1-25 問い
「うん、良かった。これならすぐに治りそうだね」
王宮の豪華な一室。ふかふかのベッドに座らされた私は、王宮の専門医の診察を受けていた。目の前にはニコニコ笑ったレオカディオ殿下。周りには上品そうなメイド達が並んでいる。
「あの……ありがとうございました」
「全然。むしろ申し訳なかったね。まさか街であんな軍事用の結界が張られるなんて誰も思わないから」
「その、軍事用の結界って?」
「あぁ、そうか。説明してなかったね」
レオカディオ殿下はパチンと両手を叩くと、近くにあった椅子を引き寄せて私の近くによいしょっと座った。
「何だかんだ、君の護衛はかなりしっかりしていたんだ。公爵家専属の護衛騎士に、ウィルの使い魔のロズまでいたからね。でも、相手が悪かった。あの港町のテントの一帯には、一小隊を丸ごと孤立させる程の強力な結界と、ロズの魔気を丸ごと吸い取るほどの強い呪詛が仕込まれていた。だから、助けるのが遅くなって……君に怪我をさせてしまった」
レオカディオ殿下はそう言うと顔を曇らせた。そして、一拍置いて、サッと頭を下げた。
「この帝国で君にこのような怪我をさせてしまって、恐ろしい思いをさせてしまって本当にすまない」
「なっ、おやめ下さい!本当に大したことないですから!」
「……そんな事を言うとウィルが怒るぞ?」
顔を上げたレオカディオ殿下は、困ったような笑顔でそう言った。
「というか、リズは本当に凄いね。あのウィルがあそこまで取り乱したのもそうだけど……ロスナルだっけ?奴の大事なアレ、大変なことになってたけど」
「っ、や、やりすぎました……」
「いやいや、本来切り捨てられても文句言えない立場だから」
ははっと笑ったレオカディオ殿下は、よしっと言って立ち上がった。
「とりあえず、この王宮は厳重な警備体制だから。取り調べが完了するまでここにいるといいよ。落ち着いたらウィルにも会えるだろうし」
「はい……ありがとうございます」
レオカディオ殿下がパタンと扉を閉めて出ていった。静まり返る広い部屋。魔獣達が息づくスルンガルドとは互う、綿密に守られた静けさが私を包む。
「あの……」
「どうぞ、今宵はこのお部屋でゆっくりとお休みください。お医者様からも外出は止められていますので」
「……そうですか」
ドアの前に立つメイドは、ニコニコと綺麗な笑みを浮かべていた。
お医者様の指示だというけれど。
部屋から出すな。つまり、それが上からの指示ということだろう。
私はウィルから離され、軟禁されている。なんとなくそれを感じ取り、作り笑顔のメイド達から距離を取った。やることもなく、ぽすんとベッドに座る。
「……ウィルは、何してるのかな」
いつもなら、どこからともなく現れたゴースさんが私に答えるのだけど。大きな部屋の中でぽつりと呟いた自分の声が、妙にさみしく聞こえた。
閉じられた部屋。着慣れない滑らかな室内用のワンピース。窓の外には切りそろえられた美しい庭園と、華やかな王宮の屋根が見えた。
行く当てもなく、ソファーに掛けてあったショールを羽織ってテラスに出た。日が山の向こうに入り、空の色が少しずつ暗くなり始めている。
――あなたはまだ、公爵から愛の言葉も受け取っていないの?
