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クソゲーの悪役令嬢に転生した私を、いじめっ子の聖女が救ってくれた理由

作者: 夜野あめ

「あら、ごめんなさい。アリス様。手が滑ってしまったわ」


 扇情的な笑みを浮かべた聖女エマが、私の淡いブルーのドレスに真っ赤なワインをぶちまけた。

 王立学院の輝かしいサロン。そこには多くの貴族の令嬢や令息がいたが、誰も私を助けようとはしない。むしろ、クスクスという忍び笑いが、冷たい冷気のように私の肌を刺した。


(出たよ……今週で三回目だよ。もういい加減にしてくれないかなぁ!)


 私は心の中で絶叫しながらも、顔には淑女としての完璧な微笑を貼り付けていた。

 私の名前はアリス・フォン・ローゼンブルク。この乙女ゲーム『クリスタル・ファンタジア』における、典型的な「悪役令嬢」だ。




 前世の私は、深夜まで残業に追われる社畜OLだった。唯一の癒やしがこのゲームだったけれど、まさか自分がその世界に、しかも最後は国外追放か処刑される運命の悪役令嬢に転生するなんて、どんな罰ゲームよ。


 だから私は頑張った。

 王子に近づかず、聖女には関わらず、領地経営の勉強だけをして「地味で無害なモブ令嬢」として生き延びようとした。……それなのに。


「見て、アリス様のあの顔。聖女様にワインをかけられて、今にも呪い殺しそうな形相ですわ」


「怖っ。エマ様、こちらへ。あんな毒婦の近くにいてはいけません」


 半年前に平民から見出された「聖女」エマ。彼女が現れてから、私の計画は全て狂った。

 彼女はことあるごとに私に絡み、執拗な嫌がらせを繰り返した。教科書を隠し、私物を壊し、婚約者である第一王子エドワード様に色目を使い……。


 エドワード王子は、キラキラとした金髪に碧眼を持つ、絵に描いたような美男子だ。けれど、その本性は支配欲の塊。ゲームの「裏設定」では、アリスを「魔力供給用の道具」として飼い殺しにする、正真正銘の地雷物件だった。



 今、そのエドワード王子が、エマの肩を抱き寄せながら私を冷たく見下ろしている。


「アリス、エマが謝っているのだ。その冷酷な視線をやめろ。お前のその傲慢さが、エマを怯えさせているのがわからないのか?」


 怯えているのは私の方よ、と言いたいのを必死で飲み込む。

 ふと、エマと視線が合った。彼女は王子にしなだれかかりながら、耳元で何かを囁いている。だが、その瞳は笑っていなかった。


 彼女が私に近づき、ドレスの汚れを拭くふりをして小声でこう囁いたのが聞こえた。


「……これで、このドレスはもう着られないわね(……あんな露出の多い、王子の趣味全開のドレス。今日これ着て彼の前でダンスなんて踊ったら、即日『地下牢監禁ルート』直行よ。汚せて良かった……!)」


「……え?」


 私は耳を疑った。後半の部分は、まるで彼女の本音……心の声が漏れ出したような、異様な早口だったから。


 それに、王子の趣味? 監禁ルート?

 そんなの、ゲームのファンディスクの「R18・バッドエンド集」にしか載っていなかった情報のはず。


 けれど、次の瞬間にはエマはまた「いじわるなヒロイン」の顔に戻っていた。


「さあ、アリス様。早くお着替えになったら? その無様な姿、この場に相応しくないわ」


 私は震える拳を握りしめ、逃げるようにその場を去った。

 恐怖と絶望が胸を支配する。エマも転生者だ。しかも、私を徹底的に破滅させようとしている、筋金入りの「悪女」側の。




 翌日、私の教科書がなくなった。

 学院の噴水に浮いているのを見つけた時、私は泣きそうになった。だが、それを見守っていたエマが、またしても奇妙な独り言を吐いた。


「あら、残念。もう使えないわね(……よし、これでいい。王子の側近が仕込んだ『精神干渉・洗脳魔法』付きの媒体は処分完了。アリス、絶対に新しいのは買っちゃダメよ。自作のノートを使いなさい。その方が安全なんだから)」


《え、えええええええ!? 洗脳魔法!? 何言ってるのこの人!?》


 私は混乱した。

 エマの言動は明らかに矛盾している。表向きはいじめ。でも、その理由が……まるで私を何かから守っているような?

