1-5 提案
「えっ、リズちゃん花屋も飲み屋も工事現場も家庭教師もやったことあるの?」
森の広場。男たちの楽しそうな声がワイワイと緑の葉を揺らす。
「うん。あ、あとパン屋も洋服屋も武器屋もあるわよ。珍しいのだと、腕試し屋ね」
「なにそれ!?」
屈強な男たちが前のめりになって私に問いかけた。一瞬びっくりしながらも、ニヤリと笑みを浮かべる。
「チャンピオンに腕試しで勝てたら賞金もらえるの」
「リズちゃんが腕試しチャンピオンなの!?」
「んなわけないでしょ!私は受け付けと参加料の徴収係よ!」
わはははは、と豪快な笑いが巻き起こった。
帝国の人達が来て、もう一週間が経った。ご覧の通り、私はすっかりこの獣騎士団に馴染んでいた。
「よし、リズちゃん俺と腕試ししよう」
「どんな?」
首を傾げると、日に焼けた獣騎士さんの一人がニコニコしながら腕まくりをした。
「んー腕相撲とか?」
「えっ!?それ私絶対勝てないでしょ!」
「両手でもいいから!」
「俺もやりたい!」
「えぇー!?」
「――おい」
いつの間にか背後にウィルがいた。びっくりして動きが止まる。
実は、この間ウィルの前で大泣きしてからというもの、顔を合わせるのがちょっと気恥ずかしい。それでも無視するわけにもいかず、少し照れているのを誤魔化すように、土の上に座ったままひっくり返るようにしてウィルを見上げた。
「あれ、ウィルお帰り。もう蛇龍ちゃんのお世話はいいの?」
「大丈夫」
そう言って頷いたウィルは、何故かちょっと圧のある笑みを浮かべていた。なんだと思っているうちに、ウィルはスッと視線を皆に向けると、目を細めて薄く笑った。
「で?お前たち。腕相撲がしたいんだって?」
「そ、その……」
ウィルの妙な圧のある笑みを受けたみんなは、何故か引きつった顔になり始めた。そんな屈強な男たちを前に、ウィルは凄みのある笑みを浮かべて言い放った。
「つまり、よっぽど鍛えられたいってことだよな?」
「あ、いや、……」
「まさか腕相撲したら若い女の手が握れるぜぇぇぇなんて思ってないだろう?」
その場にいたみんなは一斉に青くなった。
「腕立て伏せ1000回」
「すみませんでしたぁぁぁぁ」
屈強な獣騎士団の1000回腕立て伏せは圧巻の見ごたえだった。
「あー、面白かった!いつもみんなあんな厳しい訓練してるの?」
晩御飯も終わって、その日最後の片付けをのんびりとしながらウィルと雑談をする。ウィルは今日も何となく私の仕事を手伝ってくれていた。
「いつもというか……お前あれなんだったか分かってんの?」
「え?だから腕を鍛えたかったんでしょ?貪欲よね」
「……お前鈍感って言われない?」
「何言ってるの、私はいつもキレッキレよ」
「……そう」
変なこと言うなと思いながら、片付けを終えて寝支度をする。みんなは帝国から持ってきたらしい立派なテントだけど、まさかご一緒するわけにもいかず、私はいつもの小ぶりな一人用テントだ。優しい色合いが結構気に入っている。
「じゃあお休み〜!」
「いや……ちょっと待て」
テントに入ろうとしてすぐに、ウィルにガシッと腕を掴まれた。
「何?」
「お前さ……本気でずっとそこで寝る気なの」
「そうよ?」
そう言うと、ウィルは表情を曇らせた。
「……流石に考え直した方がいい」
「なんで?」
「今日はいいけど。お前普段からこうやって野宿してんだろ」
「そうだけど?」
「いや、堂々と言うなよ……」
ウィルは呆れたように肩を落とした。心配してくれているみたいだ。ちょっとうれしいなと思いつつ、あっけらかんと笑う。
「女一人で危ないだろってことでしょ?大丈夫よ、慣れてるから」
「……慣れてる?」
「ここから少し離れた伯爵領に行くとき、宿代をもらえないのよ。自腹でもいいけど、勿体ないし」
時々叔父様に使いに出されるのだけど。当然のように従者もいなければ費用も食糧さえも何もなかった。
「ご飯はちゃんとたべるけどね。いいでしょ?野営。私好きだよ」
「……そういうことじゃないだろ」
ウィルは少し怒ったように眉をひそめた。
「男なんてエロいことしか考えてないって、この間分かっただろ」
この間。ショックだったはずのロスナルのアレはもはや記憶が薄くなり、ウィルの前でグシャグシャに泣いたアレのほうがよっぽどインパクトが大きかった。やっぱりそれが話題になるのが気恥ずかしくて、思わず顔を逸らす。
「……この間はこの間よ。ちゃんと分かってるし」
恥ずかしさが相まって、そうボソボソと答える。が、ウィルは余計にそれが気に障ったようで、更に難しい顔をした。
「どこがだよ。お前さ、ちゃんと危機感持ってんのか?」