ミラの蔑むような声が頭に蘇る。
――この女の呪いはまだ解けていない。つまり、お前はこの女への真実の愛を持っていない……この女を愛していないということだ。
叔父様も、最後にそう言っていた。
そっと、自分の首に手を這わせる。あの日からずっとこの首にある呪いの黒いチョーカー。100日の求婚をするか、真実の愛を受け取らなければ、この呪いは解けない。
ウィルが、私に愛の言葉を囁けば、この呪いは解けるのだろうか。
――カタン、とテラスの下から音がした。
「…………ロズ?」
テラスのずっと下の方。ロズが、金色の目で私を見上げている。
「ロズ、倒れたって聞いたけど大丈夫?」
そう問いかけたけれど。距離が離れているからか、ロズからの返事はなかった。
「……ここまで来れないのかな」
あんな事があった後だ。厳重な警戒態勢が敷かれていると聞いている。ロズも気を失ったと聞いているし、十分な力がないのかもしれない。
「大丈夫かな、ロズ」
ロズは、ずっと下の方の屋根の上で、ゆったりとうずくまった。金の目は、変わらず私を見つめている。
夕暮れの、涼しい風が吹く。静かなテラスで、そんなロズを暫し眺めてから、私はにこりと微笑んだ。
「私は大丈夫だよ。ウィルにそう伝えておいて」
そう言ってから、そういえばと思い立って、港で買った革のブレスレットをロズに向かって放り投げた。ロズは立ち上がると、空中でそれをひょいとくわえた。それから、小さな声でニャア、と鳴いてから、何処かへ行ってしまった。
夕闇が満ちて、ランプの明かりがあちこちに灯る。夕食はお医者様とともに部屋に運ばれてきた。もう大丈夫だと言ったけれど、腹部も殴られていたから念の為とのことだった。念入りに体中を調べられ、消化の良さそうな夕食を一人で食べて、そのまま大きなベッドに寝かされる。
真っ暗な部屋。毛布の中で、ガーネットの小さなネックレスを胸元から取り出す。これをウィルに貰った時から、もう随分と時が経ったように感じる。
このネックレスを私に贈った時、ウィルはどんな気持ちだったのだろう。
――ウィルは、私のことを、どう思っているんだろう。
私はぼんやりとそんな事を考えながら、スルンガルドの穏やかな街を頭に思い浮かべて、一人暗い部屋で目を閉じた。
「――リズ様、おはようございます」
「……おはようございます?」
目が覚めると、沢山のメイドに囲まれていた。あれよあれよという間に美しいドレスに着替えさせられ、部屋の外に連れて行かれる。目の前には見慣れた巨大な扉。もしかしなくても、そこは皇帝陛下の謁見の間だった。
「おはよう、リズ」
「……おはようございます、陛下」
皇帝陛下はあの日会った時と同じように、ニカッと豪快な笑みを私に見せた。
「大変だったそうじゃないか。もう身体は問題ないのか?」
「はい、おかげさまでピンピンしております」
「はは、噂通り元気だな。良かったよ」
そう笑った陛下は、横に立つ男に顔を向けた。陛下と同じ金の髪と、榛色の目。でもびっくりするほど無表情な男が、私を探るようにじっと見つめている。
男は暫し私を観察した後、静かに口を開いた。
「……君はウィルフレドに何を求める」
「…………」
その静かな目をじっと見返す。私の好きな、榛色の瞳。この人はきっと、第一皇子エルライド殿下だろう。
光の当たり具合で、不思議と二色にも見える瞳。それは、帝国の王家の血筋である印だった。私はその色を暫く眺めてから、にこりと笑った。
「何も。強いて言うなら、ウィルには……スルンガルド公爵閣下には、あのまま、少し乱暴で慈悲深い、皆に慕われる領主様であって欲しいと思います」
「……最後に、君が選ばれなかったらどうする」
「――――…………」
無意識に、胸に手を当てる。
ウィルに、選ばれなかったら。
ネックレスが、チャリ、と音を立てた気がした。
「……私は元々金貨100枚で雇われた、獣の刻印を持つ傷物令嬢です。呪いから生きながらえるためにウィルフレド様の近くに置いてもらっています。神獣フェンリルの祝福はあります。でも、今帝国に貢献できる取り柄といえば、本当にそれぐらいです」
そうして、一呼吸置いてから、ウィルと同じ榛色の静かな目を見返した。
