1-29 真実
体がドサリと硬い地面に打ち付けられた。その不快な衝撃に顔を歪める。ざらざらとした、冷たい土間のような感触。喉の渇きを感じて、無理やり目を開く。
「あぁ、目が覚めてしまったか」
目の前には白いブーツが見えた。起き上がろうとしたが、手が後ろに回ったまま、何故か動かせない。乱雑に床に横たわったまま、その声の主を見上げる。
豪華な刺繍が施された、汚れ一つない白のロングコート。その男は切りそろえられた美しいプラチナブロンドの髪を揺らし、私に冷たく微笑んだ。
「おはよう、リズ・ノイアー」
「フェリクス皇子……」
セントサフィーナ皇国皇太子、フェリクス皇子。私は隣国のスルンガルドにいたはずなのに、なぜ目の前にフェリクス皇子がいるのだろう。
そう思ったところで気がついた。そうだ、私は薬品を嗅がされて、眠らされて――
「黙って寝てたらよかったのに」
別の方向から声が聞こえてそちらに目を向ける。その声の主は古い木の机に腰掛け、気だるげに私を見下ろしていた。
「レオカディオ、殿下?」
「うん。ほんとうは、気まずいし顔を合わせたくなかったんだけどな」
レオカディオ殿下は、諦め半分の笑みを浮かべた。まさか、そんな。徐々に働いてきた頭が、最悪の事態を私に告げた。
「帝国を、裏切ったのですか?」
「わぁ、ストレートに言うね。まぁそうと言えなくもないけど」
肩をすくめて苦笑いしたレオカディオ殿下は、次いで重いため息を吐いた。
「ごめんね、リズ。あの日この道を選んだ僕にはもう、この選択肢しか残されていないんだ」
「な、にを、言ってるんですか……?」
「――僕はもう、道化師のようにヘラヘラ笑って生きていくのは嫌なんだよ」
レオカディオ殿下がカタンと立ち上がった。そのいつもの冗談じみた笑みが抜け落ちた表情に、それが真実である事を悟る。じり、と辛うじて動く足で距離を取ろうともがく。そんな私に、レオカディオ殿下は暗い表情でゆっくりと手を伸ばした。
レオカディオ殿下は、ズリズリと私を引きずった。そして、近くに停まっていた荷馬車のむき出しの荷台に、ドサリと私を乗せた。
「……何をするつもりですか?」
「あぁ、慌てなくていいよ、リズ・ノイアー。彼には君をスルンガルドの街まで送り届けてもらおうと思ってね」
「え?」
「もうすぐ呪いのタイムリミットだろう?……君は丸一日眠らされていたからね」
そう言うと、フェリクス皇子は美しく笑った。
「素敵だろう?――君は、もうすぐ登る朝日と共に、スルンガルドに戻る」
その言葉に、ハッとして古びた小屋の窓の外を見上げる。
星がまたたく遠い東の空では、夜の闇が少しずつ薄くなり始めていた。
求婚できなければ死ぬ。その時が、もう目前に迫っていた。
「……ウィルをおびき寄せるつもりですか?それとも、呪いで死んだ私の亡骸を見せて動揺させようと?」
ジロリとフェリクス皇子を睨みつける。フェリクス皇子はそんな私を見てほんの少し瞬きした後、耐えかねたように表情を崩した。
「ふ、ふふ……ははははははははは!」
突然フェリクス皇子が激しく笑い始めた。上品さを失った、激しい表情。その歪んだ笑いに胸の内がぞわりと震える。
フェリクス皇子は一通り笑った後、荷台に横たわる私に、カツカツと歩み寄った。白い絹のように滑らかな手が私の首に伸び、うっとりとした表情で黒いチョーカーをなぞる。
「……そうだね。教えてあげよう、リズ・ノイアー。君は人質や囮なんかじゃない。――『兵器』なんだよ」
「は?何を言って、」
「皆、呪いを解きたがらなかっただろう?」
