1-2 皇都の森
「おい」
そう言って、不機嫌そうにこちらを眺める、帝国の軍服を来た男。それを見て、しまったと焦る。マリーたちの相手をしているうちに、帝国の方々の到着時刻になってしまっていたようだ。
すみませんと謝りつつ、慌てて立ち上がろうとして思わず咳き込んだ。地味に鳩尾が痛い。その隙に、ミラが我が物顔で私の前に進み出た。
「まぁ、帝国の方でございますね?失礼しました、今――」
「悪いけど、あんたどこかへ行ってくれるか」
ピリ、とした空気が漂う。ミラはカッと怒りを顕わにした。
「なっ、無礼な、私は――」
そうミラが口を開いたと思った途端、背後の森の中から、ギャアオォォォォという聞き慣れない獣の鳴き声が聞こえた。ミラの顔色がさっと青ざめる。
「っ、蛇龍の、鳴き声!?」
「そう。あんたが殺気立ってるから苛ついてんだよ」
そう言うと、男は榛色の目をニヤリと細めて、悪そうな笑みを見せた。
「あんたが蛇龍の餌になってもいいってんなら話は別だけど?」
「なっ……」
「ほら、早くさっきの着飾ったお貴族様のとこ行けよ。もうすぐ公爵様が到着しますってな」
そう言うと、ミラはハッと我に返ったように踵を返した。
「っ、この事は報告させて貰います!」
「どーぞどーぞ」
バタバタと去っていくミラの背中を見送る。これはたぶん私が歯向かったことも叔父様に報告されるな。まぁいいかと思った私に、ひょいと手が差し出された。
「平気?だいぶ本気で殴られてたけど」
軍服の男は、私に手を差し出してくれていた。思わず手を伸ばして、まずいと手を止める。さっきまで地べたに倒れていたせいで、私の手は黒く土で汚れていた。
「ごめんなさい、土が」
「いいって」
男はそう言うと土で汚れた私の手を勝手に取り、グイッと立ちあがらせてくれた。
「ありがとう……ごめんなさい、こちら側の面倒事に巻き込んでしまって」
「いや、いいよ。森の中で怒鳴り散らしてる訳わかんない奴を追い返せて良かった。森でドレスアップしてた変な奴もいたし、ちょっと引いたけど。なんなのあれ」
その言い草に思わず吹き出して笑ってしまった。いや、でもちゃんと説明しないとだめだろう。
「本当にごめんなさい。あの人たちはあれでもこの国の貴族なの。さっきのはミラでノイアー伯爵家の侍女よ。その前にいたドレスアップ令嬢はノイアー伯爵家の次女のマリー。それからマリーの婚約者で次期伯爵のロスナルよ」
「へぇ……で、侍女のミラに殴られてた君は?」
その言葉に苦笑いをする。本当に格好悪いが、仕方がない。居住まいを正して自己紹介をする。
「私はリズ・ノイアー。一応ノイアー家の長女だけど……私は現伯爵の兄の子なの。もう想像つくと思うけど、家での扱いは大体こんなもんよ。いつものことだからあまり気にしないでね。助けてくれてありがとう」
「いや、蛇龍が苛ついてたのはほんとだし。むしろすぐ助けに入らなくて悪かった」
「当然よ。帝国の方だもの、様子見ないと出てこれないでしょう」
男はまぁそうだなと苦笑いをすると、また手を差し出してくれた。
「俺はウィル。帝国の獣騎士団の団長だ。少しの間宜しく頼む。俺も一応貴族だけど、まぁこんな感じで気軽でいいから。とりあえず野営地の案内をお願いしたい」
「ありがとう、話が早くて助かるわ。公爵様や他の方々は?」
「この後すぐに追いついてくる。先行して俺だけ様子を見に来たんだ。因みに君の仲間はこれから?」
「あ……ごめんなさい、私だけなの」
そう言うと、ウィルと名乗った男はぎょっとした様子で目を丸くした。
「うそだろ。皇都近郊の森といっても野宿だぞ。いくら何でも男だらけの野営の付き添いを女性一人にお願いするわけにはいかないだろ」
「えぇと、普通はそうなんだろうけどね。叔父様……ノイアー伯爵のご命令は私だけで何とかしろってことなのよ」
「何考えてるんだそいつ」
