1-22 帝都
「ウィルおはよ。結婚して」
「だめでーす」
「はーい」
今朝も爽やかに呪いの求婚をこなす。
呪いを受けてから七十日程がたった。努めて、冷静に。とにかく冷静に。私は心の中でそう唱え続けていた。
「リズ?」
「何?あっ今日はフレンチトーストじゃない!美味しそうー!」
そうしてウィルと目を合わせないまま席に着いた。
「おいリズ」
「ん?」
「お前、最近ちょっと俺のこと避けてないか?」
「そ……そんな事無いわよ」
「じゃあこっち見ろよ」
その言葉に、覚悟を決めて恐る恐るウィルの方に目を向ける。
ぱちりと目が合って。私の方を見るウィルの表情に、どきりと胸が跳ねて。顔が熱くなったのを感じて、慌てて顔をそらした。
「……なんだよ」
「な、なんだっていいでしょ」
そうして口にフレンチトーストを突っ込んだ。
――おや?まさか、好いてらっしゃるのですか?公爵閣下が、一介の傷物の伯爵令嬢を?
ぐるぐると、死んでしまったラッケル伯爵の言葉が、何度も頭に蘇る。
呪われた、傷物の伯爵令嬢。幾らウィルが「傷物じゃない」と私を励ましてくれたとしても、一般論としては、私は婚約破棄された上に呪われた、傷物の令嬢であることに変わりはなかった。
そして、そんな立場の私が、公爵であるウィルには不釣り合いであることも。
それをもう一度思い出してから、ちら、とウィルの顔を盗み見る。
「……なんだよ」
「いや……その甘いコーヒー、だんだん美味しそうに見えてきたなって」
「カフェオレやめてこっちにするか?」
「うーん、そこまではちょっと」
「なんなんだよ」
そうして本当にどうでもいい会話をしてから、もう一度手元の皿に視線を戻した。
――強力な祝福を持ったお前は、本来国の均衡を大きく変えるほどの力を持ってる。
あの日、ウィルは私にそう言った。神獣フェンリルの加護。歴代の公爵をも凌ぐ、祝福の力。
もしそれが、本当にウィルの――帝国やスルンガルドの力になるのなら。私がウィルの側にいることも、できるのだろうか。
刻印のある胸元に目を向ける。もちろんそれは、服に隠れて見えないけれど。
私の胸元では、ウィルにもらったガーネットのネックレスが、控えめに朝日に光っていた。
「おい、リズ。聞いてんのかよ」
「えっ、あ、ごめん。聞いてなかった」
「……なんか変だぞお前」
「う、うるさいわね」
「…………」
ウィルが探るように私をじっと見てきた。
……そんなに見られると困るのだけど。なんだかムズムズしてしまって、手元のナフキンで顔を隠した。
「おい、なんで顔隠すんだよ」
「ウィルがやたらこっち見るんだもの」
「……いいだろ別に」
「は、恥ずかしいもの」
「…………」
絶妙な空気が朝食のテーブルを満たす。ちら、とナフキンの奥から顔を出して、ウィルの様子をうかがう。
ぱちりとウィルの榛色の目と目が合って。
ウィルはなぜかニヤリと、ちょっと嬉しそうに笑った。
「な、なに!なんでそんな悪そうな顔で笑うのよ!」
「この顔は元からだっつってんだろ。いいから普通に顔見せろ」
「嫌」
「なんでだよ」
ウィルがひゅっと私のナフキンを取り上げた。わぁ、と赤い顔で取り戻そうとする。が、案の定ウィルから取り戻すことなどできずに、どんな顔をしていいのか分からないまま、ゆるゆると席に腰を下ろした。
ウィルが満足気に私に笑みを向ける。
「おかわりは?」
「……甘くないコーヒー下さい」
「なんでだよ」
「なんか甘くないものが飲みたくなって」
そうしてずるずると砂糖が入っていないコーヒーを飲む。そんな私をつまらなさそうに見たウィルは、一つため息をついてから、ちょっと真面目な顔をした。
「まぁいいや。そんなことより、帝都に行くことになった」
「えっ?帝都に?」
「そう。皇帝に呼び出された。ラッケル伯爵があんな死に方したからな。事情説明だ」
その内容にはっとする。それはそうだ。訪問した貴族がその場で突然死したのだ。事情聴取がない方がおかしいだろう。