 いや、そんなはずはない。彼女は攻略対象たちを次々と籠絡し、私を孤立させている。今や学院で私に口を利く者は誰もいない。


 私は「破滅」へのカウントダウンが着実に進んでいるのを感じていた。

 卒業パーティー――そこが、私の断罪の場になるだろう。




 卒業パーティー当日。

 大広間は、これ以上ないほど豪華に彩られていた。だが、私にとっては処刑台へと続く道にしか見えない。


 私は、エマに汚されたあのドレスではなく、自分が領地から持ってきた一番地味な、首元までしっかり詰まったドレスを選んだ。宝石も、母の形見の小さなものだけ。


 会場に入った瞬間、音楽が止まった。

 中央には、エマをエスコートしたエドワード王子が立っていた。


「アリス・フォン・ローゼンブルク。前へ出ろ!」


 王子の声がホールに響き渡る。私は深々と頭を下げた。


「はい、エドワード様」


「貴様の悪行はもはや看過できぬ。この心清き聖女エマに対し、貴様がこれまで行ってきた数々の嫌がらせ。ドレスを汚し、教科書を隠し、根も葉もない噂を流した……その証拠はすべて揃っている!」


 ……逆だ。全部逆だ。

 それをやったのはエマの方だ。けれど、ここにいる全員が「聖女が正しい」と信じ込んでいる。彼女の「聖女の魔力」という圧倒的な輝きの前に、私の言葉など塵に等しい。


「申し開きは?」


 王子が冷酷に問う。私は顔を上げた。

 隣にいるエマを見ると、彼女は王子の腕にすがりつき、ブルブルと震えていた。


「アリス様……怖い。そんな目で私を見ないで。私、ただ、皆さんと仲良くしたかっただけなのに……!」


 演技。完璧な演技だ。


「それは全部逆じゃない! わたしは……わたしは……」


 王子の怒りは頂点に達した。


「黙れ! アリス、貴様との婚約は今この瞬間を以て破棄する! さらに、聖女を害そうとした大罪により、貴様をこの国から国外追放に処す。二度と、我が国の土を踏むことは許さん!」