ハッとしてフェリクス皇子の作り物のような美しい顔を見返す。フェリクス皇子はプラチナブロンドの髪を揺らし、目を細めて笑った。
「100日の求婚の呪いが解ければ、その下に隠されていた術が解放される。100日の間、繰り返される呪いの求婚の力を使って増殖し、城を丸ごと包み込むほど巨大になった、全ての者の生命力を奪う強力な術がね。――君は、皇国の『兵器』なんだ」
「兵、器……」
その言葉を理解して、目を見開く。
兵器。まさか、私の身体には――100日の呪いの下には、大量殺戮の術が仕込まれていたと言うのか。
だから、ウィルもロズも、呪いを途中で解かないように、ずっと……
「――っぐ!?カハッ」
突然胸が苦しくなって喘ぐ。息がうまく吸えない。冷や汗を流し始めた私を愉快そうに眺めたフェリクス皇子は、徐ろに私の髪の毛をつかむと、無理やりぐいっと顔を上げさせた。
「苦しいかい?君が下の術について知れば術が暴発するように仕組んでいたんだ。まぁ、ここで暴発されると私も困るからね。漏れ出ないように少し抑え込まさせてもらったよ」
ヒューヒューと息をする私に、フェリクス皇子は暗い笑みを近づけた。
「死に至る苦しみだ。これでもう会話もできなければその獣の刻印も使えまい。このまま大人しくスルンガルドまで行ってもらうよ」
「っ、……や、め……」
「はは、やめるわけないだろう?お前の叔父や帝国の豚貴族まで使ってけしかけたのに、我慢強いウィルフレドのせいで100日も待たされたんだ。私ももう待ちくたびれたよ。まぁ、おかげで術がこれまでにないほど強大になったがね。……さて、そろそろ出発の時間だ」
その言葉を合図にしたように、レオカディオ殿下が荷車の御者台に腰を下ろした。ブルル、と荷車につながれた三頭の馬が震える。
「さぁ、安心してスルンガルドに向かうといい、リズ・ノイアー。きっとあの馬鹿な若造は、愛などという妄想に取り憑かれて君の前に現れる。大丈夫、解呪をする隙もないさ。――愛の言葉を貰えれば君は助かり、ウィルフレドは死ぬ。愛されていなければ君は永遠に目覚めることはなく、ウィルフレドやスルンガルドの民と共に死ぬ。どうだい、幸せだろう?」
「ふざ、けない、で」
「はは、ふざけてなんかないさ。美しい筋書きに皆涙するさ」
フェリクス皇子は嬉しそうに白み始めた空に向かって両手を広げた。
「滑稽な愛の物語と共に、数多のスルンガルドの民と命を落とすのだ。大丈夫、きっと美しい詩にして語り継がせるよ。ウィルフレドの愛を得られたのならまた会おう。――さらばだ、リズ・ノイアー」
パシン!と馬を進める鞭の音が聞こえた。仄暗い明け方の空気の中を、荷馬車が進み始める。それは空の色が変わるのを恐れるかように、次第に速度を上げた。
冷たい夜明け前の空気の中を、ガタガタと荷馬車が駆け抜ける。
だめだ。このまま進んだら、だめだ。
私のせいで、みんなが、死んでしまう。
速いスピードで走る馬車の上。私は身が引きちぎれるような苦しみに脂汗を流しながら、ぐっと体に力を入れた。
「ごめんね、リズ。直前まで僕も一緒に行くからさ」
ぽつりとレオカディオ殿下が呟いた。
「大丈夫、きっとウィルフレドは君を見つけるよ。この馬車はスルンガルドに近づくと目隠しの術が消えるようになってる」
少しずつ、空が明るさを増してきた。焦りながら、痛みと息苦しさで震える手で、無理やり縄抜けをする。ギリギリと縄が手首に食い込み、血が滲む。
「君はきっとウィルフレドの愛の言葉を聞けるよ。それで奴とスルンガルドの者たちが死んでも気にしなくていい。君は元々セントサフィーナ皇国の人間だろう?」