「……なんて説明するの?」
「普通に祝福持ちの取り合いになったって言う。そんでラッケル伯爵は皇国に唆されてたらしいって言っとく」
「呪いのことは?」
「……新聞記事にも出てないし、皇国から出てくる情報も、呪いのことは一切触れられてないからな。出来れば言わないでおきたいけど。まぁ、流れでなんとかするよ」
「そんな感じで大丈夫なの……?」
なんたって帝国のトップの皇帝陛下への謁見だ。ウィルの責任問題になったりしないだろうか。ウィルは不安そうにしている私を一瞥すると、くくっと笑った。
「柄にもなく不安そうだな」
「そりゃあそうでしょ!?一人亡くなってるんだし……」
「まぁ、そうだけど」
ウィルは少し顔を曇らせてから、もう一度気を取り直したように私に顔を向けた。
「とりあえず、そんなに心配すんな。皇帝陛下は頭が切れる人だけど、悪い人じゃない。そんなことより、ちゃんと心の準備しとけよ」
「なんの……?」
そう問いかけると、ウィルは意地が悪い顔でニヤリと笑った。
「あのゴシップ記事は帝都で一番ばら撒かれてる」
「えっ……」
「ほっほっほ、協力して下さった方に報いるためにも、帝都で熱愛っぷりを振りまいてこないとですなぁ」
ゴースさんが食べ終わったお皿を下げながら、とても上機嫌にそう言った。なんてこった。でもそりゃあそうだ、帝都に公爵閣下の話が回らないわけがない。
「嘘でしょう!?えっ私も帝都に行くのよね!?」
「行かなきゃ死ぬだろ。帝都は日帰りは無理だ」
「た、確かに……」
どうしよう。この期に及んで熱愛っぽく振る舞うなど耐えられる気がしない。想像して思わず赤くなってしまい、隠すように俯く。
そんな私をほんの少し見つめた後。ウィルは意地の悪い顔でニヤリと私の顔をのぞき込んだ。
「お前、今更無理とか言わないよな?」
「もっ……もちろんよ!」
咄嗟にそう答えてしまう自分の負けず嫌いに嫌気が差す。私はなんでいっつもこうなんだ。
そんな私を見て笑ったウィルは、よしと立ち上がった。
「じゃあ行くか」
「もう!?」
数分後。私はロンの前にいた。
「荷造りは!?」
「あっちに全部あるから。ほら乗るぞ」
「まっ……」
有無を言わせず担ぎ上げられてロンに乗せられる。慌ててロンの首にしがみついた私の後ろに、ウィルはサッと跨った。
背中に、ウィルの温かさを感じる。背後からウィルの両腕が伸びてきて、ロンの首にかかる手綱を握った。
近い。思わず胸が跳ねて、上ずった声で叫ぶ。
「自分で手綱持てるから!」
「は?何言ってんだよ。流石にダメだ。ロンは俺の契約獣だし」
「そ……そう、だよね」
いい感じにつかまる場所がなくて、結局ロンの首に手を置く。ツルツルとした感触に、馬とは違う乗り心地。なんだか心許ない。今度は恐怖感が湧き上がってきて、体を固くする。
「大丈夫、絶対落とさない」
ウィルの声が耳元でそう言った。手綱を握る両腕が、気遣うように私を包み込む。
どくんと、胸が大きく音を立てた。
まずい。飛行が怖いのかウィルとの近さに慌ててるのか分からなくなってきた。私は全てを振り切るように、ギュッと目を閉じた。
「わわわ私だって大丈夫よ!絶対落ちないわ!!最高のバランス感覚を見せてあげる!」
「バランスで何とかすんのかよ。それはそれで逞しい発想だな」
「は、早く行きましょう!?」
「はいはい」
ウィルがそう返事をするやいなや、ロンはぶわりと飛び上がった。一気に浮かび上がるような感覚が身体を襲う。
「〜〜〜〜〜っ」
「あれ、バランス感覚はどうしたんだ?」
「無理!やっぱり無理!バランスとかいう問題じゃないわ!!!」
「だから言ったろ」
更にロンが加速して高度を上げた。地面が一気に遠くなり、冷たい風が頬を撫でる。
「ひぃぃぃぃ!無理ぃぃ!」
「もうちょい高さ出たら安定するから」
「早くおろしてぇぇ!」
「んーそれは無理だな。まだ結構時間かかるぞ」
ウィルは笑いながら片腕を私のお腹に回してくれた。それを両手で身体に巻きつけるようにぎゅっと押さえつける。
