1-28 火の手
「やぁ!久しぶりだね。元気にしてた?」
「レオカディオ殿下!?」
少しして、穏やかなスルンガルドには、キラキラの金髪のレオカディオ殿下がやってきた。手にはめいいっぱいのお土産。ついでにキャロラインからの返事のお手紙まで持ってきていた。
「ふふ、キャロライン、さっさとロンに乗って帝都に来なさいよって書いてる」
「えぇ、ほんとに?凄いねリズ。あのキワモノと仲良くなれるなんて」
レオカディオ殿下は称賛と呆れの入り混じった表情でそう言った。その顔を見てふふっと笑う。
呆れ顔のレオカディオ殿下は、そんな私を一通り観察して面白がると、やれやれぇと力が抜けたようにソファーに沈み込んだ。
「とにかく、ウィルも君も無事に過ごしてくれていて良かったよ。正直、二人が無事にスルンガルドに帰るまで気が気じゃなかったからねぇ」
「えぇと、すみません。事件の事後処理とか、本当にお手数をおかけしました」
「いやいや、リズのせいじゃないから。ね、ウィル」
「…………」
無言のウィルの方を見る。
ウィルはレオカディオ殿下のお土産の、花柄の派手な帽子を被せられていた。ムスッとした顔が相まって、酷くチグハグな雰囲気を醸し出している。
「ククッ……なんて顔してるのさウィル。せっかくのお土産なのに」
「……絶対に面白がってますよね」
「まぁそうだけど」
そうしてレオカディオ殿下は涙を流して笑っていた。
穏やかな時が流れる。獣舎では豚のような魔獣は魔界に帰り、その代わりに足の長いダチョウのような魔獣が駆け回っていた。そして今日やってきたのは、新入りのネズミのような魔獣だ。
「リズのアニキぃぃぃ!こいつ俺の長靴かじるんすけど!!!」
トニが涙目で私にすがる。
「うぅん……ゴムが好きならゴムベラでもあげてみる?」
「そ れ だ !!!」
厨房へ駆けていくトニの後ろ姿を眺めながら、ぼんやりと思う。
呪いが解けるまで、残すはあと三日だった。
「……緊張してる?」
はっとして振り返る。獣舎の中までやってきていたウィルが、私を見下ろしていた。
「緊張なんて……いや、ちょっとしてるかも?ずっとコレが首についてたわけだしさ」
はは、と笑いながらそう答えた。ウィルは、そんな私を見つめて大きく一息つくと、私の頭をわしゃわしゃとめちゃくちゃに撫でた。
「ちょっ、何するのよ!」
「んー……なんとなく?」
「いつも思うけど、なんとなくですることじゃないでしょう!」
「でも緊張解れただろ?」
「……そう言われてみれば?」
ははっと笑うウィルをじとりと睨む。
――なんだか硬い表情なのは、ウィルの方なのに。
「ねぇウィル」
「何?」
「今夜ボードゲームしない?」
「いいね」
そうして、ニヤリと笑ったウィルと一緒に、その夜はひたすらボードゲームをした。途中で参戦したレオカディオ殿下をコテンパンにやっつけたり、逆にやられたりして。お酒も飲んで、眠くなってソファーで寝ちゃったりして。
気がついたら、いつかあった時みたいにお揃いのパジャマを着て寝ていた。さすがにやりすぎたねと言って二人で苦笑いして。そうして「結婚して」「だめ」を繰り返して、九十八日目の朝を終えた。
「何だかんだ、あっという間だったねぇ。残すところあと二回だっけ?」
ウィルと一緒にスルンガルドの地図を眺めていたレオカディオ殿下が私にそう問いかける。
「はい。100日の呪いが解けるまで、残す求婚はあと二回ですね。ウィルには既に九十八回断られました」
「そう数えると凄い数だね」
「ほんとですね」
