1-4 酒屋
「買い出し?」
「うん、お酒がちょっと足りなくて。一人荷物持ちで手伝ってくれないかな」
帝国の獣騎士団が滞在して数日経った夕方。私はダメ元でウィルにお願いをしていた。
「もちろん良いよ。今からでいい?」
「いいの!?うん、ありがとう!!」
「何でそんな恐縮してんの。いいに決まってるだろ。飲んでるの俺らだし」
「いやいや、お客様だから……」
「いいからそういうの。気にしすぎ」
はは、と笑ったウィルは、近くにいた騎士さんと二言三言話すと、もう一度私の所に戻ってきた。
「じゃあ行くか」
「あれ、ウィルが来てくれるの?」
「なんで。嫌?」
「そうじゃなくて、ウィルって団長さんなんでしょ?下っ端みたいなお仕事してここ離れて大丈夫?」
そう言うと、ウィルはあぁ、と絶妙な顔で頷いた。
「まぁ……大丈夫。とにかく、他の奴らは絶対だめ」
「なんで?」
「危ないから」
一体何が危ないんだろう。怪訝に思いながらも、さっさと歩き出すウィルの背中を追いかける。
森を抜けて、皇都に入る。日が傾いた夕方の皇都は、ざわざわと活気に溢れていた。
「マルビンさーん!お酒ちょうだい!」
貴族街近くの少し上等なバーに入り声を掛ける。カウンターの中から、上品な黒い服に身を包んだマスターのマルビンさんが、ひょいと顔を出した。
「おぉ、リズちゃん。こないだ渡したのじゃ足りなかったか?」
「うん、みんながここのお酒気に入っちゃってなくなっちゃった。追加で貰ってっていい?ごめんね、開店直前に」
「いや、むしろ開店前で助かったよ。適当に選んでいきな」
ありがとうと言って店の奥に入る。棚いっぱいの琥珀色のお酒が並ぶこの店は、品質の良いお酒を提供することで有名なお店だ。本来は酒屋じゃなくてその場で飲むバーで、少し裕福な人や特別な日に使われることが多く、時折貴族もお忍びでやってくる。
「おや?リズちゃん、今日はかっこいいお兄さん連れてるね」
「あらまぁ、良かったわねウィル」
「いや……どこのおばちゃんだよお前」
苦笑するウィルに、はいはいと酒瓶をいくつか持たせる。店の裏側は狭くて、人二人がやっと入れる広さだ。ウィルとちょっと近いなと、少し照れ始めた時だった。
店の扉が開いて、ドカドカと三人の男が入ってくる。開店前ですというマスターの言葉に、ほとんど時間通りだろと言って座ったのは、まさかのロスナルだった。
「ったく、ただでさえ疲れてんのに融通の利かない店だな」
「はは、ほんとおもしれーよなロスナル。今日もあっちこっちに手出して良い顔するから疲れてんだろ?今日はどこの子?」
「ん?今日は子爵家の箱入りのご令嬢ね」
「うわぁ〜悪い男だ」
ロスナルの隣の男がひひ、と笑う。
「その手で何人侍らせてんだよ」
「え?何人だろ」
「うわ、最低」
ケラケラと残りの男も笑った。一体何の話をしているのだろう。嫌な予感に、胸が変な音を立てる。
それでも出ていくわけにも行かず、行先を見失った私は、ウィルと一緒に酒瓶が並ぶ狭い店裏に息を潜めて隠れた。
ロスナルや男たちは全く気がついていないようで、そのまま楽しそうに会話を続けている。
「で?最近はどうなんだよ、麗しの婚約者サマと虐げられたお姉様は」
「まだロスナルを競ってバチバチに争ってんの?」
「あー……まぁ、そうだね。マリーが妬いてんのとか、見てて飽きないよ」
「うわ、最低!」
酒瓶の影から、そっとロスナルの表情を盗み見た。ロスナルは、いつもの整った綺麗な顔をニヤリと歪めて酒を煽っていた。その横の男が、煙草を更かしながらロスナルの顔を覗き込む。
「んで?お前、そのお姉様の獣令嬢にまで手懐けてんだろ?」
「まじかよ。節操ねぇな。寝たの?」
「流石にまだ手は出してないな。あいつはどっちかって言うと労働力だから」
何を言ってるんだろう。意味は分かっているのに、受け入れられずにただ会話だけが耳に流れ込んでくる。
もう聞きたくない。そう思うのに、話は止まらずに進んでいった。ナッツを口に放り込んだ男が、下衆な笑みを浮かべる。
「かわいそ。一応元婚約者だろ?抱いてやれよ」
「何言ってんだよ、ホイホイあんなのとできるわけ無いだろ?」
「うわ、最低!見た目はそこそこだろ?」