「も、持ってるわよ!」
あんまりにも言われるものだから、思わず強く言い返してしまった。ウィルは少しだけびっくりした顔をしてから、もっと不機嫌そうな顔になった。
「……ならもう一人でテントで寝泊まりするとかやめろよ」
「っ、大丈夫よ、これぐらい」
「襲われたらどうする」
「襲い返してやるわよ」
「んなことできるかよ」
「できるわよ」
「男の腕力がどれぐらい強いかわかってんの?」
「わかってるわよ!大丈夫よ、これでもちゃんと――」
気がついたら、テントの中だった。暗い天井。それを背景に、間近にウィルの少し怒った顔が見える。
「動けないだろ」
「…………」
「どうすんだよ」
暗いテントの中で、近い距離に思わず息を呑む。私の両腕は押さえつけられ、しっかりと覆いかぶさられていて、もちろん起き上がることはできない。
心臓がばくばくと脈を打つ。が、驚いている場合じゃない。これはなんとかしなければと、冷静さを呼び戻して、もぞもぞと動いた。
「そんなんじゃ無理だって」
「……よし。はい、私の勝ち!」
「は?」
「本当なら、あなたもう寝てるわよ」
そう言うと、ウィルは少し考えてから、ちらっと私の手を見た。人差し指につけていた指輪。それが、ピタッとウィルの引き締まった腕に触れている。
「……仕込みの睡眠薬か」
「正解。ちっちゃな針がでてくるのよ。今は出さなかったけどね」
「……大したもんだな」
「でしょう?他にも縄抜けや鍵開けだってできるわよ?」
照れを隠すようにニッと笑う。そんな私の様子を眺めて、ウィルははぁ、とため息を吐いてから、私を起き上がらせてくれた。
「複数だったらどうする気だよ」
「そんときゃそん時よ。股間蹴り上げて逃げるわ」
「威勢のいい奴だな」
「じゃないと生きていけないのよ。……良くも悪くも、伯爵令嬢だもの」
明るく言ったつもりだったのに、私の声は暗い森の中で嫌に響いて聞こえた。さわさわと森の風が静かに葉を揺らす。
ウィルがもう一度、静かにため息を吐いた。
「……悪かった」
「ううん……心配してくれたんでしょ?ありがと」
「でも、本当にもうちょい何とかしろよ。見てて怖い」
「うん、そうだよね。ちょっと考えようかなぁ。宿代稼ぐとか」
「いちいち発想が逞しいんだよお前は」
「伊達に獣令嬢やってないから」
へへ、と笑うとウィルも少し困ったように笑った。街の人達は時々心配してくれてたけど。こうしてウィルに心配されると、やっぱり少しむず痒い。
というか、さっきのはなかなかの状態だったのではないだろうか。冷静さが戻りどんどん恥ずかしくなってきて、慌てて他の話題を探す。
「ウィルだって逞しいんじゃない?公爵様の大事な蛇龍を預かってるんだもの。あなたも貴族の次男坊とかなんでしょ?」
そう言うと、ウィルはきょとんとちょっと可愛い顔をしてからニヤ、と笑った。
「さぁ、どうだろうな」
「なにそれ。何でそんな悪そうな顔するのよ」
「元からだ」
はは、と笑うウィルは今度は楽しそうな顔だった。その表情を見て、楽しさと一緒に、少しの寂しさが胸に浮かぶ。
帝国の公爵閣下率いる獣騎士団は、10日以内の滞在だと聞いている。今日でもう一週間が経った。和平調停が済み、記念式典という名の夜会が終われば、ウィルもみんなも帝国に帰るだろう。
「寂しくなるなぁ」
「……え?」
「っ、あ、ごめん」
思わず口に出ていた。はは、と誤魔化すように取り繕った笑みを浮かべる。が、ウィルはからかう様子もなく、ただ私を見下ろしている。なんとなく気まずくなって、その視線から逃れるように顔を背けた。
「ごめんね、この一週間ほんと楽しかったからさ」
そう呟いた声が、自分が思っていたよりも寂しげで、しまったと焦る。こんなんじゃ、気を遣わせるだけだ。どうしようと、次に続ける言葉を考えていた時だった。
「――リズ、蛇龍に触ってみるか」
「…………え?」
一瞬なんの話か分からず固まる。次いで、やっと意味を理解して、慌てて声を上げた。
「え!?蛇龍に触るって、部外者は近寄ったらダメなんじゃないの!?」
帝国から近寄るなという要望があるのに大丈夫なんだろうか。驚いて目を丸くしていると、ウィルは何か少し考えながら、じっと私のことを見た。
「……多分、お前なら大丈夫だ」
その言葉にハッとした。
――獣に襲われない、獣令嬢。
私なら、蛇龍に近づいても問題ないと思ったんだろう。
思わず左胸に手をあてる。服の下には、獣の刻印がある。
ウィルも、私を獣だと、そう思うのだろうか。
「大丈夫。ほら、こっち」
ぼんやりとしている間にウィルに促され、ランプに薄く照らされた夜の獣舎に入った。初めて入った獣舎の中は、思っていたよりも広かった。