叔父様をそいつ呼ばわりしたウィルに苦笑いをしつつ、心の中では若干スカッとした気持ちになってしまった。いやいや、気を引き締めてここは丁重に説明しないと。
「本当に申し訳ないのだけど、私は大丈夫よ。要望してもらっていた食料も野営地もきちんと準備しているから、それは安心していいわ」
「俺たちは良いけど……皇国の人間がたった一人で帝国軍の中に混ざるって、本当にいいのかよ。怖くないのか?」
久々にこんな風に心配されて、何だかむず痒いような、心があったまるような気持になった。その分、余計にこの先の話に胸が痛む。
拒絶されたら困るし黙っていようかとも一瞬思ったけれど。でも、どうせ耳に入るだろうと、一思いに言ってしまうことにした。
「私は大丈夫よ。皇国の人も私に何かあったって誰も気にしないわ。私は獣令嬢だし」
「さっきの奴らも獣令嬢って連呼してたけど、なんだよそれ」
「……私ね、胸に獣の刻印があるの」
「獣の……刻印?」
男は不思議そうにそう繰り返してから、それが何なのかに気がついたのか、ハッと息を呑んだ。
「ま、さか……」
「ええと……本当。だからこの仕事を任されたの。森の獣にも、馬にも蛇龍にも襲われないだろうって」
驚くウィルの表情に、やっぱり蔑まれるかもしれないと覚悟を決めた。担当者を変えろと言われたら、なんとか叔父様と交渉するしか無いだろう。冷や汗をかきながら、反応を待つ。
でも、返ってきた言葉は、予想とは少し違っていた。
「――どんな刻印?」
「え?」
「形。どんな形なの、それ」
ウィルは何故か私の刻印の形を気にし始めた。変わった人だなと思いながら、とりあえず答える。
「えぇと……よくわからない線が組み合わさった、大きな犬の足跡みたいなやつよ」
そう言うと、ウィルは榛色の目をより驚きに染めた。
「――いつ?」
「え?いつって……」
「その刻印が胸に刻まれたのは、いつ」
「そ、れは……」
いつ、この刻印が胸に刻まれたのか。それを言おうとして、ひゅ、と息が詰まる。
芋づる式に、古い記憶が頭をよぎる。
大切な――でも、酷く残酷な思い出。
チリン、と足元で音がした。はっと現実に戻って目を向けると、そこには滑らかな黒い身体の生き物がいた。
「黒猫……?」
「……ロズだ。俺の猫」
ウィルはそう言うと、しゃがんでロズという黒猫を撫でた。にゃお~んと可愛らしく鳴く声に、ホッと胸を撫で下ろす。
ウィルはふぅと一息つくと、申し訳なさそうに私を見上げた。
「悪い、いきなりずけずけと聞きすぎた」
「ううん、いいのよ。それよりも帝国の方のおもてなし役が私のような獣令嬢になってしまってごめんなさい。帝国の方に失礼にあたるなら叔父様――ノイアー伯爵と交渉して別の者を見つけてくるわ。その……一応獣臭くは無いと思うんだけど」
「当たり前だろ。獣臭いわけない。むしろ歓迎するよ」
「そう?ありがとう、なら良かった――」
ちょうどその時、森の向こう側から複数の馬の足音や人声が聞こえてきた。あっと本来の目的を思い出す。
「大変!ごめんなさい、早くご案内しないといけなかったわね。こっちよ!」
そう言って、慌てて森の奥へと入った。帝国の方と合流して丁寧に挨拶をしつつ、公爵閣下の乗っている馬車を森の出口で待つ皇国の出迎えがいる方へ誘導する。
すれ違った馬車の窓から、黒いローブに仮面をつけた公爵様がちらりと見えた。先代から引き継いだという悪魔の仮面。なかなかの迫力におぉ、と微かに声が漏れる。
「凄いわね、本当に悪魔公爵って感じだわ」
「皇国の人だと流石に敬遠されるかな」
「まぁ……でもいいんじゃない?迫力あって近寄りがたいし、表情読めなくて便利そうだし」
そう言うと、ウィルはへぇ、と面白そうな顔をした。
「案外冷静だな」
「そう?本当に便利そうだなと思っただけよ?舐められなさそうじゃない。私もつけようかな」
「さっきのミラとかいう奴に拳で割られて顔面から流血するぞ」
「止めるわ」