男たちが興奮したように声を上げる。ロスナルは何故か得意げに笑みを浮かべた。
「はは、まぁそれはな。一応そのうちとは思ってる。でもそれは俺が伯爵になってからだ。本来の血筋はリズだし、今何かあるとまずいだろ。伯爵位貰えなかったら俺終わるし」
「うわ、そういうこと?」
「当たり前だろ。とにかく、今のところは優しくしてくれる唯一の男でいられたらそれでいいんだよ」
「残酷ぅ〜」
隣の男が女の声真似でそう言ってケラケラと笑った。その隣の男もニヤニヤとしながらロスナルに話しかける。
「なぁ、獣令嬢もまんざらでもないんだろ?」
「あ、俺見たことあるぜ。ありがとう、ってニコってしてた」
「それで優しくしといてあれこれやらせてんだ」
「んー……まぁ、自分にズブズブの女は何人いても困らないだろ」
にや、と笑ったロスナルに、二人の男がうわぁ、と声を上げた。
「よく獣令嬢にそこまでできるよな。穢れるぞ?」
「どっちかって言うと、穢すのはロスナルだろ」
「確かに」
「酷っ!ほんっっと最低野郎だな!」
ゲラゲラという笑いが巻き起こった。それを、遠い世界の声のように呆然と聞く。男たちの笑い声に、身体が氷のように冷やされていく。
伯爵位、寝れる女、穢す。幾つもの耳を塞ぎたくなるような言葉が、グルグルと頭の中を回る。
別に、ロスナルの婚約者としての未練があったわけじゃない。マリーじゃなくて、私の夫になって欲しいと思っていたわけじゃない。
それでも、少なくとも、私の味方をしてくれる人だとは思っていたのに。こんな酷い見方をされていた事が許せなくて。悔しさとやるせなさが、胸の中を黒く塗りつぶしていく。
ぽた、と涙が床に落ちた。それが自分のものだと気がついて、慌てて頬を拭く。しまった、ウィルも一緒だったのに。とにかく、何とかしてここを抜け出して――
そう慌て始めた時。私の頭に何かがぱさっと被せられた。
「……とりあえず被ってて」
上の方から静かなウィルの声が聞こえる。暗くなった視界に、自分のものとは違う香りがする。優しい、少し甘い匂い。
これは多分、ウィルの上着だ。
「ウィル、」
「いいから……黙って大人しくしてろ」
暗がりに、ウィルの大きな手がポンポンと私の頭を撫でたのが分かった。
それが、あまりに優しくて。私は思わず、う、と小さな声を出して泣いた。
それと同時だっただろうか。ロスナルが訝しげな声を上げた
「ん?なんだ……?外が騒がし――」
「火事だ!!!」
バタンと扉が開いて街の人が慌てて入ってきた。
「火事!?」
「店の裏から火が出た!ここも危ない、早く避難を!!!」
「はぁ!?まじかよ、行くぞ!!!」
ドタバタとロスナルと二人の男が外に出ていく。少しして、店はびっくりするほど静かになった。
「行きましたよ。大丈夫ですか?」
マスターの声がして、ハッとして上着の中から顔を出す。
「マ、マスター!火事って……早く消火しないと!」
「はは、大丈夫。嘘ですから」
マスターは上品な白いヒゲを撫でながら、ニコニコと笑っていた。
「え、嘘……?」
「はい。お連れの方の機転は秀逸ですね。ささ、今のうちに。お酒も準備できてますから」
呆然として上着を外すと、大きな革袋を背負ったウィルが、はい、と手を差し出していた。
「ほら、何してんだ。行くぞ」
「えっ、あの……」
「いいから。それも着とけ」
再びバサッと上着を着せられ、手を引かれて店を出る。上機嫌に手を振るマスターに手を振り返しながら、無言で私をぐいぐい引っ張るウィルに慌ててついていった。
「あの、ウィル……」
森の入り口に差し掛かった頃。あまりの無言に耐えきれず、私は遂にウィルに声をかけた。
夕暮れの森の入り口。長い影が、ぴたりと止まる。カァカァという鳥の鳴き声を聞きながら、立ち止まったウィルの背中に、迷いつつも声をかけた。
「その……ありがとう。ごめんね、変なとこ見せて」
「……危うく出てってぶん殴りそうだった」
「え」
はぁぁ、とため息をつくウィルを、きょとんと見上げる。ウィルは、びっくりするほど苦々しい顔をしていた。
「ふ、ふふ、そんな怒らなくても」
「はぁ?怒るに決まってるだろ。むしろお前こそもっと怒れよ。……あのクソ男、二度と女が抱けないように切り落としてやれば良かった」
