波紋みたいに走る黒い縞模様。
月明かりを反射して輝く黄金色の瞳。
動物園でしか見たことがないその姿を前に、私は不思議と落ち着いて目を奪われていた。自分でも呆れるくらい、危ないとか逃げようって考えが浮かばなかった。
宝石みたいに輝いている瞳を、すごく綺麗だと思った。こんなに綺麗な瞳をした動物を、私は見たことがない。
それは――大きな虎だった。
「……月山君?」