1-31 破られた約束
「んん……」
眩しい光に目を覚ます。なぜか体が重い。しかめっ面で目を開けると、私の体の上にウィルが乗っかっているのが見えた。
「ちょっと、ウィル何して……」
ウィルは、身を起こす私の動きに一切の反発無く、そのまま地面の上に転がった。血の気の引いた、白い顔。その生気の失われた顔を、呆然と見下ろす。
「ウィ、ル……?」
ウィルの体を揺するけれど。ウィルは抵抗無く揺れるだけで、目を開けなかった。
「な、んで……」
「死んだのだよ、ウィルフレドは」
ハッとして顔を上げる。目の前に、鋭利な剣の切っ先が突きつけられる。
私を取り囲む整列した皇国軍の兵士。そして、朝日に輝く白いコートに身を包んだフェリクス皇子がいた。
「褒めてやろう、リズ・ノイアー。君のおかげで化け物を従える悪魔公爵ウィルフレド・スルンガルドを殺すことができた。ずっと我が国の侵攻を防いできたスルンガルド一族を根絶やしにする栄えある一歩だ」
フェリクス皇子は二つに整列した兵士の間をゆったりと進み、私とウィルに近寄った。そして、ククク、と耐えかねたように笑い声を上げた。
「馬鹿な男だ。大人しく見殺しにすればいいものを、愛などという妄想に己の命を捧げるとは。そして女を抱くことも叶わず、お前の国も滅びていく。滑稽とはこの事だ」
そうしてフェリクス皇子はニヤリとその清廉な顔を歪め、私に目を向けた。
「さぁ、お前に選択肢をやろう。今から我が臣下に加わり、その獣の刻印の力とやらを使うのか。それとも、愛する男の後を追って死ぬのか。安心するといい、死を選ぶなら辱めと拷問をたっぷり味わせてからあの世におくってやろう」
そうしてフェリクス皇子は私の顎に手をかけ、乱暴に上を向かせた。黒い感情を抑え込み切れずに、歪んだ笑みが私に近づく。
「さぁ、どうする?お前も馬鹿ではないだろう?」
「……ふざけないで」
パシンとその手を弾き、フェリクス皇子を睨みつける。
「滑稽は、あなたよ」
「ふふ、私が滑稽?まさか本当に拷問と辱めを選ぶのか?」
「馬鹿じゃない?どちらも選ぶわけないでしょう」
怒りと悲しみが、私の血を逆流させるようだった。
「あなたは、絶対に、許さない」
そして、倒れたままのウィルを庇いながら――――私は”来て” と、強く願った。
「――っ!?なんだ!?」
「殿下!お下がりください!!!」
私の背後の空間が大きく歪む。
鉤爪のついた、白い大きな前足。歪んだ空間から伸びたそれが、朝露に濡れた緑の草を踏みしめる。
『娘。久しぶりだな。あぁ、久方ぶりの人間界だ。随分と人も増えたものだな』
巨大なフェンリルが、風に波打つ草原の上に降り立つ。周りには十数頭の白い狼。皆グルルルと呻き、鋭い牙を見せている。
『ほう、もしかしてその男は皇国の皇子か?随分と不味そうだが……喰ってやろうか?』
「――っ、獣令嬢め……!」
フェリクス皇子は青ざめた表情を歪め、一歩後ずさった。が、次いで何かに気がついたようにニヤリと笑うと、腰の剣に手をかけた。
「この獣どもと繋がるのはお前の獣の刻印だ。お前を消せばこの獣どもは消える!!!」
フェリクス皇子の剣が、鞘から飛び出し真っ直ぐに私の喉元に向かう。あっと思った時には、もう剥き出しの刃が目の前にきていた。まずい、と思わず目を閉じる。
ギィン!と金属がぶつかる激しい音。
なぜか、痛みは無かった。フェリクス皇子の唖然とした声が聞こえる。
「な、ぜ……生きて、いる」
「さぁ?」
その声に、恐る恐る、目を開けた。
紺色のフロックコートが、目の前で揺れる。
見上げると、ちゃんと目を開けたウィルが、不敵な笑みを浮かべてフェリクス皇子に剣を向けていた。
「ふざけるな!術はちゃんと発動したはずだ!なぜ生きている!?」
「なんでだろうな?」
「貴様ぁ!!!」
『煩い男だ。おい娘、こやつは私の獲物じゃないのか?お前の男が殺しそうだが』
騒ぐフェリクス皇子にうんざりした様子のフェンリルが、私を真上から見下ろしてきた。こんなに大きかっただろうかと少し焦りながらも、なんとか口を開く。
「えぇと、そうなんだけど……」
『まぁいい。おい小僧。さっさと魔界の門を開け。さっきから悪魔の気配がプンプンして気に障る』
