1-8 隠蔽
ウィル視点です。
「いやはや、流石リズ様ですなぁ!もうロンとかなり打ち解けていましたよ」
ゴースが嬉々として部屋に入ってきた。それをうんざりとしながら横目で見る。案の定、ゴースは至極嬉しそうな顔で俺の近くに寄ってきた。
「それで?ウィルフレド様は少しは復活なさいましたか?」
「……うるさい」
「おやおや、頭を抱えてしまっているではないですか」
「ほっとけ」
そうして机に突っ伏す俺を、ロズが首の鈴をチリンと鳴らして覗き込んだ。
『ウィルも女の子にフラれてヘコんだりするんだね』
「これロズ。傷を抉るんじゃありません。フラれてはいないでしょう。愛することはないと宣言されただけで」
『ウィルの傷抉ってるのってゴースじゃない?』
「おや、私としたことが」
ホッホッホと笑うゴースのご機嫌な声を苦々しく聞く。こういうネタを生きがいにしているゴースとしては、最高の気分だろう。しかし、俺は最低の気分だ。
「……なぁ。間違ってたら言ってほしいんだけど」
「ほう?なんでしょう?」
「俺は愛さない宣言してきた女から毎日求婚されんのか?」
「そうなりますなぁ」
がくりと肩を落とす。こんなことってあるか?
はぁぁ、とため息を吐き出す俺を、ゴースはまじまじと見下ろした。
「ロズ……あまりにも今までのウィルフレド様と様子が違うのですが、皇国での状況をうかがっても?」
「……余計なこと言うなよロズ」
ロズは俺たち二人の視線を受けて暫し黙ってから、ちらっとゴースを見た。ゴースが白い髭を撫でながらうぅんと唸る。
「なるほど……分かりました。秘蔵のマタタビ酒と炙りヒレのおつまみをお出ししましょう」
ゴースがそう言うやいなや、ロズはピンっと黒い尻尾を縦に伸ばしてペラペラと喋りだした。
『再会してびっくりして嬉しそうにしてるなと思ったら、意気投合してどんどんリズにはまってって、妬いて追いかけて独占欲まで出してきて、酒屋クズ男事件でもう俺が幸せにしたいぐらいの勢いになって、そんで大勢の前で啖呵切ってリズ抱き上げてかっさらって帰ってきた』
止める間もなくロズが喋り尽くす。マズいと思ってゴースの方を盗み見ると、ゴースは普段の温厚な顔を崩してわなわなと震えていた。
「なっ……なんですと!??私はそんな尊い場面を全て見逃したと……!?」
『再現しよっか?』
ロズがまた金色の目でちら、とゴースを見た。ゴースはクワッと目を見開いて指を一本立てた。
「宝国魚の刺し身を出しましょう」
『のった』
そう言うと、ロズはポンッと俺の姿に化けると、ソファーに転がっていた俺の仮眠用の枕を横抱きにした。
『俺はお前らのように、女を踏みつけて言う事聞かせるようなクズじゃねぇんだよ』
「アァァァァァァァ」
ゴースがこの世の終わりのように崩れ落ちる。
「なぜ、なぜ私はそのような尊い場面を見逃して……!」
「別に尊くない」
「他には!?」
『暴れんなよ、いいから黙っとけ』
「ヒィィィィ!!!!」
「もうやめてくれ……」
机にめり込みそうなほど沈む俺に、息も絶え絶えなゴースが追い打ちをかける。
「そこまでして愛されない宣言をされたんですかウィルフレド様は!?」
『ウィルがリズを金で買うようなこと言うからだよ』
「なんたること!!!」
「うるせーよお前ら、ちょっと黙れ」
だんだん気が遠くなってきた。これ以上傷をえぐらないで欲しい。
「そもそも、報酬があるからリズも即決できたんだ。そうじゃなきゃ、会ったばかりの隣国の公爵についてくなんて危ない真似できないだろ」
「おや。そうですか?ウィルフレド様が情熱的に愛を囁けば即決でついてきてくれる気もしますけど」
「……そういうのは少しずつ築き上げていくもんだろ」
苦々しくそう言うと、ゴースはふぐぅ!と身をよじりながら口を覆った。
「なんと尊い!!!ウィルフレド様は少しずつ愛を育みたいのですね!!!素晴らしいロマンティシズム!!!」
「あほか。リズは俺のことを覚えてないし、会って一週間じゃ急過ぎるって話だ」
「えぇ、えぇ、分かりましたとも分かりましたとも」
にこにこと頷くゴースにうんざりした視線を送る。その横で、ロズがぴょんとやわらかなソファーに飛び乗り、不思議そうに首をかしげた。
『っていうかさ、なんで昔リズに会ったって言わないの?リズはウィルがそうだと気づいてないだけで、その時の記憶はちゃんとありそうだし』
ロズは金色の目をパチパチと瞬いた。確かに、それを言えばリズは今よりも俺のことを信用してくれるだろう。
でも、俺はその話をするつもりはなかった。
「……辛いこと思い出させるだろ」
『そうだけどさ……』
「無理に掘り返さなくていい」