 広間に歓声が上がった。「当然だ」「悪女め」という罵倒が飛ぶ。

 私は膝をつきそうになるのを、気力だけで耐えた。

 国外追放。それは、この世界の「アリス」にとって死に等しい。魔力の乏しい令嬢が一人で隣国へ渡るなど、賊に襲われるか、野垂れ死ぬのが関の山だ。


「……承知いたしました」


 私は絞り出すような声で答えた。

 衛兵たちが私を取り囲む。その時、エマがふらふらと私の方へ歩み寄ってきた。


「アリス様……最後に、一言だけお別れを……」


「エマ、そんな女に構うな」と王子が止めるが、彼女はそれを振り切り、私に抱きつくような形でぶつかった。


「ひっ……!」


 わざとらしく転ぶエマ。

 だが、その一瞬。

 すれ違いざま、彼女の指先が私のドレスの隠しポケットに、何かを「ねじ込んだ」感触があった。


 私は驚愕して彼女を見た。

 エマの顔は、床に伏せられていて周りからは見えない。

 だが、私だけが見た。

 彼女の瞳に溜まった、大粒の涙。それは私への嘲笑ではなく――痛いくらいの、悲しみと。

 そして、全てを賭けた勝負に出るような、鋭い決意。


「……逃げて」


 唇の動きだけで、彼女はそう言った。

 そのまま彼女は王子に抱きかかえられ、「ああ、エマ! なんと健気な!」と王子の悦に浸った声が背後で聞こえた。


 私は衛兵に引き立てられ、夜の闇へと連れ去られた。


【転:どんでん返しと真実】


 ガタガタと揺れる、窓のない護送馬車。

 私は一人、暗闇の中でポケットの中身を取り出した。


 そこには、小さな紙きれと、虹色に輝く魔石。

 魔石は「超長距離転移」を可能にする、国宝級の超高価なアイテムだった。


 私は震える手で、近くの魔石灯の光を頼りに紙きれを読んだ。

 そこには、この世界の言語ではない……前世の、日本語で文字が綴られていた。


『アリスへ。

 いきなり日本語でごめんね。でも、これなら絶対にアイツらに読まれないから。

 あなたはアリスに転生したんだよね? 私はこのゲームの「ガチ勢」だった日本人です。


 まず謝らせて。本当に、本当にひどいことをしてごめんなさい。

 でも、こうするしかなかった。

 あの第一王子エドワードは、マジで救いようのないクソ野郎なの。

 正規ルートであなたが彼と結婚したら、待っているのは「搾取」と「破滅」だけ。

 彼はあなたの強大な魔力を、国の結界を維持するための「燃料」として使うつもりだった。

 あなたは死ぬまで地下宮殿に閉じ込められ、魔力を吸い取られ続け、最後は精神を病んで衰弱死する。

 私は、大好きな「推し」のアリスがそんな目に遭うのを、どうしても見ていられなかった。


 だから、私が聖女として振る舞って、あなたの価値をわざと下げたの。

 ドレスを汚したのは追跡魔法を壊すため。

 教科書を隠したのは洗脳を防ぐため。

 あなたが「無能な悪女」として追放されることが、この地獄のような国から抜け出せる唯一のチャンスだった。


 この魔石を使って。

 行き先は、隣国の「カスティル辺境伯領」に設定してある。

 あそこの領主は私の「知り合い」だから、あなたを保護してくれるはず。

 あなたはあっちで、自由に、自分の魔法を自分のために使って生きて。


 ……私のことは心配しないで。

 「聖女」の役割は、私が最後まで演じ切ってあげる。

 この腐った国と王子には、私が最高にスカッとする「ざまぁ」をプレゼントするつもりだから。


 アリス。大好きだよ。

 幸せになってね。』


 読み終えた瞬間、視界が涙で滲んだ。


(……嘘。嘘でしょ……)