馬鹿げた呪いをかけられたのが、ついこの間のような、そして随分前のようにも感じる。それももうすぐ終わるのだ。
「ありがとね、ウィル」
「まぁ断ってただけだし」
「簡単に言うわね」
「んな事より問題はこれだ」
ウィルがビシッとスルンガルドの端の森を指差した。そこにはレオカディオ殿下がつけた大きな赤い丸が書かれている。
「なんだってこんな所に大型の魔獣が出やがったんだ」
「ほんとだよね。スルンガルドの古城の近くなら分かるけど。こんな遠くに出るのはせいぜいごく小型の魔獣だったよね?」
「そうですね……人を襲う前に早く処置してしまわないといけないんですが」
そうしてウィルは届いた嘆願書に目を落とした。そこには、熊のような大型の魔獣の絵が書かれている。
「……とりあえず獣騎士を数名向かわせようか」
「そうですね……」
ちら、と目配せをした二人は、さらさらと何かの書類を書くと、控えていた獣騎士の一人にそれを手渡した。
「父上にも知らせておくよ。すぐに数名腕利きの補助部隊を送ってくれるはずだ」
「……ありがとうございます」
「いいって。そのために来たんだし」
レオカディオ殿下はそう言ってにこりと笑った。
呪いが解ける100日を前にスルンガルドにやってきた第二王子。王家も気にする呪いの終わり。そこに一体、何があるというのだろう。
でも、それを聞いたらいけない気がして。ロズとの約束を思い出しながら、ただ日々を過ごす。
いつも通りの、でもほんの少し違う日々が通り過ぎる。あっという間に日が暮れて、夜が更けて。誰にも止められること無く、この日も夜が明ける。
私は何だか胸の中がざわざわとして落ち着かずに、夜明けとともに目を覚ました。そのまま寝付けずに、ショールを羽織ってそっと外に出る。
雲一つない、抜けるような透明な空に朝日が差し込む。朝露を溜めた葉が朝日を浴びて光り、瑞々しい緑が鳥のさえずりと共に彩りを増す。
ウィルがこの呪いに付き合ってくれていなかったら。私はこの朝日を拝むことは出来なかったのだろう。
「眠れなかったの?」
振り返ると、ウィルがいた。白いシャツというラフな姿だったけど。朝に弱いウィルにしてはしっかりした様子に、ウィルも眠れなかったのだと悟る。
「うん……なんか、あと二回かぁって」
「ほんとだな」
そう言って、ウィルは私の隣に並んだ。朝の爽やかな風が、さわさわと私たちの間を駆け抜ける。
「……今日の分、もうやっちゃう?」
「…………そうだな」
静かに返事をしたウィルの方に顔を向ける。ウィルは、少し真面目な表情で、私の方に顔を向けた。
榛色の目が、朝日を浴びて不思議な色に輝いている。
「ウィル、結婚して下さい」
「……だめ」
そう言って困ったように笑ったウィルは、優しく私の頭に手を回すと、私の額にキスを落とした。
「……残りあと一回だけになっちゃったね」
「ほんとだな」
「さみしい?」
そう問いかけたけど。ウィルは困った顔のまま、それ以上答えなかった。うまく答えられないのかなと、かわりに自分で答える。
「私はちょっとさみしいかな」
「…………そっか」
ウィルは、ちょっとだけ突き放すようにそう言って。そして、少し黙ってから、急に私を引き寄せて、強く抱きしめた。
今日もいつも通りの日が始まる。ゴースさんのベーコンエッグとフレンチトーストを両方おかわりして、トニの帽子がネズミの魔獣にかじられて。ロンの干し草を取り替えて、スルンガルドの山に沈む夕日を眺めて。
そうしていつも通りの夜を迎えて。ゴースさんお手製のハンバーグを、いつものように楽しくワイワイと食べる。
そうなると、思っていた。
