1-30 朝日
「ウィルフレド様!本気でやる気ですか!?」
「……落ち着けトニ」
夜明け前のスルンガルド城。火がまだ燻り、煙の匂いが立ち込める城内の広場で、集まっていた獣騎士数名が俺に詰め寄った。
「俺は賛成できません!そんな賭け事のような戦略……危険すぎます!」
「今からでももう一度探しに行きましょう!?」
そう必死で言い寄る獣騎士達は、皇国の森や獣舎でリズと関わっていた者達だった。居ても立ってもいられないのだろう。その気持ちを痛いほど感じながら、身を切る思いで答える。
「無駄だ。日中あれだけ探しても見つからなかったんだ。リズには恐らく高度な目隠しの術がかけられている。暗闇の中闇雲に探しても下手を打つだけだ」
「っ、しかし!」
「落ち着け。皇国は必ず夜明け直前に、リズの姿を俺たちに見せるはずだ。体制を万全にして、その機を待て」
そう言って空に目を向ける。藍色の空は徐々に白み始め、東の地平線から蘇るように色を宿し始めていた。
間違いなくリズは現れる。それを願いながら、新しい知らせを待つ。
リズの姿が消えたと気がついたのは、傷を負った兵士から報告を受けた時だった。気を失ったキャロラインを救助し、燃え始めた城に降り立った俺に、その兵士は悲壮感を漂わせて駆け寄った。
「ウィルフレド様!」
「城の中心部にも火を放たれたか。状況は?」
「城内中心部三箇所で爆破、炎上!同時にその近辺で待機していた騎士の多くが奇襲を受けました!現在は動きはなく沈静化していますが、レオカディオ殿下と……リズ様の姿がありません!」
その声にまさかと動きを止める。思わず固まる俺に、痛々しい傷を負い顔を歪めた兵士は、苦渋の表情を向けた。
「爆破が起こり、レオカディオ殿下はリズ様を庇うように守ってらっしゃいました。その近辺にはもちろん殿下の護衛も、昨日到着した帝国の補助部隊もいました。……そして、レオカディオ殿下とその十数名の部隊もろとも全て消えました。その周辺にいた兵士は、私以外は皆、奇襲を受けて殺されています」
「――――…………」
息をするのも忘れて、その言葉を聞く。足元から、酷い冷気が己を凍らせようと上がってくるようだった。
まさか、王族の一人が皇国に寝返ったというのだろうか。次いで湧き上がる焦燥と怒りを無理やり抑え込みながら、レオカディオ殿下の周辺を何とか冷静に振り返った。
レオカディオ殿下は、第二王子として、ある種特殊な立場を築いていた。王太子である第一王子の手の届かない周辺を、明るく柔らかな物腰と王子の地位を上手く使って処理していた。巷では、それはバランスの取れた役割分担であるという評価だった。
――その影で、一部の気に食わない貴族が、皇帝への道が閉ざされたレオカディオ殿下を、『道化師』と揶揄する以外は。
「城内の鎮火を終えた兵士は、至急レオカディオ殿下がこの城を抜け出した痕跡を探せ」
「っ、は、はい、」
「ウィルフレド様!!!」
もう一人の兵士が走り込んできた。何かの白い布を手にしている。その兵士の表情と手にした布に、心の中が真っ黒く塗りつぶされて行くのを感じた。
「リネン室に薬品が染み込んだ布が!城の裏に不審な蹄の跡もあります!」
「――厳戒令だ。全隊にレオカディオ殿下の裏切りの可能性を至急伝達。明朝の皇国の進軍に備えて各隊を組織しつつ、怪しい動きがあれば即座に封じろ」
「っ、ハッ!」
そうして、青い顔をする兵士たちをまとめて放火の奇襲を封じ、体制を立て直した。皇国が闇夜の奇襲やキャロラインを人質に取ったのは、リズを攫うためだったのだろう。その後、日が昇っても、皇国は違和感があるほどに静かだった。
どれだけ探してもリズは見つからなかった。無情にも日が暮れ、夜が更けていく。深夜の松明のたかれた城の広場では、今にも暴動を起こしそうな気迫の者たちが息を殺すように整列している。焦れたような息遣いや視線が、時折俺を突き動かそうとして。
俺は、皇国を惨殺しようとする己の衝動を、必死で抑え込んでいた。
「……ロズ、どうだ」
『まだ見えないよ』
「…………」
ロズの金の目に、血の赤が混じり始める。ロズの千里眼は、本来はその能力を長時間使うことができない。
それでもロズは、一度もその目を閉じなかった。
「ウィルフレド様……」
「……まだだ」
祈るように目を閉じる。それから、徐ろにポケットに手を入れた。