ウィルのいない謁見室。私を取り囲むように配置された、沢山の騎士。警戒するのも当然だ。だって私は、隣国の呪われた令嬢だ。
帝国に、ウィルに、害を及ぼさないか。きっとそれを、確認されているのだろう。
「もし私の存在がウィルやスルンガルドのためにならないのなら、今この場で切り捨てて下さい」
シンプルに、でもハッキリとそう言った。しん、とした空気が謁見室を満たす。
謁見の間での発言は絶対だ。だから、本当に切り捨てられるかもしれない。
でも、それが本当にウィルのためになるのなら。それでもいいやと思うぐらい、私はウィルを愛しているらしかった。
のんびりと傍観する陛下の横で、同じ榛色の目のエルライド殿下は、私を暫く眺めていた。そして少しして、ほんの少しだけ口角を上げた。
「ウィルフレドも妙に肝の座った女を見つけてきたものだ。まぁお前は神獣の加護なんてものを持つのだからな。それも当然か」
エルライド殿下は陛下と目配せをすると、気の抜けたように頷いた。
「ほら、さっさとウィルフレドのところへ行ってくれ。あいつ昨日から殺気立っていて目障りなんだ。一晩経ってさすがに頭も冷えただろうし、面倒だから早くスルンガルドに連れて帰ってくれるか」
「えっ……いいんですか?」
「いいよ。仮に君をここで斬ったりしたら、私も父上もロンに頭から喰われそうだし」
「その前にゴースを連れてこられるんじゃないか?」
「……それは勘弁して欲しいですね」
困ったように笑ったエルライド殿下に邪魔者扱いされるように謁見室を出る。
連れて行かれたのは、かなり離れた王宮の端の、随分と荒れた場所だった。壊れた塀や割れたタイルが落ちている。ここは訓練所か何かだろうか。
ウィルは、枯れた噴水の白い石組みに座っていた。組んだ両手を硬く握りしめたまま、じっと地面を見つめている。
「ウィル……?」
はっとウィルが顔を上げた。少し驚いたように丸くなった目が私を見つめて。ゆるゆると立ち上がったウィルは、私に駆け寄ると、私をぎゅっと強く抱きしめた。
「わっ!?ウィル、どうしたの!?く、くるしい!」
「っ、ごめん」
少し身体が離れて、間近でウィルを見上げる。想像以上に不安そうなウィルの顔。一体何があったのだろうと、その頬に手を伸ばした。
ウィルは、頬に触れた私の手に少しだけ頬ずりした。それから、何も言わずに、私を見下ろした。
揺れる不安そうな瞳。なんでこんなに不安そうなんだろうと、不思議に思って。私は何となく背伸びをして、心細そうに弱ったウィルに口づけた。
ウィルはほんの少し目を丸くしてから、ちょっと呆れたように笑って。それから、私を引き寄せるように抱きしめて、もう一度口付けた。
頬に、額に、首筋に。まるで愛おしいと言うように落とされる口付けがくすぐったくて笑う。本当に、どうしてしまったんだろう。
「ちょっとウィル、ふふ、やめて」
「……無理」
「なんでよ」
「……もう会えないかと思った」
その言葉に、じっとウィルを見上げる。ウィルは、それ以上、何も言わなかった。
「……ねぇ、ウィル。私、早くスルンガルドに帰りたいな」
「うん。そうしよう。その前にいつものやつ終わらせないと」
「ここで?」
「そう。不本意なことに」
そっと周りを見る。あちこちに気配がするのは、きっと王宮の兵士たちがこちらを見張っているからだろう。
「こんなに人気なんてびっくりだわ」
「ほんとにな」
「それで、ウィル。私と結婚してくれる?」
「……だめ」
「ふ、ふふふ」
戻ってきたいつものやりとりに思わず笑う。そんな私を眩しそうに目を細めて見たウィルは、徐ろに私を抱き上げると、ピュウと口笛を吹いた。途端に風が巻き起こり、ロンが空から青と銀の鱗を陽の光に光らせて私達のところへ降りてくる。
「よし、帰るか」
「うん」
そうしていつも通り私をロンに乗せたウィルは、私を落とさないように両腕でしっかりと包み込むと、ぶわりと空に飛び立った。
読んでいただいてありがとうございました!
なんか変な感じでしたが無事に帰れそう……?
「不穏!なんか不穏!」とハラハラし始めた読者様も、
「もはや愛の言葉とかいらなくね?」と熱愛っぷりに体が溶け始めてきたあなたも、
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