それは、夕陽がちょうど山の向こうに半分隠れた時だった。
「セントサフィーナ皇国が宣戦布告をしました!」
「なっ……何だって!?」
レオカディオ殿下が血相を変えてガタリと立ち上がった。
「ふざけるな!まだ和平交渉が成立して半年も経っていないんだぞ!?」
「……奴らの状況は?」
厳しい顔で立ち上がったウィルの前に、息を上げて走り込んできた兵士が膝をつく。そして、珠のような汗を流しながら苦渋の表情でウィルに知らせた。
「国境沿いに一万の兵!それから西の町で既に火の手が上がっているとの報告が!」
「な……」
レオカディオ殿下が目を見開く。ウィルは、その知らせを黙って聞き、壁に張った地図にパチンと敵の兵力を示す印を置いた。そして、一拍何かを考えるように黙ってから、ゴースさんの方に顔を向けた。
「ゴース。至急各隊に告げろ。恐らく各所から奇襲の火の手が上がる。狼狽えずに対処を。そして間髪入れずに報告を上げろ」
「御意」
ゴースさんがさっと姿を消した。それと同時に他の兵士が部屋になだれ込んでくる。
「ウィルフレド様!!下町から火の手が!!!」
「落ち着け。今日は風が弱い。すぐに警備兵と街の自警団を組織して消火にあたれ。そして恐らく多数の放火犯がいるはずだ。城の一小隊を下町へ派遣、放火犯を探し出せ」
「っ、は、はい!」
「ウィルフレド様!城の倉庫から火の手が……!」
その言葉に、ウィルがはっと目を見開いた。
レオカディオ殿下が慌てたように窓に駆け寄る。
夕闇が落ちはじめたスルンガルドの古城。その奥の敷地から、赤い火の手が上がっているのが見えた。
「ウィルフレド!まずい、城の内部にも敵がいるぞ!」
「ど、どうしましょう!?」
集まってきた兵士がざわりと揺れる。見れば街の向こう側でも、赤い火の手が上がっているのが見えた。ざわりと、胸の奥に恐怖が湧き上がる。
突然、ダン!とウィルが床に剣を突き刺した。ハッとした兵士たちが口を紡ぐ。
「狼狽えるな」
静まった部屋。集まってきていた兵士たちが、目を丸くしてウィルの方を見た。
「それでもお前たちはスルンガルドの兵士か?」
ウィルはそう言うと、不敵な笑みを見せた。
「倉庫の一つや二つ奴らにくれてやれ。まだ俺が手塩にかけて育てたお前らは誰も死んでない。悪魔公爵にしごかれた地獄を思い出せ。これぐらい、お前達なら余裕で鎮圧できる」
兵士たちは、目を丸くしてそれを聞いていた。ウィルはぐるっとそれぞれの顔を見渡すと、床の剣を抜いて窓の外にまっすぐに剣先を向けた。
「行け。建国以来国境を守り続けてきたスルンガルドの兵士がいかに秀でているか奴らに見せつけてやれ」
うおぉぉぉ!という歓声が上がる。バタバタと走り出ていく足音。それを見送ってから、ウィルは近くに寄ってきた数名の隊長に静かに言った。
「スルンガルド本隊を城下に緊急招集。すぐに全体号令をかける。夜にかけての奇襲だ。次に何が起こるか分からない。緊急の個別判断は各隊長に一任する。……任せたぞお前ら」
「ハッ!」
逞しい数名の隊長がニヤリと笑い、ウィルと拳を突き合わせた。スルンガルドの古城では既にあちこちで松明が燃え、警備の兵士たちが忙しなく走り回っているのが見える。
「ウィルフレド様!空を!」
「……空?」
異様なの知らせに、ウィルが眉を潜める。そして、見上げた先。
そこには、凧のような魔道具に宙吊りにされた女性の影が見えた。
「キャロライン……」
「まさか、帝国有数の令嬢を人質に取られるとは!」
レオカディオ殿下がガン!と怒りを顕わに壁を叩いた。近くにいた兵士の一人が、ウィルに問いかける。