「絶っっ対に、絶っっっ対に離さないでよ!!!」
「…………」
「ウィル!?ねぇウィル!?聞いてるの!??」
「……分かってるよ」
そう言うと、ウィルはほんの少し腕に少し力を入れて、私をしっかりと抱き寄せた。
私の背中に、ウィルの硬い胸が、とんっとあたる。
ハッとする。これって……かなり、アレではないか。
「や……やっぱり、離して……」
「……それ、本気で言ってる?」
ロンが大きな羽で羽ばたいた。またふわりと宙に浮く感覚が体を襲う。
「ひゃあぁぁ!嘘です!絶対しっかり固定しててください!」
「はいはい」
そうして、ウィルの腕が、もう一度ぎゅっと私を抱き寄せた。
もうどうにでもなれ。ドキドキとなる胸の音は全てロンの飛行のせいだと自分に言い聞かせながら、ウィルの胸の中におさまった。
しばらく飛ぶと、飛行が安定してきた。ヒュウヒュウと耳元を通り過ぎる風の音。空は青く、薄い雲が筋を描くように高い場所を流れている。眼下にはスルンガルドの森や湖が、青々と広がっていた。
ロンがゆったりと気持ちよさそうに羽ばたく。
「綺麗だね」
「ん?」
「スルンガルドの景色。森も空も、本当に綺麗」
「……そうだな」
耳元で、ウィルがそう言った。背中や、身体に回された腕から、ウィルの温かさを感じる。どきりとして、一瞬距離を取ろうと思ったけれど。もちろん空の上でそんな事はできるわけもなく、ただウィルの腕の中におさまり続ける。
「……まだどこかの森に行こうとしてる?」
少しして、ウィルが静かに耳元で問いかけた。
「え?」
「魔獣が多い森は、スルンガルドにしかない。お前の希望通りの場所は、ここだと思うけど」
ウィルの腕が、また私をぎゅっと抱き寄せた。耳元でウィルの息遣いが聞こえる。どきりとして、きゅっと手を握った。
「……呪いが解けるまでの約束じゃない」
「別にずっとここにいてもいいだろ」
ウィルの黒い髪が、さらりと私の頬に触れた。低い声が、いつもより甘く聞こえる。うまく息が吸えないまま、無理やり声を絞り出す。
「このまま、ここにいても、いいの……?」
「いいよ。大体、俺は出て行けなんて言ってないだろ」
ウィルの方を振り返ると、間近でパチリと目が合った。ウィルの仄かに甘さを孕んだ目が、私をじっと見つめている。なんだかその甘さに溺れそうになって、慌てて前を向いた。
「っ、やめてよ。どんな理由で私をスルンガルドに置いておく気?一時的な恋人としてならまだしも、公爵閣下が隣国の令嬢をずっと留めておく訳にはいかないでしょう?」
「…………」
ウィルは黙り込んでしまった。無駄に明るく言った私の声が、妙に自分の胸を抉る。
ラッケル伯爵の言う通りなのかもしれない。きっと祝福だけじゃ――――
「お前、余計なこと考えすぎ」
ウィルは呆れた声でぴしゃりとそう言った。
「え?」
「とにかく呪いが解けるまではお預けだ。今は何も考えないで俺に流されとけ」
「は!?――っ!?」
ちゅっと頬にウィルの唇が触れた。真っ赤になって、わなわなと叫ぶ。
「なっ、なんで!?」
「熱愛の練習」
「はぁ!?」
「ほら、山越えるぞ。雨雲もあるし、揺れるからしっかり掴まれよ」
「えっ……ギャァァァァ!!!」
立派な山々が、雲をかぶり荒ぶった様子で私の目の前に現れた。切り立った斜面、吹き荒れる嵐。目を回して叫んだ私が帝国に降り立った頃には、もうボロボロだった。
「お疲れ」
「うぅ……もう無理……」
足腰が立たなくなった私は、ウィルに抱きかかえられながら帝国にあるスルンガルド家のタウンハウスに降り立った。使用人さん達が、ワァォという生暖かい目をこちらに向けている。ボロボロなのがいたたまれない。
そんな私達に、ささっと身ぎれいな人が近寄ってきたと思ったら、なんとゴースさんだった。
「お疲れ様でございました、ウィルフレド様、リズ様」
「えっ、ゴースさん!?どうやって!?」
「ほほ、私はウィルフレド様の眷属ですよ?ウィルフレド様のいる場所ならどこにでも行けますから」