リズの色を宿した小麦色の宝石。その子供用の古いブローチを、革のブレスレットをつけたままの手でぎゅっと握りしめる。
リズは今、無事なのだろうか。
なぜもっと厳重に守れなかったのか、他に何かできたんじゃないか。
ずっとリズの隣にいるという選択肢も取れたんじゃないか。
自責と焦燥が、どうか生きていて欲しいという祈りを血の色に染めていく。
でも、駄目だ。冷静になれ。そう何度も自分に言い聞かせる。
俺が、感情に翻弄され、判断を誤れば。リズも、俺も――スルンガルドの多くの人々の命も、一瞬で失われてしまう。
白み始めた空の色が、焦る俺たちを嘲笑うようにゆっくりと鮮やかさを取り戻していった。
太陽の存在を知らせる橙色が、東の空に混じり始める。
『見えた!三時の方向だ!』
ロズが叫んだ。物見台の見張りの兵が必死でそちらに目を凝らす。
「いました!荷馬車です!猛スピードでこちらに向かって……っ、いや、方向が変わりました!」
『だめだリズ!そっちは……!』
兵士が身を乗り出す。その方角で察した。
――スルンガルドの丘。人の住まない、切り立った崖のある場所。
「ロン!」
待機していたロンに飛び乗る。焦った表情のトニや他の兵士たちが俺に駆け寄った。
「ウィルフレド様!本当に、」
「約束守れよお前ら」
そうして皆に笑みを向けると、俺は一気に空へ飛び上がった。
明るさを増した空の下を猛スピードで突き進む。薄い雲の間では星が消え、平原の草木が朝露をまとい瑞々しい緑を取り戻していく。
スルンガルドの丘に、荷馬車が見えた。剥き出しの荷台に、リズが倒れているのが見える。
馬は狂ったように暴走し、まるで誘われるように、切り立った崖に飛び出した。
荷馬車が宙を舞い、リズの身体が弧を描くように投げ出される。
「――リズ!」
そのまま猛スピードでリズに向かって一直線に突っ込んだ。
ロンが翼を軋ませながら羽ばたき、落下するリズを下から受け流すように受け止める。
そして、崖下の広い草原に、俺とリズをそっと降ろした。
「ありがとう、ロン」
ロンはほんの少し俺とリズを静かに見つめた後、銀と青の鱗を輝かせ飛び立った。指示した通り一直線に城に向かうロンの姿を見送り、リズに目を落とす。
血の気を失ったリズの目は硬く閉ざされている。抱き上げたが、その身体からはぐったりと力が抜けていて、少しも動かない。
「だめだリズ、目を覚ませ」
頬に触れ軽く叩いても、リズは身じろぎ一つしなかった。変質した最後の呪いが、弾けそうな術を無理やり抑え込んでいる。目を覚まさないのは恐らくそのせいだろう。自分よりも低い体温に、リズの死がもうそこまで迫っているのを感じ取る。
「……リズ」
そうしてリズの生気の失われていく体をぐっと抱きしめた。力のない柔らかな体。少し日に焼けた腕。いつも日差しの中で元気に動き回っていたリズの手足には、痛々しい縄抜けの跡があった。睡眠薬を入れた指輪も使われた形跡がある。きっと、術のことを知り、スルンガルドの街から離れるために、呪いに蝕まれた身体で一人戦ったのだろう。
そして、誰も殺さないようにこの崖に向かい、一人で死ぬことを選んだんだろう。
「ありがとな、リズ」
東の空が橙色に明るく輝き始める。目覚めた鳥が、平和な鳴き声を響かせながら頭上を飛んでいった。
もうすぐ日の出だ。
血の気のないリズの頬を撫でる。涙の跡を拭いて、髪を撫でて。
そして、小さく深呼吸をしてから、ずっと伝えたかった言葉を口にした。
「愛してるよ、リズ。結婚しよう」
それは、間違いなく、俺の本心だった。
首のチョーカーに施された金の刺繍が、ほどけるように溶けていく。そして程なくして、黒い布地も煙のように消えていった。リズのまっさらな首が、100日ぶりの空気に触れる。
瞬間、辺り一帯の空間が、大きく脈を打つように揺れた。
身体から、一切の力が抜けていく。抗うすべもなく、そのままリズに覆いかぶさるように倒れ込む。
瞬時に生命力を奪う術。それは、リズの100日の呪いが解けた事を示していた。その事実に安堵しながら、消えていく夜の闇に誘われるように、目を閉じる。
東の地平線から、輝く朝日が顔を出した。
まるで、夜だったことが嘘のように、草原が明るく輝く。
遠くの空から星が消えて。
ただ、静かな朝が来て。
朝のひんやりとした風が、倒れた俺とリズの上を、ざぁ、と駆け抜けるように通り過ぎていった。
(次話もすぐ投稿します!)




