1-26 牢屋
少し前、ウィル視点です。
「リズは処分する」
リズを連れ帰る前の日。夕暮れが差し込む謁見室。赤い夕日と柱の影が長い模様を作るその場所で、物々しい兵士に囲まれた俺に、皇帝はそう言った。
「な……にを、言っているんですか」
「お前も気づいているだろう。……リズは『兵器』だ」
はっと息を呑む。『兵器』。薄くなった100日の呪いの下。そこには、想像していたよりもずっと、大きな術が仕込まれていた。
「――100日の求婚が終わるか、お前がリズに愛の言葉を囁くか、失敗してリズが死ぬか。どんな手段であってもリズを覆う100日の呪いが解けた瞬間、その下の術が……この城を丸ごと一つ飲み込むほどの強力な術が発動する。術の範囲内にいる者の生命力を全て吸い取るばかでかい術だ」
ぐっと手をにぎる俺の背後から、カツンと靴音が鳴った。
「リズの身体は診断と称して王宮の術師に念入りに調べさせた。まだリズを覆う求婚の呪いが厚くてかなり見えにくかったが。筆頭術師の分析では、かなり強力な生命力を吸い取る術で間違いないとのことだった。しかも、日を追うごとに大きく強力になっている」
そう俺に冷たい声で言ったのはエルライド殿下だった。
「……術を無効化する対策をします」
「海上で殺すのが一番安全だろう」
そう言った皇帝陛下を、思わず殺気立って振り返る。すぐさま兵士の槍が俺を遮った。既に謁見室は厳戒態勢だった。それもそうだ、仮に俺が反旗を翻せば、この場は戦場と化す。
それでも凪いだ表情の皇帝陛下は、俺を玉座から見下ろして静かに問いかけた。
「お前はなぜそこまであの子にこだわる」
「……ここで発言するには危険が伴うと思いますが」
「なるほどな。では質問を変えよう。――彼女はこの国にどのような益がある、スルンガルド公爵」
「…………」
落ち着いた声だったが。その目には冗談や馴れ合いの色は少しも無かった。
これは、政治の話だ。煮えくり返る心を無理やり落ち着かせ、もう一度顔を上げる。
「……神獣の加護。これがあれば国境の守備は盤石でしょう」
「神獣などいうと恐ろしいものを使いこなせると?」
「使うのではありません。我々がするのは信頼と友好を礎にした契約です」
「あの子にそんな事ができるのか?」
「できるはずです。リズは今でもフェンリルの祝福を今も持ち続けています。それが証拠です。スルンガルドの魔獣とも、全て打ち解けて友好関係を築けています。それも王家で調査済みなのでは?」
そして、ほんの少し間をおいてから、皇帝陛下にしっかりと目を向けた。
「100日が経ち、その下の術を無事に回避することができれば、我が国に神獣の加護が手に入ります。そして、セントサフィーナ皇国皇太子が我が国との和平交渉に忍ばせた罠が明るみになる。長らく国境を脅かしていた皇国との拮抗を有利に動かし、あの皇太子を排除するには又とない機会でしょう」
「……これに乗じて皇太子を撃つと?」
「俺は初めからそのつもりです。――俺が奴を野放しにする訳が無いでしょう」
皇帝陛下はじっと俺を見下ろした。痛いほどの沈黙が謁見室を包む。
「……分かった。でも全ては、あの娘がこの国に仇なす者でないことが分かってからだ」
エルライド殿下が、皇帝陛下の視線を遮るように俺の前に立った。俺と同じ榛色の目が冷たい色を宿し、斬るような視線で俺を見下ろす。
「……何をなさるおつもりですか」
「明日、もう少し話してみよう。それで問題無ければウィルフレドに彼女を返す。……問題があるようであれば、そのまま海上で処刑する」
「なっ、」
ガチャン、と両腕に錠が掛けられた。エルライド殿下がゆっくりと俺に剣を差し向ける。
「お前の行動一つで彼女の生死も大勢の命も変わる。分かるな」
「…………」
「明日の朝、知らせる。それまでゆっくり休み、しっかりと頭を冷やせ。――冷静になれよ、ウィルフレド。判断を誤るな」
そうして王宮の端の分厚い壁のある牢屋に放り込まれた。内装はかなり整っていたが、明らかに破壊力のある危険人物を捉える重厚な牢に、重いため息を吐く。
『……大人しくしてなよ、ウィル』
「ロズ……もういいのか」
『一応。死ぬかと思ったよ。まぁ死んだりしないんだけどさ』
ロズは、殆どの魔気を吸われてフラフラだった。そんなロズからリズの危機の知らせを聞いて、血が逆流するように突き動かされたのを思い出す。こうして捕らえられるのも当然だ。あと少しでそこにいた者を皆殺しにしそうだった。
冷静さを欠いては、この国は守れない。
「……ごめん、ロズ」
『えっやめてよ。ウィルが謝るとか気持ち悪い』
「いいだろたまには」
そう言って力無く笑うと、鉄格子の向こうのロズは、金の目をこちらに向けてからふいっと顔を空の方に向けた。