そうロズに伝えてから、上着の中から小さな装飾品を取り出す。
古い、子供向けのブローチ。ずっと前にお守りとしてリズに渡されたそれには、リズの髪の色と同じ、優しい小麦色の宝石がはまっていた。
『――とにかく、呪いが解けるまでの100日間、求婚を断り続けるしかないってことだね』
ロズが少し真面目な雰囲気でそう言う。人とは違う物を見る金の瞳が、きらりと光った。それを見返して、ボソリと呟く。
「……100日の呪いの下に罠があるしな」
『気付いてたの』
「100日の呪いがぶ厚すぎて何の術なのかは分からないけどな」
何度も試した。それでも、100日分重ねがけがされた呪いのせいで、その奥にある術が何なのかは全く分からなかった。
「……求婚を受けたり、100日が経過して呪いが解けた段階で、その下の術が発動する。そうだろ?」
ロズが凪いだ金色の瞳で静かに俺を見返す。それは、俺の予想が当たっていたことを暗に示していた。
『正確に言えば、100日求婚しきって呪いが解けるか、ウィルが真実の愛を乗せた言葉でリズの呪いを解けば、だね。そうすればその下の術が解放される』
ロズは、滑らかな黒い体を俺に向け、じっと俺の顔を見た。
『どんな術なのかまだ全くわからないからね。今はまだ100日の呪いを解いたらダメだ。……絶対に愛の言葉も、求婚の承諾もしたらダメだよ、ウィル』
しん、とした空気が部屋に満ちる。それは重い雰囲気とともに、嫌な予感を運んできた。
「――皇太子の罠、ですか」
ぽつりとゴースが呟いた。
「想像以上に、厄介な方のようですね」
その言葉に、忌々しい記憶が蘇る。
豪奢な会場。貴賓用の柔らかなソファー。艶めかしい女達。
あの日、皇国の和平式典に呼ばれていた俺は、流石にロズの影武者を使うわけにもいかず、豪華すぎる会場の中で至極不機嫌に座っていた。
「我が国の女性で気に入った者はいたかい?」
絹糸のように滑らかなプラチナブロンドの髪を揺らし、フェリクス皇子が柔らかく微笑んだ。清廉で高潔を掲げるセントサフィーナ皇国の皇太子。しかし、その実態は姑息でしたたかな、狡猾な男だった。
フェリクス皇子が手配したらしい女達を遠ざけ、仮面の奥から鋭くフェリクスを睨みつける。
「くだらん真似は止めろ。和平の交渉ものらりくらりと適当に流しやがって。さっさと本題に入れ」
「ふふ、なるほど。噂は本当なようだ」
コツコツと上質な靴音を鳴らし、俺に近づいたフェリクス皇子は、ゆったりと祝賀会会場の方に目を向けた。
「金も要らない。美酒にも美女にも権力にも興味無し。生きていて楽しいかい?」
「生憎十分持ち合わせているからな」
「はは、なるほど。流石帝国のスルンガルド公爵閣下だ。前公爵から爵位を受け継いでまだ数年でしょう?達観するのが早すぎるのでは?」
「お前が興味持ちすぎなんじゃないか?」
「これは手厳しい」
フェリクス皇子は、はは、と綺麗な顔を少し困らせて笑った。それから、目を柔らかく細め、首を傾げて俺に問いかけた。
「では、彼女のことも気にはならないかな?」
「……何の話だ」
「彼女だよ――獣令嬢、リズ・ノイアー。皇都の森で、あんなに気にかけていたじゃないか」
動きを止めて探るようにフェリクス皇子の目を覗き込む。フェリクス皇子は嬉しそうに白銀の睫毛に彩られた目を細めた。
「おや、やはり彼女には興味がおありのようだ」
「……盗み見るとは悪趣味だな」
「仮面を使って偽物を我々に歓迎させる失礼とどちらが悪趣味だろうね」
「悪いな。針の筵の中で毒盛り放題の食事を食べる気にはなれなくてな」
「おや、そんなことが?驚いたな」
フェリクス皇子は今度はさも驚いたという風に目を丸くした。
和平交渉とは名ばかりで、結局は俺を殺す気満々だった。清廉を謳う皇国の皇太子が見事なもんだと睨み返す。そんな俺に、フェリクス皇子は綺麗な微笑みを見せた。
「それで、偽物が宮殿にいる間、あなたが我が国の森で仲良くしていたリズ・ノイアーだけどね……彼女は今ごろ、元婚約者に100日の呪いをかけられていると思うよ?」
カツン、カツン、というフェリクス皇子の靴音が響く。何も言わずじっと冷たい表情を崩さない俺に、フェリクス皇子はにこりと微笑んだ。
「王宮に保管されていた古い呪具でね。ちょうど先日、王宮の地下倉庫の奥から見つかったんだよ。100日の間、毎日決められた相手に求婚しないと死ぬ、呪いのチョーカーだ。呪いを解くには100日求婚し続けるか、真実の愛の言葉を受け取るしかない。求婚の返事を偽って、嘘の契りを交わしても死ぬそうだよ。面白いだろう?女奴隷用の呪具だそうだ。昔の人は変な呪具を考えたものだよねぇ」