そうフェンリルが言うと、ウィルはフェンリルを振り返りつつ、何もない場所に片手を向けた。
「悪い。獲物の取り分は話合ってくれるか?」
ウィルが手を向けた場所に、突然豪華な扉が現れた。そしてギィィ、と音を立てて開いた先。赤い空と捻じれた木の生える魔界を背景に、黒い燕尾服をきれいに着こなしたゴースさんが立っていた。ゴースさんが、恭しく礼をする。
「はじめまして、殿下。スルンガルドに仕えております羊の魔族のゴースです。執事をしております。どうぞお見知り置きを」
「なん、だ、お前……」
「ふふ、愛に障害は美味しい展開ですし、途中までは良かったんですけどねぇ。流石に悪ふざけが過ぎましたね、皇太子殿下。――私、死に別れは趣味じゃないんですよ」
そう言ってゴースさんは細い目を開いた。
黒に赤の眼球が、獰猛な色を宿す。
「古い盟約で、私は人に対する多くの干渉を禁じられ、殆どの力を振るえません。ただ、今回は厳しい条件が揃いましたからね。ウィルフレド様も私も、あなたを許すことはできません」
そうしてゴースさんは、ニヤリと恐ろしい笑みを浮かべた。
「スルンガルド一族が何故『悪魔』と呼ばれるのか。その理由を存分に教えて差し上げましょう」
「ひっ……」
フェリクス皇子が尻もちをついたまま、ズリズリと後ずさる。それを見たフェンリルが、ふんと鼻を鳴らした。
『おい山羊の悪魔。お前まさか獲物を独り占めする気か?』
「おや、失礼しました。これは話し合いが必要ですね……因みに私は羊の執事です」
『は、何を言う。お前のような祖先とも言われる古い悪魔が羊な訳が無いだろう』
「困りましたねぇ……結構気に入っているのですが、羊の執事」
『酔狂な事だ』
フェンリルが鼻を歪めて笑う。それをぽかんと見ている私の耳に、今度は違う音が聞こえてきた。
「ウィルフレド様ー!!!」
「生きてる!二人とも生きてるぞぉぉー!!!」
「皇国軍なぞ蹴散らせ!!!」
「うおおおおおお!!!!!!!」
ドドドドドという地を揺るがす音と共にスルンガルドの兵士たちが物凄い形相でこちらに向かってくるのが見える。鳥の魔獣や牛の魔獣もいるところを見ると、どうやらトニ達獣騎士団もいるようだった。
「で、殿下!どうします!?」
「――――っ、ま、守れ!私を守れぇぇぇ!」
フェリクス皇子は真っ青になって皇国軍の中に駆け込んだ。
それを、ゴースさんがつまらなさそうに眺める。
「想像以上に小物ですね。とにかく獲物の取り合いが激化してきました。フェンリルさん、とりあえず目ぼしい者たちを魔界側に連れてきて取り分を話し合いませんか?」
『ふむ。いいだろう。やつらに横取りされるよりはマシだ』
そう言うと、フェンリルは音もなくサッと駆け出した。うわぁ!と皇国軍が割れる。
「ぎゃぁぁぁ!!!」
激しい叫び声と共に、フェリクス皇子がフェンリルの口に咥えられているのが見えた。フェンリルは満足げに踵を返すと、そのまま飛ぶようにゴースさんのいる魔界の門の中へ入っていく。そして、その後から白い狼たちが、強そうな兵士を捕まえて次々と門の中へ入っていった。
「に、逃げろ!!!」
主を失った皇国軍が散り散りになって逃げていく。それを目を血走らせたスルンガルドの兵士たちが物凄い勢いで追いかけていった。
「ウィル様!リズのアニキ!良かった……良かったぁぁぁ!!!」
ぐしゃぐしゃに泣いたトニや複数の兵士達がこちらに駆け寄ってきた。それを見てホッと胸を撫で下ろしながら、ウィルの方に目を向けた。
「ウィル、これで――っ、ウィル!?」
ふらりとウィルが倒れる。それを慌てて支えて、その顔を見た。青ざめた顔。見たこともないほどぐったりとしたウィルが、苦笑いをしている。
「ウィル!?ウィル!!???」
「ぐっ……揺らすな、気持ち悪い」
「っ、ごめん!!」
あわあわと慌てながらウィルの冷や汗を拭く。一体何がどうなっているのか。
「具合悪いの?怪我してるの?どこが痛い?」
「落ち着け。大丈夫だから……」
そう言って、ウィルは焦る私に手を伸ばし、乱れた髪を私の耳に優しくかけた。
「リズ、怪我は?」
「私は、大丈夫……」
「よかった……っ、ぅ」