「リズが、『私は大丈夫だよ』だって。ウィルにそう伝えてって言われたよ」
そう言って、ロズは牢屋の中に何かをぽいっと投げ入れてきた。
シンプルな革の、男物のブレスレット。それを手に取り、ぽかんとロズを見上げる。
『……リズが港で買ってたやつ。ウィルが気に入るかなって僕に聞いてきたから、知らないって答えといた』
「知らないって……」
『どうせウィルはリズからなら何貰っても喜ぶでしょ』
ロズが金の目を意地悪く細めてニヤリと笑った。それを呆れたように見上げて、思わず笑う。
「……そうだけどさ」
そうして、月明かりの下、リズが選んでくれたというブレスレットを眺める。
何でもないその革のブレスレットには、帝国の守り神と言われる太陽の女神と、その使いである狼のモチーフが焼き付けられていた。きっとリズは細かいことは考えないで選んだのだろうけど。まるでリズを象徴するような女神の絵。それを、無事を祈るようにぎゅっと握りしめる。
『リズは大丈夫だよ。根性あるもん』
「……そうだな」
そうして眠れないまま、一夜を過ごした。
夜が明けて、日が高くなってから牢から出された。王宮の端の人気が無い場所で待たされる。
それまで、何も情報は無かった。リズが生きているか、死んでいるのかも分からない。
それでも、祈るしか無かった。
俺には、この国を守る使命がある。俺の勝手な気持ちだけで、この国を危険に晒す事は出来なかった。
それでも、リズが殺されてしまったら。俺はこの先、どうやって生きていったらいいんだろう。
そんなの、耐えられるとは思えない。
身が引き千切れそうな恐怖に、細かく手が震えたのに気がついて、ぎゅっと拳を握りしめた。
心を、強く持たないと。何度も自分に言い聞かせ、永遠とも思える時間を、心を削られるように、じっと耐えて待つ。
「ウィル……?」
暫くして聞こえた声に、はっと顔を上げた。数名の兵士に連れられたリズが、ちゃんと生きたまま、俺の前にいる。
思わず駆け寄って、その存在を確かめるように、強く抱きしめた。
強すぎて、リズに苦しいと言われてしまったけれど。心配そうに俺を見上げたリズは、少しの間、俺を見つめて。
それから、ちょっと背伸びをして。まるで癒すように、俺に口づけた。
もしかしたら、深い意味は無かったのかもしれない。それでも、その時初めて、気持ちが通じ合った気がして。
愛おしさが、どうしようもなく溢れてきて。
それでも何も言えないまま、リズに何度も口付ける。
「――それで、ウィル。私と結婚してくれる?」
「……だめ」
「ふ、ふふふ」
いつものやり取りが、こんなにも愛おしく感じるなんて。
きっとその時の俺は、信じられないぐらい、情けない顔をしていただろう。
そうして、無事に帰ってきた、スルンガルドの古城。やっと一息ついた俺に、ゴースがにこやかに言った。
「いやぁ、良かったですよ。危うく帝国を滅ぼす理由を見つけるところでした」
「物騒な事言うなゴース」
「本気ですが?」
目が笑ってない。どうやら本気なようだった。俺も、人のことは言えないけれど。半ば自分自身に呆れながらも、辺境ののんびりとした空気に気が抜けて、自室のソファーにドサッと腰を下ろす。
ゴースは俺の前に砂糖たっぷりのコーヒーを置くと、ほほっと朗らかに笑った。
「で、ウィルフレド様。早速ですが、皇帝陛下からの密書が届きました」
「……燃やしていい?」
「だめです」
渋々とゴースからその密書とやらを受け取り、クルクルと広げた。
皇帝陛下からの――叔父上からの密書。時折冗談を交えながら届くそれには、今回は一欠片の笑いも見当たらなかった。
まだ何かある。気をつけろ。
死ぬなよ。
「ウィルフレド様?大丈夫ですか?」
ゴースが難しい顔をした俺に声を掛ける。
「……やっぱりどこかから情報が漏れてるってさ」
わざわざよこした手紙にしては中身の少ない内容。しかしその中に、王家とスルンガルドの間で長く使われてきた古い暗号が入っていた。
王宮で、情報が漏れて続けている。
間者が潜んでいるのか、盗聴器なのか、それとも裏切り者がいるのか。それは、まだ分からない。
強い風が、ざわりと外の木を揺らす。
呪いの求婚が解けるまで、暦は残り二十日を示していた。
読んでいただいてありがとうございました!
リズ危うく処分されるところだったらしい( ゜д゜)
「へ、兵器って……」と顔を青くした優しい読者様も、
「なんかもう好きって言わせてあげて」と耐えきれなくなってきた女神のようなあなたも、
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ぜひまた遊びに来てください!