そう言って綺麗な微笑みを浮かべたフェリクス皇子は俺の顔をゆっくりと覗き込んだ。
「伯爵は言うことを聞かないリズ・ノイアーの首輪にすると言って喜んで持っていったよ。呪いの求婚相手は恐らくリズ・ノイアーの元婚約者ロスナルだろうね。次期伯爵だし、女の扱いに長けている彼なら、呪いの求婚相手として彼女を縛り付ける役としてはぴったりだろうね」
何も言わない俺が、仮面の奥で怒りを堪えたのがわかったのだろう。フェリクス皇子は綺麗な顔で、より嬉しそうに穏やかな笑みを浮かべた。
「もちろん、ロスナルは獣令嬢リズ・ノイアーの求婚を受け入れないだろうし、愛していないから真実の愛の言葉も贈れない。彼女は命を握られてこき使われるだけだろうね。まぁ、呪いが無くとも、もともとその予定だっただろうけど」
そうして、フェリクス皇太子は、カツン、と歩みを止めた。
「ただ――もしかしたら、リズ・ノイアーは、呪いに抗ってこのまま名誉の死を選ぶかもしれないね」
「……クズが」
「ふふ、クズか。怒らせたのなら謝るよ」
そうして、フェリクス皇子はただ嬉しそうに微笑んだ。
「このことを君に伝えたのは、私の優しさだよ?スルンガルド公爵」
フェリクス皇子はゆったりとした動作で手を持ち上げた。その少しの汚れもない滑らかな手が、祝賀会会場の向こう側を指し示す。
「彼女は目の前の夜会会場の扉の奥にいる。今すぐ君が彼女の最初の求婚を受ければ、呪いの求婚相手は君になる。スルンガルドに連れていきたいのなら、今しかないよ」
明らかに意図のある、取ってつけたような提案。それでも、フェリクス皇子はさも善行のように俺に告げた。
「あの獣の刻印を持つ彼女のこと、気に入っていたでしょう?私からのプレゼントだ」
コチコチと、背後の壁面にあった柱時計が音を刻む。その苛立つ音を振り切るように立ち上がり、フェリクス皇子の横を通り過ぎてから、もう一度足を止めた。
「――覚えていろ。姑息な真似をする奴を、俺は許さない」
「そう。……光栄だよ、スルンガルド公爵」
そう言ったフェリクス皇子の清廉な表情には、嗜虐に富んだ闇がじわりと滲み出ていた。
俺の異様な雰囲気にざわめく会場を、そのまま真っ直ぐに突っ切る。華やかなドレスも美酒も美食も全て無視して通り抜け、リズのいるという部屋の扉を躊躇なく開けた。
「ほら、早く言えよ!ロスナル様、どうか私と結婚して下さいってね。這いつくばって赦しを請うように懇願しろ!僕の従順な奴隷になれ!さあ――」
ロスナルが蔑みと優越感を爆発させ、リズを罵倒する声が聞こえる。倒れ込んだリズに、手が振り上げられる。
それはほとんど反射的だった。二人の間に割り込み、振り下ろされるロスナルの腕を掴む。
「無様だな」
多くの人の前で、場が凍りつくほどの暴言を吐く。俺の立場は、和平交渉をしに来た、隣国の公爵だ。しかも、これが皇太子の罠だという事も、明らかに分かっていた。
それでも。俺の中には、この選択肢しか無かった。
「俺に求婚しろ、リズ・ノイアー。お前を100日の間、買ってやる」
正しかったのかは、分からない。
それは、過去の記憶に引っ張られた、友情や同情心だったのかもしれない。
それでも、絶対に、他の男を充てがおうとは思えなかった。
「――スルンガルド公爵閣下。私と、結婚して下さい」
俺の策に乗ってきた、リズの真っ直ぐな視線を思い出す。
そのリズの覚悟と度胸は、この日も変わらず、俺には酷く美しく見えた。
「……どうされるのですか?」
ゴースが静かに俺に問いかけた。穏やかなスルンガルド城に、重い空気が漂う。それを振り切るように、俺は顔を上げた。
「やることは一つだ。求婚の呪いからもその下の術からも、リズを開放する。――罠だろうが何だろうが、全部切り捨ててやるよ」
カタリと立ち上がり、窓を開ける。窓の向こうには、ロンと戯れるリズの楽しそうな姿が見えた。
「あと、100日あるんだ」
スルンガルドの大地をなぞった風が、ひゅうと俺の髪を巻き上げる。
100日。それはきっと、長いようで短い。
「絶対に、奴らの思い通りにはさせない」
そう誓うように呟いた俺の手の中で、小麦色の古い宝石が、陽の光を浴びてきらりと輝いた。
読んでいただいてありがとうございました!
なんとまさかの陰謀アリの呪いでした( ゜д゜)
「えっただのくだらない呪いじゃなかったの!?」とゾワリとして下さった読者様も、
「リズからいつ宝石貰ったの?」「口説けないのにどうやっていちゃつくのよ!?」と色んなハテナが頭に浮かんだあなたも、
リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!
ぜひまた遊びに来てください!