「ウィル!?」
また苦しそうな声を上げたウィルに慌てる。
「――っ、やっぱり、私の呪いの下の術で、」
「……大丈夫だよ」
「そんなわけ無いじゃない!あれは……城を丸ごと飲み込むほどの強力な術だって……」
カタカタと身体が震えだす。ウィルがその術を浴びたのなら、ウィルはこのまま死んでしまうのだろうか。
そうして青ざめた私の手を、ウィルはきゅっと握ってちょっと疲れたように笑った。
「だから大丈夫だって。まぁ……さすがに俺も死んだかと思ったけど」
そう言うとウィルはポケットから何かを取り出した。
古い子供用のブローチ。その中心にあったはずの小麦色の宝石は真っ黒に色を変え、そして真っ二つに割れていた。
「これって……」
「リズが小鬼と魔界で作ったブローチ。これならいけるかなって」
「えっ?」
「知らなかったのかよ。これ、魔界で小鬼しか作れない国宝級の護石だぞ?死にかけたら守ってくれるっていう、人には作れないやつ」
「は……はぁ!??」
ぎょっとしてウィルの肩を掴む。
「まさか、子供の私と小鬼が作ったやつで術を回避しようとしたの!?」
「回避しようとしたんじゃなくて回避したから」
「嘘でしょう!?あれ、子供の私の髪の毛で作ったおままごとみたいなものよ!?」
「そう、それそれ。今俺が生きてるのは子供のリズの髪の毛から貰った生命力のおかげね」
そんな馬鹿な。私はわなわな震えながら絶叫した。
「あんな子供の髪の毛の生命力だなんて、もはや死にかけじゃない!!」
「ほんとにな。リズが起きて俺を地面に転がした時に、その衝撃でまじで死ぬかと思ったよ。来る前にたらふく回復薬飲んで胃に貯めておいて良かった」
「え、ええぇぇぇ」
完全に虫の息じゃないか。ゾッとして頭を抱える。
「なんで、そんな……賭けみたいなことを……」
「いいだろ、賭けには勝ったし」
「そんな危険なことをしたら駄目よ!」
「お前こそ死にかけてただろ」
「公爵様が身を犠牲にしてその辺の令嬢を助けたらダメって言ってるのよ!」
そう涙目で叫ぶ。あとちょっとで、ウィルは死ぬところだったんだ。そんなの、取り返しがつかない。
そうして怒る私に、ウィルは、ははっとちょっと困ったように笑った。
「……あの皇子も片付けられて、帝国はこれで安泰だ。公爵としてもいい成果だけど」
「だからって……」
「……ごめん」
そう言うと、ウィルはぐっと力を入れて起き上がった。そしてはらはらと涙を流す私をそっと抱き寄せた。
「……どうしても、リズを諦められなかった」
「……っ、そん、なの」
「愛してるよ、リズ」
その言葉に、目を丸くしてウィルを見上げる。ウィルは、腕の中でぽかんと呆けた私を見下ろして。そして幸せそうに笑った。
「やっと言えた」
涙をためた私の目に、ウィルの唇が優しく触れる。それから、ウィルはまた嬉しそうに笑って、そして私をじっと見た。
「お前は?」
「えっ」
「俺のことどう思ってんの?」
「えっ……と、あの、」
「言えよ」
「っ、……そ、の……」
ウィルがじーっと私を見ている。じわじわと身体が真っ赤に燃えるように熱くなっていく。それでも言わないわけにもいかず、私はぎゅっと手を握り、意を決して口を開いた。
「す……すき……」
「……ん」
ちょっと照れたように笑ったウィルが、わたしにちゅっとキスをする。
なにこれ。恥ずかしすぎる。
「あ、愛さないって言ったよね!?」
「あーそれ。俺は約束してないから」
「えぇ!?」
「因みにお前は約束破ったから一生償えな」
「は、はぁ!??」
ケラケラという笑い声が、日が昇った明るい草原に響いた。
爽やかな、青い空の下。私たちの横では、緑と同化するように気配を消したトニが、遠い目をして「甘すぎて死ぬ。早く帰りたい」と太陽に祈りを捧げていた。
読んでいただいてありがとうございました!
やっと!やっと言えました!!!
「良かった!良かったよぉぉぉ〜!」とトニのように二人の生還を喜んで下さった優しい読者様も、
「さぁ。結婚、するんだよね?」と脳内で教会を建設し始めた玄人のあなたも、
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