 脳裏に、これまでのエマの言動がフラッシュバックする。

 「ワインをかけた時」のあの早口の呟き。

 「教科書を隠した時」のあの安堵したような表情。

 彼女は、自分が悪女の汚名を被り、周囲から軽蔑されるリスクを背負ってまで、私を救おうとしてくれた。


 彼女はこのゲームのファンディスクまでやり込んでいた。

 だから知っていたのだ。この世界が、どれほど残酷な「クソゲー」であるかを。

 そして、アリスというキャラクターが、どれほど悲惨な末路を辿る設定になっていたかを。


「エマ……あなた、自分がどうなるか分かってて……!」


 エマには聖女の力なんてない。少なくとも、国の結界を支えるほどの膨大な魔力はないはずだ。

 彼女が私の代わりに「聖女」として王子の側に残るということは、彼女自身が「燃料」として狙われるか、あるいは力がないことがバレて断罪されることを意味する。


 馬車が国境付近で止まる。

 衛兵が扉を開けようとした瞬間、私は魔石に自分の魔力を流し込んだ。


「さようなら、クソ王子!」


 私は日本語でそう叫び、眩い光に包まれた。






 半年後。

 私は隣国カスティル辺境伯領の、穏やかな街角にいた。


 エマの手紙の通り、辺境伯……通称「隠し攻略対象のコリン様」は、私を温かく迎えてくれた。

 彼はエマから事前に連絡を受けていたらしい。

「彼女には、前世の恩があるんだ。君を守るのが僕の使命だよ」と、彼は爽やかに笑って私を魔導師としての職に就かせてくれた。


 今、私はこの国で、失われた魔導技術の復元という、やりがいのある仕事をしている。

 首元まで詰まったドレスなんて着なくていい。動きやすいパンツスタイルで、自分の力で、誰にも支配されずに生きている。


 そんなある日、祖国から衝撃的なニュースが届いた。


「おい、聞いたか? 隣の王国のこと……」

「ああ、結界が崩壊して、魔物が溢れ出したらしいな。第一王子は、聖女を拷問して魔力を引き出そうとしたが、実はその聖女に力なんてなかったことが判明して……」


 私は新聞を食い入るように読んだ。

 そこには、無惨な王国の姿が記されていた。


 あの日、私が去った後、国の繁栄を支えていた私の魔力供給がストップした。

 王子は焦ってエマを「代わりの燃料」にしようとしたが、彼女には最初からその役割を担うつもりなどなかった。


 エマは王妃教育を受けるふりをして王宮の深部に入り込み、王族が代々溜め込んできた「裏金の証拠」と「他国への侵略計画」をすべて公表した。

 さらに、彼女は王宮の宝物庫を魔法でこじ開け、中身をすべて平民たちに配り歩いたという。


 激怒した王子が彼女を捕らえようとした時、エマは王子の目の前でこう言い放ったらしい。


「私が欲しかったのは王妃の座じゃないわ。私の『推し』が幸せに笑える世界よ。

 アリスをいじめて追い出した私を、国民は許さないでしょうね。でも、それでいいの。

 アリスがいないこの国に、守る価値なんて一ミリもないんだから。

 さようなら、泥舟の王子様。せいぜい、自分が壊した世界の瓦礫の中で溺れ死になさい」


 彼女はそのまま、忽然と姿を消したという。

 王子は民衆の暴動に遭い、今は廃墟となった王宮の地下で、正気を失って座り込んでいるらしい。




「……エマ」


 私は祈るような気持ちで、毎日彼女の行方を探していた。

 彼女なら、きっと生きている。

 あんなに「クソゲー」を熟知していた彼女が、ただで死ぬはずがない。


 仕事の帰り道、夕暮れに染まる広場で。

 見覚えのある、ピンクゴールドの髪をなびかせた女性が、ベンチでリンゴをかじっているのが見えた。

 彼女は周囲を警戒するように、派手なカツラと大きなサングラスをしていたけれど。


 私は確信を持って、その背中に駆け寄った。


「エマ!」


 彼女はビクッとして肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。

 サングラスをずらしたその瞳は、紛れもなく私の知っている「いじわるな聖女」……そして、私の最高の親友のものだった。


「……あら。見つかっちゃった」


 彼女は気まずそうに笑い、リンゴを飲み込んだ。


「もう、いじめっ子なんて呼ばないでよね。私、あれですっごいメンタル削られたんだから。アリスに嫌われるのが一番キツかったんだよ?」


「当たり前でしょ! あんなに意地悪して……!」


 私は彼女に抱きついた。

 エマの体は温かくて、少しだけ震えていた。


「……ありがとう、エマ。私を助けてくれて」


「……ふん。別に、ゲームのシナリオを壊したかっただけよ。私は『アリス幸せルート』以外認めない過激派なんだから」


 彼女は強がってみせたけれど、その手はしっかりと私の背中を抱き返してくれた。


「ねえ、アリス。この先の展開、知ってる?」


「え?」


「この隣国にはね、めちゃくちゃ美味しいスイーツショップがあるの。そこに行くと、新しい攻略対象……じゃなくて、最高のイケメンパティシエに会えるわよ。二人で行かない?」


 私は泣きながら、吹き出した。


「もう、ゲームの話は禁止! これからは私たちの、新しい物語を作るんだから」


「……そうね。私たちの、ハッピーエンドをね!」


 私たちは手を繋ぎ、夕日に向かって歩き出した。

 もう、決められたシナリオなんてどこにもない。

 クソゲーをクリアした後に待っていたのは、最高に自由で、最高に輝かしい、私たちの現実だった。


(完)

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老舗魔服店『アトリエ・シルク』で、婚約者のロベールから無情な婚約破棄と追放を言い渡された職人のクロエ。

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