1-34 星空
「――皇国は我が帝国の属領となった。皇王は降伏を受け入れ、統治権の一切を帝国に委ねた。これにより、皇国の民は帝国の法と加護の下に置かれる!」
セントサフィーナ皇国の宮廷前広場。帝国中央からやってきた執政官が、大衆の前で声を張り上げる。
「今ここに、新たなる秩序と未来を宣言する!」
わぁ、と群衆から拍手が巻き起こった。それに対し、帝国第一王子エルライド殿下が手を挙げて答える。
呪いが解けた数日後。あっという間に帝国に制圧された元セントサフィーナ皇国では、早くも帝国の属領として新たな統治が始まっていた。
当然良く思わない貴族もいたけれど。多くの民は度重なる徴兵徴税と全く進まない帝国への進撃に辟易していて、どちらかと言うと好意的に受け止めている人が多いようだった。
そんな新しい時代の始まり。
私はなぜか、立派な格好になったウィルと一緒に、第一王子の隣に立っていた。
チラチラとこちらを見る大量の人々の視線が刺さる。なんでこんな事に。冷や汗をかきながら、隣のウィルに小声で話しかける。
「なんで私も……?」
「お前俺の婚約者だろ」
「そうだけど。だからってこんな公式行事にいきなり登場させなくても」
「だめ。お前勝手にどっか行くから」
「えぇ……」
セントサフィーナ皇国を1日で攻め落とした日から、妙にウィルに監視されている気がする。まぁ確かに勝手に突撃した私が悪いのかもしれないけど。何も言わなかったウィルも酷いじゃんと、ちょっとむすっとする。
「なんだよ、まだ怒ってんの?」
「怒ってるわよ」
「悪かったって」
ウィルは反省しているというよりは、なんだか嬉しそうに笑った。
「ちょっと、ほんとに分かってるの?」
「分かってる分かってる」
「嘘でしょ」
「大丈夫だって」
そう言うと、ウィルは目だけチラッとこっちに向けた。そして、ちょっと甘さのある表情で薄く笑った。
「嫌だって言ってももう置いてかない」
「っ、そう」
そのウィルの表情に思わずどきりとしてしまって、ごまかすようにぱっと前を向く。なんなんだ。本当に心臓に悪い。
「――旗は変われど空は同じ。我らは共にこの栄華ある日々を輝かせようではないか!」
わぁぁぁ!とまた拍手が起こった。ハッとして我に返る。全然聞いてなかった。シャキッと背筋を伸ばして聞いてた風な真面目な顔をする。そんな私を、ウィルが面白がっている雰囲気を感じてちょっと悔しい。
ほんとに、この人こういう時だけ『立派で余裕のある公爵様』っぽく見えるからズルい。私も今後に備えて、それっぽい身のこなしと表情を身につけないといけないな。
そう考えながら、演説終わりで騒がしい宮殿の廊下をウィルと歩いている時だった。
「なんでその女がいるのよ!」
メイド姿のマリーが、わなわなと震えながら私を睨みつけていた。周囲のメイドがぎょっと驚いた顔でマリーをたしなめたが、マリーはそれを振り切り、私に掴みかかってきた。
「あなたが!あなたがお父様を殺してロスナル様を罠にはめたのよ!」
「マリー……」
「二人を返しなさいよ!」
マリーは感情のままに私の頬を叩いた。バシンと鋭い痛みが頬に走る。
「ぜんぶ、あなたのせいで……!」
マリーは叫ぶようにそう言うと、私の胸倉を乱暴につかんだ。
怒りで歪んだマリーの顔。
私はそれに、しっかりと狙いを定めて。
マリーの額に思いっきり、気合いの入った頭突きを食らわせた。
「いっっったいぁぁぃ!」
「私だって痛いわよ」
額を押さえてうずくまるマリーを凪いだ表情で見下ろす。私に反撃をされると思っていなかったのか、マリーは怯えたように私を見上げた。
「な、なにするのよ!」
「そりゃあ攻撃されたら反撃するわよ」
「反撃!?身をわきまえなさいよ!」
「……だから前は反撃できなかったのよ」
マリーははっと目を丸くした。周りから遠巻きに注がれる視線が刺さる。
没落し、もはや身を寄せる貴族もいない元伯爵令嬢のメイドのマリーと、帝国の公爵閣下の婚約者の私。権威を振りかざしたいとは思わないけれど、獣令嬢として虐げられていた時とは違うのだから、反撃ぐらいさせて欲しい。
「わ、わたし、は……」
「私は、何?」
口籠り、額を赤くして悔しそうにうつむくマリーを見下ろす。マリーの握りしめた手は細かく震え、歪んだ目には涙が浮かんでいた。それを、なんだか気が抜けたように眺める。