馬たちがいる場所より、少し奥。他とは違う区切られたその場所に、蛇龍がいた。
人の10倍はありそうな大きな体。滑らかなうろこは、青にも銀にも見える。鉤爪や牙は鋭いのに、黒目がちなその瞳は、なんだか優しく見えた。
「……すごい」
「名前はロン。大人しくしてるとそんな怖くないだろ」
「うん」
そっとロンに近寄る。ロンは長い首を持ち上げると、ルルゥ、と喉を鳴らした。
「夜食。あげてみる?」
「うん」
ウィルに手渡されたニンジンを持って、ロンに近寄る。ニンジンを差し出すと、ロンは私に一切の敵意を向けることなく、グルル、と嬉しそうな鳴き声を上げてむしゃむしゃとニンジンを食べた。
「ふふ、かわいいね」
ロンにもう一度ニンジンを差し出す。やっぱり、ロンは嫌がりもせずに、嬉しそうに私の手からニンジンを食べた。
本来なら、知らない人間は、近寄っただけで蛇龍に食われていたはずなのに。
「蛇龍って、本当は仲間と認めた者じゃないと近寄らせないんでしょう?」
明るく言ったつもりなのに、少し棘のある言い方になってしまった。ロンがニンジンを食べるむしゃむしゃという音が、嫌に響いて聞こえる。
あんなに強がっていたのに、情けない。結局は、獣令嬢として虐げられることを恐れているじゃないか。
ウィルに、獣同然の穢れた女だと軽蔑されたら。そう思うと、胸が知らない傷を負ったように、きつく痛んだ。
「……人には嫌がられちゃうけど、こうして魔獣にも仲間だと思ってもらえるのなら、いいのかもね」
気を遣わせないように、明るく言ったつもりなのに。私の声は、なんだか妙に寂しく、夜の獣舎に響いた。
「――勘違いするなよ」
すぐ真後ろから聞こえたウィルの声にはっと肩を揺らす。ウィルは、背後からぐっと私の手を取った。
その手は、ウィルの手と一緒にロンの方に向けられて。ちょうど首を持ち上げたロンの滑らかな鱗の上に、私の手のひらがそっと乗せられ、ウィルの手が重なった。
ロンと目が合う。ロンは、嫌がりもせずに、嬉しそうにルルゥと鳴いた。
「その胸の刻印は、恥ずべきものじゃない」
後ろから、ウィルの静かな、でも何か重たさのある声が聞こえる。
「その印は、アルガリア帝国では祝福だ」
「祝、福……?」
「そう。お前が皇国で虐げられてるなんて聞いたら、うちの国の中央の奴らは卒倒するぞ」
「そうなの?」
「そう。しかも、お前の祝福は蛇龍と一発で打ち解けられるほどのめちゃくちゃ強力なやつだ」
ウィルはじゃれつくロンを宥めるように撫でた。私も何となく、首の下をよしよしと撫でる。
「そっか……そもそも、仲良くしてもらえる印なのに、悪いものだと思うのがおかしいのよね」
「だろ?意味分からん」
「確かに」
ロンが長い舌でペロンと私を舐めた。うひゃあ!と笑ってロンの頭を撫でる。
祝福。確かに、こんなに獣たちに仲良くしてもらえるのに、私はどうして自分自身を蔑んでしまっていたんだろう。
ずっと、分かっていたのに。この印は、私を守ってくれるものだって。
なんだか急に明るい気持ちになって、じゃれつくロンに両手を伸ばした。ひんやりとした鱗が、私に頬ずりをするように動く。
「ふふ、こんなに人懐っこいのも印のおかげ?」
「まぁ、それだけじゃないけど」
「え?」
首を傾げると、ウィルはニヤ、と悪戯っぽく笑った。
「こいつは俺が認めた奴じゃないと触れさせないからな」
「へ!?」
「光栄に思えよ」
ククッと得意げに笑う妙に悪そうな顔のウィルを呆けたように見上げる。ちょっと待て。
「ねぇ!?待って!公爵閣下に無断でこんなことしてよかったの!?」
「は?」
「あなた妙に悪い顔してるのって、こっそりやっちゃったからでしょう!?」
「何でそうなる。それにこの顔は元からだっつってんだろ」
「怒られたくない!!」
「人の話し聞けよ」
わーわー慌てる私に呆れた視線を送ったウィルは、少し真顔に戻って、私の方をじっと見た。
「……ウィル?」
「なぁリズ」
ウィルはもう一度言葉を切ってから、何か考えるように私のことをじっと見た。そして、もう一度ゆっくりと口を開いた。
「お前、俺と一緒にスルンガルドに来ないか?」
読んでいただいてありがとうございました!
新しい提案が……!これでリズは国を脱出できるのか!?
ウィルの誘いに「行きます!!!」と即答した前のめりな読者様も、
「なになに?もういい雰囲気なの?」とニヤつき始めたあなたも、
リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!
ぜひまた遊びに来てください!