やっと手の縄が外れた。足に結ばれていた縄を解き、痛みに震える身体を叱咤し、静かに御者台ににじり寄る。そして、ずっと手にはめていた古びた指輪をくるりと回し、睡眠薬を仕込んだ小さな針を取り出した。
「だから自分を責めなくていい。君は皇国の貴族の役目をしっかりと果たし――っ!?」
指輪をはめた手で、レオカディオ殿下のむき出しの腕をぎゅっと握った。レオカディオ殿下は目を大きく見開き驚いた顔をして、そして次いでふっと力が抜けたように、がくりと倒れた。
「は、やく、しない、と……」
無理やりレオカディオ殿下を御者台から引きずり下ろして、幌もない剥き出しの荷車から野原に落とす。
「いそ、がないと……ウィルに、みつかる、まえに」
そうして手綱を引いて、無理やり馬の方向を変えた。
古い車輪がギィと音を立てて軋む。猛スピードで走る馬車は弧を描き、遠くに見えてきたスルンガルドの街を横目に、別方向に向かって突き進み始めた。
「……これで、いい、わ」
スルンガルドの街より東。その方向には、見渡しのいい丘がある。
馬車の進む先は、切り立った崖だ。
「そこなら、きっと、誰もいない」
自分を励ますように、そう呟く。そして、悔しさと自責で、痛みに震えながら手綱を握りしめた。
大量殺人の術。それが私の呪いの下に仕込まれていた。ウィルもみんなも、それを知っていて黙ってくれていたのだ。いや、術が暴発するから、知らせることが出来なかったのだろう。
たかが隣国のたった一人の令嬢など、どこか人気のない所で殺してしまえば良かったのに。ウィルもみんなも、危険を冒してまで、これまでずっと一緒にいてくれたのだ。
――本当は、最初から、私はスルンガルドに来てはいけなかったんだ。
「ごめん、ね、ウィル……」
ウィルは公爵だ。領民や国を守る責務がある。そんな人が私を身近に置いて、大丈夫なわけがなかった。
それでも、私を遠くにやると、私は死んでしまう。そして、結局術が発動して多くの人を殺してしまう。
あの時、私がウィルに求婚した時から。
『兵器』としての私の役目が、始まっていたのだ。
「……絶対に、誰も、死なせない」
痛みに震えながら、ぎり、と手綱を握る。夜明けと共に、私は死ぬ。それと同時に術が解放されるのなら。
私は、誰も巻き添えにしない、一人の死を選ぶ。
馬は何か細工をされているのか、狂ったように走り続けていた。石の多い荒れた坂道に入り、荷馬車がガタガタと激しく揺れる。
そろそろ崖の手前だ。ここまで来たら、もう大丈夫だろう。ホッとして、力が抜けてゆくまま手綱から手を離し、ドサリと荷車に倒れ込んだ。
星が消えていく空が、頭上に広がる。激しく進む荷馬車に揺さぶられながら、ふと、あの日のことを思い出した。
そうか、私は二回も崖から馬車で落ちるのか。諦めにも似た、乾いた笑いが浮かぶ。
ごめんね、お父さんお母さん。結局、長生きできなかった。でも、そんなに悲観はしてないよ。大好きな人に沢山出会えたもの。大事なものも、思い出もいっぱいもらった。すごく、幸せだったよ。
そうして、夜明け前の、青と橙の混じり合う美しい東の空を見て思った。
最後に、もう一度、ウィルに会いたかったな。
でも、来たらだめだよ。絶対に、だめ。
愛の言葉はいらない。だから、私に、ウィルを殺させないで。
遠くなる意識の中、胸につけたガーネットのネックレスを、祈るように握りしめる。
涙が、目尻を伝って流れた気がした。
そして、あの日と同じように、馬車が宙を舞って。
私の意識はそこで、真っ暗な闇に落ちていった。
後半、涙目で書き上げました(;_;)
「リズ……」と涙して下さった、優しい皆様、
次話すぐ投稿しますのでぜひご覧ください!