荒れた手に、艶の無い髪。隈のあるやつれた顔に、マリーが以前とは違う厳しい日々を過ごしている様子が見て取れた。
「……もういいわ。叔父様を助けてあげられなくてごめんね、マリー。残された叔母様を大切にしてあげて」
マリーがはっと目を見開いた。柱の陰で、同じメイド姿の叔母さまが、顔を青くしてオロオロとこちらを見ている。私が目配せをすると、叔母様はハッと肩を揺らしてから、口をきゅっと結んで私に会釈して、立ち上がれないままのマリーに駆け寄った。その様子を眺めてから、二人に背を向ける。
「……もういいの?」
「うん。頭突きは食らわせたし、これ以上復讐したいとかも特にないわ」
身が軽くなったような気持ちで、ウィルにそう伝えた。
沢山蔑まれていた。婚約者も取られた。でも、特別憎いとも思わない。どちらかというと、もはや忘れていた。私にとってはもう過去のこと。マリーへの恨みなど、その程度のものだ。
そんな事より私にはもっとやりたいことがある。あんな風に死にかけたんだ。明日死んでも後悔しないように、美味しいものをいっぱい食べて、大好きな人たちと過ごして。やり遂げたいことを夢中でやって、前を向いて生きないと。
「じゃあね、マリー。元気でね」
「っ、待ちなさいよ、まだ――っ、」
マリーはまだ納得がいっていなかったのか怒ったように立ち上がった。が、私の隣に目を向けると、途中で言葉を切ってさっと青ざめ、慌てて頭を下げた。
「し、失礼します……!」
マリーは青い顔をして、逃げるように叔母様と去っていった。突然どうしたんだろう。おや?と思いながら隣の男を見上げる。
「ウィル……何したの?」
「ん……?別に何も」
「嘘。絶対ウィルのこと見てたわよ。もしかして……物凄く怖い顔とかした?」
「……いや?」
「だってマリー怖がってたわよ?」
「……手は出さなかっただろ」
そう言うと、ウィルは私の腰を抱き寄せて、頬に触れた。酷く心配そうな顔が、間近に近づく。
「……痛む?」
「え?あぁ、叩かれたとこ?こんなの昔ミラにボコボコにされた時に比べたら大したことないわ」
「……気を付けて。次は俺何するか分からない」
「えぇ?何それ」
カラカラと明るく笑う。が、ウィルはなんだか真顔のままだった。サッとゴースさんが現れて何かの薬を差し出す。
「最高級の傷薬でございます」
「……今後の対策は?」
「まぁ、もうマリー様が手を出してきたりはしないでしょうが。有事の事態に備えて、魔界から護衛兼侍女でもスカウトしてきましょうか」
「ありだな」
「待って何の話してるの?」
私の頬に傷薬をすり込むウィルを困惑しながら見上げる。なんだかちょっと悲しそうだ。もしかして。
「……私が叩かれて怒ってる?」
「は?何言ってんのお前」
ウィルがより怖い顔になった。ぎょっとして後ずさろうとする私を、ウィルががしっと引き寄せる。
「もっと自覚持てよ」
「え?」
「俺に愛されてる自覚持てっつってんの」
そうしてウィルは私の肩にぽすんと頭を乗せた。耳元ではぁ、と気の抜けるようなため息が聞こえる。
「……自分の身体の扱いをよく考えろ。俺が激昂して暴れ回ったらどうすんだよ」
「えぇ、そんなに?」
「……本気で言ってるんだからな」
耳元で怒ったようなウィルの声が聞こえる。そうか、本当にかなり心配させてしまったみたいだ。ひりひりとする頬に、より申し訳ない気持ちになってきて、ウィルの黒髪をおずおずと撫でる。
「ごめんね、ウィル」
「……ん」
「私が自分でなんとかしたいの分かってて黙って見ててくれたの?」
「……お前手出されるの嫌いだろ。一応、元家族だし」
「うん。……ふふ、ありがと」
私のことをよく分かってくれてるのが嬉しくて、ウィルにぎゅっと抱きつく。きっと、ウィルは沢山我慢してくれたんだろう。
そうして、あたたかい気持ちのまま、ウィルを抱きしめて。そういえばここは王宮の廊下だったと、ハッとしてウィルから距離をとった。
「なんだよ」
「い、いや、人目があったなって」
「……むしろいいだろ」
「えっ!?いやなんで!?」
「虫よけになる」
「……虫?」
なぜ抱き合うと虫が寄ってこないのか。ミントの葉を潰したほうがいいんじゃないかと思った所で、いいことに気がついた。