「っ、ふふ、なにそれ。どこ切り落とす気よ」
「どこって……」
「ふふふ、あははは!」
段々おかしくなってきて、腹を抱えて笑う。そんな私を、ウィルがあきれた顔で見下ろした。
「何でそんなに笑うんだよ……」
「え?だって、あんまりにもウィルが怒ってくれるから。しかも切り落とすって……」
「……下ネタで笑うな」
「ごめん」
夕暮れに照らされたウィルの呆れ顔を眩しく見上げる。
この先、私のためにこんなに怒ってくれる人はいないかもしれない。
そうして少し考えて。私はやっとまじめな顔で、ウィルに目を向けた。
「――ありがとう、ウィル。大丈夫だよ。受け入れたくなかっただけで、本当は薄々変だなとは思っていたから。だっておかしいでしょう?……ロスナルが優しいのは、必ず私と二人きりの時だけだったもの」
その言葉にウィルは少し目を丸くしてから、悲しそうに目を細めた。
そう、薄々感じていたんだ。
ロスナルは、他の人の前では、私に優しさを見せない。それは、私に優しくしているのを、誰かに見せると都合が悪いからだ。
優しくして、都合よく使うため。ロスナルの行動が、今日の男たちの酷い会話とすべてつながった。もしかしたらと思っていた小さな望みは、どろりとした黒いものであっけなく塗り潰されてしまった。
それでも、沢山泣いたからだろうか。妙に凪いだ気持ちで空を仰ぐ。
「この国は、獣令嬢を受け入れないわ。だから早いとこお金を貯めて、私はこの国を出ていくの」
そうして空を見上げたまま、何度も思い描いてきた夢を語った。上を向いたら元気になれる。私はそうやってずっとここまで生きてきた。だから、大丈夫だ。
「この獣の刻印を貰った時から、この国で生きていくのが大変だって分かってたのよ。それでも、これは私を助けてくれた大事な印だから。私はこれからも、獣令嬢として堂々と生きていってやるわ」
きっと、この刻印がなければ、私はもうずっと前に死んでいただろう。
生きているのなら、この身に負った運命と一緒に、精一杯生きていかないと。
お父さんとお母さんの分まで。
「泣いてたって誰も助けてくれないもの。だから、笑い飛ばして前に進まないと。でしょ?」
そうして、眩しい夕陽を全身に浴びて、にこりとウィルに微笑んだ。ウィルは、最後まで黙って私の話を聞いて――そして、静かに言った。
「……俺は、リズが泣いてたら助ける」
その言葉と、ふざけた様子のないウィルの表情に、思わず息を止める。本当は欲しかった温かさに触れそうになって。私は慌てて、一歩後ずさった。
「な、なに言って……」
「助けるに決まってるだろ。なんで誰も助けないなんて言うんだよ。……さっきも助けただろ」
じゃり、とウィルの足が一歩前に出た。夕暮れの森を背景に、ウィルの少し真面目な榛色の瞳が赤く染まる。
「人に助けられる事に鈍感になるなよ。……俺はちゃんとお前を助ける」
「っ、やめてよ」
「やめない。絶対に忘れんな。――俺はリズを見捨てたりしない。誰も助けないなんて言うな。お前は独りじゃない」
その言葉に、ぐらりと胸の中が揺れた。しっかりと立っていた足場が崩れるような感覚に、思わず首を横に振る。
「や、めて」
「……やめないって言ったろ」
そう言ったウィルは、私の顔を覗き込んで優しく笑うと、私の頭をグシャッと乱暴に撫でた。
「な?見捨てなかったし、優しいだろ、俺は」
「っ、ほんと、最悪……」
地平線の向こうに、夕日が落ちていく。森に少しずつ夜が訪れる。
私は次々と勝手にあふれ出ていく涙を拭きながら、暗くなってきてよかったと、心の底から思った。
そんな夜に向かう森の、太い木の影。
夕闇に紛れた何者かの影が、息を潜めるように、二人の様子をじっと見ていた。
読んでいただいてありがとうございました!
ロスナル、想像以上のクソ男でした……
「ウィル、切り落として良し」と怖い顔をしてくださった読者様も、
「私も『黙って大人しくしてろ』って言われたい」と、ウィルのイケメンっぷりに撃沈したあなたも、
リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!
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