そう言って、はは、と笑い飛ばした。後ろに控えていた獣騎士らしき人達がぎょっとした顔をする。しまった、ミラの話はみんな知らなかった。びっくりさせちゃったなと苦笑いでごまかす。
「ごめんなさい、皆さんはこちらへ」
それから、獣騎士団を引き連れて、森の中を進んでいった。
向かうのは森の中央にある広場。そこには急ごしらえで作ってもらった簡易的な獣舎が、できたてホヤホヤの状態で立っていた。
「ロッソさーん!」
「おぉ、リズちゃん!来たか!」
ねじり鉢巻きをして、真っ黒に日に焼けているロッソさんが顔を上げた。ロッソさんは白髪の交じる無精髭をシャリシャリと撫でながら私達を迎え入れてくれた。
「想像以上に立派な獣舎ができたわね!」
「おうよ。帝国の方の馬かなんかが寝泊まりするんだろ?あんまりお粗末だと申し訳ないからな」
「その帝国の方はこちらの方よ」
「おぉ!そうでしたか。こんな感じで良かったですかねぇ?」
ロッソさんはくたびれた帽子を慌てて取って丁重に頭を下げた。ウィルが物珍しそうに獣舎を眺めながら、嬉しそうに頷く。
「寧ろこんなに好待遇だとは思わなかったよ。正直、蛇龍と馬は野ざらしになるつもりで来てたから」
「そりゃあ良かったです。儂らもリズちゃんに仕事がもらえて大助かりでしたし」
「おぉ〜い!野菜はここかぁ〜!?」
今度は向こう側から畑をやっているゲド爺さんが、荷台に山盛りの野菜を積んでやって来た。
「ありがとうゲドさん!完璧よ!」
「そうかい、よかったよ。こんな半端野菜でよかったら山ほど持ってこれるわい」
「大事に使うわね。お代はこのぐらいでいい?」
「いいけどよ、伯爵様は受け取ってくれるかい?結構な額だが……」
「上手くやるわよ」
サラサラとサインをしてゲドさんに手渡す。今度は、その背後からクレアおばさんがやって来た。その後ろには色んな籠や瓶を持った人々がぞろぞろと続いている。
「リズちゃん!宴会の会場はここで合ってるかい?」
「うん!ありがとう!お願い!」
わらわらと増えた街の人々。ウィルがその様子を見てへぇ、と呟いた。
「随分街の人と仲いいんだな」
「まぁよく街で働いてるからね」
「へぇ、慈善事業とか?」
「ううん、昼はゲドさんのとこの畑で、夜は飲み屋で、普通に働いてるよ?」
そう言うと、またウィルは目を丸くした。
「お前、伯爵令嬢だろ!?」
「だーかーらー、獣令嬢だからよ。普通に食事が貰えるわけないじゃない。毎日美味しいもの食べたいし」
美味しいものを食べないと心が死んでしまう。毎日幸せに生きるためには特に大事なことだ。そうでしょ?とウィルにニカッと笑うと、ウィルは呆れたような笑みを返した。
「逞しいな」
「でしょ」
「あと、奴らがクソなのが良くわかった」
「あら、話が分かるじゃないウィル君。そんな君には良いものがあるよ?」
湿っぽいのはやめよう。せっかくの歓迎会だ。
私は簡易テーブルに乗せられた大きな籠を手に取り、ウィルに中身を見せてニヤリと笑った。
「野宿と言えば、でっかい肉でバーベキューよね?豪快に。お酒もいっぱいあるわよ?」
「……お前、最高だな」
ウィルは悪い笑みを見せた。背後で、こちらの様子を見ていた獣騎士さん達がうぉー!と盛り上がっている。
「ようこそセントサフィーナ皇国へ!」
肉の焼ける匂いと、森の風に揺れる焚き火の灯り。カンパーイ!という声が、暮れていく空に木霊する。
獣令嬢。それでも、自分の足で立てば楽しく生きていける。
私はそれを天に誓うように、獣の刻印のある胸を張って、大空に向かって祝杯を上げた。
読んでいただいてありがとうございました!
リズちゃん、元気でいい子でしょ?
「うぅ、一緒に飲みたい!美味しいごはん奢ってあげたい!」と思った優しいあなたも、
「うふふ、ウィルがいい人そうで良かった」とニマニマし始めたあなたも、
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