にこにこ顔のゴースさんがボロボロな私の顔を覗き込む。
「おやおや、びしょ濡れですね。途中そんなに荒れていましたか?」
「まぁちょっとね。リズにすぐ湯あみさせて」
「もちろんでございます、準備できていますよ」
そうして抱きかかえられたまま、ウィルに屋敷の中まで運ばれた。呆けたまま、ぼんやりとウィルを見上げる。
ウィルの濡れた黒髪から、ポタポタと雨の雫が落ちる。なぜか、それが妙に艶っぽく見えて。私は慌ててジタバタと足を動かした。
「っ、あ、歩く!」
「無理だろ。いいから」
そうしてお風呂場まで運ばれて、ゆっくりと降ろされた。その手が妙に優しくて、思わずどきりとする。
ウィルはいつから、こんなに優しかっただろうか。
「ちゃんとあったまれよ」
そうしてウィルは私のおでこの濡れて張り付いた髪の毛を軽く整えてから、薄く笑ってどこかへ行ってしまった。その背中を呆けたように見送る。
メイドさん達に言われるがまま湯船に浸かり、ブクブクと顔を沈めた。
――ウィルの雰囲気、甘すぎるのでは!?
「ふふふ、ウィルフレド様はリズ様を本当に大切になさってるのですねぇ」
古株だというメイドさんが石鹸をふわふわに泡立てながら私にそう言った。それに何と答えて良いのかわからないまま、赤い顔をぱしゃんと湯につける。
「……どうしたらいいの」
「そりゃあもう、堂々とお隣にいらっしゃったらいいのでは?」
「でも……私は婚約破棄された傷物令嬢よ?」
「まぁ、何を仰るのです」
古株メイドさんは、上品に結った白い髪の毛に飛んできた泡を付けたまま、ふふ、と可愛らしく笑った。
「もちろんリズ様がウィルフレド様に愛されていることが前提ですが。魔界との境界の番人たるスルンガルド一族の長ですよ?こんなに強力な祝福持ちのリズ様が、不釣り合いなわけがありません」
「…………」
その言葉を頭の中で繰り返しながら、そっと胸元の刻印に手を這わせる。不思議な色合いのそれが、仄かに光ったような気がした。
「……スルンガルドでは、これを誇っていいのよね?」
「えぇ!もちろんでございます」
「傷物令嬢だと言われても、ウィルの……スルンガルド公爵の隣にいて、スルンガルドや帝国の役に立てるのかな」
「はい。もちろんです。傷物令嬢だなんてとんでもない。きっとお役に立てますよ。――リズ様に公爵閣下の隣に立つご覚悟があるのなら、ですが」
そう言うと、メイドさんは私の髪にさらさらと湯をかけた。
穏やかな夜が更ける。
ランプの灯りだけが揺れる部屋の中。姿見に映る私の胸には、不思議な色合いの刻印がしっかりと刻まれていた。
「愛さないって宣言したくせに、ウィルも聞いて呆れるわね」
手にはウィルがくれたガーネットのネックレス。ちゃんと選んでくれたというそれが、夜のランプの灯りを跳ね返して、キラキラと光っている。
「……ウィルが低俗な女にうつつを抜かしてるバカな男だと思われたら嫌だもの」
ウィルは、私の刻印を、隠すなと言った。そして、似合うとも。
セントサフィーナ皇国での伯爵令嬢の地位など、もはやゴミ箱の中だけれど。ウィルと同じこの刻印なら、この国で誇ることができるだろうか。
ウィルの隣に――スルンガルド公爵の隣にいる覚悟。
もし私にその資格があるのなら。その覚悟ぐらい、幾らでもできるような気がした。
「ゴースさん、いるかな」
「はい、何でしょう、リズ様」
どこからともなく現れたゴースさんに、意を決して顔を向ける。
「あのね、一つお願いがあるんだけど」
読んでいただいてありがとうございました!
リズちゃんは何か覚悟が決まったみたいです!
「そうだ!覚悟決めろリズ!」と熱い拳を上げて下さった読者様も、
「ウィル様の甘さが増してきてやばい」と砂糖を吐き出し始めたあなたも、
リアクションブクマご評価ご感想なんでもいいので応援して下さると嬉しいです!
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