「どうしますか、ウィルフレド様。罠の可能性も」
「…………」
「ウィル、あれは単なる人質じゃない。……見せしめだ」
レオカディオ殿下がぎり、と手を握りしめ、重々しく口を開いた。
「キャロラインはお前と同じ王家に連なる血筋だ。兵士には縁のある者も多い。今目の前でキャロラインを失うと、士気に大きく関わる。それこそ、見捨てれば反旗を翻す者も出かねない。……この中で、空へ行けるのはお前だけだ、ウィルフレド」
「……わかってます」
ウィルがぎゅっと拳を握った。
「凧の糸が切れた!」
「まずい、急がねば落ちるぞ!」
「行け、ウィル!何のために俺がここまで来たと思ってる!ここは任せろ。城も、リズ嬢も」
「――っ、ロン!」
ギャア!とロンがテラスに降り立った。ウィルがさっと私に寄り、そっと耳打ちする。
「――すぐに戻る」
「うん。気をつけて」
ニコっと笑って返答すると、ウィルは少し安心した顔をして、テラスからロンに乗り飛び立った。
暗い空に凧が揺らめき、それを追いかけるようにロンが飛んでいく。
間に合いそう。ほっと胸をなで下ろしそうになった、次の瞬間だった。
ガァァン!という轟音。目の前が一気に煙で見えなくなる。次いで、メラメラと紅く上がる炎が見えた。爆音による耳鳴りでふらめく私を、レオカディオ殿下がぐっと支える。
「――っ、大丈夫?」
「だい、じょうぶで……っ!?レオカディオ殿下!?」
見ればレオカディオ殿下の左腕が負傷していた。床には火のついた木材が落ちている。まさか。
「っ、レオカディオ殿下、まさか私を庇って、」
「はは……柄にもない事しちゃったね」
「早く手当を!」
「いいから」
レオカディオ殿下は痛みで歪んだ顔で無理やり笑うと、ぐっと立ち上がり、私の手を掴んだ。
「いいかい、しっかりするんだリズ。今は僕のことなんか気にするな。君は絶対生き残らないとだめだ。――ウィルの最大の弱点は君だろ」
はっと息を呑む。レオカディオ殿下は、よしっと言って、にこりと笑った。
「とにかく、ここはもうだめだ。急ごう。早く、こっちへ!」
見れば辺りには既にあちこちに火の手が上がっていた。その中を、レオカディオ殿下に手を引かれながら必死で駆け抜ける。
少しして、どこかの部屋にたどり着いた。壁いっぱいに置かれた白いシーツを見るに、ここはリネン室だろうか。
火の手のないその部屋に、ほんの少し気が緩んで。
私は、背後から迫るその手に、気が付かなかった。
ぐっと何かで口を押さえられ、甘い香りを嗅がされる。あっと思った時にはもう、目の前がぐにゃりと揺れていた。
「――だから言っただろ?君は、ウィルフレドの弱点だって」
その言葉に、無理やり目を開く。
霞む視界の向こうに見えたのは、レオカディオ殿下の、暗い表情だった。
「おやすみ、リズ。大丈夫、ちゃんと果たさせてあげるよ。――君は、『兵器』だ」
どういう、意味?そう詰め寄りたかったけれど。
もうその時には、私の意識は、深い闇に埋もれてしまっていた。
読んでいただいてありがとうございました!
あぁぁぁリズが捕まっちまったぁぁぁぁ( ゜д゜)!!!
「ぐぁぁぁ使えねぇ奴だと思ったら!お前かレオカディオ!!!」と発狂してくださった神読者様も、
「なんか怪しいと思ってたんだよこのクソ王子!!!」とギリリと奥歯を噛み締めてくださった勘の良いあなたも、
リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!
ぜひまた遊びに来てください!