「ねぇ、ウィル。獣騎士のみんな、今回も同じ皇国の森にいるのよね?」
「いるけど……おい、まさか」
「ふふ、当たり前じゃない!!!」
私は大喜びで顔を輝かせた。
「もう行事は終わったわよね!行こうよ!!!」
皇国郊外の、明るい森。懐かしい獣舎の近くには、帝国のテントが幾つも並んでいる。
組み上げられた薪から、橙に輝く火が登る。焚き火の灯りがゆらゆらと踊る長い影を作り、パチパチという気持ちの良い音を響かせる。
「リズ!!」
「クレアさん!ゲドさんも!」
食事の準備をしていたクレアさんが、私を見つけて走り寄ってきた。豊満な体がぎゅうっと私を抱きしめる。
「まったく、あんな大騒ぎになって。ほんとうに心配したんだよ!」
「ごめんなさい、クレアさん。お店大丈夫だった?」
「そんなのはいいんだよ。常連たちもみんな元気さ。そんなことより……大変だっただろう、リズ」
「全然!ほんとうに楽しくやってたわよ」
そうにこやかに言うと、クレアさんはちょっとだけきょとんとした顔をしてから、ちらっと私の背後を見てウフフと笑った。
「なるほどねぇ。熱愛報道は本当だったってことね。うふふ、まさかリズが公爵様の奥様になるとは」
「確かに私もびっくり」
「ほほ、幸せそうでよかったのぉ」
ゲドさんが顔の皺を深めながら嬉しそうに笑った。もちろん近くには瑞々しい半端野菜の山。それを見て、満面の笑みでウィルを振り返る。
「なんだか一緒に野菜洗ったのが懐かしいね!ねぇ、またロンに夜食あげたい」
「ほんとお前自由だよな」
「え、そう?」
「リズのアニキー!!」
向こう側で、トニや他の獣騎士たちがブンブンと手を振っている。何か妙に盛り上がってるのは、腕相撲だろうか。
「お前ら……まさかまた腕立て伏せ1000回する気か?」
「いやいやいや!まさか!ウィルフレド様の奥様になられるお方にそんな事はお願いしませんよぉ」
そう言ったトニは、なぜか黒い笑みを浮かべていた。
「その代わり、ウィル様が腕相撲に参戦しませんか?もちろん、ウィル様を倒したら賞金を貰いますが」
「へぇ……お前ら、いい度胸だな」
ウィルも意地の悪い挑戦的な笑みを浮かべた。なんてことだ。これは大変なことになってしまった。
私は慌てて枝を拾い、地面にガリガリとトーナメント表を作成した。
「よし!即席だけどこれでどう!?」
「さっっすがリズのアニキ!完璧!」
「ふふふ、でしょ?さてウィル、賞金は幾ら?」
「……金貨100枚」
「うおおおおおおおおお!!!!!」
獣騎士たちが湧き上がる。おいちょっと待て。まさか。
「その金貨って、もしかしなくても私のじゃない!?」
「もう必要ないだろ」
「嘘でしょう!?」
「くく……大丈夫だよ、守り切るから」
そう言ったウィルは、何故か妙に艶っぽい顔で私に一歩近づいた。
「っ!?何!?」
「で、俺が勝ったら?」
「えっ!?」
「俺が勝ったら、リズは何してくれるの?」
「えっ……えっ!??」
混乱する私をウィルはぐっと片手で抱き寄せて。そして、私の耳元で、甘い声で願いを囁いた。
「〜〜〜〜〜〜っっっ」
「約束な?」
「ま、まって、」
「リズのアニキ!なにイチャついてるんですか!早く!もう始めるよ!!!」
わぁわぁと腕相撲大会が始まってしまった。ウィルが嬉しそうに、ジタバタとする私を肩に担ぎ上げて、笑いながら輪の中に入っていく。
溢れる笑い声と、拍手や酒瓶のぶつかる音。賑やかな夜が、更けていく。
焚き火から舞い上がる火の粉が、楽しそうな声とともに、夜の森を明るく照らす。
チリン、と音がして。小さなテントがあった場所に、ロズがぴょんと降り立って。私たちを見て呆れたように笑ってから、のんびりと空を見上げた。
満天の星空。それは名も知らない男の子と上を向いて眺めたあの空と、少し似ている気がした。
読んでいただいてありがとうございました!
ついに次回最終回です!
「えー!もっと読みたかった!」と思って下さった天使のような読者さまも、
「ねぇ!ウィルのお願いなんだったの!??」と作者の肩を乱暴に振り回したいあなたも(ご想像にお任せします(゜∀゜))、
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